第百十七話 副官
※スペイン海軍の副官は架空の人で、名前も架空です。
安治は、呂宋へ行ける船の選定、修理できるものは修理できる港に分散させて移動する事を指示し、廃棄するものは、仕える建材の分別を行うために秀永の元を離れて、港に向かった。
正綱は、子の忠勝に今後の明、朝鮮についての引継ぎを行うために席を外した。
忠勝を預ける事を頼まれた安治は、疲れた表情を浮かべていたが、正綱は無視してこき使って欲しいと告げた。
武吉は子の元吉に、嘉隆は子の守隆に、船の事を任せて秀永の下に来ていた為、そのまま二人連れだって、スペインの総司令官の下に向かった。
傷の経過と体調を確認して、秀永との会談が何時できるかを決める為だが、嘉隆は何故か、途中で酒を手に入れていた。
武吉はそれを止める事なく、つまみを手に入れていた。
秀永は、降伏したスペインの副官に会うために、牢屋に向かおうとしたが重成が必死に止めて、正則が連れてくることになった。
残念な表情をしている秀永を見て、重成は勘弁してほしいと思った。
秀永を牢屋に向かわせたと知られると、三成ではなく、最近物静かになった淀殿が言葉を発せず厳しいまなざしを一刻ほど向けられる可能性があり、重成は冷や汗をかいた。
牢屋に入ることは、三成は文句は言わない、小言は言うかもしれないが、護衛がしっかりしていれば、将である以上、捕縛した敵と話すことは必ずある。
それは避けれない以上、牢屋に入っている状況であれば、身体も調査もしっかりしていると三成も理解しているので、反対はしない。
ただ、性格的に小言を言うだけで、聞かされる重成は精神的に辛い時間だった。
正則に連れられて、スペインの副官は秀永の前に顔を下げて座った。
見た印象は、且元に似ている雰囲気を秀永は感じた。
『顔を上げてください』
スペインの言葉で声を掛けられて、副官は内心驚きを感じたが、表情には出さず顔を上げた。
嘉隆の部下の豊田五郎右衛門が通訳として来ていた。
日本側は、秀永が外国の言葉を扱えることを知っているので驚いてはいないが、彼らが言葉を理解できない為、秀永以外への通訳の為に、五郎右衛門が来ていた。
『あなたの名前は』
秀永の言葉に、副官は五郎右衛門の方に顔を向けた。
五郎右衛門はそれを受けて、頷いた為、副官は返答した。
『イサーク・ガルベンスです』
『では、イサーク』
『はい』
『あなたは、どうしたいですか』
『どうしたいとは、どういう事でしょう』
『立場を考えれば、あなたは身代金が支払われれば解放されるでしょう』
『それは……』
『気にせず、思った事を話してください』
再度、直答をするのは問題ないかと五郎右衛門にイサークは顔を向けた。
五郎右衛門は再び頷いた。
『それでは、答えさせていただきます』
秀永は頷いた。
『身代金による捕虜の解放は、我々の国の取り決めであって、この国では行われないと聞いていますが』
『そんなことはない、返還に領土を要求したり、賠償を求める事はある』
『……聞いていた話では、捕虜はすべて首を斬られると聞いていました』
『確かに、首を落す事は多くありますが、場合によりけりです』
『そうなんですね』
『それで、どうしますか。こちらから身代金を要求しても良いですが、その場合は、解放されるには時間がかかると思います』
イサークは、秀永の言葉を聞いて、顔を左右に振った。
『私は、降伏しました。配下の者たちを助けるとは言え、降伏は罪に問われるでしょう。責任を取って処刑される可能性もあります。それは別に構わないのです。しかし、私の家は没落しており、また、家族仲が決していいとは言えませんので身代金を払う事はないでしょう。それに、国が私たちの身代金を支払うとは思えません』
『教会を頼ればどうでしょう』
『教会も助けてくれないでしょう』
イサークはため息をついた。
『教会は頼れません。彼らが善意で助ける事はないでしょうし、後で何を求められるか分かりません』
『イエズス会でもですか』
『はい、善意と信仰心の篤い修道士は多いですが、それでもやはり一部には私利私欲に走るものがいます』
『他の修道会に比べれば、ましという程度ですか』
『はい』
『……ならば、どうしますか』
『今は、答えは出せません……が、部下たちへの配慮はお願いします』
『そうですか、では、しばらく考えて答えを聞かせてください』
秀永がそういうと、イサークは頷き、正則が送る為に立ち上がり、一緒に退出した。
「秀永様、恩情が過ぎるのではないでしょうか」
「その考えも分かるが、五郎右衛門さんはどう思います」
「……重成様の言われる事も分かります」
「そうであろう」
「はい、しかし、今の日本では、スペインを含め、秀永様が言われる欧羅巴と言われる地域の正確な情報がありません。明から入ってくる情報は、間に明が入っているので確実な情報とはならないでしょう。また、南蛮の商人たちの情報も、重要な情報が欠けている恐れがあります。欧羅巴各国の関係や耶蘇教の状況も含めて、情報が欲しいですし、数多い方が精査しやすいと思います」
「いや、しかし、恩情をかければ、舐められるのではないか」
「確かにそれはあるだろうね。でも、日本は交渉が出来る国であると言う事を、欧羅巴諸国に示せる事でもあると思っています」
「秀永様……」
「彼らは、自らは文明国であり、それ以外の国や人たちは文明国ではないと考えているような人たちです。だからこそ、捕虜を虐待せず、賠償金による返還に応じる態度を見せる事こそ、日本が文明国であり、蛮族ではないと示せると思っています」
「やつらは、その態度を示せば、蔑んで見下すのではないでしょうか」
「まあ、それは否めませんね。しかし、交渉した記録は残ります。記録で残ることが重要なのです」
「……」
「納得は出来ないでしょうが、彼らも人です。教育も信仰も違いますが、ちゃんと対応すれば、答える人たちもいます。答えない人には相応の対応をすれば良いだけです。盗賊も山賊も降れば、兵として使うのと同じです」
三成様は何て言うかと、重成はおもった。
「分かりました」
重成の表情を見て、秀永は苦笑を浮かべた。
「記録は、先の世に残るものです。今だけではなく、先の世の事も考える必要があると思っています。スペインの船員たちも降るなら、こちらの船に乗せても良いと思っています」
「それは、情報が漏れたり、寝返る可能性もあるのではないでしょうか。まして、船の技術を漏らす可能性も」
「それについては、別にスペイン人だからではなく、日本の民でも裏切ったり、漏らす人も居るでしょう」
「……」
「降れば、安治さん達に預ける事になるので任せましょう」
それは丸投げだと重成は思った。
「負担が多くなりませんか」
「海の事は、海の人たちに任せる方が良いと思うので、問題ないです」
「……分かりました」
重成はしぶしぶ納得する事になった。
「ただ、防疫を考えて、降ったとしても、最初は彼らの健康状態の確認と、移動制限を掛ける事になると思います」
「前に言われていた、外から入ってくる病の対策ですか」
「そうです。医術も研究して、広げていますが、まだまだ未熟ですので、経過観察を行う事も重要です。あと、性病なども確認が必要でしょう」
「確かに、武士の中にも遊女などを相手にするものも居ますね」
「そうです、なので、今後も医療の発展は重要です。欧羅巴や回教徒の医療技術の情報も欲しいですね。この国には情報が不足しているのです。どの国の人でも、使えるものは使いますし、裏切れば相応の対応をするだけです」
その言葉に、重成は頷いた。
安治は肩を歩きながら港に向けて歩いていた。
秀永が呂宋に向かわないと確約が取れたのは良いが、面倒事ばかり押し付けられたのが辛かった。
嘉隆や武吉は押し付けると思っていたが、正綱までと衝撃が大きかった。
せめて、彼らの息子だけでもと思うが、守隆や元吉がいないと、嘉隆や武吉は補佐できないだろうと思った。
正綱は忠勝を置いてくれるので、朝鮮や明の事を安信と共に対応してもらえると考え、負担は減ると思った。
安元は、高山国で補佐をしてもらおうと考えていた。
それでも、四人が分担する仕事を一人で行う事を考えたら、ため息しか出なかった。
港に着くと、豊久が船を見て佇んでいた。
「豊久殿、どうかなされたか」
「……安治どのか」
そう言って、豊久は振り返って答えた。
「何かありましたか」
「……船を見ていました」
島津義弘による挙兵があり、島津氏の立場は世間からは良い印象を得ていない。
尊敬している父のような義弘の挙兵と戦死を知らされ、豊久は気持ちの整理が出来ていなかった。
義弘の死もそうだが、何れ島津は滅ぼされるのではないかと不安に感じていた。
港に来て、船を見る度に、船に乗って違う場所に行きたいと思う事が多くなった。
外の国のもの達との戦いで武功を上げて、島津の立場を回復させたいと思っていた。
その功で、外で所領を得れればとも思っていた。
「そうですか」
安治は、豊久の表情を見ながら、豊久の悩みを推測した。
その推測は、豊久の思っている事と大差はなかった。
「しばらく、体制を立て直したら呂宋を攻める事になる。船戦と違い、陸地での戦いが待っている。船が壊滅している状況だから、上陸はやりやすいと思うが、運べる兵に限りがある。豊久殿にも御足労をかけるかもしれないので、その時はよろしくお願いする」
安治は、秀永から島津をどう扱うか聞いているが、命が下ったわけでもなく、豊久と話をするという秀永の言葉もあった。
その為、呂宋への出兵までは話せるが、豊久ら島津の取り扱いについては話さなかった。
「そうですか……呂宋へ攻める際は、是非ともお供したいですね」
「ええ、その時は、島津の武勇を大いに発揮してもらいたい」
安治の言葉に、豊久は頷いた。




