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浪速の夢遊び  作者: 秋鷽亭


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第二十四話 初見

※二千十六年七月一日、誤記を修正。

※二千十六年九月三十日、文言を修正。

※二千十七年六月三日、誤字、文章修正。

鶴松と岩覚は、今後、味方になってくれそうな者たちを見つける為、小田原征伐の論功行賞を見学した際の印象を確認していた。

論功行賞に鶴松が居ることに、諸大名が面を上げた際に、それぞれ無反応したものや、眉を顰めたものなど、様々な反応があった。

好意的に見る向きよりも、大半は、困惑、不愉快に感じていると鶴松は思った。


「鶴松様、諸大名はどの様に見えましたか」

「三成さん、正則さんは、好意的な視線で、接点はありませんでしたが、利家さん、景勝さんもそんな感じでしたが、旧織田家家臣の方々は、あまり良いように思ってない感じがしました」

「なるほど」


岩覚にしてみれば、元々、実父である信長の家臣たちである。

秀吉の養子になったとはいえ、織田家の家臣のその人となりは聞いている。


「危険な感じがしたのは、貴族っぽい人の後ろに居た鼻に傷のある人ですかね」

「……その人は、細川藤孝殿の子忠興殿でしょう」


(ああ、忠興か。植木職人が妻を見たとして殺し、政治的な意味もあったかもしれないけど、弟や息子を簡単に切り捨てた人だな。あまり、お付き合いしたいとは思わないな)


「鶴松様は、どう見られましたか」

「気品を感じましたが、冷徹な表情で、周囲を小馬鹿にした表情をされていました。後、どこか、誰かに陶酔している雰囲気がありましたが……」


鶴松の感想を聞き、なるほどと思い岩覚は口を緩めた。

未来の知識ではあるが、実際見た感じ、人を物としてみるように子に教訓を残した人物のイメージとして、あながち間違いではなかったと、鶴松は実物を見て感じた。

しかし、どこかに狂信的な雰囲気があり、近寄りがたいものを感じた。


「岩覚さんから見た忠興さんは、どの様な人ですか」

「そうですね……父藤孝殿から和歌、茶道などの教養を学び、武略にも通じ、文武両道の方だと思いますが、ただ、一つの事に偏狭的に固執する面もあります。気が合わないと、粘着性を持って、攻撃をしてくる可能性があるかと思いますので、相対するときは、気を付けないといけません」

「やっぱりそうですか……」


鶴松のイメージと、岩覚の人物像があっていた為、納得した。


「あと……」

「どうしました」

「忠興殿は、織田信長様を崇拝しているふしがあったと、記憶しています」

「崇拝ですか」

「そうです。信長さまの覇気と気品が反発しあわず、重なり合ったその姿を見た忠興殿の表情は、恍惚としていた記憶があります。忠興殿は、年々落ち着き、表情に出すようなことが無くなっていましたが、ただ、あの雰囲気は、伝え聞いている一向宗の者たちによく似ていると感じていました」


一向宗と聞いて、鶴松は恐怖を感じた。死への恐怖がない死兵を生み出し、信長と死闘を繰り返した一向門徒。

本当に、その人たちと同じならば、どこに地雷があるか、逆恨みをかう可能性もあるので、付き合い方が難しい。そう言えば、忠興の方に、秀吉の視線が行っていない時に見せる視線は、どことなく、見下しているような気さえした。


「忠興殿は、文化人としても一流の方、学ぶところも多いとは思いますが……まあ、その時は、私も同席しますので、あまり考えないようにした方が良いです」

「顔に出ていましたか」

「はい」


岩覚はそう言い微笑んだ。


「協力を要請しない方が良いです」


鶴松の中で、離感を持って接する事に決めた。


「片目のふてぶてしい人は、政宗さんですか」

「その通りです」

「あの人とは、利害関係で付き合った方が良い気がします」

「何故ですか」

「強い方に付く、利がある時に動く、そんな感じがするからです」

「そうですか」

「ただ、付き合いを切るのは危険なので、ある程度の付き合いで、情報を得つつ、協力関係を結ぶ方が良いかもしれないです。奥州から上洛し、確実に視野が広がっているはずです。軽視するのは危険です。こちらの威勢がある間は、裏切ることはないと思います」

「分かりました。殿下にもそう伝えておきます」


(ふと、思ったけど、有能な人って、忠興もそうだけど、政宗も、どこか偏っているというか、心が何かに飢えているのかな)


曾祖父稙宗、祖父晴宗、父輝宗と、伊達家が蓄積した力を元に、米沢から奥州南部に広大な領地を得た政宗。母親からの愛情が薄く、父親からの愛情を受けていたのは、織田信長と重なる部分がある。姻戚関係や因果因習を無視し、周囲を切り取って行った行動は、何か、誰かに認められたい、受け入れられたいという叫びにも感じる激しさがあったのではないかと、鶴松は感じていた。

そういう意味では、自分も同じだと思ったが、繰り返された生死を考えると、少し違っているとも思う。俺は信長や政宗と同じなのだと思い込むほど、夢を見てはいないと、鶴松は自分に言い聞かせた。


「そう言えば、中央から右側に座っていた大柄な方が、すっきりした表情で、父上を見ていた気がしますが……」

「……長宗我部元親殿かもしれませんね」

「何かあったのですか」

「かつて、九州征伐で元親殿に甚大な被害を受ける事になりわだかまりがあったようですが、その謝罪が、小田原征伐で行われ、ある程度、心で区切りがついたのではないかと思います」

「それは、信親殿の死ですか」

「……そうです」

「盛親殿が後継ぎだったはず、私の側近として、預かりますか」

「いえ、近づけるとするなら、もう少し、様子を見た方が良いかもしれません」

「そうですか……何名か、身近に置きたい人を纏めておきますので、検討してもらえますか」

「わかりました」


(一番は、やっぱり、家康、あの爺さん、目が笑っていない。顔は穏やかなのに、視線が鋭かった)




「忠興」

「何でしょう、父上」

「あのような場で、不遜な態度をとるなと、どれだけ言えば良いのだ」


薄笑いを浮かべ、忠興は藤孝を見た。

その表情を見て、藤孝は、忠興の未熟さを感じた。

藤孝は、足利義輝、義昭に仕え、京から逃れながらも若狭武田氏や、朝倉氏など、その庇護、支援を受ける為、侮蔑の表情を向けながらも、粘り強く交渉を続けて、信長の協力を得ることで、足利幕府を再興させることが出来た。

信長は侮蔑や見下すような事はなく、才能・能力だけを見てくれ、期待に応えれば、それに見合った報奨を与えてくれたが、逆に、期待に応えられなければ、苛烈な仕打ちがあり、侮蔑や見下してきた連中よりも神経をすり減らす交渉が多かった。

忠興は、そのような苦労を実感することなく、信長に才を愛されていたが、その愛が怒りと表裏一体であることを理解しておらず、自分の才に自惚れ、信長を崇拝していた。

信長の死後、舅明智光秀に付かなかったのは、光秀の能力は認めても出自が自分よりも劣り、崇拝する信長を討ったからと、藤孝は考えていた。自分の才に自惚れているだけと思っていたが、最近、忠興の考え方が、歪んできていると感じていた。


「百姓の出の者に対して、おもねる必要はありますまい」

「忠興!」


藤孝の叱責にも、薄笑いをおさめることなく、忠興は話す。


「我が一族は、源氏の裔であり、足利一門細川家。家系をねつ造した似非貴族の豊臣家に、へつらう必要はありますまい。表面上の礼儀を尽くせば問題ありますまい」

「お主は、殿下の力を見くびっているのか。我が家など、取り潰すことなど容易だということを気付かぬか」

「我が家を、私を、つぶせるほど、あの者に力はありますまい。貴族に伝手が多い我が家を取り潰せば、貴族との関係は冷め、似非貴族では抑えることはできますまい」


忠興の言葉を聴き、藤孝は深いため息を付いた。

貴族は、千年近く、陰湿な政争をしてきた魑魅魍魎であり、その変節ぶりは、生き抜く強さを持っている。忠興の言うように、藤孝は多くの貴族と交流があり、和歌においては、皇室ともやり取りがある。確かに藤孝は、貴族達と深い交流があるのは事実だが、忠興がそこまでの交流をしているわけではなく、ただ、藤孝の子であるからこそ、敬われているだけであることを気が付いていない。

その事に気が付かないほど、忠興は愚かではないと、藤孝は信じているが、今回の言動には危険な匂いを感じた。


「安心してください父上。別に、表立って、動くことはありません」

「……好きにするが良い。細川家の家督はお主に譲っている」


藤孝の言葉に、当たり前のことを今更何をという表情で、忠興は返した。


「それと、興元、与五郎を伴って、別の屋敷に移る。私が居れば、色々やりにくかろう」

「……分かりました」


頭を下げたが、その表情は、邪魔者が消えたとほくそえんでいた。

細川家を明確に分ける事を、秀吉に進言し、何かあっても細川家を守ることを、藤孝は考えていた。


「では、私は、利休殿に会う約束があるので、失礼します」

「分かった」


忠興が出ていくと、人を呼び、興元と与五郎を呼んだ。

二人が部屋に入ってくると、転居の事を伝え、支度するように命じた。


「兄上と、家を分けるのですか」

「そうだ、興元、お主は、長岡の姓を名乗れ」

「……」


忠興が処断される可能性があると、藤孝が考えているのかと、興元は考え驚いた。

人間味のない忠興だが、文武に秀で、家臣に対する恩賞も公平であり、細川家の当主としては、申し分のない人物であると認めていた。

父である藤孝が、居住を分け、姓まで変える決断をする理由が分からなかった。


「父上は、どうなさるつもりで」

「私も姓を長岡に変える。与五郎も長岡の姓になると心得よ。お主は、興元の養子となれ」

「はっ」

「それと、与五郎、お主を鶴松様の小姓として使えることを殿下にお願いする。認められれば、身命を賭して使えよ。たとえ、忠興と敵対する事があっても、鶴松様を守りぬけ、よいな」

「心得ました」

「では、支度を始めよ」




「政宗さま、どうでしたか」

「そうだなぁ~、特に面白みがなかったが、ガキがいたな」

「……それは、鶴松様ですか」

「そうだろう、あんな謁見の時に座らせられるガキが他にいるとは思えん」

「どなたも不満はなかったのですか」

「不満顔もあったな」


そう言いながら、その時の事を思い出して、政宗は大笑いした。


「どうされました」

「いやな、あんなところにガキを連れてくる人も人だが、あのガキ、周りを見ていたぞ」

「それは、子どもだから物珍しくて、周りを見渡したのでは」

「違う、あれは、人を探る目つきだ。物珍しくて見ているような視線でもしぐさでもない」


そう景綱に、口の端を釣り上げて笑いながら言いきった。


「幼子と聞いていますが」

「そう、幼子だ、だからこそ、周囲の連中は、侮ってみていたし、連れてきた殿下を馬鹿にしている目で見た奴もいていた。そして、それを観察していたのよ、面白い、面白いぞ、小十郎」


大笑いした政宗を見て、景綱は眉間に皺を寄せた。また、悪い病気が出てきたと、何をしだすかわからない、そして、その後の後始末を考えて、気が重たくなった。

その姿を見て、政宗はますます機嫌が良くなっていった。

呆れながら、景綱は首を左右に振った。


「小十郎、俺はな、天下を取りたい」

「……」

「しかしな、天下は広い、広いぞ、俺が、手に入れるには、まだまだ力が足りない。今回それを実感した。奥州の山奥で、幾ら力をつけたとしても、天下は取れない。諸大名との繋ぎと、顔を売らねばならん」

「分かっております」

「そして、今、天下に一番近いのは、あの秀吉の子よ」

「幼くして、死ぬこともあるかと」

「まあな、だから、次に有力な家康や利家とも繋ぎを取っておくことが大切だ」

「そこは、抜かりなく、今回の繋ぎのお礼をしますので」

「ああ、だからな、その二人は繋ぎを取るためのきっかけがある。しかし、あのガキとはない」

「その通りです」

「そこで、何らかの理由をつけて、対面する機会を作ろうと考えている」


無茶をしないだろうかと、不安な視線を政宗に向ける。

その視線を受止め、政宗は話す。


「小十郎、考えてみよ、ガキ……いや、鶴松様の婚約者は、義光殿の姫よ。従妹殿の婚約者に挨拶するのは、会う理由としては、問題あるまい」


その発言を聞いて、景綱は大きなため息を付いた。

今回、豊臣家に降るかどうかで、家内が揉め、何とか降る方向で纏めたのに、政宗の母義姫の毒殺事件により、小田原に来ることが遅れ、最悪、伊達家が潰れるかもしれなかった。その毒殺事件で、義姫を後ろから指示していたのが義光と言われていた。そのようなことがあったにも関わらず、平然とした顔で、鶴松の婚約者の従妹として、面会を求めるなど、どれほど、ふてぶてしいのかと考え、頭を左右に振った。


「なんだ、問題でもあるか」

「いいえ、特に問題はありませんが、義光様のお顔が見ものと」


それを聞いて、また、政宗は大笑いをして、畳をたたき出した。


「まあよい、大坂に居るうちに、会っておこう、差配頼むぞ」

「はっ」




「親実」

「はっ」

「親和の件は、すまなかった」

「いえ、元親様のお考えに沿わず、申し訳ございませんでした」


吉良親実は、大坂に呼ばれ、比江山親興のように、切腹を申し付けられる覚悟で、元親の前に座っている。

その表情は、既に覚悟を決めていて、元親は、親和の顔を思い出した。

嫡男で、期待をしていた信親の死後、その死があまりにも理不尽だった為、気が落ち込み、気が狂ってしまった。後継者として、四男千熊丸を立てようとして、家中が分けられてしまった。

親実、親興は、香川親和を押し立て、久武親直は千熊丸を押した。元親としては、親和は、既に香川家を継いでおり、その家臣団も形成されていて、後継者にした場合、長宗我部家家臣と、香川家家臣の不和が起きる事を考え、後継者から外そうとした。しかし、親実や親興は、親和を後継者にする為、家臣たちを説得して回っていた。特に、親興は秀長、孝高など、豊臣家の者たちと交渉しようとした為、その行動を止めるべく、理由をつけ土佐に戻して、腹を切らした。その子は、未だ、寺に閉じ込めた状態だった。

親実は、豊臣家の影響力を嫌った為、長宗我部家内で止め家中で話し合いを行っていたので、切腹を命じられても実施されず幽閉のみに止められていた。


「それに、あの当時、親和様は、既におこりにより体を弱らせておりましたし、程なく体を崩され亡くなられました」

「それで、出家したのか」

「……はっ」


親和は、体が丈夫ではなく瘧に罹っており、年に何度か発熱などの病状が出ていた。兄信親ほどでないが、文武に秀で、信親の良き補佐役になると元親は期待していた。

その親和も信親の死に衝撃を受けたのか、体調が悪化し床に臥せる事が多くなった。

秀吉からの後継者の話もあったが、健康面を考えても豊臣家の影響力を考えても後継者指名は難しかった。


「して、この度のお呼び出しはどの様なことでしょうか」


覚悟を決めた表情で、親実は聞いていた。


「小田原にて、秀久殿が討ち死にした事聞いているか」

「……いえ、今初めて聞きました」


秀久の名前を聞いて、親実は眉を上げた。長宗我部家内紛の元凶の仙石秀久の名前は、家中の者であれば、恨み骨髄まで達した怨敵とも言えた。


「誰に討たれたのですか」

「成田の姫に矢で射られたようだ」


その話を聞いて、名も知らぬ姫に感謝し、自身で討てなかったことに一抹の悔しさをにじませた。


「それで、秀久殿が命令違反を犯したとして、打ち首とされ、その首を、殿下から下賜された」

「……」


元親の言葉に、眼を見開き、元親の顔を見つめた。

秀久の死は、自身で討ち恨みを晴らしたわけではないが、冥途の土産には良いものだったが、首を渡されたとはなぜか。


「秀範殿が、殿下からの託と、首を持ってきた」

「……秀範殿が」


親実も、秀範と面識があり、その印象は良く、信親の娘との婚姻の話も良い事だと思っていた。


「首を自由にして良いとな。親である秀久殿の首を持ってきた思いは、いかばかりか……」

「……」

「そこで、お主に、一足先に土佐に帰り、親忠と共に、秀久殿の首を信親の墓に持って行ってもらいたい」


津野親忠は、三男であり、後継者争いでは、あまり問題とされなかったが、豊臣家に人質とされた際に、秀長の家臣高虎と親交を結び、長宗我部家に豊臣家の影響を排除する為、距離を置かれていた。

その親忠が指名されたとすれば、親忠を家中に戻すことを意味していると思い、親実は、ほっと胸を撫で下ろした。

今、長宗我部一門集は弱体化し、結束力も落ちている。親忠が戻って来ることにより、一門集も結束でき、家中がまとまると期待した。


「それと、俺が土佐に帰ってから、法要を行う。その差配をしておいてくれ」

「はっ」

「親直と揉めるなよ」

「……」

「あやつは、わしの気持ちを読むのに長けている。それが、長宗我部家に良くない事であってもな」

「……」

「だから、親忠を再度、豊臣家に預ける」


その話を聞いて、眉を顰める。


「後継者は、千熊丸だが、かといって、分家が居ても問題あるまい。まして、奴は津川家の当主だ」

「はっ」

「それで、お主は、親忠について行ってくれぬか」


切腹は無くなったが、長宗我部家から放逐されることになったのかと、親実は考えた。

その表情を見て、元親は言葉を重ねる。


「放逐するわけではないぞ、親実。このままでは、長宗我部家は、土佐から出ることは出来ぬ。しかし、殿下の子、鶴松様に親忠が仕えれば他で領地が与えられる可能性がある。そして、本家に何があっても、親忠の血筋が残る」


親実は、元親の言葉を頭で整理し、長宗我部家の生き残る為に行う事と理解できた。


「今後、天下を分ける戦が起きた時、千熊丸と親忠が両陣営に分かれれば、必ず、生き残ることが出来る」

「しかし、お二方が、同じ陣営になった時は、どうなさいます」

「その時は、親忠が責任を取り、千熊丸を生き残らせ、長宗我部家を残せ、その決断をする為に、お主は親忠の下に居れ」

「……分かりました」

「お主の不安の種である親直は、千熊丸から離す。わしが死ねば、奴を殉死するように差配しておくから、安心せよ」

「はっ」

「親興の子たちも、お主に付ける」

「二人いるはず、千熊丸様、親忠様に分けて仕えさせてはどうでしょうか」

「親興の子らが納得するか」

「お家の為です、奴らも納得するでしょう」

「分かった。その辺は、法要の後に話をしよう」

「では、そのように」

「ああ、後、秀久殿の首は、法要の後、秀範殿にひそかに返すことにする。殿下には話はするが」

「……お心のままに」

「よろしく頼む」




「殿」


正信の問いかけに、家康は答えた。


「ふん、どうもこうも、領土は増えなかったわ。こちらの思惑を外すは、中々、うまくいかぬわ」

「しかし、結果的に、秀康さまが結城家を継いだとすれば、領土は増えたと言えるのでは」

「あやつは、わしを嫌っておる。結城家の当主となったとしても、こちらの言う事を聞かぬ場合がある。支配下に入らなければ、領土と言えぬわ」


正信は、家康の言葉に深いため息をする。

元々、秀康は、正室築山殿の奥女中の娘に家康が手を出して産まれ、3歳になるまで、対面することなく、家臣本多重次に預けられていた。不憫に思った兄信康が対面の機会を作ったと言われ、信康の死後、後継ぎに次男である為、家康の後継者になってもおかしくなかったが、秀吉の下に人質として出される。

正信は、秀康の才を認めており、家康の後継者として押していた。しかし、今回の結城家を継いだことにより、その希望が潰えた。

今回の結城家に入ったことは、秀康に後を継がせたくないと考えている家康の気持ちを汲み取った秀吉の配慮ではないかと、正信は考えた。他家を継いでしまえば、徳川家臣団内の秀康支持者も、後継者として押せなくなる。もし、後継者となれば、結城家家臣団が、徳川家の中枢に入ってきてしまい、自分たちの居場所がなくなる可能性があるから、率先して、勧めるものは居なくなるだろうと考えた。

また、秀康自身、信康の自害、冷遇など、家康に対する思いもある為、積極的に徳川家の為に動くか不透明で、その原因は、家康自身にあり、不満を言う権利はないとも思っていた。

正信の顔を見て、家康は顔をしかめた。


「弥八郎、お前……」

「何でも、ありません。其れよりも、これからの事を」

「ちっ、まったく」

「転封による家臣団の統制が、今回の事で難しくなりました」

「そうだな、其処は難しくなったが、精強な兵士を確保できたし、武蔵国の開発にかかる費用も浪費する必要がなくなった」

「確かに、関東における開発費用と期間を考えれば、気が遠くなります。たとえ、莫大な見返りがあるとしても、それは将来の事になりますしね」

「ああ、それを考えれば、差し引きは得かもしれない。そう思うしかない」

「官位も上がったことですし、貴族たちとの繋ぎも増やしても良いかもしれません」

「しかし、奴らの欲は底がないから嫌だがな」

「必要な出費として計上するしかありませんな」


家康は、金ばかり食い、日和見しかしない貴族を信用していなかったし、実力もなく、過去の栄華に縋りつき、上から話して来ることも、腹立たしかった。

貴族と会うときは、今川家での見下された日々を思い出し、気分は悪かったが、それを表面や態度に出すほど、愚かではなかった。


「それと、鶴松様はどうでしたか」

「あれか……」


視線を正信から外し、しばし考えたのち、話し始めた。


「あれを、幼子と思って侮ることはできぬな」

「と、言いますと」

「幼子のフリをしている大人だ」

「……まだ、幼子のはず」

「確かに、生まれも、見た目も幼子よ、しかしな、弥八郎、奴の眼は、既にいっぱしのものよ」

「……」

「謁見に来ていた者たちを観察するような目で見ておったわ。見られている連中は、殿下のふざけたことや、親ばかと見て、侮っているものもいたがな。殿下を含め、鶴松様も油断ができぬ。殿下も機嫌よく見ながら観察しておった、久しぶりに冷や汗をかいたわ」

「そうですか」

「宗矩から連絡は来ているのか」

「はい、偶に来ておりますが、特に変わった変化はないようです」

「ふむ……」


正信が宗矩と繋がっている事は、報告があり、家康も把握していた。


「宗矩は、鶴松様から離されているのか」

「いえ、特にそのようなことは、側に居る事が減ったとはありますが、兄宗章が来た為とも書かれておりました」

「そうか」

「ただ、内容的に、寝返っている可能性もあるかと」

「やはりそう思うか」

「はい」


家康は、鶴松に会った時の感想と、宗矩の連絡ないようを比較して、違和感があった。

少し前、寧々が大坂城から離れる前までは、正信から詳細な鶴松の状況を聞くことが出来ていた。しかし、現状、変わりがないというのは、あの姿を見て、おかしいと思えた。

まして、柳生から追加要因として、宗章が来るなどの連絡も来ていなかった。

柳生の里と繋がりを密に取っていたわけではないが、宗章が来るなら正信に連絡が来るはずだから、ないのはおかしい。


「伊賀者を付けております」

「わかった」

「しかし、秀忠に娘が生まれれば、室に送り込もうと考えていたが、先手を打たれたわ」

「義光様の娘と聞いていますが」

「そうだ、おのが血筋に、源氏の血を入れ、武家としての体裁を付ける気かもしれんな」

「そうかもしれません」

「まあ、良いわ。鶴松様もまだ幼い、夭折する事もありえる。まして、殿下も高齢だ、何か起きるかわからん」

「……」

「家内にも伊賀者を入れ、監視をしておけ」

「はっ」


天下が良いとは思っていなくても、目の前に天下が広がっているならば、手に入れたいと家康は考えていた。

事実上の三河国での松平家の滅亡、今川家での屈辱の日々、信長の下での苦労の日々、今までの苦しみが報われても良いのではないかと、家康は心の中で思っていた。


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