第三話 護衛
※二千十六年十一月二日、誤字修正。
※二千十七年六月三日、誤字修正。
「隆景殿、ちと相談があるのだが」
「はっ、殿下何でございましょうか」
小田原征伐に、真田信繁を一時、父昌幸に送り出した後、秀吉は、鶴松の警備に不安を覚え、誰か居ないかと考えている時に、小早川隆景を見つけ、相談を持ち掛けた。
「ちと、腕が立ち、信頼のできるものはおらぬか」
「……どういった用件で御座いましょう」
「鶴松の警護を増やしたくてな」
「殿下の配下には優れた者たちも多くおりましょう」
「鶴松につけている真田の息子は、大戦の経験をさせたいから、親の元に返す。そうなると、警護のものが少なくなるのが心配でな」
「外様の私に頼まずとも、お身内の方々に相談されてはどうでしょうか」
「大和の柳生にも声をかけるよう、秀長には伝えておるが、人数は多いに越したことがない。それに、おぬしの推挙ならば信用できるからな」
そう言いながら、秀吉は隆景の顔をニヤリとしながら見つめる。
その顔を、隆景は微笑み返す。
「殿下には敵いませぬ。ちょうど、剣術指南役の息子が帰ってきたところです。そのものを推挙いたしましょう」
「おお!そうか、それは、ありがたい!名はなんと申す」
「薄田兼相と申します」
「こちらに読んでおいてくれ、真田の息子とも顔合わせは必要であろう」
「はっ」
「小田原を海上からも威圧するかた、水軍を頼むぞ」
「九鬼殿にお任せすればよろしいのでは」
「舟合戦では、巧者だが、視野が狭い、全体を把握し動かす才が心もとない、だからお主がしっかり見てくれ」
「はっ」
あばら家に複数の男たちが集まっている。
ひとり一人が鍛え抜かれた体をしており、ただの農民ではないことが分かる。
雰囲気から盗賊や山賊の類のような薄暗い雰囲気はなかった。
「父上、秀長はどのような事を言ってきたのですか」
「……」
「父上!」
「五郎右衛門、騒ぐな」
「兄上!」
「……聞こえておる」
「それで、なんと」
「秀吉からの依頼で、その息子の鶴松の護衛として一人寄越してほしいとの事だ」
「柳生の地を奪っておいて、抜けぬけと!」
柳生宗章(五郎右衛門)は、怒りの表情を見せ、吐き捨てるように話した。
柳生宗厳は、豊臣秀長が大和に所領を得た際、太閤検地を実施し、隠田が見つかり所領を没収され、近衛前久を頼って京に行くことになった。
その為、宗章は、秀長、ひいては秀吉に対し、良い感情を持っていない為、怒気を発していた。
「それで、父上はどうされるおつもりで」
「……」
「受ける必要ありませぬぞ!先祖伝来の土地を奪った不倶戴天の敵ではありませぬか!」
「声を荒げるな」
「しかしですな、兄上!」
「それ以外には、何か書かれておりませぬか」
「支度料として、5万石を与えると書かれておる」
「!?」
「それは、本当の事でしょうか」
「新二郎よ、秀長であっても、秀吉からの命令であろうから、嘘ではあるまい」
「くっ」
「五郎右衛門よ、お主はどう思う」
「兄上は?」
「わしは、柳生を考えれば、受ければ良いと思っておる」
「俺は、心情的には断った方が良いと思っているが、確かに、柳生の事を考えれば、受けるべきだと思う。又右衛門どうだ」
「私も受けるべきだと思います。父上はどうしますか」
「受ける」
柳生宗厳は厳しい表情でそう話すと、厳勝(新二郎)は頷き、宗章(五郎右衛門)は苦々しい表情をし、宗矩(又右衛門)は冷静な表情で宗厳の顔を見つめる。
「そこで、お主たちに相談だが、誰を送るかだ」
「俺は、行かぬ」
宗章の発言に苦笑をしながら、厳勝が話し出す。
「兵助を出しましょう」
「……」
「父上、私も行こうと思っております」
「何?」
「兄上、そんなに睨まないでください」
「行く理由は何だ」
「豊臣家の内部の偵察と、政権が安定しているかを確かめる為です」
「お前は……」
宗章は、呆れる表情をしながら、宗矩を見る。
眼を細めながら宗厳は、宗矩を見つめる。
「父上、兵助のみでは確かに心もとないでしょう、知恵もある又右衛門が付き添うならば、何かあっても安心かと思います」
「……わかった、兵助と又右衛門を送り出すと返事をしよう。書状を書くので、又右衛門はそれを持って、秀長のところへ行け、新二郎は兵助を呼んでおくのだ」
「分かりました」
宗厳は、そういうと自分の部屋に向かい、厳勝は、立ち上がって、兵助を呼びに向かう。
その場に残った宗章は、苦い顔をしながら、天井を見上げており、宗矩は眼を瞑っている。
「又右衛門、何を考えている」
「何のことでしょう」
「お主の事だ、俺とは違い、何かを考え、秀吉の求めに応じたのだろう」
「……」
「俺は分からんが、柳生の為であれば何も言わぬ」
「……兄上、私は、天下人とはどのようなものか、どのような人物がなるのか見てみたいのです。秀吉は、一代で天下を取った傑物です。そのような人物を見れば、そして、その周辺の人物を見ることが出来れば、この先、柳生がどのように進んで行くべき、判断材料になると思っています」
「そうか、お主は昔から聡いからな、剣しかない俺には難しすぎる」
宗章は、苦笑しながら宗矩を見て、宗矩は、どのように返せばいいか、迷う表情をしながら見つめ返した。
「私には、兄上たちのような剣の才能は有りませぬ、それゆえ、こさかしいことしか出来ぬのです」
「又右衛門……」
(それに、あの方からの話もある。中枢に潜り込み、柳生がどのように進むべきか、考える材料が欲しい)
正面に顔色の悪い武士が座っており、側に巨漢の武士と茶人のような人物が脇に控えていた。
宗矩と兵助が前へ進み、頭を下げる。
「ふたりとも、面を上げよ」
「「はっ」」
「こちらの依頼を受けて頂いたようで、すまぬ」
そう言いながら、正面に座った秀長は頭を下げた。
脇に控える武士も、その姿に対し、何も言わず、ふたりを品定めするような眼を向ける。
宗矩は平然と構え、兵助は驚いた表情を表に出さず、頭を下げた。
「所領を没収したことを恨んでいるだろうな」
「こちらの落ち度であり、法に触れての没収は当たり前の事、そのような事はございません」
「まあ、そのように答えるしかないか」
「……」
「与右衛門、後の事は頼む」
「はっ」
藤堂高虎に後の事を頼むと、部屋を出ていく。その際、小姓の助けを借りずに出ていく姿を、宗矩はじっくりと観察する。
その姿を高虎は、秀長を見送りながら観察していた。
「宗矩殿、兵助殿このまま、殿下の元に参りますが、よろしいですか」
「はい」
「では参りましょうか、一庵殿、居らぬ間よろしくお願い致します」
「分かりました」
そう言い、高虎は立ち上がり、宗矩、兵助を引き連れて、部屋を出て行く。
城を出た時に、門の前に馬が用意されており、それに三人は飛び乗って、一気に大坂城へ走り去っていく。
着物を窮屈そうに着込んでいる大柄な武士が廊下を歩いている。
それを見つけた秀吉が声をかける。
「又左!少し話があるのだが」
「殿下、どうなされましたか」
「堅苦しい!昔のように、藤吉郎と呼んでくれぬか」
「お戯れを……」
秀吉は、親しみをこめて話しかけてくるが、前田利家は、丁寧な態度を崩すことなく対応する。
織田家では、利家の方が上位で、秀吉は端の端におり、身分が現在と逆となっていた。
昔のように対応すれば、どのような仕打ちがあるか分からず、利家としては、油断することはなかった。
「それで、殿下、要件とは何でしょうか」
「ああ、小田原討伐で、真田の息子を安房(真田昌幸)に、一時返すので、鶴松の護衛を今あつめておる。又左にも人を出してもらえぬかと思うてな」
「鶴松様の護衛ですか」
「そうだ、若いのが良いが、まあ、信頼における良ければ、歳は問わん」
「……齢ではありますが、富田勢源、景政の弟子に鐘捲自斎という中太刀を使うものが居ります。そのものを呼び寄せましょう」
「その者の腕は確かか」
「はい」
「うむ、では、近習も含めて鍛えてもらうか」
「それと、殿下、他には、誰が来るのですか」
「今のところは、小早川侍従(隆景)、小一郎に頼んでおる。来た者たちは、そのまま鶴松に仕えてもらうつもりだ」
「そうですか」
「鐘捲とやらも、そのまま仕えてもらっても構わぬ。そう伝えてくれ」
「分かり申した」
「又左は良いな、利長を始め、子が多くて……」
「申し訳ございません」
「いや、すまんな、愚痴だ、詮無いことを言ってすまぬ」
秀吉は、利家に頭を下げた。
利家は、何も言わず、同じく頭を下げる。
頭をあげ、秀吉は何も言わずそのまま、去って行った。
(寧々殿の御子が生きておれば、このような苦労はなかっただろうに)
利家は、頭を下げながら、去っていく足音を聞きやりきれない思いに沈んで行った。
竹林の中に、下界の喧騒を忘れ去るような佇まいと雰囲気を感じさせる空間に、草庵が建っていた。
秀吉は、供を付けずひとりその草庵に近づいていく。
掃除をしている小坊主が近づいてくる姿に気が付き、お辞儀をする。
「岩覚は居るか」
「はい、居られますので、お呼びしてまいります」
「いや、構わぬ、そのまま会いに行く」
小坊主に、秀吉は返事をして、草庵に入っていく。
「岩覚よ、変わりないか」
「これは、殿下、このようなところに」
「急に来て、すまぬな」
20歳ほどの凛々しい僧侶が、書籍を読んでおり、秀吉が来たことに気が付き頭を下げて待ち構えていた。
部屋の中には、書籍が所狭しと並べられており、褥と机があるだけの部屋だった。
「殿下どうなされました」
「うむ……」
「言いにくいことでしょうか」
座りながら秀吉は、口を開きにくそうにして、眉間にしわを寄せた。
しばし時が流れ、小坊主がお茶を持ってきて、傍らに置き去って行った。
「今去った子は、そちの子だな」
「はい、世俗を忘れたとはいえ、放り出すことも出来ませぬゆえ」
「そうか、すまぬな、お主にこのような思いをさせて」
「いえ、殿下、私は体も弱く激務には耐えられませぬ。それに、表に居ればいらぬ争いを巻き起こしかねませぬ」
「……すまぬな」
そう言いながら、秀吉は頭を下げ、岩覚は苦笑を浮かべる。
「して、お話は、鶴松様の事ですか」
「そうだ、小田原の北条どもを討ちに行く、その際、鶴松の周辺を守るものを探して居る」
「真田の子息は、親御の元に返されるのですか」
「源次郎にも大きい戦の経験を積ましてやりたくてな。終われば、鶴松の警護に戻ってもらうつもりだが」
「もしや私に」
「いや、護衛自体は、小一郎、又左、隆景殿に頼んで、何人かの兵法者を集めておる」
「ならば何故、此処に」
「それはな、剣の腕に強くても、知恵者が居らぬ。鶴松を害するものが、どのような手で来るか分からぬ。その意味で、護衛を纏めるものを探したいと思うてな」
「……」
「すまぬ、わしが表舞台から引き摺り下ろしておいて、このようなことを頼むのは、心苦しいのだが適任者が居らぬ。小六が生きていれば頼めたのだが」
「その前に、若輩者の私に勤まりますでしょうか。石田殿や大谷殿が居るではありませぬか」
「あやつらは無理だ。佐吉は、頭が切れるが横柄すぎて敵を作り過ぎておる。紀之介は、合戦や兵站でわしの助けになってもらわねば困る。身近、城に居て、眼を光らせられるものが居らぬ」
眼を瞑りながら、岩覚は考えをまとめる。秀吉の力になることについては問題ない。ただ、表舞台に出た際に、いらぬ火種になる可能性があり、返事を出来ないでいた。
「岩覚よ、いや、於次よ、頼まれてくれぬか」
「……」
言いながら頭を下げる姿を岩覚は、眼を開き見つめる。
岩覚の世俗の名前は、於次、元服し、羽柴秀勝と名乗った織田信長の子である。
秀吉が、織田家中における地位の向上、安定を考え、信長より養子とした。しかし、子供の頃は身体が弱く、寝込むことが多かった。その為、表舞台で動くことが少なく、元服した後も表舞台での華々しい活躍は見受けられない。
秀吉の領地の内政や、信長の死後、明智光秀との弔い合戦には、織田信孝を旗頭としながらも、発言力を保持する為、秀吉は、もう一つの旗頭として奉戴された。
清州会議の後、丹波国の亀山城を領することとなったが、その後、病死したと世間では知られており、秀吉の暗殺も噂された。
「殿下には、希望を聞いていただき、隠棲させて頂きました。今、表舞台に上がれば、いらぬ騒乱の元となりましょう」
「判ってはおる。しかし、鶴松の眼を見たとき……、わしの思い込みだろうが、あの瞳の奥の縋る視線を感じると、なりふり構わず動かなければ、守れぬ予感に苛まれるのだ」
「瞳の奥ですか」
「うむ、あれは、とても、産まれたばかりの赤子の者とは思えぬ、深い闇、悲しみが浮かんでおった」
秀吉の話を、岩覚は黙って聞きいていた。
その表情を見れば、嘘でも、妄想でもないことが見て取れた。その事から、秀吉が追い込まれている事が実感できる。
眉間にしわを寄せながら、苦しむような表情になっていた。
「分かりました。私も及ばずながらお力にならせて頂きます」
「おお!そうか、ありがとう!」
顔を輝かせながら、岩覚の手を取り、涙を流しながらお礼を言い続けた。
「支度をしたから向かわせて頂きます」
「よろしく頼む」
「それと、殿下、ひとつお話が」
「なんだ」
「寧々様の事です」
「女子の事で、わしの事で怒っておったのか」
「いえ、原因はそうかもしれませぬが、どうも、追い詰められ、落ち込んでおられる気がします」
「何?しかし、最近、わしが怒鳴られた時は、そんなそぶりもなかったが……」
「寧々様は気の強い方です、弱いところを周囲に見せぬようにされております。鶴松様が誕生されてからの淀君、その周辺の発言などは、寧々様の心を蝕んでおられるのかもしれませぬ」
「……そうか、そうか、寧々には苦労させておるからのぉ」
「心の片隅でもよろしいので、気を付けておいてください」
「分かった、すまぬ、わしの気が付かぬところまで、気を配ってくれて」
「私も、殿下の御子であれば、寧々様は、母上でございます」
「そうか、そうだな……」
「鶴松様、小田原に行ってまいります」
挨拶をして去っていく、信繁の姿を見ながら、これから起こるであろう事に思いを巡らせる鶴松であった。
(北条氏照って、配下にできないかな……死なせるにはもったいないんだけど、後、風魔も……まあ、それより、小田原征伐中のトラブルが問題だな、まだ死ぬ気ないし!)
岩覚の名前は、架空です。




