第九十六話 残滓
「景房殿」
「敵が見えましたな」
広瀬景房、内藤信矩は目の前に、豊臣方の兵がいるのを確認した。
「死に場所としては、良きかと」
「そうですな、この老耄の死に場所、まして、あの旗は九戸と黒川のものですな」
「奥州藤原氏の騎馬末裔かな」
「九戸は南部の庶流とも言われますな。そうでなくとも婚姻によって血は繋がっているか。そうなれば、武田の血も流れているかもしれませんな」
「まったく、黒川は斯波の庶流とか。それならば源氏の血筋。これもまた武田とも縁がありますな」
「最後の戦いに、武田と縁のある者たちとは、奇縁というか、僥倖というか」
「信玄様が差配してくれたかもしれませんな」
「まことまこと」
そう言いながら二人は笑いあった。
率いている兵は、他の二方面に比べ、少なく勝てる見込みも少ない状況で、二人は気後れすることなく笑い合っていた。
「奥州の者たちに、源氏にも京にも恐れられた藤原氏の末裔達に、武田の騎馬の恐ろしさを知らしめることが出来ることは、あの世に行って自慢できますな」
「残った息子たちにも自慢することが出来ることを残せそうです」
「まあ、公には出来ぬかもしれませんがな」
二人は含み笑いをしながら話していた。
「武田でも恐れられた山県の赤備え、天下に刻みつけましょうか」
「ほんにほんに」
「真田の鼻垂れ坊主は、まだまだ赤子と言うことを豊臣に示し、信玄公への土産としましょう」
「しかりしかり」
「では、景房殿よろしくお願いします」
「うむ、信矩殿、差配をお願いしたします」
この後、生きて顔を合わせることはないと分かっていながら、二人は頷きあい、笑って別れていった。
「月舟斎殿」
「ああ、あれは赤備えですかな」
「そのようだな」
「ただ、数が少ない」
「他の場所に割り振られたかな」
「そうであろうな。しかし、殿下が寄越していただいた兵を含めれば、こちらが多いが、あの兵数は、九戸と黒川の兵と同数ではないか」
「確かに、ふむ。殿下が寄越してくれた兵も調練済みだが、どこまで耐えれるか」
「あちらは騎馬は少なそうだが、統率は取れていそうですな」
「そんな感じだが、あちらの方が寄せ集めのはずなんだがなぁ」
「まこと、直政殿はどのようにまとめ上げたのか、一手指南してもらいたいものですな」
晴氏の言葉に、このじいさん、貪欲すぎるしどこまで生きる気なんだろうと、政実は内心首をかしげた。
それと同時に、俺も負けれないと引き締めた。
「どうする」
「ふむ、こちらは防げばいい……が、それでは面白みがない」
「まあ、な」
「相手の出方を見たいが、あちらは突破する気でしょうな」
「時間稼ぎの可能性もあるが、じり貧の状況で守りはないか」
「ええ、それにこちらに先陣が向かってきてますからな」
「では、俺が叩き潰すか」
「……いえ、まずは、こちらで受け持ちましょう」
「回り込むか」
「それはそれで、読まれそうですな」
「あちらは強者か」
「兵の動きを見ると、そんな気がしますな」
「うーん」
「鉄砲と弓で様子を見て、やり合わせをしてみますか」
「分かった。こちらも危なくなったと思ったから勝手に動くが、突撃の合図は任せた」
「任されましょう」
晴氏は、政実の言葉を受けたて微笑んだ。
それを見て、政実は馬に飛び乗り、己の兵の陣地へ駆けていった。
「さて、それでは参りますか」
そう呟き、晴氏は兵に指示を出していった。
もう少し、もう少し若ければ、外の国に行きたかったと思いながらも、この国での最後の大戦であり、自らも最後であろう戰場を噛み締めていた。
豊臣の兵が、近づいてきた景房の兵に鉄砲による組打ちを行い気勢を止めいようとしたが、景房は竹と木を組み合わせた盾を全面に出して、犠牲を防ぎ、進軍を止めなかった。
鉄砲による攻撃が振るわなかった為、晴氏は、弓による曲撃ちを行わせた。
それに対しても、景房は盾によって犠牲を減らしたが、流石に全騎馬が攻撃を防ぐことは出来ず、少なくない犠牲が馬に出た。
乗っていた武士たちは落馬したりして、怪我を負っただけで済み、そのまま徒で兵を指揮していた。
盾と盾の隙間に長槍を配し、景房の兵たちは多少の勢いは落ちるものの止まることなく、豊臣の兵に近づいていた。
晴氏は、秀永から渡された大筒を使用して攻撃を指示するも、一度目は被害を出したが、その後は散開され被害を与えることが出来なかった。
また、大筒や鉄砲の攻撃による爆音で馬が混乱するかと思ったが、景房に所属する騎馬たちは混乱することなく、進軍していた。
その動きを見て、晴氏は難敵であると認識し、政実にもそう伝令で伝え、突撃の際は気をつけるようにと伝えた。
「敵の攻撃は見極めた、勇士たちよ、戦人よ、最後の戦に己たちの名を刻め!赤備え此処にあり!」
景房の激は、周囲に伝わり気勢を上げた。
また、豊臣方にも響き渡り、一部の兵たちは及び腰になっていた。
晴氏や政実の直属の兵たちはそうでもなかったが、秀永がつけた兵の中には、今回が初めての戦というものもおり、体を固くしているものがいた。
「まずいのぉ。練度が足りぬか」
晴氏はそう呟いた。
「これでは、裏崩れが起きる可能性があるか、ふむ」
思案顔の晴氏は、しばし後に、人の悪い表情になった。
「それならばそれ、逃げる者たちはほっておけばよいか。それに、乱戦にさせれば、目の前のことしか考えられんだろう」
生きることに執着すれば、逃亡をしだすものもいるのは分かっていた。
しかし、乱戦になれば、敵に背を向ければ死ぬだけであり、目の前の兵を倒すことのみに集中させれば良いと。
そう思いに、にやりと笑った。
「勝たねば、死ぬだけよ。槍を構えて、兵を進めよ!敵を踏み潰せ!」
そう晴氏は良い、兵を前進させるように伝令に伝えた。
その指示に、初めての戦で体を強張らせていた者たちも槍を構えて、景房の兵に攻撃を仕掛けた。
「あの爺さん、温和の言葉使いのくせに、やることが鬼畜だな」
政実の言葉を聞けば、晴氏は呆れて笑うかもしれない。
お前さんの方が、もっと鬼畜だろうと。
「新兵を乱戦に飛び込みさせ、逃げ場をなくし、逃亡しようとすれば敵兵に始末されるだろうと考えているだろうが……」
その考えは間違っていないだろうが、秀永が寄越した兵を使い潰す気かと政実は思った。
しかし、それが戦だから仕方ないかと、肩をすくめた。
「俺たちの出番は少し後だな」
そう言いながら、戰場を眺め、報告を聞いていた。
「上方の兵は弱兵と聞いていたが、違っていたのか、率いるものが優れているのかわからんのぉ」
景房は、そう言いながら兵に指示を出していた。
思った以上に、豊臣の兵が粘り、崩れることがなかった。
戦の経験のないものが多いと聞いていたが、此処まで粘ると思っていなかった。
勝ちにおごり、兵数におごり、命の危険にさらされたら兵たちは崩れると考えていたが、そうそう上手くいくものではないかと考えを改めた。
「この歳ではまともに一騎打ちも出来ないことが、残念だが」
そう言いながらも、兵たちを差配し、豊臣方を押していた。
景房の兵たちは死兵となり、豊臣方を攻めていた。
また、信矩が兵を順次送り出しながら、疲れた兵や怪我を負った兵の入れ替えを行っており、隙きをあたえなかった。
「ふむ、後ろの指揮しているものが邪魔だな」
前線の報告と、様子を見ていた政実は、前線の指揮も油断できないが、適時に兵を入れ替えながら隙きを見せない後陣の指揮官の厄介さを感じていた、
晴氏も感じているとは思うが、先陣との戦いで手は打てないと考えていた。
「月舟斎殿に伝令を、後ろを崩すと」
「はっ」
政実は、晴氏の元に伝令を走らせた。
「後ろに回り込むのは騎馬のみとする。足軽たちは、月舟斎殿の指揮に入れ!」
そう言い、政実は直属の兵たちのみを率い、戦線を離脱して、大きく敵の後方に向かうことにした。
政実の伝令から話を聞き、致し方ないと晴氏は考えた。
敵が崩れれば、政実に突撃してもらおうと考えていたが、現状ではその時ではなかった。
今突撃したら、政実の兵は甚大な被害を負うであろうと、敵の先陣の手堅さと、堅牢さを感じていた。
「わかった。その方は、そのまま政実殿の率いていた兵の元に戻るが良い」
「はっ」
戻っていく伝令の後ろ姿を見ながら、髭を触った。
「いやはや、これほどの強者がいたとは、冥土の土産話ができたな」
言いながらも、大筒を敵の後方に打ち込み、弓によって敵を攻撃したりと、手を尽くしながら戦線を崩壊することなく、戦を続けていた。
「景房殿!」
「いかがした」
一刻ほど立った後に、信矩からの伝令が来たことに、景房は戦の終わりを感じていた。
兵数や物資から考えても、この戦は勝つことは難しく、どれだけ戦を長引かせ、敵を惹きつけるかを主眼としてきた。
その際に、敵を減らしたり、勝つことができれば御の字と思っていたが、そうは行かなかったかと、景房は思った。
「敵の騎馬が後方に回りました。今後は兵の入れ替えが難しくなると、殿の考えです」
「そうか」
「殿からは、御武運を。そして、あの世で酒を飲みながら語ろうとの事です」
信矩からの伝言に、景房は笑った。
「承った!信玄公や父たちに自慢をしようと伝えてくだされ!」
「はっ!では、失礼いたします!」
そう言い、伝令は信矩の元に戻っていった。
兵の入れ替えが出来投げれば、現状を維持するのは難しいだろう。
まして、信矩の元には、傷ついた兵も多い、敵の騎馬を減らすことが出来ても勝つことは無理だろう。
そうなれば、挟撃され敗れるのは予想が出来た。
「ならば、敵を喰らうのみ!後ろを振り返るな!前を見よ!死出の旅時の供を!」
余力がある今のうちに、目の前の豊臣の兵を破ること。
それが出来なくても、兵を減らし疲れさせることができれば、信矩もゆとりが出来て、騎馬に対峙できるだろうし、秀永への救援も遅れるだろうと。
「者共!死ね!」
景房の激に、兵たちは気勢を上げ、怒号を上げて前進し始めた。
捨て身とも言える敵の進軍を感じ、晴氏は政実の動きによって、敵は乾坤一擲の動きに出たと思った。
「敵は後がない、それ故、これを粉砕せよ!」
敵の勢いに怖気づきそうな兵たちを、伝令を使い、前線の指揮官に激を飛ばした。
怯えて、引けば敵が勢い、敗れる可能性があると。
兵が多くとも、物資が豊富であろうとも敗れるときは敗れる。
晴氏はそのことをよく理解している。
敵の勢いによって、一時前線が大きく引いてしまったが、晴氏の指示により、持ち直し前線を維持することが出来た。
その間に敵の兵の数が減り、勢いも落ちてきた。
「此処までか」
景房は、周囲を見渡すと、味方の兵が減っており、すぐ近くまで豊臣の兵が見て取れた。
「敵の将と見受けられるが、如何だ」
そう声をかけられ景房は声の方に目を向ける。
「如何にも、広瀬景房である」
「私は、黒川季氏と申す。一手お願いたしたい」
その言葉に、景房は頷いた。
雑兵に討たれ、死ぬと思っていたが、此処で一騎打ちが出来るとは。
勝ったとしても、死からは逃れられないだろうが、これはこれで良い死に様と思った。
「よろしい」
「では」
季氏と景房の周囲は引き、二人は相対した。
どちらとも合図もなく、示し合わせたかのように槍を突き合わせる。
景房は老齢ではあるが、歴戦の強者であり、季氏も弱くはなかったが、勝負はつかなかった。
しかし、刻が経っていくと、景房に疲れが出てきて、季氏の攻撃をさばききれず、手傷を負うことが多くなった。
もはや限界も近いと感じ、景房は捨て身になり、渾身の突きを季氏に放った。
季氏は躱しきれず、右脇腹を切られたが、その痛みに耐え、景房の胸に槍を突き入れた。
その突きを交わすことが出来ず、景房は槍を胸に突き刺された。
「見事なり」
景房は口から血を流しながら、季氏を称賛した。
「良き戦いでありました」
季氏は右脇の痛みに耐えながら、景房を称えた。
その言葉を聞き、景房はにやりと笑った。
「信矩殿、お先に……」
そう誰にも聞こえない呟きを残して、景房は絶命した。
怪我を負ったもので、戦ができそうでないものを、信矩は逃しながら、前線を支えていた。
しかし、政実が迂回し、後方を遮断後、攻める行動を取った為、前線への支援を諦め、生き残れそうなものに、選別を与え戦場から離れさせた。
それでも、逃されることを良しとせず、残るものもいた。
生き残ることが無理ならば、壁になった死ぬと、ひとりでも道連れにすると、笑いながら信矩に言った者たちもいた。
迎撃体制を整えているうちに、政実が後方から攻めてきた。
弓で迎撃をするも、政実の騎馬は常に動きを変え、直線的な動きをしないため、大きな損害を与えることが出来なかった。
また、長槍で迎撃するも、その長槍を飛び越えるものや、騎乗から鉄砲や弓による攻撃により、混乱したため、損害を与えることが出来なかった。
政実の騎馬は、兵を踏み潰するのではなく、混乱させ、指揮を取る者たちを中心に討ち取っていった。
そのため、まとまった攻撃がすることが出来す、あっという間に戦線が崩壊した。
傷ついている兵が多く、十全に動ける兵が少なかったのが原因ではあったが、騎馬の動きが知っているものとは違い、対応が遅れざる得なかった。
そんな状況を見つつ、信矩は覚悟を決めて、槍を構えた。
「そこの御仁、名のあるものと見た!」
声が聞こえた方に、信矩は顔を向けた。
そこには、将と思われる武士がおり、この者がこの騎馬集団の将と感じた。
「わしは内藤信矩」
「ここの大将か」
「如何にも、しかし、人に名を聞いておいて、自らは名乗らぬか」
「これは、失礼を。おれは九戸政実と申す」
「これはこれは、奥州の九戸か」
「如何にも」
「奇縁よ、武田に繋がるものと最後に死合うとは」
「ん、井伊のものか、牢人かと思ったが」
「元は、武田のものよ」
「武田の内藤……とは、武田の副大将とも言われた内藤昌豊に連なる方かな」
「ほう、祖父を知っておるのか、如何にもその内藤よ」
「それは!なんとも奇縁」
そう言い、政実は大きな声で笑った。
それを見て信矩も笑った。
「では、一手」
「よろしい」
そう声を掛け合い、二人は槍を構えて一騎打ちを始めた。
当初は互角ではあったが、はやり歳には勝てず、信矩は押されていった。
政実も全盛期よりは落ちてはいたが、秀永による訓練指導により、全盛期よりは劣るものの肉体は維持していた。
「最後よ!」
信矩はそういい、最後の一撃を放つも、政実に捌かれ逆に胸に槍を着き入れられる。
死を感じながらも、信矩は笑いながら、血を吐いて絶命した。
「殿、お先に、景房殿待っておるぞ……」
信矩の呟きは誰にも聞こえることはなかった。
「此処は終わりか、月舟斎殿と話をして、殿下の元に行かねばな」
信矩に手を合わせた後に、周囲を見渡して、政実は呟いた。




