第百三十話 酒屋
「殿下!慶次郎が戻ってきました!」
重成が秀永の下に駆けつけて来た。
「おや、早かったですね」
「いえいえ、勝手に出ていったんですよ!そこは処罰しないと!」
「政宗さんも?」
「?!」
秀永の言葉に、一瞬、重成は言葉を詰まらせた。
しかし、顔を振った。
「政宗殿と言えば、殿下と一緒に来られた以上、此処を離れるなら一言あってしかるべきですし、相談しなければいけません!」
「ふむ、代理と成実さんが残っていますよ」
「であっても、報告、相談は必要です。まして、成実さんも置いて行かれたようなものじゃないですか!」
「まあ、そうですね」
そう言いながら、秀永は笑った。
「笑い事ではありません!」
そう重成が怒鳴った時に、成実が秀永の下に来た。
「すまんね、うちの殿が迷惑をかけて」
成実がそう言って謝ると、重成は顔を激しく左右に振った。
「いえ!成実様の責任ではありません!」
「それ、一国の当主を批判しているけど、良いの?」
「かまいません!殿下を軽視している行動に対しては、厳しく詰問するべきです!」
「では、重成さんが詰問します?」
「え?」
「言動に責任を持ってもらいましょうか」
「わ、分かりました!」
そう言った重成は、ぶつぶつ言いながら下を向いた。
「それで、成実さん、どうされましたか」
「はい、殿が利益殿、ヤマタ殿と共に、捕虜をつれて戻ってきました」
「捕虜ですか?」
「そうです。呂宋の町で絡んで来たもの達のようで、情報を得る為に連れて来たそうです」
「ふむ……ここまで?」
「はい」
秀永の言葉に、成実は頷いた。
「結構な距離と思うんですけど、よく連れてきましたね」
「そうですね。それに……」
「それに?」
「何故か、利益殿と楽しげに話していて、捕虜と言うよりも協力者のように見えるんです」
「……なるほど」
「尋問が必要がないぐらいに、仲が良いようで……」
成実の歯に物が詰まったような言い方に、秀永が首を傾げた。
「何故か、殿とヤマタ殿と利益殿と共に、一緒に酒屋に行って酒を飲んでいるんですよ、今……」
「な!なんですと!?」
成実の言葉に、重成が絶叫を上げた。
それに秀永はびっくりした表情を浮かべ、苦笑した。
「まずは、殿下に報告に来るべきでしょう。酒を飲みに行くとは!」
そう言って、重成は外に飛び出していった。
「あ」
成実が重成に詫びを言おうとしたが、言う前に出て行かれて、苦笑を浮かべ頭をかいた。
「まあ、話は後で聞きましょうか」
「申し訳ありません」
成実はそう言いながら、秀永に頭を下げたが、両手の拳は震えていた。
「ほどほどに」
「はい、ほどほどにします」
秀永の言葉に、さわやかな吹っ切れた笑顔で成実は答えた。
「藤五郎よ、来るなり殴るのはどうかと思うぞ」
「なんだ、一発じゃ足りないか?」
「頭が砕け散りそうだぞ」
「大丈夫だ、藤次郎は石頭だから」
「記憶がいくつか消えたぞ、藤五郎がおねしょをして叔父上に怒られた事とか」
「ふむ、頭がおかしくなったか、直すためにもう一発殴っておこうか?」
「それは勘弁してくれ」
そう言いながら、政宗は成実のお猪口に酒を注いだ。
大きなため息をついて、成実は酒を飲んだ。
「ほう、おぬしら面白いな。主従関係にしては、くだけた間柄だな」
「まあな、藤五郎は俺の親族で、子どものころからの付き合いだからな。小十郎と共に気心が知れている」
「そうか、羨ましい限りだな。俺にはそんな奴はいないから」
「ヤマタは……敵を作りそうだからな」
「いっとけ」
そう言いながらヤマタは笑いながら酒を注いで飲んだ。
「そう言えば、重長はどうした?」
「連れて来た兵士たちに酒を飲まされて、そこで寝ている」
「おや、酒は強い方だと思うが」
「まあな、だが、此処に戻って気が抜けたんだろう。兵士たちの徴発にのって、酒を飲まされな」
「はぁ、少し真面目過ぎるな。小十郎は真面目だが、冗談も通じるんだがなぁ」
「そこは、苦労の経験のなさだろうな」
「かもしれないな」
「その苦労って、政宗殿の事ではないのか?」
「まあ、そうだな」
「何を言っているんだ、二人とも。俺は苦労は掛けてないぞ。やりがいのある仕事を与えているだけだ」
政宗の言葉に、ヤマタと成実は顔を見合わせ、肩を上げてやれやれと言った表情を浮かべた。
しかし、政宗は全く気にする様子はなかった。
「藤次郎」
「なんだ」
「なぜ、帰ってきてすぐ、殿下の所に行かなかった」
「いや、流石に行き来で汚れすぎている状況で会うのはどうかと思うぞ」
「殿下は気にするまい」
「気にはしないだろうけど、俺が気にするのと。少し休みたいと言う気持ちもあるんだよ」
「ふむ」
そう言って、政宗の顔を見て、顔をスペインの兵士の方に向けた。
兵士たちはつまみを食べながら酒を飲んで雑談をしていた。
「あれは、どうするんだ」
「あいつらは、一応、嘉隆殿に渡すか」
「今、この町は島津の豊久殿が警備を担っている」
「ほう、島津の……」
叛乱を起こした島津の兵を警備に使っている事に、政宗は興味深そうに成実を見た。
「問題はないぞ」
「それは」
「義弘殿が亡くなる際に、嘆願書を出していたようだ」
「ほう、嘆願書」
「遺書でもあるがな。島津は三州に拘り過ぎている。当然、義弘殿だ」
「そうだな。己が土地に拘るのは当たり前だ。俺も米沢にこだわりがある」
政宗の言葉に、成実は頷いた。
「武士の本分は、己が土地を守ることだからな。だが、それが危険だと義弘殿は考えていたようだ」
「危険だと」
「そうだ。藤次郎のように土地に拘りながらも、外に目を向け本領以外の土地が減ったとしても、外に土地を得られればそれでも良いと思えるなら問題ないだろう。また、家臣たちも外に出る事に協力し、豊臣家の統制を受けるのを是とするなら」
「ふむ、俺は統制されたくはないがある程度は受け入れる。まあ、殿下も離れた土地を完全に統制できるとは思っていないようだから、反抗、叛乱さえしなければ問題ないとは思っているが……それに好きにさせてもらっているしな」
「お前は好き勝手し過ぎる」
そう言って、政宗と成実は笑いあった。
「義弘殿の懸念は、自らの固執もそうだが、島津家が三州へこだわり続け、外で土地を得るよりも日向を得る事を望むこと。そして、琉球の権益を得る事を望むのではないかと」
「それは良いのではないか」
「日向の地を得れば、島津は力を持ちすぎる。また、琉球の権益は豊臣家と衝突する可能性がある」
「琉球は、南への中継点だから豊臣家としては手放すことは無いだろう」
「日向の地を得たなら、琉球も得れるのではないかと、島津家、家臣が勘違いするかもしれないと。それに、薩摩、大隅、日向は琉球までの拠点としても重要な港がある」
「ふむ」
「伊達の家臣にも、豊臣家にも藤次郎にも不満を持っている連中はいる」
「いるな」
「ほういるのか?」
「それはそうだろう、十全に満足するものなどいるわけがない。家中は不平不満は大小必ずある」
「まあ、それはそうか」
「ああ、それで、義弘殿はその不平分子が三州を得て勢いづくのではないかと恐れた」
「あの義弘殿が」
「そうだ。なるほど島津家は強い。しかし、豊臣家には勝てない。九州征伐で反抗した過去がある。今度、そのような事が起きれば、確実に島津家は潰されると」
「確かに、殿下が許されても、三成殿をはじめ家臣は納得しないだろうな」
「死に花を咲かせる。そして、後世に名を残すのは武士の誉れとしても、家が滅びれば意味がない。まして、豊臣家が盤石であればなおさら再興できる目もない」
「そこまで考えたのか」
「それに、島津の不平分子の中には、海外に行くことを拒否して、家督を譲って帰農したものもいるらしい」
「それはそれは」
「不平分子を外で活用、使いつぶす事が出来なくなった。一度、梅北一揆で痛い目を見ているから、難癖をつけられるかもしれないと考えたようだ」
「殿下がそのようなことするか」
「殿下はしないだろう。しかし、三成殿ら家臣団はどうだ?殿下の子どもは?」
「なるほど、それまでに従順になれば良いが……」
「外で争っていれば、従順になるかは分からない。まして、南蛮と繋がったら?」
「……危険だな」
「そうだ、そして、族滅の可能性も出てくる。日本を南蛮に売ったとして、残ったもの達もどういう扱いになるか」
「義弘殿の考え過ぎのように思えるが、人の欲望は果てしないからな」
「うむ、欲望の権化が言うと、説得力がある」
「五月蠅い!」
「はははは」
成実とヤマタは笑いあった。
政宗は口をへの字に曲げて不機嫌になった。
「それで、義弘殿は不平分子をたきつけて、自らが勝手に島津家を離反して、挙兵した」
「家中は義久殿、久保殿が治めやすくなるな」
「うん、だが島津家に罰が必要だとして、日向にある領地および大隅を取り上げ、外にその代替えの領地を与えて欲しいと」
「それは……義久殿が不満に思わないか」
「既に話は二人でしていたようだ」
成実の言葉に、政宗は驚いた表情を浮かべた。
日向は仕方ないが、大隅は流石に手放すのは家臣が許さないのではないかと、何の為に不平分子を排除した意味がないのではないかと。
「義久殿も不満があったようだが、外に移住させれば飛躍できる可能性があると考えて納得したようだ」
「うーん」
「それに、元々も大隅は肝付氏や島津家以外が治めていて、それを攻め取ったから納得は出来なくても、手放す決断は出来たようだ」
「元々、いたもの達が復帰するのか」
「いや、仙石秀範殿らが入るらしいぞ」
「ほう、殿下に近いものが入るのか」
「そうだな。島津は義弘殿の次子忠恒が高山国、豊久殿が呂宋に領地を与えられるらしい」
「そうなると、前よりも石高はあがるのかな」
「米が作れるかは分からないから何とも言えないが、それなりの広さが与えられるようだぞ」
「ふむ、そう言えば、島津はあと一人兄弟がいたな」
「梅北一揆で亡くなった歳久殿だな」
「歳久殿に子はいないのか、義久殿は娘しかいなくて、義弘殿の子を婿として迎え、次子が義弘殿の家名を継いで、豊久殿も家久殿の家名を継ぐとして、その歳久殿の子がいないな」
「娘婿はいるらしいが、久保殿の補佐につくらしいぞ」
「そうなのか」
「まあ、他にも領地を与えられたらそちらに移るかもしれないが、今のところは」
「なるほど……で、豊久殿がこの町の警備をしているのか」
「そうだな」
「港を与えられたら、島津は稼げそうだな」
「そうだな、義久殿をはじめ、交易の利を理解しているからな島津家は」
「お、島津の話しか」
「そうだ、慶次郎……ふむ、重成殿はどうした」
利益が政宗らの会話に入って来た。
重成が怒鳴りながら飛び込んできた時に、利益が相手をして、政宗らから離した。
「ほれ」
そう言って、笑いながら部屋の隅を指した。
そこには、重綱と共に、うなりながら寝ている重成が居た。
「飲ませて潰したのか」
「そうだな。真面目に行き過ぎると気が持たんからな。うん、良い事をした」
そう言いながら利益は、笑顔で酒を飲もうとすると、後ろから酒を注がれた。
それを見ながら後ろを見ると、秀吉が居た。
特に害を感じなかったから気にしなかったが、まさか、秀吉がいるとは思わず、利益は驚き、その利益の目線を追って、政宗らも驚いた表情を浮かべた。
「なんじゃ、楽しそうだな」
「ご隠居、大丈夫ですか」
「ほれ、わしはご隠居だぞ、問題ない」
そういう秀吉の言葉に、政宗らは周囲を見たが誰も他にはいなかった。
「しかし、気配があまりないですな」
「まだまだ、衰えておらんようだ。わしもやるものだ」
そう言いながら、大声で秀吉は笑いながら持ってきた椅子に座った。
「で、慶次郎なら呂宋の街を落してくると思ったが……日和ったか?」
秀吉のおどけた調子の挑発に、利益はにやりと笑いながら、秀吉に酒を注いだ。
「貝のように閉じ困られたら、流石に無理ですな。流石に、城を一人では落とせないですな」
酒を飲みながら楽しそうに、利益は言った。
「そうか、そこまで堅牢か」
「そうですね。日本とは違う城の作りで、石で作られた堅牢な砦ですな」
「政宗の眼から見ても、厳しいか」
「いやいや、流石に、四人で落とすのは無理ですよ」
「お前たちならやりそうだと思ったがな!」
秀吉の言葉に、政宗、利益は笑って否定した。
「ヤマタよ、どう思う」
「うーん、ご隠居の期待に応えたいが流石に、抜け道を使っても、多勢無勢だと思うな」
「そこまでの兵がいるかな」
「数百人だと思うが……逃げ場所がないから死に物狂いになる」
「心はおれないか」
「折れるかもしれないが、その前に恐怖で狂乱する可能性がある」
「死兵はやりずらいな」
「だから戻ってきたんですよ」
「そうか、なら、心を折るしかないのか」
「そうなると、俺がいる意味がないから戻って、酒を飲んだ方が楽しいかと思ってね」
「慶次郎らしい」
秀吉は笑った。
「それで、秀永は砲をこっちに移動させているのか」
「砲弾も火薬も大量に要りますな」
「そうだ。そんな大変な嘉隆や武吉らを横目に酒を飲む……おいしいな!」
秀吉はそう言って大笑いして、政宗らも笑った。
「捕虜は何か言っていたのか」
「兵士でも、足軽頭ぐらいの立場で、侍大将のような立場が一人残っているぐらいらしい」
「将はいないと」
「逃げたらしい、総督と共に」
「なるほど」
「本国からも遠く、軍船は壊滅した。援軍が来るまでに時間がかかる。それまでに日本からの攻めて来られたら勝てる気がしない。まして、兵糧攻めされたら……なら、財宝を持って逃げた方がって事で、総督や上層部は逃げたらしい」
その利益の話になんとも言えない表情を秀吉は浮かべた。
「で、残っているのは下っ端が多く、そして、耶蘇教の聖職者が多く残り、聖戦だの、野蛮な者たちを討つだのを叫んでいるらしい」
「ほう、なんだ、一向宗の坊主どもと重なるな」
「ええ、まともな聖職者は街や村に行き、布教や治療を行っているらしいですけどね。残っているのは狂信者と生臭坊主だけのようです」
「あと腐れなく、攻撃できるな」
「ええ……まあ、兵士の中にもまともなのもいるんでしょうが、判別できないですしね」
「ヤマタはどう思う?」
「ん?知らん」
「ほう」
「逃げたい奴は逃げるだろう。そんな判断も出来ないやつは、どうなろうと知らんよ。ただ、降伏すれば助けてやって欲しいがな」
「同郷の情けか」
「それもあるが、使える奴も残ってそうなので、部下としてほしい。人手が欲しいからな。俺に従うやつが中々いないから」
そう言って、ヤマタは笑った。
降伏して、臣従したとはいえ、敵対してきたスペイン人であり、いつ裏切るか分からない、得たいがしれないとして、日本人で従うものが少なかった。
降伏したスペイン人は従っているが、それでも分散されていて、指揮できる人数が少なかった。
「そうか、まあ、秀永も無駄な血は流す気はないだろう。歯向かったり、性根が歪んでいない者ならもんだいあるまいて」
「まあな」
「で、重成の腹の上に置かれている紙の束はなんだ」
「捕虜の連中の話した内容をまとめたものだよ」
「利益が?」
「ああ、それを重綱が訂正して、報告書にしてくれたものだ」
それを期て、重成と一緒に寝かされてうなっている重綱を秀吉は見た。
「ご隠居」
「なんだ」
「あげませんよ」
「政宗はけちだな」
政宗はため息をついた。
秀吉は譜代が少なく、他家の家臣の引き抜きを良くしていた。
景綱、成実、綱元なども目を付けられた。
「あいつは、次代を支える家臣なので引き抜きは止めてください」
「……残念だ」




