第百八話 武吉
澳門へ逃れながら、ポルトガルの司令官は、後ろを見ていた。
メインマストの上で監視している船員からは、速度がこちらよりも早く、ギリギリ逃げ込めるかどうかと報告を受けていた。
侮ってはいたが、油断をしたつもりはなかった。
しかし、相手の船の性能を甘く見積もっていたと、司令官は悔しそうな表情を一瞬だけ浮かべた。
東から来る船は、勝手に迎撃に向かった提督によって、少しだけ速度が遅くなったのか、距離は離れていった。
でも、南東から来る船の速度が予測よりも、こちらの船よりも早く、距離が縮まっていた。
澳門の近くで、やり過ごしていた為に、逃げ込むまでの距離は短いので、問題ないと思っていた。
「おい」
「なんでしょう」
司令官は、副官に声をかけた。
「こちらが逃げ込んだら、陸地の砲台から攻撃するように伝えているな」
「はい、昨日に一度、今日の出航前に一度、連絡を伝えています」
「そうか」
司令官は、胸をなでおろした。
陸軍かっている司令官とは、仲がいい訳ではない。
どちらかと言えば、陸軍と海軍は仲は良くない。
喧嘩をすることも多く、いがみ合う事もあった。
しかし、澳門の総督が間に入り、調整を取っている事もあって、致命的な決裂は起こってはない。
だが、船が港に逃げ込めば、陸兵たちは罵声を、陸軍の司令官は嫌味を言うのは予想できた。
それでも、負ける事に比べれ、何ともないと思っている。
それに、もめ事が多いのは、命令違反した提督とその子飼いだったから、陸軍にはそこまで嫌悪感はなかった。
ここに至って、足をひっぱれば、澳門も被害がでる。そんな愚行はしないと信じたかった。
「よし、港に入り込めた。このまま、港に停泊するのではなく、敵が来たら砲台と共に、攻撃を行う。港内を遊弋しながら、砲撃準備を!」
「はっ」
「はん、アホウドリ共のが逃げ帰ってきたか、将帥旗があるから司令官がしっぽを巻いてきたか。空っぽ提督は、戻ってきていないか」
「そのようです」
港の中央にある建物の中から、港に逃げ込んで来た船団を見ながら、陸軍の司令官は呟いき、副官は同意した。
「豪語していたのに、口ほどにもないですね」
「ふん、空っぽならそうだろう、しかし、あの司令官は傲慢不遜であるが、無能ではない。そんな奴が逃げ込んで来たという事は、相手の船数が予想以上に多かったという事だろう」
「あの蛮族の作った船なら、こちらの数が少なくても、勝てるのでは」
副官の言葉に、冷たい視線を送った。
副官は有能ではあるが、日本を見下しているだけではなく、ポルトガルを含めた、ヨーロッパを過大に評価していた。
情報分析能力はある、補佐としては有能なのだが、まだ若く経験不足という事かと、司令官は思った。
「油断するな、たとえ、蛮族であろうと、戦いは数だ。商人たちの情報を見たが、油断できるものではない。まして、明や朝鮮とは違う。その二国を元に、日本を分析するべきではない。あの国は長い間戦乱が続いていた。戦乱が続くという事は、戦は慣れているぞ」
「はっ、申し訳ありません」
司令官の叱責に、副官は頭を下げた。
「空っぽ提督のような思考に陥るな。兵たちには港内の巡回と、砲台には敵船が近づけば、攻撃開始を厳命せよ。そして、民間人は、奥地へ非難させよ。既に、避難準備の命令は出しているはずだ」
「直ぐに行います」
そう言って、副官は部屋を出て行った。
「商人たちや密偵の報告を見れば、砲台の攻撃範囲より、敵の船の砲撃範囲の方が広い……」
呟きながら、司令官は思案をする。
ポルトガルの船団が、澳門の港に入っていったのが確認できた。
しかし、武吉率いる船団は速度を落とさず、澳門の港に侵入する事を止めなかった。
「頭!やつら、港に逃げ込みやしたぜ!」
「そうか!まいいか、突っ込め!砲台や船団めがけて、砲撃可能な距離になったら撃ちこめ!外れても良い!やっちまえ!」
「わかりやした!」
「砲台なんぞ、後ろから来る連中が始末するから、気にするな!」
「うっしゃ!!!」
武吉を含めた船員全員の高揚感が高すぎて、絶叫するものもいた。
全員がそういう状態なので、誰も止めるものが居なかった。
そう言っているうちに、武吉たちの船から、澳門の港の外側にある砲台に向けて、砲撃を開始した。
砲弾は、鉄の玉ではなく、炸裂する砲弾で、何かにぶつかると爆音と爆炎が上がった。
澳門の砲台に当たったものは無いが、周囲に武吉の船団から撃ちだされた砲弾が着弾し、爆音と爆炎がおきた。
その轟音と、炎に砲台の兵たちが浮足立った。
砲台を任されている隊長が、兵を落ち着かせようとするも、隊長も動揺しておりうまくいかなかった。
ただ、砲台から逃げる兵たちは居らず、砲台から砲撃をする準備を行う事により、恐怖をおさえようとしていた。
「頭ぁ」
「なんだ」
「澳門の砲台から、兵は逃げて行ってなようですぜ」
そう言って、家臣が遠眼鏡で砲台を見て、武吉に伝えた。
「ほう、根性があるな。明や朝鮮の連中だと、逃げ出していたぞ。あの国は大きな戦はここ最近なかったから、徴集された兵だと簡単に逃げ出すからな。これは、気合を入れないといれんな」
武吉は笑いながら言った。
「頭楽しそうですな」
「お前もな」
そう言いながら二人は笑いあった。
砲撃を行いながら、港に侵入してくる日本の船団に、ポルトガルの司令官は恐怖を感じた。
普通なら、陸地にある砲台を潰して、安全圏を確保して、港内に砲撃を行い、危険を回避して侵入するはず。
それが、速度も落とさず、砲台に砲撃しながら、こちらの船から発射する砲撃を無視しながら突っ込んでくるのは、正気の沙汰とは思えなかった。
「狂ってやがる。蛮族という事か」
「司令」
「かまわん、撃って撃って撃ちまくれ!」
そう言って、司令官は命令を下した。
流石に、澳門の港が近くなると、武吉の船団の至近距離に着弾する砲弾も多くなってきた。
それでも、武吉は気にせず、敵の船団めがけて突撃する。
マストに当たる船も出た。
気にせず、笑いながら武吉は突撃を命じ、家臣たちも笑顔で応じた。
「し、司令!敵が!」
武吉たちの船は、多少損傷しながらも、港に侵入を果たした。
そうなると、砲台からの攻撃も、味方の船にあたる危険性がある為、積極的に砲撃する事が出来なかった。
それに、別の船団が東に見えた事から砲台は、そちらに向けて砲撃を行う事になった。
港内は、それなりに広いが、流石に突入してくる船団をかわせるほどの余裕もなかった。
「総員、激突の衝撃に耐えろ!それと、切り合いの準備を、鉄砲や弓の準備を!」
司令官は、敵が乗り込んでくると考えた。
そうでなければ、狂ったように突入してくるはずがないと。
武吉の船団は、砲撃の目標を砲台と港の施設にして、砲撃しながらポルトガルの船にぶつかった。
二隻ほどが、航行速度が落ちた為、砲台や港の攻撃を重点的に行っていた。
「よっしゃ!乗り込むぞ!」
「「「「おう!」」」」
武吉が声をあげると、船員がポルトガルの船にむかって、板を大量にかけ始めた。
それを阻止する為に、ポルトガルの船から鉄砲や弓で邪魔をするが、反撃に鉄砲や弓、炮烙玉を投げ込まれて、うまく邪魔をすることができなかった。
乗り込む先頭に武吉が走っており、家臣たちも負けずに続いた。
「邪魔だ!」
武吉はそう言いながら、ポルトガル兵を斬り倒しながら、敵の司令官を目で探していた。
すると、豪華な服を着て、指示を出している人を見つけた。
武吉はにやりと笑い、そのもの目掛けて、駈け出した。
家臣は、それに続いていった。
ポルトガルの戦場は乱戦だったが、武吉側が押していた。
「その首よこせや!」
武吉はそう言って、司令官に斬りかかった。
すると、司令官は余裕をもって、かわして逆に、斬りかかった。
「やるな!」
そう言いながら、武吉は斬りつけていった。
司令官も、かわしながら反撃をしているが、次第に船の縁に追い詰められていった。
追い詰めたと思い、武吉は司令官に渾身の力で切りかかった。
しかし、司令官はそれをかわして、手首をつかみ、そのまま、船の外へ投げ飛ばした。
「か、頭!?」
家臣たちは、驚いて声をあげた。
武吉は投げられる瞬間、相手の手首を握り返し、司令官共々船の下に落ちていった。
周囲のポルトガル兵も武吉の家臣と一緒に、縁に取りつき下を見た。
二人は、そのまま海に吸い込まれて行った。
それを見た、武吉の家臣は、ほっとして、周囲のポルトガル兵に襲い掛かりながら、降伏するように叫んだ。
「お前らの司令官は居なくなったぞ!降伏しろ!」
日本の言葉で言っているので、ポルトガル兵は意味が理解できなかったが、司令官が居なくなったことは気が付いた。
武吉の家臣も理解していない事に首をひねったが、思い出したかのように、降伏しろとその一言だけをポルトガル語で発した。
ポルトガル兵は顔を見合わせて、降伏するもの、抵抗して斬られるものに別れた。
他のポルトガル船も日本側が制圧出来たようだった。
あいつらは何なんだ、狂っているのかと、副官は思った。
将が海に落ちているのに、安堵した表情を浮かべて、攻勢に出る。そして、降伏を呼び掛ける。
率いている者がいなくなれば、少しは動揺するはずが、何故、安堵するのかと。
「おい、もうそろそろ、頭が浮かんで来るんじゃないか」
「そうだな、おい、小舟を降ろせ!頭が上がってくるぞ!」
その家臣の声に、船から小舟が降ろされ、何人かが乗り込み、武吉が落ちていったあたりに移動した。
そうしていると、海中から二人が浮き上がってきた。
「頭ぁ、塩梅はどうです」
そう家臣が呼びかけると、武吉は顔を上げ、大きく息を吸い込んだ。
「おう、いい塩梅だ。首は取れなかったが、敵の将は確保したぞ」
「おお!大物を取り上げましたな!」
「そうだ、大漁……じゃねぇな。まいいか」
そう言いながら、武吉は司令官を先に小舟に引き上げた。
司令官は水を多く飲み、気絶していた。
水を吐き出させながら、生きている事を確認し、念のために手足を紐で括り上げた。
その間に、武吉も小舟に乗り込んだ。
「頭ぁ、歳なんですから無理しちゃいけませんぜ」
「ああ、まだまだ、現役よ」
「ふぅ、そんなことしているから、坊が真似するんですぜ、若が嘆いてましたぜ」
「がははは、何言ってる、海賊の矜持を忘れるなよ」
「まあ、良いですけどね」
「さて、このまま、港に上陸するか」
「いえ、流石に負傷者の手当てが必要ですし、人数がたりませんぜ」
「じゃ、元吉に任せるか」
「それが良いでしょう。ま、このままでも、砲撃はできますから、牽制はできるでしょう」
「そうだな」
武吉は頷きながら、旗艦に戻っていった。
元吉は、澳門の砲台を沈黙させながら、港に侵入し上陸を開始した。
しかし、陸軍の司令官は、このままでは抵抗できないと判断し、ポルトガルの船が制圧されたと判断した段階で、全軍を奥地に撤退するように命令を下した。
陸軍の司令官は、敗戦の場合を想定して、総督と話し合いを行っていたが、総督は負けるとは思っておらず、耳を傾けなかった。
しかし、撤退の命令を下した後、陸軍の司令官は総督と現状を説明し、撤退と後の交渉を行う事を提言した。
最初は、負けたのは、お前たちの所為だなど、罵声を浴びせていた総督だったが、船団がなくなった以上、陸地に孤立する事を説明されると、顔面蒼白になった。
仕方がないとして、撤退を了承して、奥地に移動した。
陸軍の司令官は、日本と交渉する為に、港に残り、通訳と副官と数名の護衛と共に、元吉の兵に降伏する旨を伝えて、取次ぎを頼んだ。
澳門の戦いは、事後処理の段階になったが、武吉は大将であるにも関わらず、元吉に丸投げした。
そして、自らはポルトガルの船を確認したり、ポルトガルの船の運用などを聞き出したりしていた。
元吉はため息をつきながら、息子の元武を呼んで、交渉の経験を積ませようとした。
でも、元武は砲台の跡地などを視察に行ったり、ポルトガルの逃亡兵がいないか巡回に行って、呼び出す度に理由を付けて逃げた。
元吉は机を大きく殴りながら、何故、「父に似やがった」と叫んで、家臣たちに取り押さえられ、慰められていた。
疲れた表情をした元吉にあった陸軍の司令官は、後始末で疲れているのかと思った。
後に理由を聞き、笑いをこらえながら、元吉を慰めたと言われている。




