第九十七話 氏直
直政に率いられた兵たちが、秀永に向かって一直線に突撃している。
氏直が差配している兵たちの銃撃を受けながらも怯むことなく、前進していた。
その歩みは決して早くはないが、着実に前進しており、味方の屍を踏み越えて進んでいた。
「何故だ!敵は銃撃を受けても進めているのだ!」
氏直は、その直政の軍勢の勢いが衰えないことに、混乱していた。
秀永が推し進めている銃や大筒を使用した火力による敵攻撃を氏直は学んでいた。
また、率いている元後北条家の家臣たちの支えを受けながらも、運用に問題を起こすことはなかった。
問題がないはずならば、敵は殲滅される。もしくは、勢いは衰えるはずと想定していたが、直政はその想定を越えていた。
「大筒を放て!」
「まて、氏直殿」
「誰だ!」
命令を止める声に、怒りを覚えて、声の方に顔を向けた。
「氏照殿、何故止める!」
「北条家の当主が醜態を晒すでない!」
氏照の怒声に、氏直は体を硬直させた。
氏政から当主の座を譲り受けてるとはいえ、相手が死に物狂いで攻めてくる戦の経験は不足していた。
秀吉との戦いでの小田原城での籠城戦は、双方とも死に物狂いではなく、真綿を絞めるような戦であり、戦場とはまた違ったものである。
敗戦濃厚で、落ち武者狩りを警戒しながらの撤退や、壊滅的被害の戦場など、氏直は経験が足りなかった。
氏直が生まれ、元服したときには、すでに後北条家は関東の雄であり、当主自ら前線に行くことは数多くはなかった。
あったとしても、父である氏政が手助けをしており、ひとりで差配する経験が数少なかった。
味方を巻き込みそうな命令を氏直は下そうとした事が、冷静さを欠いてると氏照は思った。
「し、しかし!」
氏直は侮辱されたと感じ、また、羞恥の為に顔を真っ赤にして、氏照に反論しようとした。
「黙りなさい!」
その反論を防ぐかのように、氏照は氏直を叱りつけた。
「私は、殿下から軍配を預かっている。氏照殿といえども容赦はしませんぞ!」
逆上してる為か、氏直は冷静さをかいて、氏照に反論した。
氏照は、表情を変えることなく、氏直に近づき頬を殴りつけた。
その勢いで、氏直は膝をついた。
あまりのことに、周囲のものたちは氏照を捉えるべきか迷った。
一部のものが氏照に近づこうとしたが、氏照が睨みつけながら、手で制して止めさせた。
「な、何をするのでか!」
「戦場で、冷静さを欠き、血迷った差配をするものは、軍配を預かる資格なぞないわ!」
「愚弄する気か!」
「父である氏康、黄八幡の綱成殿、劣勢であった河越城の戦いでも、焦ることなく、冷静に勝機を見出された。兄の氏政殿は、失敗はあったが、冷静に分析しながら対処した結果、関東に領地を広めることが出来た。なのに、お主は、この程度のことで正気を失うとは何事か!」
氏照の言葉に、氏直は言葉をつまらせた。
「いつでも、この首を取れば良いわ。それで、お主の気が済めばな。しかし、敗れれば、そのようなことを言えると思っているのか。我々は、殿下の温情で除名され、所領はなくとも、所領と同じだけの報酬は頂いている。その恩を仇で返す気か、愚か者!」
氏直は顔をしかめ、下を向いた。
「氏邦」
直政との戦いを差配してた氏邦が、氏直の元に馬に乗って急いでやってきた。
「兄上」
呼びかけられた氏邦は、周囲を見ながら顔をしかめた。
「今、斯様な時にこのようなことをしている場合か。直政は止まっておらぬぞ」
「氏規は大丈夫か」
「鉄砲隊は下げて、槍隊で対処している間に、体制を立て直し、左右に展開しているところだ」
「ふむ」
氏邦の説明を聞きながら、氏照は思案した。
「しかし、被害が出ているとはいえ、想定以下の気がするが」
「鉄砲による攻撃が弾かれている時がある」
「馬は守れまい」
「どうも、一部の者たちが南蛮鎧を、馬にも鉄砲対策をしているようだ」
「だから、進軍は止まらず、速度は遅いか」
「かもしれぬ」
氏直を放置しながら、二人は情報を交換していた。
氏直は地面を握りしめながら、悔しい思いをして、表情を歪めた。
「氏直殿」
氏照の呼びかけにも氏直は顔をあげない。
「状況は理解できたか、どう差配するのだ」
その氏照の呼びかけに、唇を噛み締めながら顔を上げ、氏照を睨みつけた。
「氏照殿が差配されれば良いのでは、私には資格はないのであろう」
その言葉を聞いて、氏邦はため息を付いた。
「今、そのような下らぬ事を言っている場合か。お主は、北条家の当主であり、軍配を握っているのだぞ」
氏邦の言葉に、氏直は氏邦を睨みつけた。
「兄上、いじめ過ぎだ。まして、今、教育を行っている場合でもあるまい」
「このような状況だからこそ、人は成長することが出来る。我々も父上に散々やられたではないか」
氏邦はその言葉に苦笑を浮かべて、頭をかいた。
「そこは当主と分家の違いかもしれないな。しかし、そんな腑抜けたことを言って、甘ったれた表情をしているのは北条家の当主としてはふさわしくない。鍛え直す必要があるか」
「それで、氏直殿どうする。殿下に軍配を返しに行くか、そして、直政たちが殿下の元に引き連れていくのか」
その言葉に、氏直はまた顔を歪めた。
「怒りに狂わされるな、悲しみに狂わされるな、戦場で感情に呑まれるな。それによって、戦は破れ、主君は切られ、兵たちは野に屍をさらすことになるぞ。当主であれば、軍配を握るものであれば、どのような時でも冷静であれ」
諭すような氏照の言葉に、氏直は目に涙を浮かべた。
顔を下に向けたため、周囲には気取られないが、自らの情けなさに涙が勝手に出た。
「どうするのだ、このままでは、兵は無駄死にし、殿下の命も危機にさらすぞ」
氏直は、様々な感情を押し込め、両頬を両手で叩き顔を上げた。
「左右に追加で、鉄砲隊を送ります。混戦のため、大筒はもう使えないので後方に下げます。敵を囲うように鉄砲と弓隊で包囲殲滅します」
その言葉に、氏照と氏邦は頷いた。
「左右の兵は我々が率いていく」
「お願いします。それと焙烙も使用してください。鉄砲が効かない事を考えれば、有効かと思います」
氏直は、立ち直っている訳ではないが、このままでは殿下に申し訳がない、負けてしまうと思い踏ん張ることにいした。
「兄上」
「まあ、こんなところか」
「まったく」
「本当は、先代の兄上がすべきことだがな」
そう言いながら二人は苦笑を浮かべた。
「直政さんは止まりませんか」
「そのようです、兵たちは皆、前に倒れているとのこと。誰一人、後ろに向いたりしていないとの報告です」
「死兵、そして、それを率いる直政さんも死兵。こんな戦いは懲り懲りです」
秀永の言葉に、岩覚は頷いた。
「そういえば、氏照殿が氏直殿をしかりつけたとか」
「私も気を付けないと、創成の家であれば、苦労も理解し、身につくでしょうけど。大身の家で育てば、それも身に付きにくくなるでしょうね。私も戦場の極限の状態を知っていても、理解も実感もしていないですからね」
「殿下ならば、と、思いますが。しかし、その時にならなければ理解できない事もあるでしょう」
「氏直殿がこれで一皮むけてくれれば、私も楽になりますけどね」
直政は倒れる兵たちに気にすることなく、前へ前へと進んでいた。
鉄砲や矢が体に当たることはあるが、鎧が弾いてくれている。
顔や首など、守りが薄いところはあるが、それに当たらないように体を動かしながら進んでいた。
秀永に槍が届くことはないと、考えていたが、それでも、一歩でも、一歩づつでも秀永の元に進んでいた。
「鉄砲や大筒に頼るような戦など、愚かなものよ。武士の心得にもない小僧。しかし、時代はそのように変わっていくのだろう。こちらが槍や刀で勝負と言っても、敵は、南蛮のものどもは聞くとは思えか」
豊臣の、秀永の戦のやり方が気に食わない者たちも、やがて染められるか忘れられるのだろうと。
ならば、最後のひと華を見せつけてやろうと。
子らや家臣たちには悪いことをしたが、所詮一度滅びた家。また、滅びても復活することがあるだろう。
それで終われば、それまでよ、と。
そんな事考えながら、自然と、雑念がなくなり、無のような心の持ち方に直政はなっていった。
また、直政率いる兵たちも、無心になり前へ前と進み、敵を倒し、味方の屍を越えていく。
そして、徐々に数を減らしながら、止まる事なく進んでいく。
それはまるで、秀永の戦のやりようを否定する為に、死を恐れず進んでいる亡者の群れにも見えた。
豊臣の兵の中には及び腰になるものもいるが、大半の兵は命令通りに、弓と鉄砲による遠隔からの攻撃を左右から行いながら斃していった。
武士の中には、その屍が今までの戦のやり方の終焉にも思えて、苦い表情を浮かべているものもいた。




