第百ニ十六話 船上
「ぐっ……」
草むらで人が倒れ、その後ろから、二人の人影が現れた。
「ふむ、手練れではないな」
「そうだな」
「殿下が来られるという情報がどこから流れたのか、早すぎる」
「倭寇か、商人か」
「……船の積み荷を見たところで、戻るかこちらに来るか分からないのでは」
「積み荷の扱いは我々だけではない。色々なつながりのある連中が関わっている。酒場や、荷のやり取りで話している事を盗み聞きしているもの達もいるだろう。商人も倭寇と商売をしている連中もいるだろうから、そこらあたりで漏れたんだろう」
「確かに、それはあり得るか」
そう言いながら二人は、倒れた男を見下ろしていた。
日本が抑えた港で働いていた現地の者だったが、ここ数日、何気ない感じで施設を探っていた。
いつも周囲を散策していたので、周囲はあまり気にしていなかった。
また他のものもスペインとは違い、見つかったとしても余程怪しくなければ注意だけの日本の対応に安堵して散策する人や、先祖が大切にしていた地域に行って清掃とかしていたので、男は怪しまれなかった。
だが、秀永が来港すると情報が現地にもたらされてしばらくたって、男の散策範囲が施設や周囲が見張らせる場所など特定の場所に偏りだした。
仕事仲間は首をかしげても、秀永の事は知らないので気にもしなかった。
「さて、こいつは何か情報を持っているかな」
「どうかな」
そう言いながら、ひとりは倒れた男を担ぎ、ひとりは争った形跡を隠して去っていった。
船上で深いため息をつきながら重成は、舳先の近くに立って海を見ている秀永を眺めた。
表情は穏やかで、楽しそうだと思って重成は安心するが、呂宋に着いた後のことを考えて、またため息をついた。
「重成、良いかげんにせんか」
「御隠居様……」
「辛気臭いのぉ、笑顔とまでは言わんがそんな顔するな」
秀吉に声を掛けられ、振り返ると寧々も苦笑をしながら肩をすくめた。
「本当ならご隠居様は武吉様の船にお乗りになる方が良かったのですが……」
「なんだ、お前は親子の語らい、過ごすことを妨害するのか?ん?」
重成としては、地上と違い海上は何が起きるか分からない。
だから、秀吉と秀永が別々の船に乗船すべきといったが、秀吉は笑って「秀永と何処にでも一緒に行こうじゃないか。何かあったらわしが命をかけても守る!」と言い、嘉隆や武吉は「そんな下手はうたん!」と言って、重成の意見は却下された。
安治は同情するような表情を浮かべて、やさしい眼を向けていたが。
また、安治は高山国の警備と海軍の統括を、正綱は澳門、明方面の警戒の為に動向はしていない。
安治は気にしていなかったが、正綱は残念そうな表情をしていた。
「まったく、お前は若い頃の佐吉とかわらんな」
「……それは誉め言葉ですが、今後も胃痛と頭痛に悩まされる予言に聞こえます……」
「なんじゃ、わしが佐吉に無理強いしていたとでも?」
重成の言葉に、いやらしい笑みを浮かべて、重成に顔を近づけた。
それに一歩後ろに引いて、重成は弁明する。
「そ、そういう訳ではありません!」
「本当かのうぉ」
そう言いながら、秀吉は顎を撫でながら重成を見た。
脂汗を流しながら重成は、困った表情を浮かべた。
「旦那様」
見かねた寧々が声をかけた。
「なんじゃ」
「船上が飽きたからといって、あまり重成殿を虐めるのは止めなさい」
「ふむ」
そう言いながら、秀吉は頭を自らぺしぺし叩いて、参ったという表情を浮かべた。
「まあ、生真面目な連中はおちょくると反応が面白いからのぉ」
ため息をしながら寧々は重成に謝った。
「ごめんなさいね」
「い、いえ」
「まあ、でも、今後も同じことが起きると思うから諦めてね」
「え?」
「あの子も旦那様と変わらない感じがするから、今後も苦労すると思うわ」
「はい?」
「駒姫と協力して、あの子を制御するすべを覚えるのがこつよ」
「なんですか、それ!?」
「側近として仕えるなら、覚悟は必要ですよ。佐吉も大変だったと思いますけど。最近はかなり丸くなりましたね」
寧々の言葉に、絶望の表情を重成は浮かべた。
今後も、おちょくられる事が度々あるのかと。
「まあ、そうじゃな。秀永がおらなんだらわしも心安らかな感じにならず……」
「そうですね、旦那様の嫌な所を見なくて良かったです」
秀吉と寧々は顔を見合わせて笑いあった。
自らの中にある酷薄な面があることは、秀吉は理解していた。
そうでなければ、他者を屈服させ天下を取ることなど不可能だと考えていた。
身近で見ていた寧々は、秀吉の卑屈で屈辱によって、表面は笑っていても心が傷ついていくことを見ていた。
それが蓄積して、天下を統一する過程の中で、見え隠れしていた。
出世する段階の初期に仕えていたもの達も、使えないと分かれば簡単に排除していき、かつての陽気で懐の深い姿からとはかけ離れていった。
失敗でも笑って済ませていたが、天下が近づいてくると、身近なものは秀吉の好みで処断するようになり、周囲から恐れられかけていた。
ただ、秀永が産まれ、秀吉が秀永の為に頑なに周囲を排除しようとし始めるたが、秀長も存命でなんとか抑える事が出来ていた。
その秀長が病に倒れ、暴走するかと思ったところで、秀永が秀吉を抑える事が出来たのは、寧々としては僥倖だった。
秀永との会話で、秀吉はこのままでは暴走してしまうと、豊臣家が滅びるのではないかと思い出し、死を偽装して表舞台から去った。
それによって、秀吉は重荷が降りたように晴れやかになり、違う意味で暴走し始めた。
まあ、女関係は、完全に辞めたわけじゃないが以前よりはおさまった。
「あなたのような者が、あの子の近くにいるのはうれしいです。支えてあってください」
「は、はい」
寧々の言葉に、重成は頭を下げた。
その姿を見ながら、秀吉は秀永の下に歩いて行った。
政宗は、武吉の船に乗っていた。
しかし、本当は秀永と同じ船に乗って、語り合いたかったので残念だった。
ただ、オアフ島や東の大陸まで行って、南方に行ったことは無く、楽しみではあった。
船上では緊急以外は、やることは無いので、成実や重長は甲板上で海を見ながら楽しんでいた。
「武吉殿」
「なんだ」
「南方はどんなところだ?」
「うーん、北方や東方はあまり記憶がないから比較しにくいが、暑いな」
「ふむ、北方はそこまでの暑さはないが、東方は暑いぞ」
「ほう」
「肌の色も違うし、なかなか魅力があるぞ」
「わははっは、まだまだ盛んだな、子どもが増えているんじゃないか」
「そうだな、何人か現地で産まれていると思うぞ」
「国には連れて行っていないのか」
「何人かは国に居るが、ほとんどは現地にいると、言っても、そこまでいないぞ」
そう言いながら政宗は苦笑した。
流石に、手あたり次第というわけではなく、現地の有力者の娘で、希望する者だけで娘の意に沿わない場合は断っている。
恋人や夫がいて無理やりにあてがおうとしたもの達は叱りつけていた。
未亡人なら良いが流石にそれでは、現地のもの達でも不満を持つ可能性がある。
こちらは少数であり、あちらは多数で、武器弾薬があっても数の暴力で負ける。
まして、彼らは弱者ではなく、強者であり、試合をしたときでも負ける場合がある。
現地で子どもを作り、娘が産まれれば部族、有力者の後継者と婚姻さして、血縁に組み込んで行くことを考えていた。
その地に根を張るのは、時間はかかるが常とう手段と思っていた。
「しかし、東方もスペインやポルトガルといった南蛮の連中が入ってきているんじゃないか」
「殿下からは聞いているが、まだ、会ってはいないな。ただ、他の部族と接触したとか話は聞いている。もう少し、南下していけばいるんだろうが、まだまだ、拠点を作っている最中で、食料などの備蓄もまだ先だ。数年はかかるだろうが、先発隊は派遣しているから情報は持ち帰っているかもしれないな」
「そうか、殿下の話ではそっちの南方で銀や金がとれ、現地のもの達を虐殺し、酷使していると聞いているな。信長様の下にいた弥助のようなもの達も狩られて、送り込まれているとか」
「忍びのもの達や商人たちからの情報待ちだな。ただ、これも殿下の話だが、現地は病気に対する対抗力がないから、南蛮のもの達が持ち込んだ病気で打撃を受ける恐れがあるとか。我々も十分に気を付ける様にと言われていたな」
「それは、南方でも同じだな。甲斐の奇病ではないが、色々現地にだけ存在している病気があるから気を付けるようにと言われている。特に、蚊には気を付ける様にとも。だから暑いのに厚手の服を着たり、蚊を避けるための香ををたいたり大変だぞ」
「蚊か……東方も気を付けているが、北方はその厚手の服さえ突き抜けて指してくる凶悪なのがいるらしいぞ」
「ほうとうか!?嫌な話だな」
船に乗っているとやることがないので、政宗は武吉と情報交換をしながら時を過ごした。
「ああ、殿下からあまり遊びすぎるなと言われろ」
「そうだな、病気が怖いと、特に南蛮からのやつは、今のところ特効薬がないとも言っていたな」
「薬も開発はしているが、なかなかむずしいらしいな」
「ただ、殿下のおかげで産後で母子ともに死ぬのが減っているらしいから、いい傾向だがな」
そんな二人の話を聞きながら、重長は真面目な話も出来るならずっとお願いしますと、心で呟いていた。




