第百六話 正綱
正綱は望遠鏡で廈門を見ていた。
ここ数日周囲の港から船が続々と集まってきているのは、密偵と斥候の船から連絡を受けており、正綱も船にのって、望遠鏡で確認できる位置まで近づき状況を監視していた。
北からの船は杭州で集合しており、そしちらは、息子の忠勝に監視させていた。
そちらも船が集まってきていると、連絡が着ており、数日中にはこちらに押し寄せてくると感じていた。
また、一部の倭寇も恩赦を理由に集めており、船の数は予想よりも増えそうであった。
「殿、船の数が足りません。杭州には、廈門の倍近くの船が集まっているようです」
「そのようだな」
「このまま戦えば、いくらこちらが大筒や船が早くと動けるとは言え、数によって押しつぶされてしまいますぞ」
「ふむ」
「ここは一度、高山国に引き付けて、陸地からの攻撃で数を減らすべきでは」
家臣の言葉に、正綱は思案していた。
確かに、高山国に敵をひきつければ、陸地からの攻撃は可能となる。
しかし、港の被害は出るだろう。まして、そこまで引き付けると、嘉隆や武吉の船団へ影響が出てくる。
一部の船が、背後を襲う可能性もある。
そうなれば、二人とも負ける可能性が高くなるので、高山国に引き付けるのは無理だと考えた。
「それは無理だな」
「何故です」
「港に被害が出る」
「勝てば後で再建でしますが」
「それだけではない、一部の船が武吉殿や嘉隆殿に襲い掛かる可能性がある。そうなれば、お二人が背後から攻撃を受け、負ける恐れがある」
「それは分かっておりますが、あまりにも船の数が違いすぎますぞ」
「まあ、確かにそうだ。しかし、明の民の士気は低いと聞いている。攻撃され、負けそうになれば、指揮官を殺害して逃げる可能性もある」
「しかし……」
「それに、倭寇の連中は旗色が悪くなれば、直ぐ逃げ出すだろう。逃げだすついでに沿岸部を略奪する恐れもあるがな」
当初は、忠勝と二手に分かれて、杭州と廈門を攻めるのもありと正綱も考えていたが、船の数が予想以上に増えていて、その案は捨てた。
忠勝には戦舟を与えて、杭州の監視を行わせているが、残りの船で廈門を攻撃しようと正綱は考えていた。
その話を聞いた忠勝は、決戦に参加できないことに不満を漏らしていたが、廈門は不参加でも、杭州では残存の船を向かわせ指揮を取ることを説明して、納得させた。
「こちらは21隻、若に戦舟を1隻与えているので、20隻ですぞ。20隻で数百を相手にするなぞ、正気ではありません」
家臣はそう言って、もう少し、船を回せなかったのかと、嘉隆に対して不満がある表情を浮かべた。
正綱は、その表情を見て、苦笑を浮かべた。
船が元々不足しており、それでも、ある程度の戦力を保持できていると思っている。
しかし、明は船の数が多く、南蛮は航海術、船の扱いに長けている。
決して油断はできないが、徴集された民の士気は低く、その船を指揮する武将に事欠く明と南蛮では、やはり、南蛮の方が手ごわいと正綱は思っている。
一部、倭寇のように士気も練度も高いもの達も居るが、大半はそうではない。その大半が崩れれば、倭寇はさっさと逃げるだろう。
如何に、倭寇以外の船の士気を下げ、逃亡させるかが鍵になると思っている。
その為、忍びたちは、廈門や杭州に潜伏して、噂を流していた。
”日本の船に捕まれば、首を落とされ皆殺しにされる”、”民には日本の支配者は優しいが、敵対するものには容赦しない”と恐怖を煽る内容と共に、”将は資金を着服し、本来もらえる給与を貰えていない”、”彼らは逃げる事しか考えていない”、”戦いが始まれば、逃げる準備をする”という噂も流していた。
廈門や杭州の人々は、集まる船に疑惑の目を向け、船から降りてくる将兵が横暴な行動をする事もあり、不信感だけが募っていた。
それに、明の船団が敗れれば、略奪に来るという噂も広まっており、他方へ逃げれるもの達は、逃げ始めていた。
今までも倭寇によって、荒らされた経験もあり、家の床下の土を掘り返し、財産を隠すものが続出した。
将の中には、兵を引き連れ、商家などに援助を依頼する建前の脅迫を行い、商人からも不評を買っていた。
既に、公平で潔白な将は飛ばされており、船を指揮するもの達は、上司に従うだけか、私腹を肥やすものが大半となっていた。
「明日の夜、夜襲を仕掛ける。ちょうど満月だから問題なかろう」
「夜の曳航は問題ないですが……」
豊臣の海軍では、陸での戦いと同じように、夜襲などの練習も常に行っていた。
運用には家臣は自信があるが、何分船の数が多すぎて弱気になっていた。
「簡単ではないか、周りは敵だらけだ。大筒や鳥銃、炮烙を投げ込めば、敵にあたるではないか」
「それはそうですが……」
「船を縦一列に並べて突撃すれば、左右は敵ばかりだ」
「しかし……」
「どうせ、仕掛けなければ、このままでは負けるぞ」
「はぁ、そうですな」
正綱の言葉に、家臣は深いため息を吐いて頷いた。
「では、どういう戦列で」
「早舟を先行させ、かく乱を行い。その後ろを戦舟を進めて戦火を広げる。ガレオンとナオは湾の外で待機し、先行の早舟と戦舟が引き返して来たら、機雷を散布させよう」
「かく乱した後、少数と見て攻撃を仕掛けますかな」
「混乱が収まるのが早く、周囲の情報を集め、我々が少ないと判断し、潰せると判断すれば、被害をもみ消すために攻撃してくるだろうな。もし、攻撃してこなければ、今度は湾外から船を並べて、大筒を打ち込めばいい」
「届きませんぞ」
「それでも良い。それが相手への脅しにもなる」
「まごついていれば、杭州から船が着ますぞ」
「それはそれで、杭州の船と合流しようとした奴らが機雷に沈められるだけだ」
そこまでうまくいくのかと、家臣は難しい表情を浮かべた。
「今の明の政は腐敗している。賄賂が横行し、軍資金や物資を横領するのが当たり前の状況だ。一昔前の倭寇討伐に功のあった胡宗憲や戚継光、兪大猷などがいれば、簡単にはいかぬ。しかし、名将や有能な文官を、貶めて処刑、自害にするような国だ。今、そこまでの将が果たしているかな」
「さて、動乱は名将知将を生み出しますから、油断は禁物かと」
「ふっ、確かにな。攻撃後、忍びたちに倭寇が裏切って、手引きしたと噂を流させる」
「明のものや兵は倭寇を疑い、倭寇はいつ攻撃されるかおびえるわけですか」
「うまくいけばな。それで、遠隔から我々が昼夜問わず、砲撃を入れ替わりながら攻撃を続ける」
「民衆も不安になり、明の軍に苦情を言い出しますな。そして、負けた理由を作り上げる為に、参加した倭寇を捕えようとする」
「そして、倭寇は捕まえられる気が無いから、反撃して港を攻撃する」
「しかし、それでは、そこまで多くない倭寇が負けるのでは」
「負けると分かっていても、逃げれる可能性が高い方に仕掛けるだろうし、一部は、港を出て強行突破を謀るだろう」
「騒乱で混乱している明の船をさらに叩きに行くと」
「そうだな、まあ、杭州からこちらに来るまで、時間稼ぎをさせているから、少しは余裕があるだろうが」
「忍びたちや商人を使って、食料などの値上げや出し渋りですか」
「そうだ。最終的には提供するとしても、儲けれるなら商人も儲けたいだろうからな。それに、賄賂を贈れば、時間は稼げるよ」
「それはそれは」
家臣は、正綱の言葉に苦笑を浮かべた。
「さて、一旦、高山国に戻り、休養後、明日の夜攻撃を行う」
「分かりました」
そう言って、家臣は正綱の元を去っていった。
廈門で夜の番をしているはずの、明の兵たちは居眠りをしており、また、船から抜け出して港の盛り場に行っているもの達も居た。
敵の船数に比べて、数十倍の差があり、杭州から味方が来れば、その差は更に広がる。
楽勝だろうと、兵たちや大半の将は信じており、気が緩んでいた。
兵に負けず、将も港の料亭で酒を飲んで宴会をしていた。
杭州の船が来てから戦いになると思い込んでいた。
少数の敵が、攻撃を仕掛けてくるとは思っても居なかった。
一部の将は、危機感を持って、上官への掛け合っていたが、取りつく暇がなかった。
「て、敵襲だ!」
見張りの兵が正綱の船に気が付いたのは、港に侵入を許していた。
「大筒を撃ちまくれ!」
指揮官の命令の元、兵たちは、大筒を左右に配置し、撃ち始めた。
水を大筒にかけながら冷やし、暴発に気を付けながら撃ち続けた。
また、左右に配置した鳥銃も、明の船で目立つもの達を討ち取った。
侵入を続けた船は港の桟橋を破壊しながら旋回し、港を出て行った。
明は全体の指揮を執るものがおらず、各船が個別で反撃をして、日本側にも被害を与えていたが、組織だって行えない為、船団は混乱だけが広がっていった。
また、砲弾が港の施設にもあたったものが何発があり、民衆も驚き、混乱が広がっていった。
「こちらの被害はどうなった」
「早舟のうち、1隻が航行が難しく、船員を他に移し自沈させました。また、敵の反撃により、戦死者も出ております」
「そうか、敵はどうだ」
「正確には分かりませんが、大筒での被害は、敵の2割を減らしたぐらいかと」
「それ以外にも、修繕が必要な船もあるだろうから、再編までしばらくかかるか」
「はい、それでも、こちらの数十倍はまだあります」
「それでは、倭寇の噂と、民衆への不安を煽るよう砲撃を加えるか」
「わかりました」
明の指揮官は、攻撃を受けたと報告を受けた時は、反撃しろと言ってそのまま寝てしまった。
しかし、目を覚ました時、3割の船が航行が不可能で、更に2割ほどが修繕が必要との報告を受けて、激怒した。
砲撃によって、沈められた船は1割ほどであったが、混乱によって、無闇に船が動いたため、接触して、沈没したり、浸水した船や座礁した船が多く、そこまで行かずとも、舵が壊れたり、帆が敗れたりと、半分ほどが直ぐ動く事が出来なくなっていた。
それでも、船数では圧倒しており、指揮官としては、勝てると考えた。勝てば良いが、勝っても、この失態を理由に処断される恐れがあると考え始めた。
一日経ち、被害状況と船の再編を考えていると、街中で倭寇が手引きしたとの話が広がっていると報告を受けた。
降伏し、協力している倭寇は全体の2割程度いた。そして、今回の事で、その倭寇は被害が少なかった。
被害が少なかった理由は、倭寇を信用せず、本体から離れた場所に停泊させていたことが幸いしただけだったが、指揮官は、疑いを持った。
そして、それを理由に、恩恵を持って、罪を許したはずの倭寇が、明の恩を踏みにじった為に、被害が出たのではないか。
いや、それが事実でなくても、それを理由にすれば、今回の失敗の理由にして、罪を軽くすることが出来るのではないかと、指揮官は考えた。
攻撃から2日ほどたって、港に向かい砲撃が行われ始めた。
距離があるから、そこまで砲撃の音も大きくはないが、港からでも、砲撃の着水する水柱は見る事が出来た。
それが数日続くと、民衆は、代官に訴えを上げ始めた。
倭寇が離反し、港を攻撃する、略奪するという噂が広がり、砲撃と相まって不安が広がっていった。
港の代官から指揮官へどうにかしてほしいと要望が上がってくるようになり、指揮官は悩み始めた。
攻撃を受けた事を、杭州の本体に伝えることなく、どうすれば罪が軽くなるかと悩んでいた。
その間に、船団の再編も終わっていた。
代官は攻撃を受けた翌日、杭州および皇帝へ伝令を走らせ、状況をすでに伝えている事に指揮官は気がついていなかった。
指揮官は、報告はこちらから行うと代官には言っていたが、立場上、代官はそれに従う事はしなかった。
もし、指揮官が廈門の軍政を任じられていたら代官は従っていたが、軍の指揮系統と、行政の命令系統が違っていた為、指揮官の頼みを聞いていたら、怠慢と罰せられる可能性があったので報告を行った。
数日経つと、倭寇の頭目が集まり、港の噂と指揮官の言動から身の危険があると話し合っていた。
攻撃を受けた時、倭寇の一部が追撃を行おうとしたが、港から外洋にでる時に、突如船の側面が爆発し、何隻かが沈没してしまった。
理由が分からず、悔しい気持ちを押さえつけ、元の場所に戻り、頭目に知らせた。
頭目は、指揮官にその旨を伝えたが、取り合うことなく、砲撃によって沈んだだけだろうと言われて追い払われた。
頭目たちはその話を聞き腹を立てたが、仕方なく船に戻って様子を見守った。
しばらくすると、倭寇の悪いうわさが広がっている事を知り、身の危険を感じ始めた。
負けを取り繕うために、指揮官が攻撃するのではないかと。
再度、頭目たちは集まり、船での脱出は不可能、残念だが船は廃棄するしかない。
しかし、そのまま置いておけば、あの指揮官に使われるのは業腹と考えた。
只、このまま逃げるのも、先が無いため、港で略奪を行い陸から逃亡するしかないと腹を決めた。
思い立ったら即行動すべきとして、頭目たちは配下に必要なものを身に付け、船に火をつけて、明の船にぶつける事を命じる。
また、一部を率いて、港を焼き討ちし、金目のものを略奪に向かった。
「殿」
「どうした」
正綱は配下の船を交代で高山国に移動させ、補給と休養を行いながら、砲撃訓練と称して港に攻撃を行っていた。
正綱は、船を移動しながら監視を続けていた。
「港から火の手が上がりました」
「倭寇が動いたか」
「おそらく」
家臣の報告を聞き、甲板に上がり望遠鏡で廈門を見た。
そこには、町から火が上がり、煙が上がっているのが見て取れた。
「侵攻する位置にある機雷をよけさせろ。それと船を呼びよせよ」
「はっ」
翌日、正綱は配下の船を率いて、再度、廈門に侵攻した。
しかし、明側からの反撃がなく、周囲を見渡せば、沈んだ船があり、被害のない船にも人がまばらにいるだけで、反撃の意志が見受けられなかった。
しかし、油断なく、正綱は港奥まで侵入した。
すると、小舟が近づいてきて、家臣が確認した。
「殿、潜入していた忍びからの報告です」
「よし、聞こう」
小舟に乗っていた忍びは、正綱の元に来て、跪いた。
「ご苦労だったな。この状況の説明を」
「はっ、夜分に倭寇が港の町に侵攻し、火を付けながら略奪を行い南に逃亡しました。また、倭寇は船が使えないと判断したのか、火をつけ明の船にぶつけたようです」
「ふむ、混乱を広げて、追撃を鈍らせ、追手の数を減らすのが目的か。それで、敵の指揮官はどうした」
「倭寇が侵攻した際に、巻き込まれて亡くなったようです」
「しかし、幹部などは生きていただろう。この混乱をおさえようとしなかったのか」
「倭寇の船によって沈められた船に乗船していたり、指揮官と共に巻き込まれたりと、上位の幹部はなくなったり、傷を得たものが多く、まともに動けるのは下のもの達だけで、指揮権も無いため混乱がおさまるまで時間が掛かったようです」
「港の代官は」
「代官は、消火や避難の指揮を執っており、まして、軍の指揮権が無いため軍の混乱をおさめる事は不可能です」
「では、港に残っている残存兵は」
「代官の元に、4千ほど居りますが海上に出れません。混乱で、代官の保有する船も含め、大半が使用不可能となっております」
「分かった。ご苦労だった。お主はどうする」
「このまま、戻ります」
「気を付けろよ」
「はっ」
正綱はそう言いながら、家臣に指示して、明国内で使える銀を忍びに渡した。
受け取った忍びは、頭を下げて、小舟に戻り、港の外れに向かった。
正綱は、大きなため息をついた。
それを見て、家臣は首を傾げた。
「どうなされました。こちらの被害は、早舟1隻で事実上、廈門からの攻撃を防げました。次は、杭州から来る船はありますが、ここでは大勝と言えるのでは、喜ばれても良いと思いますが」
「いや、倭寇が略奪した以上、此処には財貨は残っておるまい」
「あ、確かに」
「致し方ないが、少し惜しいと思ってな」
「しかし、杭州があります」
「確かに、この次は、洋上での戦いとなろうからな」
「はい」
「ナオ2隻を此処の監視に残し、一旦、高山国へ戻るぞ」
「分かりました」
「安治殿は良いが、嘉隆殿や武吉殿が何と言うか……」
そう言いながら、正綱は頭をかいた。
顔を左右に振りながら、まだ、杭州があり、まだ、戦は終わってないと、気を引き締めた。




