第百三十一話 検討
秀永は、秀吉が持ってきた慶次郎の報告書を読み終わり、それを孝高に渡した。
「父上は、どう思われます」
「そうだなぁ、力攻めしても兵数を考えれば、確実に落とせると思うぞ」
「被害は、そこまで出ないでしょうか」
「でないな、大砲を昼夜問わず、数日叩きこめば心は折れるんじゃないか。まあ、鳥取城のように意気軒昂で、吉川経家のような良将が守っていれば、簡単には落ちないだろうし、被害も甚大になっただろうがな。兵士たちの話を聞く限り、ヤマタは大した奴はいないとの話しだ」
「報告書でも、下士官と呼ばれる足軽頭ぐらいの立場のものなら、良いのは居るとありますね」
「そうだな、だが所詮、前線の下っ端だ。それを纏めるものもそこまで能力はないようだし、更に、それより上の連中は無能なやつばかりだと言っていたな」
「有能なら逃げていると」
「援軍が来るのもしばらく時間がかかる。来たとしても、距離の問題でこちらの方が有利。他の島に逃れた者もいるらしいが、補給を考えればいつまでもつか分からないだろうと言っていたな」
「スペインは奪還に来ると思いますが……」
「来るだろうが、さて、スペインも周囲と争っているらしいから、どれだけの兵がくるかな」
秀吉と秀永が話している間に、孝高は報告書を読み終え、報告書を脇に置いた。
「まあ、来るとしても、早くて一年以上かかると思いますな」
「そうですね」
「もっと早くなるんじゃないか?天竺あたりの船で来るなら」
「確かにそうですが、スペインは天竺に領地がないらしいので、船がそこまであるかどうか」
「そうか、そうじゃったな」
「確かにスペインは天竺に領地はありませんが、隣国のポルトガルを支配下に治めているので、多少は船が増えるかもしれません」
「ふむ、そうなのか」
「ええ、少し話が違うのですが、わが国で言えば、守護を複数兼ねるに近いかもしれませんね」
「ああ、そうでしたね。あちらも王家が血縁関係があり、王を兼ねたりするんでしたね」
「それは、それは……支配する大義名分を各国の王室は持っていると言う事か」
「持っている場合もありますが、そこはなかなか複雑ですね」
「私も完全に把握しているわけではないので」
「では、その事は今は一旦置いておきましょう。話がそれますからな」
「そうじゃな。それで、一年はかかると思うか、如水」
秀吉の問いかけに、孝高は顎を撫でながら思案顔を浮かべた。
「殿下に間に聞いた話も含めると、やはり、周辺国の調整が必要ですから一年以上はかかるかと」
「そうか」
「ただし」
「ただし?」
「先の海戦と今回の呂宋の状況を踏まえて動き出すなら、一年半以上はかかるでしょうが、それよりも前に各国と調整を行っていれば、一年もかからずに来襲することになるかと思いますな」
「ふむ」
「確かに、そうですね。スペインがどの段階で動き出していたかによるかと。ああ、あと、耶蘇教の動きもあるかと」
「それもありますな。旧教と新教があるとか」
「ええ、カソリックが昔からの教えを守り、プロテスタントは昔の信仰を取り戻し、カソリックの腐敗を否定する。と、そんな感じでしょうか」
「ほうそうか。なら、プロテスタントは信仰心の篤い、真面目なもの達が多いと言う事か」
秀吉の言葉に、秀永は苦笑を浮かべた。
「詳しくは分からないですが、プロテスタントは原理主義で融通が利かないとも聞いています」
「なるほど、カソリックは腐敗していると批判されても、そこは融通が聞くと。だが、それが信仰を忘れ、堕落していると批判されるのですかん」
「かもしれませんね。各王国、為政者は、方便で使い分けているとは思いますよ」
秀永の言葉に、秀吉と孝高は顔を見合わせ苦笑した。
「信仰と政を分けている者がほとんどでしょう。かつての大陸の王朝でも、仏教に心酔して、多額の喜捨など、過度な信仰によって国を傾け滅びたこともあります。スペインのある地域も、過度に信仰が過ぎた王も居ますが、逆に現実に目を向けすぎたり、離縁関係で揉めたりして、カソリックの本山と対立した王も居ますし」
「ふむ、興味深いな。わが国では、なかなか聞かない話だな。まあ、坊主が武士と変わらない本願寺の連中もいるが」
「大友宗麟は耶蘇教を盲目的に信仰していたと言われていますが、国を傾けるほどの信仰ではなく、義統が愚かだったから寺社を破壊しすぎて失敗しましたな。小さき所は分かりませんがな」
「そんなカソリックとプロテスタントが対立している状況で、スペインが周囲をまとめあげられるのかが鍵になるかと思います」
「だが、スペインはそのカソリックの国々の中では強大で、声を掛ければ、カソリックの本山や国々は兵を出すのではないか」
「かもしれませんが、港もない国々もあるので、兵は出さず資金を出すだけに留めるかもしれませんね。ああ、そう言えば、東方教会というのもあるようです」
「なんじゃ、耶蘇教も色々分派があるじゃな」
「ええ、今、シベリアで敵対している西側のロシアと呼ばれている地域で信じられているひとつの地域です」
「その東方教会とカソリックは協力しているのか」
「いえ、対立しているようです。どちらが正統性あるかで、争っています」
「呆れるのぉ。どこもかしこも、坊主どもは争いが好きだな」
「まあ、耶蘇教は別に殺生を禁止していません」
「そうなのか」
「ええ、異教徒に対しては許されるようです」
「なんじゃそれは」
秀永は苦笑しながらため息をついた。
「仏教の仏陀も殺生を認めてないと言われていますが、本願寺、日蓮宗など、平然と殺生を行っておりました」
「ふむ、そうじゃな」
「耶蘇教もそうかもしれませんね。いつの間にか、神や仏の言葉を人が説法するとなると、そこに恣意的なものが入りますから」
「そうですね。さて、話がそれましたが、スペインについてです」
「ああ、そうですね」
「プロテスタントの国々も、利益があるのであれば、兵を出すのではないでしょうか」
「だすかのぉ、カソリックの国々が兵を出せば、その隙をついて領土を攻め取るのではないか」
「確かにそうですな。しかし、その動きはスペインも考えるはず」
「ならば、兵は出せずとも物資や船を出させると」
「ええ、国は兵を出さないが、民が勝手に出したと偽って、兵を送り出す可能性もあります」
「利が得れるならば、宗派は関係ないと言う事か」
「ええ、兵を出している間は、争う事も一時的に止まり、国内を纏めることができるでしょうし、勝った後は、奪った財と交易の利を得れると考えるでしょう」
「一時的な戦のない時ができると」
「ただ、回教徒の国が動く可能性はあるかもしれませんが」
「ああ、そう言えば、回教も耶蘇教と同じ系譜になると言っていたな」
「そうですね。そういう意味では、あちらも宗派の対立はひどいのかもしれませんね」
「叡山から出た僧が、この国でも対立し、殺し合いするぐらいだからな。本当に、人とは業が深いな」
「ええ、なのでスペインが周囲に協力を得るためには、利で纏め、回教の国の抑えも必要であると」
「……ならば、回教の国に、耶蘇教の国がこちらに兵を送る可能性があると流せば、動くかもしれないですね」
「如水さんの言われる通り、可能性はありますね」
「あと、ロシアにも話を流せば、東よりも西に目を向ける可能性がありますな」
「ふむ、あれじゃな。宗派の対立も利用すると」
「あとは、東の大陸の伊達ら諸将を動かすのも良いかもしれません」
「確かに、ただ、スペインが支配している所までは遠いのでは?」
「そこまで行かずとも、東部、南部への動きを見せれば、現地のもの達も動けない状況になるかもしれませんし、まあ、変化なくても勢力を広げる事は出来るかと思います」
「ふむ、じゃが、それを指揮するひとり、政宗はここにおるんじゃが」
そう言って、秀吉は笑った。
「叔父上にも兵と物資を持って、東に向かってもらいましょうか」
「おお、秀次を大将として向かわすのも良いな。政宗はどうするか」
「当然、東の大陸に行ってもらいます」
「そうかそうか」
「まだまだ、支配は確立していませんが、もう少し、前に進めたいかと思います」
「良い考えだ。奥州の諸将は西と東と別れておるが、ふむ、奥州関東で所領を没収した連中やあぶれている連中も送り出すか」
「流民を含めて、移住する者たちを増やしましょう」
「途中の布哇に一時期済まして身体を休ませて、移動させるべきでしょうな」
「そうじゃな、段階的に送るべきだ。なんにせよ、呂宋に来るよりももっと遠く、途中休むところも少ないからな」
「ええ、なかなか厳しい旅になると思いますが……」
「没落した武士ならば喜んでいくだろうよ、所領が手に入るならな」
「そうですね。ただできれば、船の数に比べて船員が足りないので、いくらかはそちらに入ってもらいたいと思いますが」
「船はそろっても、人はそろわないのは厳しいですなぁ」
「はい」
「では、回教の商人に、耶蘇教の国々の動きの情報を流すか」
「そうですね、ただ、回教の国々も耶蘇教の国々の情報を集めているでしょうから、こちらの情報がなくとも動きそうですが」
「そうはそうか」
秀吉は秀永の指摘に大笑いした。
「だが、回教の国々がこちらに来ないか」
「来ないと思いますね。まずは、隣国の耶蘇教の国々に目を向け、こちらは交易の利を得る為に動くかと」
「それを考えると、耶蘇教の国々は天竺ぐらいしか補給路がないのに、こちらまで来るとは無謀というか、傲慢というか」
「それだけ欲深く、異教徒を見下しているのでしょうね」
そう言いながら秀永は苦笑を浮かべた。
「だが、そんな危険をおして、はるか遠くからやってくるとは、その勇気は賞すべきだな」
「父上なら、喜んで行きそうですが」
「どうかな、わしは目に見えるものは喜ぶか、見えぬものは喜ばぬからなぁ」
「ははは、ご隠居ならば、亡き信長公に命じられれば、万難を排して行きそうですがな。まあ、後で愚痴を言いそうではありますが」
孝高の笑いと共に、秀吉、秀永も一緒に笑った。
「そう言えば、高山国に明の民が逃げてきていると聞いたが、どうなっておる」
「政が酷く、税が払えず、こちらに逃げてくるものが増えてはいる様です」
「倭寇に流れていかぬか」
「ええ、流れた者もいますが、先の戦いで亡くなったものも多いでしょうね」
「ふむ」
「高山国へ送る倭寇もいるようですね。そんな倭寇は先の戦には参加していなかったようですが」
「そうなか、こちらの支配に従うのか」
「やはりそこは教育と環境を整えるしかないかと。明に帰属せず、こちらに帰属すれば良いと思っています。当然、こちらの法に従わず、好き勝手するもの達は、無人島あたりに流せばよいかと」
「ほう、処刑せずにか」
「そうです。無人島でも開発して領地とするなら、それはそれで、後で受け取りに行けば良いか」
「ははは、あくどい事よな」
「無法な事をしなければ良いです。無法、無体をすれば、日本の民であっても同じ流刑にします」
「まあ、それはよい。お主はやさしいな」
秀吉の言葉に、秀永は心の中で苦笑した。
周囲を笑いで明るくし心を楽しませ惹きつける面、自らの意に沿わない者に対して感情を無くし冷酷に始末する面の二面性を持つ秀吉。
今はその暗い感情面は、出てくることはないが、酷薄な感情を持っている事を秀永は知っている。
秀永は顔を左右に振ってこたえた。
「確かに命は助かりますが、何もない無人島で生き残るのは厳しいと思います」
「食料は支援するのであろう」
「ええ、最低限はしますが」
「ならば、ましであろうよ」
秀吉にしてみれば、追放を受けたもの達は、身ひとつ、道具ひとつで食料もなく山野に放り出される事が当たり前だった。
親戚や知り合いに拾われなければ、野垂れ死ぬか、盗賊夜盗になるしかない。
流民になったとて、生き残れるものはわずかで、戦で摺りつぶされて使われるぐらいしかない。
それに比べれば、無人島とは言え、最低限の食料があり、農作業、釣りが出来れば生き残れるのは、良い方だろうと思った。
「そう言えば、先の叛乱起こした連中の中にも無人島に流した連中がいるようだな」
「はい、法に従わない信仰は日本にはいりません」
「それがよかろう。叡山や本願寺のような連中は、もう見たくないわ。僧は修業と信仰に生きればよい。民百姓を扇動する連中は僧ではない」
「私もそう思います」
「しかし……」
「どうしました如水さん」
「政宗殿は、素直に東に向かってくれるでしょうか」
「……さて、どうしましょうか。叔父上を向かわせるなら補佐が必要なんですよね……」
そう言って、秀永は思案顔になった。