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第十三、五話 忍城

※二千十六年二月三日、誤記を修正。

※二千十六年四月十三日、誤記を修正。

※二千十七年六月三日、誤字、文章修正。


[連続投稿 5回の5つ目]

撤収してきた兵を出迎えた長親の表情は厳しかった。戻って来た兵の大半が傷ついており、何名かは帰ってこなかったからであった。本当であれば、死者のない迎撃だったはずなのに、甲斐姫の暴走で、死者が出たことに、長親は怒りを覚えていた。


「敵の将を討ち取った!成田家の武威で、上方の者は震えているだろう!」


その甲斐姫の声が聞こえた方向に歩いて行く。その場には、背中に矢が刺さり、死相が見えている以作の姿があり、その姿を見て、長親は涙を浮かべ、駆け寄り抱きかかえた。


「以作!」

「お、おぉ、長親様、姫を、甲斐姫を守り、ました、ぞ……」

「馬鹿、者……」

「また、い、しょに、たうえ、をしましょう……」


そう良い笑顔を浮かべて、以作の体の力が抜けた。その重みを長親は感じながら嗚咽を出し、号泣した。


「私を無視して、撤退命令を出したのは問題があるが、身を盾にしたこと、見事であった」


甲斐姫の言葉に、周囲は殺意の籠った視線を向けた。そして、長親はキレた。以作の体を横たえ、立ち上がると、甲斐姫の前に立ち、力いっぱい頬を平手打ちにした。

甲斐姫は、吹き飛ばされ、壁にぶち当たって、口から血を流した。武勇に秀でていないとはいえ、一通りの武芸と、農作業で鍛えられた長親の力は、想像以上に強かった。

普通の女であれば、気絶するところだったが、鍛えていた甲斐姫は、首を振りながら、立ち上がり、口から流れた血をぬぐった。


「何をする、長親!その行為、主家への反逆か!」

「小娘が粋がるな!」


温和で、厳しくても声を荒げることの珍しい、長親の威圧のある怒声に、周囲は息が詰まるほど緊張して、静寂になった。そして、その威圧をまともに受けた甲斐姫は、顔を蒼白にして、硬直してしまった。


「貴様の功名心の為に、犠牲になったものに対する言葉か!」

「な、何を、敵の将を討ち、成田家の武勇を知らしめることが、出来たのだぞ!」


虚勢を張りながら、甲斐姫は長親に言い返す。


「この戦の責任者は、この長親だ!それも、命令無視で、犠牲を出す、本来であれば、処罰されると思え!」

「な!将を討ち取れば、功が上回ろう!」


長親の言葉に、今度は、顔を真っ赤にさせて、甲斐姫が言い返す。


「功について、評価するのは、この戦の大将である俺だ!貴様ではないわ!たとえ、主君の姫であろうとも、関係はない!」

「なっ!」

「誠忠殿、姫をどこかに押し込め、出られぬよう監視しておいてくれ!」

「……分かった」

「それと、上方に降伏の使者を出す、靱負殿お願いしたい」

「な!?」


その言葉に、甲斐姫は驚愕の表情を浮かべる。確かに、被害を受けたが、完全に負けたわけではなく、籠城することが出来る。

こちらから降伏する必要性も、負けている意識もなかった。


「ば、馬鹿な!何を勝手なことを!」


誠忠、利英、靱負たちは、既に、長親の考えを察しており、特に驚くことはなかった。そして、降伏の決断を後押ししたのが、甲斐姫であることを理解していたが、当の本人は、そのことに気が付くことはなかった。


「誠忠殿、早く、連れて行ってください」

「甲斐姫様、どうぞこちらへ」

「何をするか!無礼者!」


抵抗する甲斐姫を押さえつけ、そのまま、城の中へ連れて行った。その姿を見ることなく、長親は、帰還した兵たちに声をかけながら、治療をするように指示を出していった。




仙石勢は、決壊の水の流れに流され、第一と第二の堤の間に流されてきた。その中に、藤吾を見た忠政は、声をかけた。


「藤吾!父上はどうした!」

「秀久様は、敵の矢に当たり、討ち死にいたしました。守ることが出来ず、申し訳ございません……」


涙を浮かべながら、返事を返した。


「何!?い、遺骸はどうした!」

「数名の者に守らせ、堤の上に」


その言葉を聞いて、今にも行きそうになる忠政を、正勝は引き留める。


「もう少し待たれよ、水の勢いが収まれば、向かうことが出来ます。今急いで行ったとして、何かあれば、どうなさいますか!」

「!?分かった……」


忠政が思いとどまったのを見て、正勝は配下の者に、水の流れに沿いながら、第二の堤に接岸し、正則に秀久の討ち死にを伝えるように指示を出す。

流れてきている仙石勢についても、水の流れに逆らわず、堤に接岸するように指示を出した後、避難の誘導を支持し仙石勢の撤退をどうするか、正勝は考えを巡らせる。




堤が決壊した音が響き渡り、取り囲んでいた大名たちも慌ただしく警戒態勢を敷きだしていた。


仙石勢の動きを見ていた、昌幸が吉継の元を訪れた。


「吉継殿」

「あの音、動きがありましたか」

「ああ、どうも、第一の堤が決壊させられたようだ」

「予想通りですね」

「まあ、第二の堤があるから、被害はでないだろうが、水攻めの水位は下がるな」

「間に居た福島勢は、どうです」

「こちらも筏に乗って、被害はない様だが……」

「秀久殿に何か?」

「……矢で射られて、討ち死にしたようだ」

「な!?それは、本当ですか」

「間違いない」


吉継は、秀久の討ち死が信じられなかった。確かに、粗暴ではあったが、武勇に秀でた秀久が討ち死にすると思わなかった。


「どうも、その矢を放ったのは、女らしい」

「!?」

「遠目で正確には分からなかったが、たぶん、合っていると思う」

「……それは」


吉継の顔を見ながら、昌幸はにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。


「成田氏長の娘、甲斐姫だと思う」

「まさか……では、追撃してきたのは?」

「甲斐姫だと思うが、多分、独断だろう」

「独断?」

「敵の城代の長親は、被害を抑えるような戦い方をしていた。それなのに、今回に限って、追撃はおかしい。常々、武勇を自慢しているもの特有の独善さが見える甲斐姫が行ったんだろう」

「そうですか」

「ただ、仙石勢が、秀久殿の弔いとして、反撃を行ったらしく、追撃してきた成田勢にも被害が出たようだ」

「しかし、こちらは、将が討たれたことを考えれば、こちらの負けでは?」

「そうかな?」

「何故です、兵が討たれるより、将が討たれた方が、負けではありませんか」

「違う、兵と将の重さの話ではない」

「どういうことですか」

「先にも言ったように、長親という男、被害を抑える戦い方をしている」

「それは、籠城を考えれば、少ない兵を減らさないためでは?」

「そうではないよ、被害を抑えるということは、駆り出されている農民を死なしたくないと言うことだ」

「……」

「長親は、農民を大切にしているらしい。強盗や侵略など、身を守るためには、命をかけることもいとわないみたいだが、今回のような負け戦で、無駄に命を落とさせたくないのだろう」

「それは分かりますが」

「つまるところ、支配する領主が変わっても、そこで生活する民は、関係ないと考えているんだろ。生活を豊かにしてくれるものが来てくれれば、良いと思うだけで、命を懸けてまで、尽くす必要性はないと考えているだろうな」

「それは!?」

「だからこそ、長親は、慕われているのではないか?」

「……」

「そして、今回、無意味な攻めで、被害が出た」

「ええ」

「ならば、これ以上、無駄なことが起きないためには、どうすると思う?」

「まさか……降伏を?」

「ありうる」

「しかし……」

「まあ、しばらく様子を見れば良いだろう。ここは、わしに任せて、吉継殿は、三成殿の元へ。もう直ぐ、正則殿が報告に行かれるでしょうから」

「分かりました。申し訳ありませんが、後は、お願いします」


吉継は、後の事を昌幸に任せ、三成の元へ向かった。


「はてさて、どうなることやら」


そう笑いながら昌幸はつぶやいた。




正勝からの知らせを受け、正則は、しばし、秀久へ黙とうを奉げた。今回は問題があったが、子どもの頃から世話になった兄貴分であり、世話になった人でもある。その死を悼まないわけはなかったが、今後の対応に頭を切り替えた。

秀久の死、堤防の決壊について、三成に報告するために、自身が向かうことにした。

仙石勢の対応を家臣に指示を出して、馬に乗り、三成の元に向かった。




三成は、状況を把握するため、情報集め、分析を行っていた。先ほどの爆発音は、成田勢が仕掛けたと考えていたが、その後の状況がまだ入ってきていなかった。



「三成様」

「どうした」

「正則様が、来られました」

「そうか、通してくれ」

「はっ」


三成のところまで歩いてくる正則は、眉間にしわを寄せ、肩を怒らせるように歩いてきた。

表情からは、三成に、秀久の夜襲の結果を説明に来ることがいやであったことが伺えた。その表情から夜襲が失敗したと、三成は感じた。

夜襲が成功した場合、少なくとも、正則の表情は、此処まで険しくなく、こちらに見せつけるように来るはずだからだ。失敗したことを説明することが、屈辱であるように見え、これが秀吉であれば、濡れた犬のような状態だったであろうが、自分に敗れたことを説明することが、日ごろ、戦下手と馬鹿にしている手前、屈辱と感じているのではないかと考えた。

三成の前に来た正則は、何も言わず、下を向いていた。


「正則殿、秀久殿が忍城へ夜襲をかけたと報告が来ているが、どのように」

「……」


その沈黙から敗れたのは確実だが、被害が大きかったのかもしれないと、三成は思った。

意を決したように、正則は顔を上げ、睨みつけ、話し始めた。


「秀久殿が、待機命令を無視し自身の手勢を率い、夜襲を仕掛けたが、城で待ち構えていた成田勢の弓による迎撃により、第一の堤まで退却したが、その後ろを、成田勢の一部が追撃して、堤の上に引いた仙石勢に弓による攻撃を仕掛けた」

「……」

「成田勢から放たれた矢の一つが、権兵衛殿の首に矢が刺さり、討ち死に」

「な!?」

「仙石勢が、弔いとばかりに弓による応戦で猛攻を仕掛け、成田勢多数を討ち、更に追撃したが、成田勢が行った爆破により、第一の堤が決壊し、水の流れに流され、城まで行くことが出来ず、成田勢は退却し、仙石勢は俺の軍勢が収容しているところだ」

「ま、待て」

「ん?」


三成が声をかけた際、喧嘩を売っているかの表情で正則は反応するが、三成は、一切気にすることなく、質問を投げかけた。


「成田勢は、そこまで近づいて来ていたのか」

「いや、矢が届くぎりぎりの処で、こちらから射っても、強弓でなければ、届かない距離だった」

「そうなのか……」

「権兵衛殿は、手勢の大半が傷つき、そんな余力もなかったようだったが、逆に攻撃を仕掛けようとしていたようだ」

「あの方らしいが……報告ご苦労。陣に戻り、仙石勢の収容と、警戒をしてくれ。それと、夜が明ければ、軍議を開くので、その時までに、状況をまとめておいてくれ」

「……分かった」


何か言いたそうな感じだったが、正則は何も言わず、陣に戻っていった。

その姿を見て、三成は、罵声も怒声も上げなかったことを不思議に思い、敗戦がそれほど、気分を落ち込ませたのかと考えたが、首を左右に振り、気持ちを切り替えた。

信繁の発案により、堤を二重にしたおかげで、第一の堤の決壊の被害はないだろうが、水位の低下は、致し方ないと考えた。ただ、今回の事について、秀吉への連絡と、従軍している大名たちへの説明をする必要がある。

堤を壊されることなく、包囲を続けたかったが、起きてしまったことは仕方ないと割り切った。


「佐吉は居るか」

「紀之助か」

「市松が来たのか」

「ああ」

「では、大体のことは、分かっているな」

「夜襲失敗、権兵衛殿討ち死に、第一の堤の決壊だな」

「そうだ」

「これから、殿下への書状を書いて、早馬で知らせる。明朝、諸将を集めて、軍議を開く」

「なら、諸将への伝令は、こちらで手配をしよう」

「頼む」

「それと……」

「どうした?」

「……あくまで可能性の話として、昌幸殿が気になることを話されていた」

「昌幸殿が?」

「そうだ」

「どのようなことだ」

「忍城が降伏するかもしれないと」

「……何!?」


吉継の話を聞いて、三成は眼を見開いて驚いた。今まで、水攻めの状況でも士気は低くなく、夜襲も退けた状況で、普通降伏するとは思えない。

それなのに、昌幸が降伏の可能性を口にした為、驚くしかなかった。


「……理由は?」

「そもそも、今回の夜襲追撃は、籠城を指揮している長親という将の命令ではないと、昌幸殿は考えていた。

「では、誰が?」

「忍城城主、成田氏長の娘甲斐姫ではないかと言っておられた。武勇を示したく、消極的な長親と衝突していたらしい」

「しかし、夜襲を撃退し、権兵衛殿を討ち取ったのだから、良い結果になり、降伏する必要はないだろう」

「その夜襲が元で、降伏するのではないかと言われていた」

「意味が分からない」

「権兵衛殿が討ち死にされた後、仙石勢の反撃で、多数の犠牲が成田勢にも出たようで、当然、その兵は、集められた民百姓だ」

「そうだろう、関東はまだ、兵農が分離されていない」

「長親は、民百姓を大切にするものらしく、今回の夜襲撃退だけで、追撃せず、被害を受けないようにしていたのではないかと推測されていた。だが、甲斐姫の独走で追撃が行われ、民百姓に被害が出た」

「だが、戦である以上、犠牲は出るだろう」

「そうだ、だが、甲斐姫の独走により犠牲が出たということは、今後も、同じようなことが起きても仕方なく、甲斐姫に同調するものや、勝手に動くものも出てくるかもしれない。となれば……」

「犠牲が増えると?」

「だから、長親は降伏を決断するかもしれないと、昌幸殿は考えたのではないか」

「……あり得ると思うか?」

「ないとは言い切れまい」

「ならば、明日以降、忍城の出方を見るしかないか」

「ああ」


二人は、頷き合い、それぞれの仕事にかかった。




正則は、陣に帰ると、保茂に声をかけた。


「仙石勢は、どのような状態だ」

「忠政様を保護し、休んでいただいています。筏で出られた方々は、それぞれの堤に接岸し、待機しています。後は、第一の堤の上に、少数居ますが、水流が収まり次第助けに行く予定です」

「正勝は、どうしている」

「筏で、第一の堤の方に向かい、状況を確認しながら、仙石勢を誘導しておられます」

「……そうか、ならば、松明をもっと焚き、あたりを見やすくしろ」

「はっ」


新月の為、松明の炎で、堤の周りを明るくし、仙石勢に、逃げる場所を分かり易くするため、正則は、松明を増やした。

暗闇の中では、上下左右の間隔が曖昧になり、混乱してしまい水の中に落ち込んでしまう恐れもあった。

敗戦の恐怖と、水流に流される恐怖、平常な心ではいられないものが多い中、松明の明かりが、少しでも兵たちの心を落ち着かせられればと、正則は思った。

その後、忠政の処へ行き、状況を更に詳しく聞くと共に、秀久の死の状況を確認した。




浅野長吉が軍議を行う部屋に入って来た。忍城を小城と考え、攻めを主張していたが、三成の行動は、秀吉の指示であると分かると、主張しなくなった。

ただ、豊臣一門の長老格であり、秀吉と苦難を共にしてきた意識がある長吉に取って、三成の軍に組み入れた事には、気分を害しており、日ごろ、三成の気を使わない態度には腹を立てることもあったが、それを表面に出すほど、子どもではなかった。


「弥兵衛殿、朝早く、申し訳ございません」


三成のその言葉に、長吉はギョッとした表情をした。

表情そのものは、謝罪をしているような表情ではないが、三成が頭を下げながら、詫びを入れてきたのには、敵が奇襲をかけて来た時より、驚きが深かった。


「な、何、たいしたことはない」


長吉の態度に、三成は、片眉を上げただけだったが、隣にいた吉継は笑いをこらえるのに必死だった。

それを見た長吉は、ばつが悪い顔をして、吉継をにらみ、三成も横目で非難の視線を向けた。

吉継は、顔を背け、咳ばらいをして、誤魔化した。


「それで、佐吉、この集まりは、夜中のことか」


三成が答えようとすると、長束正家が入って来た。

正家は、元は丹羽長秀に仕えていたが、その才を欲した秀吉により、引き抜かれ仕えるようになった。

三成と同じく計数に明るく、小田原征伐でも、兵站の仕事を担っていが、忍城を水攻めにする際に、膨大な資材や資金を管理するのに、三成一人では難しいと考えた、秀吉が一緒に行くように指示した。

正家が居たおかげで、三成の負担はかなり軽減された。


「これは、長吉殿、挨拶もなく、失礼いたしました」

「いや、構わない。このような場で、悠長に挨拶をしあっても仕方あるまい」

「はい」

「で、佐吉、諸将が来るまでに、まだ、時間があるだろうから、昨晩の事を話してくれ。どうせ、市松が勝手に動いたのだろう」


長吉は、仕方ないというような表情をして、三成に話しかけた。


「いえ、市松は押さえた側で、勝手に動いたのは、陣借りしていた権兵衛殿です」

「な!?」


先ほど以上に、驚愕の表情を長吉は浮かべた。正則の三成へのライバル心を知っており、今回の大将としての任じられたことへの不満などを考えれば、猪突猛進の正則が、自制心を持って、行動しなかったことに、秀吉が寵童を持ったと聞いたぐらいに驚いた。実際に、秀吉はその手の話は一切ないのだが、それぐらいの驚きが長吉にはあった。

正家は、長吉の表情と、それを見て苦笑いしている三成と吉継の表情が分からず、首を傾げた。三成と正則との関係は知っていたが、そこまで驚くことか理解が出来なかった。


「そうか……市松も、大人になったな……」

「そこですか、気になったのは……」


正家は、長吉の呟きに反応した。


「まあ、正家殿は、知らぬでしょうが、市松はそれこそ、爆走してくる猪の如く、直情で……」

「俺は、そこまで、愚かではありませんぞ」


長吉が、正家に説明している最中に、正則が仏頂面で入って来た。

その表情を見て、まずいと、思ったのか、長吉は咳払いをして、声をかけた。


「お、おうぉ、市松、ご苦労だったな」

「大したことは、ありませぬ。爆走しませんでしたので」


表情を変えず答えた正則の反応に、長吉は顔を引きつらせたが、三成は、助け船を出すように、状況確認を行った。


「市松、此処は、豊臣の者しかおらぬ。再度、情報を説明してくれ」


声をかけられ、嫌そうな表情をしたが、正則は集めた情報と、現状を説明した。


「そうか、権兵衛殿が死んだか……」


秀吉の股肱の家臣であり、苦楽を共にしてきた秀久の死に、長吉は悲しみを感じた。決して、有能ではないが、何事にも前向きで、その行動に何度も助けられたことを思い出していた。


「それで、この件については、どのように処理されます」

「正家殿、独断で動き、堤の決壊を招いた権兵衛殿は、その死を持って、罪を償った。それに、堤が潰されることは、想定されていたことの一つで、なんら、忍城の包囲に影響はありません」

「しかし、水位が下がっているが」

「そのうち、水位も上がるでしょうが、その前に、小田原が落ちるかもしれない」

「落ちるだと?」

「そうだ、市松。どうも、寝返りや各地の状況が知れ渡り、また、包囲している軍が酒盛りや享楽にふけっている姿を見て、士気が低下し続けているようだ」

「……そうか」

「忍城は、このまま、包囲したままで良いというのか、佐吉」

「弥兵衛殿、殿下の指示通り、包囲に変わりありません」

「そうか……」


正則や長吉は、小田原が落ちれば、この戦が終わり、武功も上げる機会もなくなり、加増がされないと思っていた。

正家は、特に気にした様子もなく、兵站の仕事に理解があり、正当に評価してくれる秀吉に任せておけば良いと思った。


「市松、弥兵衛殿、まだ、奥州も落ち着いておりません。それに、関東も後北条を下しただけで、まだ、何かあるか、分かりません」

「そうだな、確かに紀之助の言う通りだ」

「確かに」


二人の言葉に、三成は少し困った表情をしながら話す。


「それと、紀之助からの話だが、忍城が降伏するやもしれぬ」

「「「な!?」」」


三成の言葉に、三人は驚きの表情を浮かべ、吉継を見る。

籠城してはいるが、堤を決壊させ、名のある武将を討ち取ったにも関わらず、降伏するとは思えないが、吉継の言葉であるため、信憑性が高かった。


「紀之助、どういうことだ」


正則が、掴みかからんばかりの勢いで、吉継に迫った。


「市松、そういう趣味はない」

「ば、馬鹿かお前は!」

「冗談だ、冗談」


そういいながら、吉継は笑ったが、真剣な顔になり、話し始めた。


「忍城が降伏する話は、実は、昌幸殿が言われたのだ」

「昌幸殿が……」


三人の何とも言えない表情に、三成も苦笑を浮かべた。昌幸の才能を知っているが、その人柄に信を置けないでいた。

武田信玄や勝頼が生きていた頃は、忠誠心を持って仕えていたが、勝頼が昌幸の進言を取り上げず、小山田信茂の翻意を伝えたにも関わらず、新たに建てた新府城を焼き、岩殿城に行った際に、真田家の独立を目指すようになった。

周囲には織田家、上杉家、徳川家、後北条家と囲まれ、どこかに従う必要があった。ただ、武田家を滅ぼした織田家が他の大名を圧するほどの勢力があり、選択肢はひとつしかなかった為、そこで落ち着いておけば、何も問題がなかったが、その織田家が、本能寺で信長が討たれ、勢力が瓦解し、仕えるべき主家が消えてしまった。

滝川一益に従っていたが、その一益も、信長の死に際し、後北条に敗れ、本貫の伊勢に逃げるように戻っていった。その一行を自身は諏訪まで行き、信濃を出るまで、護衛の兵を出して、見送ったことは、昌幸の義理堅さと見ることが出来る。

その後、後北条家、徳川家、上杉家、羽柴家にと、主家を変えながら、生き延びてきた。

それは、広大な領地もなく、小さな領地しかない小大名として、仕方ないと考える。しかし、徳川家に従った際、領地を勝手に取り上げられそうになった際に、不和となり、合戦となった際に、家康が率いていないとはいえ、歴戦の将が率いた数倍の徳川軍を破ったことは、その才の恐ろしさを示すには十分だった。

手練手管を使い、生き延びてきた昌幸に対し、恐れも感じ、また、何か裏があるのではないか、昌幸が何か謀略を仕掛けたのではないかと考えて、何とも言えない表情になった三人だった。

この機会を得て、領地を広げようと考えているのではないかと、三成も昌幸を疑っていた。

周りを見ながら、苦笑を浮かべ、昌幸の話していた内容を伝えた。


「……そうか」

「皆、考え過ぎだ」

「いや、だがな」

「弥兵衛殿、昌幸殿なら、忍城攻めの意図は分かっているはず。わざわざ、危ない橋を渡るとは思えません」

「だがな、疑うだろう、普通は」

「弥兵衛殿の言う通りだ、紀之助!信じ切れるわけがないだろうが。もしかしたら、忍城の連中が反撃してきたのも」

「市松、それぐらいにしておけ」

「何!?」


正則は、三成に話を切られて、睨みつける。


「功を上げたければ、わざわざ、紀之助に言わず、そのまま、殿下へ報告するか、私に話を持ってくるだろう。疑い出すときりがないぞ」

「確かに、佐吉の言う通りだ。成田勢にやられたからといって、その理由を昌幸殿に押し付けるのはどうかと思うぞ」

「っ」


長吉の指摘に、正則は舌打ちをして、下を向いた。指摘されたように、負けた理由を、昌幸の策謀にして、逃げようとしていたことに、自分が許せなかったからだ。まして、三成の前での失態が、更に腹立たしかった。

正家は困った表情で、他の三人は、顔を見合わせ、やれやれと首を振り、三成が話し始めた。


「もう直ぐ、諸将が来るだろう。市松、忠政殿は、連れてきているか」

「ああ、近くの場所で待機させている」

「では、諸将がすべて入った後、忠政殿と一緒に来てくれ。その後、再度、説明を頼む」

「分かった」

「納得できないことがあるやもしれんが、此処の大将は、私だ。私の事に従ってくれ」


正則は苦い顔だったが、他の三人と共に頷いた。

ただ、吉継を除く三人は、三成が、人を気遣うような前置きをしたことに、若干驚いていた。いつもなら、何も言わず、淡々と話を進めるはずなのに、何か悪いものでも食べたのではないかと思ってしまった。

三人が何を考えているか分かる吉継は、必死に笑いをこらえ、三成は憮然としていた。




「靱負殿、危険な使者の役目、申し訳ない」

「構いませんよ。長親様が居なければ、あの者たちは、止まらないでしょう」


長親は、苦笑をしながらその言葉を受け止めていた。

甲斐姫は、一室に押し込められているが、城内には、長親が降伏することに不満を持っているものも数多くいる。兵士たちは概ね降伏して、戦が終わることを喜んでいるが、家臣たちは甲斐姫の活躍を聞いて、武功をあげていないことにより勝敗に関わらず己の評価が下がる事を危惧し手柄が欲しいと不満をため込んでいた。成田家に留まるにしても武功がなければ地位が下げられ、他家に再仕官するにしても武功がなければ受け付けられない為、恨みのこもった視線を向けていた。

家臣の中には、今後、成田家がこの地から去ることを予測し、他家に仕官する事も考えていた。その為、感状や武功を得て、より有利に仕官を行いたいと考えていた。

籠城前ではなく、籠城後、敵を討った後の為、使者が斬られる恐れもある。他を危険にさらすのではなく、長親自身が使者となりたいと考えていたが、降伏反対派が、甲斐姫を奪い、主導権を握らせないために、城に残ることを決断した。

靱負は、使者になるにしても、城に残るとしても、長親の命の危険はあると考えた。ただ、降伏反対派が、長親を殺害したとしても、逆に兵たち殺害した者たちを許さないだろうとも考えていた。その事に、降伏反対派は気が付いていないのが哀れで、兵は何も言わず従うものと勘違いしていることに、憐憫を感じた。


「長親様、危険はないと思いますよ」

「そうかな」

「ええ、夜中の襲撃は、あちらの全体の意図ではないでしょう。攻撃の意思があったら、福島の処以外からも攻撃があったでしょう。他の処から攻撃がなかったのと、今までの包囲の事を合わせれば、降伏することは、あちらにとっても、益のある事でしょう」

「だが、甘い考えは危険だ」


気を遣う長親を見て、靱負は苦笑を浮かべる。


「死ぬときは死にます。気になさらないでください」

「……分かった。頼む」」

「はい」


長親は頷き、靱負は笑顔で答え、筏に乗り込み、豊臣軍の方へ進んでいった。

連続投稿おつきあい頂き、ありがとうございます。

これからも引き続き、よろしくお願い致します。

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