第十三、三話 忍城
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「静かにするのだぞ、ゆっくりと、水辺を進め」
秀久は、配下の者に、声を潜めて、命令を出した。
軍勢は、準備しておいた筏を浮かべて、忍城へ進んでいった。新月の為、動きが見えにくい状態だった。空には星が輝いていたが、水面は真っ暗で、兵たちもその暗闇の恐怖を味わっていた。
だが、その中にあった、秀久は顔を輝かせながら筏を進めていた。
(戦はこれだ!これなのだ!俺が上に上がる為には、のし上がる為には、この戦いで、敵の首を取るしかない!)
心の中で、秀久は、己の活躍する姿を想像して、声を出さずに笑っていた。
正則は、秀久が、筏を浮かべ夜襲に向かった報告を聞き、兵を動かした。筏などの準備はしていなかったが、堤が崩れないように、成田の者たちが来た場合の警戒を行うように指示を出した。
幾ら子供の頃から世話をしてもらったとはいえ、勝手な行動を取った秀久を、切り捨てる事にした。
昔の自分であれば、一緒に攻め込んでいただろうが、忍城攻めが、落城ではなく、関東以北の諸将への示威行為と理解している為、落城させることは蛇足でしかないことを分かっていた。
秀久が居なければ、自分が、あの位置におり、夜襲をかけていただろうことは、正則自身もわかっていた。それが、秀吉の怒りに触れることも予想できていた。
子飼いが少なく、先祖代々の家臣も居ない秀吉であっても、此処での独断行為は、決して許さないだろう。まだ、豊臣家に臣従して間もない者たちや、臣従していない者たちへの示しがつかない。
危なかったと、つくづく思った。自分の代わりに生贄になる秀久には憐れみを感じた。
「正勝、負傷者の収容や、敵の侵入の警戒をしておけ」
「分かりました」
「それと、簡単なもので良いから、筏を作って、第一と第二堤防の間に入る連中に渡しておけ」
「はい」
今回の件で、正則が成長したことを感じ、正勝は、不謹慎だがうれしい気持ちであった。今までは、猪武者のように暴走する事の多いのに、今回は踏みとどまった事に、大きな安堵感があった。三成に対する一方的な敵愾心が、身の破滅につながる事を、正則に気が付いて欲しいのだが、今回の事が良いきっかけになってもらえればと思っていた。
「ん?何だ、正勝」
「いえ、何もないですが」
「ふん!どうせ、お前も一緒に行くと思っていたのだろう」
「そうですな」
「っ!……まあ、そう思われても仕方あるまい。虎之助が居たら、この状況で行ったかもしれんがな」
その返事に、正勝は苦笑をした。清正と正則は、本当の兄弟のように仲が良いが、三成とは別の意味で、張り合っており、それが暴走に繋がることも多かった。
「三成様へ伝えなくてもいいので?」
「かまわん、紀之助が居るだろうし、隣の昌幸殿が知らせておるだろうよ」
「では、行ってきます」
「よろしく頼む」
正則は、第二の堤の外側で備え、正勝に、第一と第二の堤の間に居られる兵の指揮を任せていた。
「さて、どうなるかな」
「長親様」
「靱負殿、どうしたか」
「吾作が、水の上が動いていると言ってきました」
「水の上……敵襲か」
「かもしれません」
「……攻めてくるのか、何故だ。どこか分かるか」
「位置からすると、堤の端側。最近、兵が新しく配置されたところです」
「……福島か、戦巧者だが、些か落ち着きがないと聞いているが、分かった兵たちに警戒するように伝え、たいまつ用意を」
「はっ」
長親は、指示を出して、自分も準備を始めた。
兵たちの慌ただしい動きに気が付き、甲斐姫が長親の元にやって来た。
「長親、何かありましたか」
「敵に動きがあったようです」
「……攻める意図はないと言っていたではないか」
「戦はこちらの思い通りに行くわけではありません」
「ふっ、情けない、臆病者の考えは私にはわかない」
「何とでも、おっしゃってください、生死がかかる戦は、子どもの遊びではございませんゆえ」
長親の返事に、甲斐姫は顔を真っ赤にさせ、肩をいからせながら部屋を出て行った。その後姿を見て、顔を左右に振り、深いため息を吐いた。
戦いを夢物語のような、想像の中でしか考えていない甲斐姫の言動には危うさを感じる。戦の現場に出ないものには、泥水をすすり耐えなければいけないことや、泥まみれになり、返り血を浴び、汗を垂れ流しながら、敵と戦わなければいけない状況は理解できないだろう。
敵を殺すことの恐怖、死ぬことへの恐怖、数多くの恐怖を感じなければいけない。そんな戦場を愛する者は、心が壊れているか、達観しているとしか思えない。自分には出来ないことだと、長親は思っていた。
さっきまで話して者が、一瞬で物言わぬ骸に変わる恐ろしさは、どう言えばよいかわからないことだ。
もう一度頭を振り、被害が出ないことを祈りながら、長親は準備を再開した。
「吾作、何処だ」
「長親様、あそこです、水の波紋がおかしいのです」
「分かり難いが、川で漁をするお主の話だ、嘘ではあるまい」
「はい」
「利英殿、たいまつの準備を」
「おう、何時でも良いぞ」
「誠忠殿、靱負殿手筈通りに」
「はい」
「わかった」
柴崎誠忠が松明を何時でも、つけられるように複数用意させて、火の準備をしている。
酒巻靱負が弓隊に弓の準備をさせ、正木利英が筏を幾つか用意させ、迎撃に向かう準備をしていた。
「あくまで、撃退したか考えてくれ。無駄な被害を出したくない」
「だがよ、戦に被害は付きものだぞ」
「誠忠殿、分かっている。だが、このような最終的に負ける戦で、被害を出したいとは思わないよ」
「まあ、そうだけどよ」
「それはそれとして、長親様、この度の夜襲どう思われます」
「それはって、なんだよ!」
「誠忠、少し黙っておけ」
「……ちっ、利英、分かったよ」
誠忠、利英のやり取りに苦笑を浮かべ、靱負に話をする。
「たぶん、一部の暴走。最近、布陣した福島正則は、総大将の石田三成を敵視していると聞いた事がある」
「では、福島の兵が攻めてきたと」
「ええ、ただ、気になるのは、福島の陣に、仙石の幟が見えたのが気になる」
「仙石?」
「豊臣家の古参ですが、九州攻めで失敗して、追放されていた筈なのだけど……」
「失敗とは?」
「物見も出さず、しっかり相手を調べず、攻撃して、与力の四国の諸将に大打撃を与えたんだよ」
「それは、また……」
「典型的な、猪武者、一騎駆けしかできないのに、不相応の指揮を執った結果ですよ。まあ、今の私にも言えるけどね」
「……」
「長親様、近づいてきました」
「ありがとう、吾作」
「誠忠殿、利英殿、靱負殿、お願いします」
「「「おう」」」
長親の合図と共に、誠忠が十数か所ある松明に火を灯す。それにより、その一部は、昼間のような明るさを見せ、こちらの状況を闇夜に浮かび上がらせることになったが、水面を進んでくる秀久の軍勢も浮かび上がらせることになる。
水面下は、暗闇で何者かの手が出てきて、引きずり込まれそうな雰囲気がしてくるほど、鮮やかな光に包まれていた。
松明が灯された時、秀久の兵は、一瞬固まってしまい、筏の動きが止まった。
それを見過ごしたように、靱負が弓を射るように指示を出し、数百の矢が秀久の兵たちに襲い掛かった。
「休むな!射ろ!」
「靱負、あまり、射すぎると備えが無くなるぞ」
「誠忠、気にするな、どうせ、相手は攻めてこない。此処で打撃を与えて、降伏するのも一手だ」
「何だと?降伏だと!」
「ああ、兵糧の備蓄が少ない、湿気が多くて、カビが出て、食べられなくなったものも多い。どのみち、このままでは、城が持たない」
「そうなのか?」
「ああ、多分、長親様や、利英殿は、そう考えていると思う」
「だから、打撃を与えるために、此処までしたのか」
「そうだ」
「靱負殿、一端、射るのを休めろ!利英殿、敵を打ち破ってきてください!」
「任せておけ、皆の者行くぞ!」
利英は、川で漁をする船乗りを中心に兵をまとめ、筏を進めていく。筏には、5名が乗り、2名が漕ぎ、2名が弓を持ち、1名が槍を持って乗り込んでいた。
その姿を見て、秀久の兵は、腰が引け、逃げ出そうとするも、筏の上であり、また、弓の攻撃により傷を負い、思うように逃げる事が出来なかった。そして、運が悪いことに夜襲で、切り結ぶことを予定しており、弓の用意をしていなかった。
それを見とった利英が、相手の攻撃が届かない距離で筏を停止し、弓での攻撃を指示した。
城壁からの弓攻撃とは違い、射やすい場所におり、また、身動きが取れないため、簡単に秀久の兵は射られていった。
忍城が松明で灯された瞬間、秀久は、夜襲がばれたことを悟った。だが、敵も少数であり、籠城で疲弊し、たいまつで標的が見えやすくなったのは、好都合と考えていた。
「ええい!敵はすぐそこだ!前へ進まぬか!臆病者どもが!」
「と、殿!敵が弓を射ってきました!」
「そのような弱弓など、叩き落とせばよかろう!このようにな!」
筏の上の不安定な足場で、秀久は立ち上がり、槍で矢を叩き落としていった。だが、そのような芸当、出来るものは極わずかであり、大半の筏には、矢が雨のように突き刺さっていった。
「ええい、情けない!それでも俺の兵か!」
「殿、撤退すべきです」
「何を!……ちっ、仕方ないか」
そんな話をしていると、降り注ぐ矢が止まった。それを見て、秀久は、相手の矢が尽きたのではないかと考えた。あれほどの矢を打てば、大半の矢は消えているはず。
ならば、これは好機ではないかと、先に進むべきと考えた。
「敵の矢が尽きた!今こそ、進むのだ!」
「な!?」
秀久が命令を出したとき、城方から、筏が進んでくるのが見えた。
「敵が、討たれにやって来たわ!」
その秀久の姿に、家臣たちは呆れた表情をした。何も言っても聞かない、幸運を味方につけ、命を削って成り上がって来た秀久にはその表情は見えていなかった。
今、活躍する事、武勇を示すことが生きている証明であるように檄を飛ばしていた。
「そこに居るのは、だれか!勝負をいたせ!」
秀久は、利英にそう声をかけるが、その返答には、矢が飛んでくるだけだった。その矢を叩き落としながら怒鳴った。
「ぬ!卑怯な!勝負をいたさぬか!」
「殿!これ以上は、兵を損ないますぞ!」
「父上、此処は引くべきです!」
隣の筏に乗っていた、子忠政から進言を受け、秀久はしぶしぶ、退却の指示を出す。しかし、其処に至るまでに、率いてきた兵の4割が死に、3割が負傷しているありさまだった。
「お主ら覚えておれ!」
そんな言葉を投げ捨てて、退却していった。
「ふん、猪が向きを変えれるとは知らなかったわ。皆の者戻るぞ!」
その号令のもと、利英は、城に戻っていったが、一部の筏が戻ってくる気配がなかった。いぶかしげに振り返り、戻るように指示を出すも、その筏は、そのまま、秀久の後を追撃するように進んでいった。
「お前ら戻らぬか!」
その声も無視して、先に進んでいった。
「どうされた、利英殿」
「長親様、あの者たちが戻ってこないんだ」
「ん?平太、あれに乗っているのが、お主の眼で誰かわからぬか」
「……え?あ、あれ、甲斐姫様だよ!」
「何だって!ちっ、あの馬鹿姫、何を考えているんだ!追撃なんてしたら、福島の兵が何千も待っているものを!」
「ここで言っていても、仕方あるまい」
「分かってます、利英殿。利英殿は、このまま待機をお願いします。靱負殿も兵を休ませながら、何時での射れるようにしておいてください。誠忠殿、腕の立つ者数人をまとめて、馬鹿姫を、連れ戻してきてください!」
「おう!任せておけ」
長親は犠牲が出ず、良かったと思っていたところに、甲斐姫の暴走を知り、苦り切っていた。誠忠に兵を預け、連れ戻すことにしたが、無事に戻ってこれるかわからない。
敵方は、攻めることを考えてはいないが、かといって、攻めてきた兵を見逃すとは思えない。
馬鹿な行動で、犠牲になる者たちを考えると、心が居たかった。成田家の武勇を示せるが、それだけ、無意味すぎる。普通の武士であれば、それを美徳として褒め称えるが、長親にそのような自殺願望はない。まして、死ぬのは兵であり、功績は武士に返されるなんて、馬鹿馬鹿しいと思っている。
ただ、ただ、無事に皆が帰ってくることを祈るしかなかった。




