第二話 寧々
※二千十六年十一月二日、誤字修正。
1589年末、真田昌幸の支城、名胡桃城を後北条氏の猪俣邦憲が攻め落とし、鈴木重則は落城の責を感じ、切腹して果てた。
豊臣秀吉は、惣無事令に違反したとして、後北条氏を討伐する旨を発布。
後北条氏政は、小田原の城の改修や、各支城・箱根の砦の改修や築城を行い、支配地から兵を徴兵し、武器の備蓄を始め、豊臣軍を待ち構える準備を行う。
豊臣秀吉は、長束正家などに命じ20万石もの兵糧を集め、水軍による移送を行う計画を立案し、実行に移していく。
西日本の大名が東山道、東海道を通り西から後北条の領地へ、豊臣方の関東大名が、東から後北条氏の領域に侵攻していくことになる。
小姓上がりの面々が、一つの部屋に集まり、小田原攻めについて、酒を飲みながら話をしていた。
「武勲をあげて、加増してもらうぞ!」
「そうだな、わしも、加増してもらうために、奮迅の働きをする!」
「虎之助、俺は、韮山城を攻めることになった」
「俺は、山中城のようだ」
「韮山城攻める大将は、織田信雄殿のようだが、頼りがなさすぎるわ!」
「市松大きい声でどなるな」
「ふん、佐吉は、いちいち五月蠅いわ、殿下の元で、俺の活躍を見ておれ!」
「……(はぁ)」
「紀之介は、何処を攻めうるのだ」
「私は、殿下の元に居て、佐吉や小西(行長)殿、長束(正家)殿、増田(長盛)殿と、輜重の差配をする」
「ふむ、そうか、残念だったが、まだ、先は長いだろうし、武勲を立てられることもあるだろう」
「市松よ、何故、紀之介には優しいんだ?」
「いちいちつっこむな、虎之助!そういえば、孫六は、海の上か、海の上では武勲も立て憎いだろうな、小早川(隆景)殿、九鬼(嘉隆)殿も兵を率いるから影が薄いな。戦の後で慰めてやろう!」
「市松には、兵糧を送らぬ……」
「な!?兵糧を送るのが、お主の役目であろう!孫六!」
「ふん……」
「相変わらず、お主らは、元気が良すぎるな」
「「こ、これは殿下」」
秀吉が、小姓上がりが話し込む部屋に入り、子供のように思っている者たちを見て、秀吉はにこやかにほほ笑んでいる。
「市松よ、いくら軍門に下ったとは言え、信雄殿は、信長様の御子であるぞ、頼りないとは何ぞや、厳封するぞ」
「い、いえ、そ、そんな」
「殿下、厳封の手続きの書類を作成いたします」
「ぐっ、さ、佐吉!」
「ははははっ、冗談だ、冗談!」
「殿下、勘弁して下され」
「そんな簡単に、厳封など出来るわけないだろう、少しは考えよ」
「佐吉!せからしい顔で、わしを馬鹿にするな!表に出ろ!」
「いい加減にしろ、市松、さすがに殿下も呆れるぞ」
「ぐっ、く、くそ」
「韮山城については、(蒲生)氏郷が中心になって、動いてくれるだろう。それに、韮山城は落とせなくても問題はない」
「殿下は……」
「市松、そんな眼をするな、お主の武勇を疑っているわけではない、韮山城は小田原への道から外れている。落とせずでも押さえておきさえすれば問題ないのだ」
「分かり申した……」
「はぁ、お主であれば、何処ででも武勇を発揮できるではないか」
「な!?さ、佐吉に慰められた!?何か悪いものでも食べたのか!」
「お主は……」
「まあ、良いではないか、小田原の城が落ちたとしても、従わぬ連中もいるだろうし、奥州もある、まだまだ、戦はあるぞ」
「そうだな、虎之助!」
(こやつらには、小田原が終われば、大きな戦はないといえぬな、まあ、大陸への道もあるだろうが、まだ、黙っておくか。この者たちが、鶴松を支えてくれれば良いが、領地を持てば、今までのようにはいかぬ。わしの死後、家を守る為に、鶴松から、豊臣家から離れる可能性もある)
心の中の葛藤を表情には出さず、秀吉は面々の顔を見る。
「お主ら、準備は怠るでないぞ」
「「はっ」」
「鶴松のところに行くが、お主らも来るか」
「勿論でございます!」
「(はぁ、また太閤殿下は……鶴松様の負担にならねば良いが)」
数え一歳になったけど、まだ、身体が動かせない。
確か、前の記憶では、初めての死が待ち構えている時期のはずだった。
「あーあー、ばぶー(暇だ、でも、もうすぐ、あの人が殺しに来るんだよな、まさか、そんな人だったなんて、思わなかった……)」
「鶴松、元気か!」
「……殿下、声が大きすぎます」
「佐吉!五月蠅い!鶴松が嫌がっているではないか!」
「……(はぁ、殿下の声を嫌がっているんだと思うんだが)」
「おおぉ、鶴松様!お久しぶりです!」
「……だから、市松お主まで、声を大きくせずとも良いだろう」
「五月蠅い!」
「……(はぁ)」
入ってきた面々は、鶴松の顔を見ながら、笑顔で接していた。
それを見ながら、誰か側に四六時中いてくれないかなと、思ってしまう鶴松だった。
「鶴松様は、血色が良いですな」
「殿下に似て、元気で、聡明な顔をしておられる」
「そうか!そうだろう!虎之助、紀之介!」
「……(なぜ、殿下は鶴松様と会う時だけ、市松のような感情の高ぶった物言いになるのか)」
「何故、そんな疲れた眼で見ておるのだ?」
「いえ、何もありませぬ」
「佐吉を残し、他のものは、戦の準備に取り掛かれ!」
「「はっ」」
豊臣秀吉は、暇があると、鶴松に会いに来ており、周囲も認知している。
しかし、政務が滞る為、石田三成は、ため息ばかりしている日々を送っている。
福島正則と一緒に来ると、何時も以上にテンションが高く、声が大きくなり、普通の子供なら泣き出す大音量になる。
中身の総年齢は、死を繰り返した為、100歳を越えているので、達観した状況となり、鶴松は泣くことがなかった。
「佐吉、京の整備については、どのように進んでおる」
「御土居については、竹を植えることにより、雨風に強くなると考えております。二条城、御所を守る壁となるはずです」
「小田原の城には負けるが、総構えとして、京を守らねばならぬ。大坂の城があっても、帝をかすめ取られれば、わしの地位も危ういわ。洛中と洛外に分け、洛中に居を構えるもの、商人たちは調べ上げよ」
「山中(俊好)殿に調べさせております」
「そうか、俊好には、苦労をかけるな。周囲の者たちを騙すためとは言え、所領を没収してしまった」
「山中殿やその他の甲賀の者たちもわかった上でございます」
「判ってはおるがの……褒賞は、満足のいくものを与えよ」
「多羅尾(光俊)殿には、大坂の城下町を調べるよう伝えております」
「(中村)一氏、(高山)重友には、二条・大坂の城、聚楽第に忍びが入り込めぬよう今以上に手を入れるよう指示せよ」
「はっ」
秀吉は、源平藤橘の血筋でもなく、それを捏造できるような出自でもなかった。
その為、足利義昭の養子になろうと画策し、近衛前久の養子となり摂関家の系統に入ることにより、朝臣としての地位を得る状況となった。
征夷大将軍には任官できなかったものの、関白に任官されている事により、全国の諸大名の上に立つ大義名分を得た。
ここで、帝が誰かに奪われ、京が焼打ちにでもあえば、権威が失墜し、秀吉の立場が揺らぐ可能性がある。
例え、盗賊程度の規模であろうと、京で騒動が起きないように防ぐ必要があると、秀吉は考えていた。
部屋の隅では、居心地が悪いような雰囲気で、一人の若武者が控えている。
機密情報を聞かされており、興味はあるが、心が落ち着かないにも関わらず、それを必死に抑えているのが、秀吉や三成にはわかり、秀吉はニヤニヤし、三成はそんな秀吉を見て、呆れた表情をしている。
「源次郎、わっておると思うが、此処での話を、例え父である安房(真田昌幸)に聞かれても、漏らすなよ」
「はっ、わっております」
「殿下、あまり、苛めなさりませんように」
「ほう、横柄ものの佐吉が、庇うか?」
「殿下、それはあまりにもひどい良いようでは……自覚はしておりまするが」
「ははははっははは」
(あー、三成がっくり来ているよ、あまり苛めたら三成が壊れるよ)
三成の処遇に少し、かわいそうに思える鶴松だった。
扉がスッと開き、一人の女性が部屋に入ってきた。
歳を重ねてはいるが、利発そうで知的な顔をしている。年齢を感じさせない足取りで、秀吉の元に歩いてくる。
「旦那様、此処で何をしておられるのか、戦の前に遊びほうけていてはいけません」
「む、寧々よ、そのような事を言うな、息抜きぐらいさせよ」
「息抜き、息抜きと、どれだけの女子の元に通っているのか」
「ま、まあぁ、寧々よ、そのような事を申すな、鶴松も見ている」
「……」
「そのような目で見るな、鶴松がおびえるわ。いくら寧々でも許さんぞ」
「判っております」
秀吉の正室で、寧々、糟糠の妻であり、豊臣家の良心、柱でもある。
若いころに、子供を宿したともいわれているが、すべて、流産や夭折したと言われている。
「ところで、旦那様、大名の奥方様に手を出したと噂がありますが、本当ですか」
寧々の発言により、一瞬にして、部屋の空気が硬直し、温度が急激に下がったように感じる。
秀吉は顔を硬直させ、三成・信繁は無表情になった。
「な、何のことだ?そのような事はない!誰だ、そんなたわけたことを言うのは!そんな事をするわけがなかろう!そうだな!佐吉!」
「……」
「お、おい!さ、佐吉!」
「旦那様?」
「?!」
そう言いながら、寧々は笑顔で、秀吉に近づいてくる。
どこかに逃れようとするも、何故が、秀吉の身体は動かない、数多くの修羅場を経験しているにも関わらず、既に、負けが決まっていた。
そして、怒号が発せられる。
「いい加減になさりませ!盛りの付いた畜生でもないでしょう!従属した大名家の奥方に手を出すとは言語道断!お覚悟は出来ていますね?」
「ま、まて!寧々、わ、わしが悪かった!」
一瞬のうちに、後ろに飛びずさりながら、寧々に対して、土下座をする。
何度も、何度も、頭を下げ続けるうちに、寧々の表情もあきれ顔になってきた。
「女子に手を出すなとは言いませぬ、しかし、大名家の奥方に手を出すなど、下手をすれば、離反を招く可能性があることを理解していますか。それに、豊臣家は信義がないと言われれば、どうするのです」
「むっ、判っているが……」
「判っていません!」
「はっ、はい!」
「終わったことは言いませぬ、しかし、今後は絶対に許しませぬ、もぎますよ?」
秀吉は、ガクガク震えながら、何度も、頭を縦に振る。
その間、三成、信繁は微動だにせず、話を聞いていませんの雰囲気を醸し出し続ける。
(子供の教育上、浮気の話を目の前でしないでよ……、そういえば、真偽が定かではないけど、立花宗茂も夜這い問題で夫婦仲が悪くなったという話もあった気がする)
「ところで、どなたの奥方に手を出したのですか」
「ま、まだだ、誰も会わせてくれんので、声をかけただけだ」
「そうですか、まだでしたら幸いです、もう一度言います、判ってますね?」
「はい!」
寧々は、その秀吉の姿に、仕方ないという表情をして、話を終わらせる。
部屋を出る瞬間、視線を鶴松に向けるが、その眼は、悲しみと憎しみを宿していた。
(ふぅ、寧々は相変わらず、鋭いが、まあ、バレなければいい、バレなければ)
秀吉は、下を向きながらニヤニヤしているのだった。
(殿下、懲りなさすぎます、寧々様は気がついておられますよ……はぁ)
哀愁を漂わせながら、秀吉を見つめる三成だった。