第百三十四話 東行
十数隻の船団が塩竈を離れていくのを見送った景綱は、ため息をはいた。
「景綱、どうかしたか」
「永宗様」
「表情が浮かぬが」
「いえ、殿を見送るのが最後になるかと思いましてな」
景綱の言葉に、永宗が困った表情を浮かべる。
「幼年の身、兄上にも残って欲しかったのだが……」
「確かに、秀宗様に残っていただけばと思いますが」
政宗の長子秀宗は、正室愛の子ではなく、側室の子ではあったが年長者であり、後継者とみなされていた。
しかし、愛が永宗を産んだ為、周囲も後継者について悩むようになった。
政宗は現状、秀吉から偏諱を貰った秀宗でも良いと思ってはいたが、正室の子が跡を継ぐべきという意見も家中にはあり、景綱とも話し合いをしていた。
乱世であれば、正室の子とは言え、幼年の永宗では家中を纏められないと景綱も思った。
だが、今は日本は乱世がおさまり戦ではなく政務を中心とした運営と、日本の外に出て居る者たちの統制と物資の手配が中心であり、主君が幼年でも家臣が支えれば良いだけなので、幼年でも問題ない。
まして、落ち着きのない政宗の傍にいて、輔弼できるのは秀宗の方が若年とはいえ、適任だと思っている。
政宗も秀宗と永宗を国内においておけば、家督争いが起きる事を懸念していたのだろう。
東の大陸へ向かう事が決まった段階で、まだ、二桁にもならない幼年の永宗を元服させ、偏諱を秀永から貰い後継者に定め、国許ではなく大坂に住まわす事を決めた。
景綱だけではなく、石川昭光、亘理重宗ら一門、鈴木元信に国許を任せ、茂庭綱元、原田宗時らを永宗の補佐として大坂に常在させ、豊臣の技術や治世などを学ばせるよう手配した。
また、幼年の永宗の事を考え、国許よりも医術が進んでいる大坂に住まわせた方が良いとの考えもあった。
「成実も残ってくれれば良いものを」
「ははは、私も言いましたが、笑顔で無理と言われましたよ」
景綱がそう言うと、永宗は苦笑した。
「その後、何て言ったと思われます」
「面白い事を、父上だけ楽しむのを許さないですか」
「ええ、そして、お前の分まで楽しんできてやるだそうです」
そう言って、二人は顔を見合わせ、笑いあった。
頭をかきながら、二人の後ろでため息をついた綱元。
「成実殿は羨ましいですな、殿と好き勝手していて」
景綱は、苦笑を浮かべた。
「まあ、血が繋がっている者同士、似ているんですよ二人とも。綱元どのも行きたかったですかな」
肩をすくめながら綱元は口をゆがめた。
「中継のオアフ島まで行きましたが、大変でしたよ。波が高いし、いつ沈むかと心休まりませんでした」
「私は近海まで出て居ませんが、波は高くて怖いものです」
「ほう、歴戦のお二人でも怖い事があるのですか」
綱元と景綱は顔を見合わせて、永宗に微笑んだ。
「ええ、あれは神か仏の力を借りなければ、乗り切れないものと思ったものです」
「綱元殿ほどではありませんが、人がどうこうできるものではありません。戦場であれば武略知略を尽くす事も出来ますが、手も足も出ないのは怖さしかありませんね。まあ、殿の前では見せる気ありませんが、後で何を言われるか分かりませんからな」
そう言って、景綱は笑い、綱元も頷いた。
「ご自身が同じ状況であれば、恐怖に顔をゆがめ、苦しい表情をしても、後で指摘される事を極端に嫌がりますからね。言えるのは、成実殿か、景綱殿ぐらいですよ」
「確かに……御生母もばさっと言いますな。未だに、殿に子どもの頃の事を書状に書いて送ってくるようですし」
「ああ、御婆様の書状にも、父上の幼少の頃が書かれている事がありますね」
「ほう」
「その事は、父上には内緒ですが、多分、兄上への書状にも書かれているんじゃないかと思いますよ」
「それは、それは」
景綱は、あり日の引っ込み思案で、人見知りで、いじけていたころの政宗を思い出して微笑んだ。
頷きながら言った。
「秀宗様も、永宗様も、殿の幼少のころと比べれば、立派なものです。家臣の話を聞き、自ら考えてお言葉をお伝えしている。主君としての心構えが出来てらっしゃる」
「そうですな。虎哉宗乙様のおかげもあって、殿も立派になられたものですが……」
そう言って、綱元は含み笑いをした。
「虎哉宗乙様には、我々兄弟にもご指導いただきありがたいですが、もう御年ですからね」
「数年前までは、京へ上り、学びを得たと言われておりましたな」
「ええ、最近は、起き上がるのも大変そうですが、辛そうな表情は一切見せません」
「殿もお会いした後、涙をこらえておられましたな」
政宗が東の大陸から帰国するのに数年以上かかるだろうと思うと、虎哉宗乙は亡くなっている可能性が高い。
それを思い、今生の別れと政宗は考え涙をこらえたのだろうと景綱は考えていた。
政宗が飛び回った先々の出来事を聞くのを、虎哉宗乙は楽しみしていた。
色々な知識を得れる事に喜びを感じていたのだろう。
虎哉宗乙の前では弱音は吐かぬ、見せぬと政宗は心に誓っていたのだろうと思うが、虎哉宗乙は理解していると見ている。
だからこそ、使っている数珠のひとつを政宗に渡し、旅の安全を祈ると言ったのだろうと。
「では、若殿大坂への御準備の続きを致しましょうか、それと行綱をよろしくお願いいたします」
永宗は景綱の言葉に頷いた。
「まあ私がする事は少ないですが」
そう言いながら、政宗の出航を見送った人々は城へと戻っていった。
政宗は、秀次の元に歩いていき頭を下げた。
「申し訳ございません。我が領地によって頂いて」
「ああ、かまわんよ。長い旅になるようだからね」
秀次が遠い眼をしている事が気になり声をかけた。
「どうかされましたか」
「うん?」
秀次は顔を政宗に向けた。
「ああ、もう日本に帰ってくることはないかもしれないと思ってね」
「そうですか……」
秀次の立場を考えれば、秀永に万が一があれば豊臣の家督を継ぐ立場にある。
一時期、秀吉の猜疑心によって、難しい立場になった事があった。
事なきを得て、秀永も元服した事により、危機的な状況はなくなったが、秀永に子もおらず、秀次の子も権力闘争の道具にされかねなかった。
「男子のお子様も一緒に連れて来たとのことですが……」
「そうだね、船は分けているがオアフ島、東の大陸に連れて行くよ。日本に残していては、馬鹿な連中が担ぎ出すかもしれないからね。流石に幼子はこの長い航海は無理だがね。幼子であれば、抑え込むこともできるだろうからな。三成たちは優秀だからな、バカは潰されるだろうよ」
そう言って、含み笑いを秀次はする。
「愚か者が、叔父上の猜疑心を煽って、豊臣家の分断と弱体を狙い負ったがな……ん?」
秀吉の事を聞いて、政宗は困った表情をした。
「ふむ、あれか、お主は叔父上にあったのか?」
その言葉に、驚いた表情を政宗は浮かべた。
「え、ええ、まあ」
「ははは、そうか、まあ、別に厳重に隠しているわけではないか」
政宗の態度に、秀次はおかしそうに笑った。
「秀次様も?」
「そうだな。叔母上に頭を叩かれながら、謝ってくれたよ。何か、昔の叔父上に戻ったようでうれしかったがな。天下人というのは人を狂わすものがあるようだ」
そう言って、秀次は寂しそうな表情を浮かべた。
それに政宗は返答する事もせず見つめるだけだった。
「信長様が亡くなり、光秀殿を討ったあたりから、叔父上は変わられ始めた。元々、もっていたものか、己の感情を抑える事が出来なくなっていた。かつては陽気にふるまっていたが、猜疑心が強くなっていき、顔も変っていったな」
「……」
「殿下が産まれた時は、顔も変ったが……その後、再び猜疑心の深まった表情を時よりされるようになった。だが、殿下が言葉を発し、下の叔父上が亡くなった後、叔父上の表情が変わっていかれた。私も、立場を持ち、力を持ったことで、表情も態度も変わっていったのであろうな。室らには注意されていたが、理解できなかったよ」
そう言って、秀次はため息をついた。
「お主とおなごの話をする時だけが、楽しい時だったよ」
「は、はははは」
政宗はそう言われて、困ったように笑った。
「叔父上が謝りに来た時、何故かな、昔を思い出し、私も憑き物が落ちたようだったよ。そう、室たちからも言われた。いつ立場を追われるか、始末されるかと、何処かで怯えていたのかもしれないな」
「ご隠居様が謝られたのは何時ですか」
「ご隠居?」
「ええ、そう呼べと言われまして」
「そうか、そうか、ご隠居か。そうだな、ご隠居が謝りに来たのは、亡くなったと言われたあたりだな。流石に驚いて、腰が抜けそうになったわ」
秀次は楽しそうに振り返り笑った。
「亡くなったと言われた、ご隠居が目の前に居たのだから、化けて出たのかと思ったぞ。まあ、叔母上がご隠居の頭を叩いたから正気に戻れたがな。と、同時に、憑き物が落ちたよ」
「そうなんですか」
「ああ、ご隠居に跡継ぎを目指すのかって、問われた時に、はっとしてな。私の中に野心があったのかと、知らずにな。それに気づかされたよ」
「ほう」
「で、辞めておけよと忠告されたな」
「忠告ですか?」
「そうだ、踊らされて自滅して、あやつにおいしい所を持っていかれるだけだぞと」
「あやつですか」
そう政宗が問うと、にやりと笑い秀次は答えた。
「家康殿だよ」
聞いた政宗は、納得して頷いた。
「まあ、家康殿だけではなく、輝元殿や義久殿も居たがね」
「……」
「ああ、忘れていた、お主もだな」
にやにやしながら政宗を秀次は見つめる。
「いやいや、私はそのような事は……」
「ご隠居も知っているぞ」
「え?」
「はははは」
表情を固まらせた政宗を見て、秀次は大爆笑した。
「あの永禄、元亀、天正の乱世を生き抜いた人だぞ、人を見抜く目は随一だぞ。お主の野心は見抜いているよ。その上で、若い活きが良い若いものを見て楽しんでいたんだよ。私もだがな」
そう言って、秀次は笑った。
眉間にしわを寄せながら、政宗は不機嫌な表情を浮かべた。
「そもそも、お主の力では天下は目指せんよ。国力も朝廷や中央の繋がり、諸大名の認識などを含めてな」
「……」
政宗は不貞腐れた表情をする。
「あの当時は、家康殿、輝元殿、景勝殿ぐらいではないか。義久殿はいっても九州のみで、毛利や上杉の威名に比べるとお主は落ちる。仕方あるまいて、時期が遅すぎた。国力、威名がご隠居に比肩するのは、家康殿ぐらいだよ。毛利も上杉も先代であれば、上回ったんだろうがね。当然、私は輝元殿や景勝殿にも勝てないよ」
そう言って、秀次は肩をすくめた。
その姿に、政宗は苦笑の表情を浮かべた。
「ご隠居がいなければ、私何て、大した立場にもおらず埋もれていただろう。身の丈を知っていたつもりだったんだがね……参った、参った。ご隠居が謝りに来た時に、思い出したよ、身の丈をね」
「身の丈ですか」
「そう、私には日本を治める威名も力量もないとね」
「どうでしょう。家臣が輔弼すれば問題ないと思いますが」
「違うな。日本を治めるには気概と覚悟がいるんだよ」
「気概と覚悟ですか」
「気概は野心とも言うかもしれんがね。わしはないな」
「ないですか」
「そうだ、立場が上がって、気が高ぶり、勘違いしていたよ。一国なら治めれただろうけどね。お主とおなごの話をしている方があってるよ」
困った表情を浮かべて、政宗は顔を左右に振った。
「まあ、あまり言いすぎて室や側室には怒られたけどな。お主はどうだ」
「特には言われませんな」
政宗の返事に呆れた表情を秀次は浮かべた。
「お主は、室や側室を大切にしているのか?話をしたり、物を送ったりして、おらんのか」
「はて、どうですかな。欲しいものは手配しておりますが」
「はぁ、情けないな。お主はもっと、身近なおなごを大切にした方が良いぞ」
秀次の言葉に政宗は嫌そうな表情を浮かべた。
「おなごの話をする前に、お主には、おなごへの配慮を教える必要があるな」
「そのようなものは必要ありませんよ」
「ったく、そんな事では、室や側室から見放されたぞ」
「それはそれで、別のものを探せばよいですな」
「かぁ!!!よし!お主はこの船旅で、男としての何たるかを教え込まねばな!」
「ご遠慮する!」
「いいや、あのご隠居さえ、細かな配慮をするのだぞ!」
「え?」
「そのうえで、我儘を許さず、うまく扱っておったんだぞ」
「そうですか?結構ギスギスした雰囲気の時も……」
「それであってもだよ、良い暇つぶしが出来た!」
「え、えぇっと、次は息子の船に移る予定が……」
「却下だな!」
晴れ晴れした笑顔で、政宗の方を秀次は掴んで離さない。
政宗の後ろで、重長が会心の笑顔を見せていた。