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浪速の夢遊び  作者: 秋鷽亭


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第十八話 降伏

※二千十六年二月一日、誤記を修正しました。

外の光が襖から差し込む、薄明りの中、男がひとりの目を瞑り、座っていた。

微動だにせず、ただ、座っている男の周りは静寂に包まれていた。


「失礼します」


廊下から声がかかり、襖を開け入ってくるが、男は目を瞑った状態から変化はなかった。

その事を意にもとめず、一礼をして、対峙するように座った。


「一別以来です。おめおめ、生きながらえ、お会いする事になり、申し訳ございません」


そう言い、深々と、畳に着くほど頭を下げた。

座っていた男は、目を開き、会釈をする。


「ご健壮で何よりです」

「どの面を下げて、お会いできるかと思っておりましたが、殿下の命があり、申し訳ございません」

「秀範殿、信親のこと、今も、後悔しているのか」

「……」


秀範は、何も言わず、頭を下げたままであった。

その姿に、元親は、軽くため息をつく。

水軍を率いており、自らも船に乗りながら警戒をしていたが、秀吉からの氏政の降伏に伴う謁見を行う為、小田原の秀吉の陣に来るように使者が来た。その時、謁見を行うより少し早く来ることと、話しがあることを併せて書状で受け取った。

理由がわかなかったが、秀吉の命である以上、元親は早めに来た。秀吉の陣に近づく過程で、家臣が陣で集めた情報を聞き取った。後北条氏の降伏や、領地配分、恩賞以外の噂以外に、元親としては、恨み骨髄に達している秀久の事もあった。

秀久が、小田原に来ている事は、物資の補給の際に聞いていた時は、血が出るほど握りしめた拳を腰に差した刀の頭に押し付けた。家臣の前では取り乱さなかったが、一人になった時、柱を力任せに殴りつけた。その為、拳は今も青黒くなっていた。

そして、その秀久が、忍城で、討ち死にしたという事を知り、こみ上げた怒りを抑えるのに、しばし時間が必要であった。討ち死にした事よりも、自分の手で討ち果たすことが出来なかった事が、元親に、怒りと虚しさを感じさせ、秀範が来るまでの時間があったことが、冷静さを取り戻す時間となった。


「して、この度は、どのような用で」

「殿下の命により、お渡しすべきものがあります」


元親は、その言葉に、内心首をかしげた。この度も小田原征伐の恩賞については、氏政の謁見での処罰が終わった後に行われるが、大坂に帰ってから行われるはずで、謁見前に秀吉から渡されるものがわからなかった。

それとも、別の命があるのか、思案していた。


「秀範殿、顔を上げてくれ、話が出来ぬ」

「……はっ」


その声に応じて、秀範は顔を上げ、元親の顔を見た時、一瞬息が詰まった。戸次川の戦いの後、遠くで見たことはあったが、今までなるべく接触をすることを避けていた為、顔をじっくりと見ることがなかった。

始めて、秀範が見た、元親の顔は年相応に老けてはいたが、髪の毛は黒く、皺も少なくて、生気が漲っていた。しかし、今の顔は皺が多くなり、髪も大半が白くなっていた。

元親は、秀範は顔の表情は変えなかったが、慚愧の念が目の奥に浮かんだことを見逃さなかった。かつては、見込んだ男の眼を見て、微笑を浮かべる。


「秀範殿、戦はみずもの、何が起きるかはわからないものだな」

「……くっ…うっ……は、はい」


元親の優しい声に、秀範は堪えていた感情が止まらなくなり、涙があふれ出た。返事も聞き取りにくく、膝の上に乗せた両手の拳は強く握りしめられ、体が震え、顔を下に向けた。

その姿を見て、元親もうっすら涙目にはなったが、涙をこぼすことなく、秀範が落ち着くまで、声をかけなかった。


「……醜態をさらし、申し訳ございません」

「構わぬ、秀範殿のその涙が、信親にとっては、最大の供養であろう」

「……はい」


ふたりは顔を向けあい、微笑みあった。


「……申し訳ございません。殿下の言葉を伝えます」

「うむ、どのようなことか」

「こちらを、元親様にお渡しするようにとの命です」


元親は眉を顰め、何を渡されるのか考えたが、分からなかった。

座っていた後ろにおいていた木箱を、秀範は自分の前に移動させた。それは、首桶であったが、元親は、何故、それが、自分の前におかれたのか分からなかった。

まさか、自分の首を入れる為の首桶ではないかと、一瞬勘ぐったが、即座に否定した。今更、降伏したものの首を取っても益がないと思った。


「その首桶を、殿下はこの私にと」

「……はっ」


そう言いながら、首桶の蓋を開けた。中に入っている首は、防腐の為に、塩漬けにされていた。元親は、蓋が開けられた際、誰の首かわからず、目を細め凝視した。

その首を眺め過去の記憶と照らし合わせると、多少変わっていたが、怨敵として憎しみの対象であった秀久であった。その事に気づき目を見開き、そして、秀範の顔を見た。

秀範は表情を変えることなく、視線を下に向けていた。表情を伺い知ることはなかったが、元親は自分の手で討ち果たしたかった秀久の首を見た時、驚愕したが、不思議と怒りはわいてこなかった。それと共に、秀範の姿を見て、心が冷静になった。

秀吉は何のために、秀範に秀久の首を持ってこさせたのか、その理由を考える必要に迫られていた。戸次川の戦いの事は既に秀吉から詫びを入れられ、恩賞も与えられた。その後の後継ぎで家内が混乱した際も、咎めもなく認められた。それが、今になって、忍城で討ち死にした秀久の首を渡してくるのか、疑問に思った。


「何故、秀久殿の首を」

「殿下より、父の首を元親様にお渡しし、如何様にでも扱ってよいとの言葉でございます」


その言葉を聴き、元親は、戸次川の戦いの詫びは、秀吉の中では終わっていなかったことに気が付いた。秀久は秀吉の子飼いであり、可愛がっていた武将だったはずで、いくら討ち死にしたとはいえ、首を落とし、渡してくるほどの怒りがあったとは思いにくい。まして、土佐一国にまで勢力が減退した自分に配慮する必要は感じなかった。では、この事を誰が考えたか。


「この事、誠に殿下の考えか」

「はっ、神明に誓いまして」

「……秀範殿」

「なんでしょうか」

「……此処まで、われらの事を考えてもらって、すまぬ」

「……」


元親の言葉に、深々と秀範は頭を下げた。


「秀久殿の首、しばし、預からせてもらえるか」

「……元親様のものであれば、如何様にでもお使いください」

「いや、信親の墓前に供えたのちに、返そう。懇ろに弔ってくれ」

「……温情ありがたき、しかし、そのまま打ち捨てて頂いても構いませぬ」

「よい、其処まで誠意を見せてもらっては、こちらも無下に出来ぬ」


その言葉を、頭を下げたま聞き、秀範の畳が塗れ始める。


「秀範殿が、仙石家を継がれるのか」

「いえ、弟の忠政が継ぎます」

「何故だ」

「私は、仙石家を離れております。まして、父秀久には付き従わず、今まで仙石家のものたちと苦しみを分かち合うこともありませんでした。今更、戻ることはできません。忠政なれば、混乱している仙石家を立て直すことができるでしょう」

「しかし……」


秀範は、目を赤くした顔を上げ、左右に首を振った。その姿を見て、元親は決意が固いことを理解した。


「そうか」

「はい」


秀範は首桶の蓋をかぶせ、紐を括り直し、元親の前に押した。

元親は頷き、その首桶を自分の横に移動させた。


「失礼いたします」


秀範は立ち上がり、一礼をして、部屋の外に出ていった。

その後姿と、歩く影を見送り、再び首桶の方に元親は眼を向ける。


「秀久殿、お主には恨みしかなく、いつか討ち果たしたいと思っておったが、そのような姿を見たら、言葉も出ぬわ。しかし、お主に似ず、秀範殿は、立派な武士だな……」


そう秀久の首に話しかけ、涙を流した。




秀吉の陣には、急場作られた屋敷が建てられていた。元々は、地元の豪農の屋敷であったが、召し上げて、拡張していた。その屋敷の大広間には、小田原征伐に来ていたものたちが左右に分かれて座っており、中央には、後北条家のものたちが座っていた。

廊下から足音が近づいてくると、部屋に居たものたちがすべて、頭を下げた。

秀吉が入って来ることが告げられ、上座に秀吉は座った。


「皆の者、大儀である、面を上げよ」


その秀吉の言葉に、後北条家の面々以外は面を上げる。

先頭に座っている年配の武士を見ながら秀吉は声をかける。


「その方が、氏政か」

「はっ」

「武運拙く敗れたとはいえ、早雲庵宗瑞の名に恥じない戦いであった」

「はっ」

「しかし、帝の惣無事令を無視した事について罰する必要がある」

「……」

「後北条家の所領はすべて没収し、お主たち一族は、高野山に登ってもらう」

「……はっ」


秀吉は、氏政を見下ろしながら、処罰を伝える。そして、その後ろに居る後北条一族や、重臣たちに目を向けた。


「それと、お主の家臣たちの所領も没収する。他家に仕えるも、帰農するも自由とする」


氏政の後ろに座っていた家臣たちは、安堵の表情を浮かべた。切腹を言い渡される可能性もあった為、人によっては、安堵したが、所領を没収された為、顔の表情はすぐれなかった。


「殿下」

「なんだ、氏政」


頭を下げたままの状態で、氏政は秀吉に声をかけた。発言を許されていない状態での氏政の態度に、三成は、右眉を上げた。


「敗残の身ではありますが、お願いしたき事があります」


続けた氏政の言葉に、三成は眉を顰める。

その三成の姿を見て、秀吉はにやにやとした。


「なんだ、言ってみよ」

「……この度の事、全て私の責任であり、家臣の罪を問わないで頂きたい」

「ふむ……」


秀吉としては、後北条一族を助ける以上、家臣も命を助けるのには問題はない。しかし、本来は、責任を取らせるものが居る。氏政や氏照などの主戦派の首でまかなえたが、風魔党との約定もあるため、それは無理である。その為、家臣の中で、上席の松田憲秀や大道寺政繁あたりに責任を取らせ、終わらせようと考えていた。

氏政の願いを聞く必要はないが、後々の事を考えれば、受け入れた方が良いかと、考えていたがとこで、声を出したものが居た。


「殿下、僭越なことでは御座いますが、発言を許していただきたく」

「ん、構わぬが、お主は」

「松田憲秀と申します」

「お主が、憲秀か、何だいってみよ」

「はっ、この度の戦さを主張したのは、この私でございますれば、この首をもって、責を取りたいと考えております」

「殿下、私も、開戦を主張致しました故、我が首も差し出させてください」

「憲秀、政繁……」

「いえ、殿下、この度、二人を戦に向かわせたのは、この氏照でございます。どうぞ、この首を」

「……氏照」


風魔党と秀吉との約定については、氏政のみが知っており、他の者たちは、一切関知していなかった。その為、憲秀、政繁、氏照の言葉は、氏政の心に、深く突き刺さり、自身の不甲斐なさを痛感させられた。関東のみにしか目を向けず、中央の動きを探ることを怠ったことが、今回の失敗であった。上杉謙信、武田信玄でも陥落させられなかった過去の栄光に目を曇らせた未熟さに後悔の念を抱いた。

氏政の後ろでは、当主である氏直が、家臣をちゃんと見ていなかったことや話をしっかりしていなかったことを後悔していた。

後北条のものたちの話を聞きながら、秀吉は、思案の表情を浮かべていた。氏照は、風魔党との約定がる為、その命を取ることはできない。憲秀や政繁の言を受け入れ、切腹させても良いが、そうなると、氏照が勝手に切腹するのは予測できた。

そうなると風魔党の約定が敗れるかもしれない。別に、風魔党が敵に回っても根絶やしにすれば良いだけでだが、鶴松の事や、信繁や昌幸の交渉を無にするのは、問題があるとも考えた。


「お主たちの忠誠心は、良く分かった。ならば、腹を切れと言いたいが……」


そう言いながら、秀吉は氏政の表情を見る。氏政の表情は分かりにくいが、わずかに、奥歯を噛みしめたような感じだった。これで、彼らが切腹すれば、隔意を持ってしまう恐れもある。


「その心意気に免じて、お主たちも高野山に登れ、そして、この度の事、深く反省せよ、良いな。勝手に切腹する事は、後北条のものたちにも責を取ってもらう事になると心得よ」

「「「はっ」」」


その言葉に、氏政は頭を下げた。後ろに控えたものたちからはすすり泣く声が聞こえてきた。

広間に集まった諸将は、後北条家の結束の固さと、忠誠心を改めて見せつけられた。しかし、そのような家であっても、秀吉にかかれば、滅びるということも見せつけられ、財力、軍事力、そして、懐の深さを見せつけられた。


「恩賞に関しては、大坂に戻ってから伝える。みな者もご苦労であった」

「「「「「はっ」」」」」




「さて、用件を伝えようか、三成」

「はい」


謁見の後、氏政、氏直、氏規の三名が別室に呼ばれ、秀吉の前に座っている。

他には、三成は、同席していた。


「氏直殿以外の方々は、出家して頂きます。出家については、当主である氏直殿から伝えてください。意に反した方々は処罰されます」

「分かりました」

「高野山には、一族の元服した男すべて登ってください。子どもや女は、その近くの九度山に住んでください。高野山までは、福島正則が送ります。住むことについては、片桐且元が行いますので、何かあれば伝えてください」

「承りました」

「それと、氏規殿には、行って欲しいことがあります」

「私にですか」

「そうです」


氏規は、何故、自分が兄や甥と共に呼ばれたかわからなかったが、三成のその一言で、自分に役割があることが理解できた。

どのような事を言われるが分からないが、失敗は許されないと、身を引き締めた。


「氏規殿には、板部岡殿と共に、加藤清正、仙石秀範と共に、奥州へ行ってもらいます」

「奥州へ」

「そうです。現状に不満を持っている者たちを説き伏せて、大坂に連れてきてください」

「討つのでなくですか」

「そうです」


三成の言葉に、三人は、首を傾げた。


「疑問に思うのは無理がないが、奥州へ行ってこい。正使は清正、副使は秀範になるから、その指示に従って、動けばよい」

「はっ」

「さて、その方らは、準備をしてこい」


秀吉に言われ、氏直、氏邦は頭を下げ、部屋を出ていった。


「小太郎は居るか」

「……此処に」


秀吉から呼ばれ、小太郎が部屋の隅に現れる。


「殿下、この度の事、ありがとうございます」

「ふむ、こちらの事情もあるからな。礼を言われる筋合いはないぞ」


氏政は、深く頭を下げた。判断の甘さにより、後北条一族すべてが処刑されてもおかしくなかった。自身が腹を切るのは別に構わなかったが、子どもや孫まで命を失うのは忍びなかった。

小太郎が、独自に交渉したからこそ、今の状況がったことは理解していた。


「小太郎、苦労をかけてすまなかった」

「……早雲庵宗瑞様から受けた恩を返したまでです」


小太郎と氏政のやりとりを見ながら、秀吉は羨望のまなざしを向けた。成り上がってきた自分には、代々の譜代がいない。豊臣家に足りないものを、改めて見せつけられた。


「氏政」

「はい」

「小太郎は譲り受けるが、お主にも働いてもらうぞ」

「分かっております」

「しばしの間、高野山に居ておけ、その後、出家して、鶴松を支えてもらう。二心を起こすなよ」

「すでにこの身は、この世にありませぬ」

「よし、お主も支度をしてこい」

「小太郎たち、風魔党の事、よろしくお願いします」


氏政は、深々と頭を下げたのち、部屋を出ていった。


「小太郎」

「……はっ」

「この書状を持って、先に大坂に行ってこい」

「……」

「それと、箱根の里は、そのままにしておけ。大坂の近辺に里を新たに渡す」

「……はっ」

「孤児や捨て子のうち、生まれて間もないものを何名か渡す故、忍びとして育てよ」

「……承りました」


三成から書状を受け取り、小太郎は一礼して、部屋から消えた。


「佐吉、お主にも苦労をかけるがよろしく頼むぞ」

「はっ、この命にかけまして」




此処に、早雲庵宗瑞が起こし、約百年以上に渡り、関東に存在した大大名後北条家は、大名として滅びることになった。

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