第二十一話 正則
※二千十六年五月一日、誤記を修正。
※二千十七年六月三日、誤字修正。
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大坂城の一室に、正則は、岩覚と共に座っていた。
部屋に鶴松が入ってくる気配がして、二人とも頭を下げる。
「正則さん、ご苦労様です。お二人とも、面を上げてください」
鶴松の言葉を聴き、信じられない表情で顔を上げて、正則は鶴松を見た。
その正則の表情を見て、岩覚、自斎は、苦笑を浮かべる。
(正則さんの反応は普通だよなぁ、普通、この齢でしっかり話せるのはおかしいよな……)
「どうかしたの?」
「い、いえ、何でもありません」
「後北条の方々の護送お疲れ様です」
「はっ」
「これからも豊臣家の為、協力してください」
「もちろんです」
鼻息荒く、正則は大きく頷く。
「正則さんの忠義は、疑う余地はないです」
その言葉に、正則は顔を輝かせ、喜び感情を体から滲み出していた。
岩覚は、鶴松の言葉に疑問を感じた。正則の忠義をほめるのに、疑う余地はないと言う必要性があったのか、その後に続く言葉に注意を向ける。
「ただ……」
その後に言いよどむ態度に、正則は不安な気持ちになり聞き返した。
「何か、私に問題があるのでしょうか」
「何故、三成さんを嫌って、そして、何に嫉妬しているのですか」
「!?」
鶴松の言葉に、正則は動揺して、眼球を動かしてしまった。
直接的な言い方に深いため息をついて、岩覚は鶴松に話しかける。
「鶴松様、あまりそのような事を言わない方がよろしいと思います」
「何故ですか」
「その言いようでは、正則殿は三成殿に隔意があり、反目していると受け取られかねません。此処にいる者たちであれば、問題ありませぬが、要らぬものが居た場合は、付け入る隙になりかねません。それに、そのように言われれば、正則殿も良い気持ちにならないでしょう」
「でも、はぐらかす様に言ったとしても、その事を気付いてもらえないなら意味はないですし、ここは腹を割って話すべきだと思います。いつまでも、胸の内にためておいても良いとは思えませんし、同じことを何度も繰り返したくはありません。私も気になっているのです」
鶴松からの反論に、岩覚は寧々の事を言っているのだと察して、眉を顰める。言っている事は分かるが、本質を突く言葉は、時に人を傷つける。言われた本人が目を背けていたことを言われるのは、恐怖でもあり、反発もある。それが鶴松に対して害をなす可能性が出ることを考えれば、岩覚としても、指摘する必要があると考えた。
「正論は、時に人を傷つけることを理解されていますか」
「分かっています。しかし、今であれば、決定的な亀裂になるのを防げると考えた場合、厳しい話であっても、言っておかなければいけないと思っています。三成さんを否定し、罵声を浴びせることで、本心を隠し、自己正当化で酔うような事をしては、今後、正則さんの心は歪むかもしれません。その結果、豊臣家の家臣団が分裂し、滅びてしまっては意味がありません」
「……」
鶴松の言葉に、岩覚は思案する。人は弱い事は理解している。他者を妬み、恨み、自分を自己正当化して他者を攻撃する事は、人としては当たり前の行為かもしれない。それが、現世を苦界とする所以なのかもしれない。特に若い頃は、経験が浅い為、他人を気にするほどの余裕がない。秀吉や寧々に、子どものように育てられた元小姓衆は、豊臣家の為という気持ちが人一倍強いものが多い。
自分こそは、一番の家臣と思っているのに、秀吉の側にいる事の多い三成が大切にされ、自分は必要ないのではないかと焦ってしまう正則の気持ちも理解できた。
かといって、その心の中にある目を背けたい部分を、指摘される事への反発はどうなのだろうか、正則に視線を向けた。
顔を真っ赤にし、両手は力いっぱい握りしめられて、奥歯を噛みしめていた。他人に知られたくない三成への嫉妬を指摘された事への反応と見て取れる。しかし、隠せていると思っていたのだろうが、三成や正則を除く者たちは、その事を指摘しないだけで、皆、理解していた。
「正則さん」
「……はい」
「なぜ、怒りがこみあげているのですか。何に対してですか」
「……」
「正則さんと三成さんの反目は、いえ、正則さん達の三成さんへの反目は、何れ、豊臣家の家臣を割ることになり、豊臣家を滅ぼす端緒になることを理解されていますか」
鶴松の指摘に、正則は何も言えずにいた。三成への嫉妬と言われたことにより、頭が完全に停止しまった。
「正則殿」
自斎が、竹の筒を正則に投げた。一瞬何か分からなかったが、正則の体は反応し掴んだ。
「水でも飲んで、落ちつきなされ。鶴松様も、少々、拙速すぎです」
「……確かに、私も焦っているのかもしれませんね」
大きく息を吐き、鶴松は呼吸を整える。正則は、竹の筒から水を口に流し込み、心を落ち着かせ、呼吸を整える。
正則を正気に戻さなければ、話し合いの意味がない為、正則に水を飲ませることで落ち着かせ、一旦仕切り直しをさせた手前に、岩覚は感心した。これが、年かさの自斎以外のものでは、うまくいかなかったかもしれないと考えた。
「正則さん、此処にいる人たちは、此処で話している内容を外に漏らすことは絶対にありません。思っている事を話してみませんか。話してみたら気持ちが楽になる事もあります」
「……」
誰一人話すことなく、正則が話し出すことを待つ。岩覚は、この場を終わらせ、次の機会にしてはどうかと、眼で鶴松に問うてみたが、鶴松は左右に首を振り、拒否する。
時間を取る事も、心の整理をつけるには必要だが、時間が経過すればするほど、考えが悪い方向に行く可能性もあることを鶴松は危惧し、この場で、一区切りつくまで、時間をかける事を選択した。
話し始めたころ、東に位置していた太陽が、中天に差し掛かって頃、正則は、下を向いたままだが、意を決した表情になり、話し始めた。
「俺は、佐吉の事が羨ましいのです」
「……」
「いつも、殿下の側に居て、いつも、頼られ、いつも、殿下の意をくむ、何故、俺がその場所に居ないのか。俺も懸命に稽古し、帳簿の付け方を学び、殿下の戦の仕方を学んだ。佐吉よりも、佐吉よりも……なのに、俺は、あいつの場所に居ない。小田原でも、奴は、忍城攻めの大将になったのに、俺には、そんな話もなかった。俺は、必要とされていないのか、佐吉さえいれば、俺は殿下にとって、必要ないのか……」
涙が畳にこぼれ落ちながら、下に向けた顔を更に深く下げ、正則は、噛みしめながら話をする。
鶴松たちは、正則の独白に、声をかけず見守っていた。
「俺の何が足りないと言うか!佐吉に負けていると言うのか!」
そう叫び、正則は、畳に力を込めた拳をたたきつけた。
その慟哭を鶴松は聞き、正則の心にある寂しさ、苦しみを感じた。人が自分自身に価値観を持てなくなるひとつの要因としては、存在を認められないことだと感じた。
それは、鶴松自身、繰り返された過去において、抵抗する事も出来ず、殺害されるか、病死する事を繰り返し、生きる事に絶望を感じた日々。そして、その輪廻から逃れた前世で、親からは価値のない存在として扱われ、何をやっても、評価されない。周囲は、兄の付属品、家の価値で、自分を見て、自分自身を見てくれなかった。家の中にも、外にも自分の居場所を見つけることはできなかった。自分の存在自体を否定されている感覚は、身をもって感じなければ、分からないかもしれないと思った。
存在を否定し続けられれば、自分に自信がある人間、もしくは、自己陶酔、でなければ、心が壊れてしまう。
正則は、其処までの状況ではなく、清正と言う無二の親友が居り、元小姓衆もいる。自分が味わった孤独ではないはずと考えた。だからこそ、今ならば、取り戻せるのではないかと、鶴松は思案した。
まだ、泣き止まない正則に向かい、鶴松は立ち上がり、近づいて行った。
「正則さん」
声をかけられた正則は、顔を上げ、鶴松を見る。
「あなたは、私を支えてくれますか」
鶴松の言葉に、正則は眼を見開いた。
「な……」
「父上を支える人たちは、居ます。でも、私を支えてくれる人は少ないのです。私は、まだ幼子です。なんの力もありません。父上が居るからこそ、私は敬われているのです。ねえ、正則さん、私は、今、此処に居ても良いのでしょうか」
涙で歪んで、鶴松の顔がはっきりとは見えなかったが、涙が止まり、改めてみると、その瞳の奥が空虚に彩られている事に、正則は気が付き、体が震えた。
その眼は、齢2歳とは思えない絶望を宿した瞳は、戦で致命傷を受け、死にゆくものたちと同じものに正則は感じた。
「岩覚さん、清正さん、吉継さん、三成さんも力を貸してくれるでしょう。でも、それだけでは足りないのです。父上のような器量を持たず、幼いこの身では、何もなすことはできないです」
「……」
「非力な私を支え、助けてくれますか」
正則は、一度、顔を下に向け、しばし後に、顔を上げ、鶴松を見つめる。
「佐吉の名が挙がっているのは、業腹ではありますが、この市松、命果てるまで、鶴松様を支える事を約束いたします」
泣いて赤くなった目で、莞爾と笑い正則は、鶴松に答えた。
その返事に、鶴松は嬉しそうに笑い、自斎は口の端を上げ、岩覚は微笑んだ。
「鶴松様は、素晴らしいです」
「どうしてですか」
「あの強情な正則殿を篭絡すのですから、私には、あの暴れん坊を鎮めることはできません」
「な!?が、岩覚様!」
「昔は、手の付けられない悪戯ばかりしていたガキ大将を……」
「そんな子どもの頃を、蒸し返さないでください!」
「「わはっははは」」
岩覚の言葉により、重かった雰囲気が変わり、笑いに包まれ、笑いながら鶴松は、元の位置に戻り座り直した。
もう一つ、鶴松は気になったことを正則に話した。
「正則さん」
「何でしょうか」
「お願いしたいことがあります」
「はっ」
「酒は慎んでください」
「な!?」
鶴松の言葉に、正則は、眼を見開いた。酒が好きな正則にとって、酒は、唯一の楽しみであり、憂さ晴らしでもあった。
「い、いや、流石に……」
「正則さんは、酒癖が悪いと聞いていますが、本当ですか」
「うっ……」
「酒は古来、薬とも毒とも言います。毛利元就さんの父兄なども酒毒で、亡くなったと聞いています。亡くなる事は無くても、失敗した人は枚挙にいとまないと思います。酒宴で酒に酔い切腹などの命令や、思っても居ない行動を起こしたりして、問題が起きたら、どうしますか。酒を絶てとは言いません、しかし、適量を守ってください。お願いします」
「……」
三成の件とは違う表情で、ばつが悪そうに顔を下に向けた。身に覚えがあり、今までも、酒に酔って、暴れて、清正や正勝に止められたことは度々あった。
母里友信との日本号のやり取りや、酒での正則の失敗を鶴松は覚えており、釘を刺した方が良いと思った。酒を絶つ程とは思わないが、限度は知った方が健康的にも良いと思い忠告をしてくことは悪い事ではないと考えた。
「私を支えてくれるのですよね。まさか、酒で、やっぱり止めたなんて事は……」
「わ、分かりました!酒の量は注意します!」
「お願いしますね」
とてもいい笑顔を正則に向け、それを情けない表情で正則は受け止めた。
「……いや、本当に、鶴松様は、いったい何者ですか……」
「私は、私ですよ。あ、嫌かもしれませんが、その内、三成さんを含めて、話し合いをしたいと思いますので、よろしくお願いします」
「……はい……岩覚様、その顔やめてください!」
正則は、岩覚の悪戯をしている子どものようなにやけた表情をにらみつけた。
自斎も笑いを抑えなから体を震わしていた。
(これで、三成さんと正則さんの関係が完全に修復されるとは思わないけど、対立を防ぐまでは持って行けたかな。時間をかけないと難しいけど、端緒はつかめたはず。ひとつひとつ周囲を固めていこう。次は、秀吉さんに家康さんの関東転封についての話をしないと)




