第二十話 氏政
※二千十七年六月三日、文章修正。
「正則殿、お役目ご苦労」
「市正か、堅苦しいな」
「……はぁ、お仕事中だぞ」
「分かっておるわ」
「ったく、お主は……」
後北条一族を護送してきた正則に、且元は小言を言っていた。公私を分けるべきと考えている且元は、正則の態度に苦笑をする。
且元も賤ヶ岳の戦いで活躍したが、その後は、内政面で活動の場を移し、調整役の仕事を地道に行っていた。小田原にも行く予定だったが、鶴松の事もあり、岩覚の手助けをするために、大坂城に残っていた。
秀吉の命により、後北条一族の住いの用意をする為に、大坂城に詰めていた兵と周辺の大工を集めて、屋敷を九度山に建てることになった。建築については、秀吉の下にいた経験もあり、期間も短かったが、見事に立て終わらせていた。
「よろしいかな、正則殿」
「はっ、岩覚様」
岩覚は、昔から変わらぬ正則の姿に苦笑をして、話しを進めた。
「氏直殿、氏政殿に、明日、得度を行いますので、準備をお願いします。皆様方は、これからお体をお安めください」
「分かりました」
「正則殿には、この後について、説明があるので、手配が終わった後、向かいの屋敷に来てください」
「はっ」
岩覚は、正則に話をした後、向かいの屋敷に入って行った。その姿を、頭を下げて、見送った後、且元に先導を頼んだ。且元は頷き、後北条一族が待機している場所に行き、住むべき屋敷に案内していった。
正則は、首を振り肩をほぐしながら、配下の処に歩て行った。
屋敷に入り、且元と向かい合いながら、氏政は頭を下げた。
「且元殿、ご配慮有難うございます」
「これもお役目ですので、お気をなさらずに。不自由な事がありましたら、向かいの屋敷いるものに申し付けください。出来うる範囲で対応いたします」
氏政は、頭を上げて、再び礼を言った。
「それと、落ち着く間もありませんが、氏政殿には、向かいの屋敷に来て頂きたいのですが」
「……今後の事ですか」
「はい、詳しい話は、向こうで」
「分かりました」
そういうと、且元は、頭を下げ、部屋を出ていった。
「氏直、よいか」
「何でしょうか」
「少し、向こうで話をしてくる」
「私は行かなくて、宜しいのですか」
「ああ、一族の者たちの様子を見て、氏照、氏邦と共に、部屋の割り当てや、体の調子が悪くなっているものが居ないか、まとめてくれ」
「……分かりました」
「思うところがあるかもしれぬが、お前が、当主だ、一族を面倒見よ。わしの事を気にするな、隠居した身だ。今後、一族の事について、助言はするが、指図する事はない」
「分かりました」
氏直の返答を聞き、頷いて、向かいの屋敷に歩いて行った。その後姿を見ながら、氏直は、小田原での氏政との確執を思い出し、ため息を付いた。
氏政は主戦派であり、秀吉との戦いを氏照、氏邦と共に主導していた。
氏邦は最初から主戦派であったが、氏照は、氏規の話や、上方からの情報から秀吉との戦いは回避派であった。しかし、秀吉と戦った大半の大名は、領地が削られており、対立関係のあった徳川家のみが大領を安堵されていた。それも、旭を家康の嫁として送り出したり、母大政所を人質としたりと、気の使いようであったが、こちらには一切、気を遣うそぶりもなかった。その事から、氏照は領土の大半を取り上げられると確信し、座して、屈辱を受けるならばと、主戦派に傾いた。
家臣の中には、織田家の一益を打ち破った記憶があり、秀吉も同じようなものと見下し戦えば打ち勝てると意気軒昂に叫んでいたが、大道寺政繁、板部岡江雪斎などは、地力での隔絶した差を考え、回避するよう動いていたが、ごく少数であった。また、若い者たちは、血気盛んで、主戦派が大半を占めていた。
回避しようと、氏直も氏規と共に、回避できないか模索していたが、防ぐ事が出来なかった。
当主である自分自身をないがしろにされているようで、氏直は欝々とした気持ちを抱えたまま、籠城していた。支城との連絡も取れず、豊臣家の軍勢が各地に移動していく姿を見たり、打開策も取れず、歯がゆく、度々、夜襲などを軍議で提案しても、氏政や家臣たちから聞く耳も持たず、退けられ、無力感に苛まれた。
父である氏政への反発から、幾度となく、籠城中、表情を見ただけで、怒りを感じ幽閉しようと考えたかわからない。だが、先ほど、頷いた後の氏政の微笑みと父の背を思い出し、氏直は涙を流し、嗚咽した。
氏政が部屋に入ると、岩覚、且元が座っており、向かい合うように座った。
「お待たせしました」
「いえ、すみません、着いて早々お呼びして」
頭を下げ、氏政は呼ばれた理由を聞いた。
「して、どのような用件でしょうか」
「はい、お願いしたいことを伝えておこうと思いまして」
降伏した後のお願いは、無理難題の可能性があり、氏政としては、気を引き締めた。
「明日の得度の後でも良いのですが、大坂に戻る予定もあり、慌ただしい中で話すよりは、と、思いまして」
「分かりました」
「この地で、蟄居して頂く間に、後北条が行っていた治政について、資料を纏め、鶴松様との謁見の際に、提出してほしいのです」
「……分かりました」
「後北条家の根幹に関わる事ですので、気が進まないとは思いますが、よろしくお願いします」
治政は、税の取り方、賦役の割り当て、陣立て等、後北条の全てをさらけ出すことになり、本来であれば、敵に付け込まれ、不利になることもある。既に敗れた身である以上、さらけ出したところで不利になる事もない。しかし、当主であった自尊心が、さらけ出すことへの抵抗を面に出すことになっていた。
「それと、治めておられた土地の伝承や、風土、歴史なども併せて、纏めて頂きたいのです」
「伝承ですか」
「そうです。口伝で伝わっている事は、刻が過ぎれば、変化するもの。今あるものを後世に伝える為に、纏めておこうかと思いまして。それに加え、生き物や植物、寺社仏閣、城なども併せて纏めてもらいたいのです」
「……」
「生あるもの、形あるもの、そして私たちも何れ、変化し、滅んでいきます。しかし、書物であれば、今の姿を後世に伝えることが出来ます」
「後世に……」
「今、漢方、調理などの書物を作っております。その中で、問題があるものや、取り扱いに間違いがないか等、検証を行い、広めていく予定です。それに、纏めている際に、従来の行いに問題のあることも分かりました。因習として行っていることが、間違っている事が、整理していくと見つかることがあります。氏政殿達に纏めて頂くも、参考になるものを、世に広めることで民の為になるものあるかもしれませんゆえ、大切なこととお考えください」
「なるほど……例えば、どの様なことが、問題なのでしょうか」
「戦で使われる馬糞を使った処方は、間違っています」
その言葉に、氏政は眼を細める。
戦で負傷した際、馬糞を水で溶かす、尿を飲む治療や、傷口に糞などを塗り込むなどの治療を行うなどは、金瘡医により行われていたことである。金瘡医は、戦で傷を負ったものたちの治療を行っていたが、医術を学んだものばかりではなく、経験で治療に行うものや、知識のないまま、適当な治療を行うものなど様々で、治療を間違え、命を落とすものたちも多かった。
因果因習で行われている為、治療が間違っていた為の戦病死とは思われていなかった。氏政にも、馬糞などの治療について、疑問を持つことはなかったが、同じ傷を負っても、体の弱っているものからなくなって行く事に疑問を持ったことがある為、仕組みは分からずとも、岩覚の言葉に納得する事が出来た。
「あと、白粉には、良くないものが入っているため、使いすぎると、体に害があるとのことです」
「そうですか」
「まあ、我々にはあまり関係ないことではありますが、使われている方が居るのでしたら、しばらくは止めるように伝えてください。その代用となるものを、今、試作しておりますので、使えるようになれば、お渡ししますので」
「分かりました。傷の対する処置に関して、お話しできる範囲で良いのでお願いします」
「初歩的な処置に関して、伝えられる範囲でお伝えします。また、そちらで、医術を学びたい方が居られれば、受け入れます」
「ありがとうございます。先ほどの依頼、承りました」
「早雲庵宗瑞殿の業績、読めることを心待ちにしております」
「はい」
岩覚は頷き且元の方に顔を向ける。
「且元殿、よろしくお願い致します」
「はっ、手配はお任せください」
且元は、岩覚が、大坂へ戻った後を任されており、後北条の者たちの住居などの差配と、監視する人員、地域の住民たちへの説明と協力要請は、既に終わっていたが、後北条の者たちとの顔合わせや、要望の聞き取りなどは終わっていなかった。
「氏政殿には、治水についてのお話もお聞きしたいと思っております」
「治水ですか」
「氏政殿、且元殿は、ため池の改築を行う予定があるのです」
「ほう、ため池ですか」
「摂津、和泉、河内の改修を行っていく予定です」
「氏政殿、よろしくお願い致します」
「分かりました且元殿、こちらへ来たものたちにも声をかけましょう」
氏政に、微笑みながら顔を向け、岩覚は声をかける。
「長旅でお疲れのところ、すみませんでした。この後、湯も用意しておりますので、食事をとって、体を休めてください」
「ありがとうございます」
その夜、氏政、氏直などの一門集や、憲秀、政繁など付き従った家臣の主だったものたちを含めた、宴会が行われた。
後北条の者たちは、此処に九度山に来るまで緊張し、心身ともに疲れていたが、豊臣方の歓待に緊張がほぐれ、心から楽しんだ後、直ぐに、就寝した。
翌日、氏政、氏直の得度が行われ、その他の一族でも、氏照、氏邦、氏光、氏忠、氏勝、康種などの一門、憲秀、政繁、石巻康敬、山角定勝、内藤綱秀、梶原景宗、垪和康忠など、付き従った家臣も出家した。
氏政は、得度後、岩覚を見送り、且元と共に、一族に、今後の事を説明した。一部には、不満の表情を浮かべたものたちが居たが、説得し手分けして、依頼を受けたことを纏め始める。
「岩覚様、お久しぶりです」
「ああ、正則殿、お変わりないようですね」
「何故、その表情になるのか、気にはなりますが……」
得度の後、正則と共に、岩覚は、大坂に戻った。道中、岩覚の事を知る正則が挨拶の為に声をかけてきた。正則の顔を見る岩覚は、かつての粗忽ではあったが、温かみのあった市松と呼んでいた子供の頃の姿を重ねて、似合わぬ言葉遣いに、吹き出しそうな表情になっていた。
その岩覚の表情を見た正則は、苦虫を噛み潰したような表情した。年下とはいえ、失敗を数多く知っている相手は、歳を重ねてもやりづらいとため息を付いた。
「いえいえ、他意はありませんよ」
「そのような表情で言われても説得力はありませんな……」
「まあ、良いではありませんか、ところで、何かありましたか」
「いえ、問題は起きておりません」
「……ふむ、鶴松様のことですか」
岩覚の指摘に、やはり自分は分かりやすいのかと苦笑いしながら正則は頷いた。
「そうです。殿下からお聞きしましたが、言葉を理解するとか、大人と変わらない話が出来るとか、何やら面妖な事になっているとか」
「お聞きしている事に間違いはありません」
「……まさか、何かに取り憑かれているとかはありませんか」
「これはこれは……殿下の話が信じられませんか」
厳しい顔で非難する岩覚に対して、正則は、首を左右に激しく振りながら否定をする。
「そのようなことはありません!……しかし、あの佐吉が、あの佐吉が、相手に対して配慮するとか、気遣いをするとか、天変地異の前触れか、何かに取り憑かれなければ、ありえない事ではないですか!あの姿を見た時、一瞬、息が止まりましたぞ!」
正則の言葉に、一瞬目を見開いた後、爆笑をして、岩覚は息を詰まらせていた。場所が場所なら笑い転げていたかもしれないが、外であった為、其処は踏みとどまった。
三成というより、正則がどのような表情、心情であったかと想像すると、腹の底から笑いがこみ上げ、その衝動が止められなかった。
「な、なるほど、三成殿が……」
「……私の話の何処に、笑えるところがあったのですか」
何とか、誤魔化そうと岩覚は話そうとするが、笑いが止まらず、言葉が続かなかった。
爆笑する岩覚の姿を、睨み殺すような表情で見つめながら正則は問い詰める。人によってはうなされそうな正則の表情も、昔から知る岩覚には通用せず、笑いは止まらなかった。
少し離れ着いてきている正則の家臣の正勝や正則の兵は、またもよや、何かやっているのかとあきれ顔であったが、岩覚の護衛達は、正則の表情に身を固くしていた。
その姿に、眉間をほぐしながらため息を付き、笑いが収まるのを正則は待った。しばらく後に、笑いが収まった後、再び歩き始めた。
「ふぅ、すみませんでした」
「……まったく、何故笑ったかは聞きません、あえて聞きませんが、先ほどの話は、どうなのですか」
笑いが収まった岩覚に改めて、正則は回答を求めた。
「ふむ、此処で幾ら言葉を重ねた処で、納得することはできないのではないでしょうか」
「……しかしですな」
「一言伝えられることは、物の怪に憑かれているわけではないでしょうね。しかし、摩訶不思議な気もします。それがたとえ、神仏からのお告げと言われても」
「では」
やはり鶴松に良からぬことが起きたのかと、正則は表情を変える。その表情を見て、岩覚は左右に首を振る。
「早合点するのは、正則殿の悪い癖です」
「しかし……」
「切っ掛けは、お聞きしている事が起きた後です」
「……」
正則は、母とも姉とも慕っている寧々の起こした事を頭に浮かべ、奥歯を噛みしめた。そこまで苦しんでいる寧々を助けられなかったと、後悔の念が湧き上がり、顔を下に向けた。
「正則殿、人は万能ではありません」
その言葉に、顔を上げ、岩覚を見ると、表情は微笑んでいた。
「私もあの後、自問自答の日々でしたが、鶴松様から同じ言葉を頂きました」
「……」
「人は後悔すると、あれを行えば、行っていたならばと、戻れない過去に思いをはせ後悔する。それは、たらればであり、事が起きたから分かることで、その時には分からないものだと。後悔しても取り戻せる分けではない。後悔するならば、その思いをこれからに向けていくべきだと」
「これから……」
「そうです」
正則は、行動言動から豪放落雷、細かいことは気にしない大雑把な性格と周囲からは見られていたが、秀吉、寧々や、かつての小姓仲間や正勝などの身近な家臣は、繊細であり、心優しいところがある弱い人であることを理解していた。
その為、正則の心の負担を軽くするように、岩覚は鶴松から言われた言葉を伝えた。
「そのような気遣いをするお方が、何者かに憑かれていると思いますか」
「……」
「納得されませんか」
納得できるが、やはり、赤子とも言えるような年齢の言葉とは思えず、複雑な表情を正則は浮かべる。
「納得は出来ますが、それに殿下も書状のみで、実際にお会いして、鶴松様のお話をしていたわけでもなく……」
「だから、最初にお伝えしたのです、自身で見るべきであると」
「……そう、そうですな、分かりました」
正則の言葉に、満足げに岩覚は頷いた。
「しかし、三成殿は変わりましたか」
「ええ、やつに気遣われた時など、怖気が……」
「ははは、なるほど」
「もういい歳なのですから、腹を割って話してみれば良いではないですか」
「うっ」
「いつまでも逃げても解決しませんよ」
「しかしですね、奴の上から目線の、見下したような言い方には我慢できないのです」
「三成殿が、心のない冷血な人物でないのは、分かっているでしょうに……」
「鼻持ちならないのです!」
「はぁ、子どもではないのですから」
深くため息を付きながら呆れた表情を浮かべる岩覚を見て、ばつが悪そうな表情を正則は浮かべる。
「豊臣家は、まだ、安定していません。今ここで、正則殿や三成殿が反目すれば、付け入る隙を与えることになります。徳川家、島津家、毛利家、長宗我部家など、古豪はどう介入してくるかわかりません。関東以北の者たちも、まだまだ、落ち着いていません。殿下が睨みを利かせているから今は問題ないのです。これからを考えれば、あなた達が豊臣家を、鶴松様を支えなければいけないのです。お分かりですか」
「……」
正則も分かってはいるが、三成への対抗心と能力への劣等感、そして、常に秀吉の側にいることに対する嫉妬心が心の中で渦巻いており、素直に頷くことが出来ないでいた。
正則の姿を見て、岩覚も直ぐには無理だが、何かきっかけさえあればと思い悩む。
「まあ、まずは、大坂へ戻り、鶴松様にお会いしましょう」
「はい、分かりました……しかし、何故、歩いているのですか、馬に乗ってください」
「これも、修行です。それに、兵たちも歩いている事を考えれば、問題ありますまい」
「しかしですね……」
「もう、うだうだうるさいですね。小姑のようです」
「な!?」
「ははは、さあ、行きますよ」
岩覚の言葉に固まった正則をおいて置き、岩覚は大坂への向け歩き出す。




