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浪速の夢遊び  作者: 秋鷽亭


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第九十三話 忠勝

老武士は架空の人物です。

老武士との一騎打ちは、ほんの少しの時間であったが、周囲は永遠に続くかと思われるほど、呼吸を止めてみていた。

ひと振り、ひと突き、ひと薙ぎを戦場であることを忘れて、皆、見ていた。

年齢で言えば、忠勝よりもかなり上とみられる老武士が、徳川で最も強く、日本でも上位の強さを誇るその忠勝を圧倒するかのような槍裁きを見せていた。

当の忠勝も気を抜くこともできず、捌くことが出来ても、有効な反撃が出来ないでいた。

年齢差を考えれば、時間が過ぎるとともに、老武士は体力の限界を迎えると考えていたが、その老武士は体力を気力で補っているかのように、猛攻を仕掛けていた。


「はなたれ小僧が、なかなかやるものだ」

「ご老体、もうそろそろ体力の限界ではないか」

「ふん」


老武士は忠勝の言葉を鼻で笑い、猛攻を続けた。


「もう、亡くなった主への忠誠は尽くしたはず。此処で降られよ。殿に取りなす故」


そう忠勝は捌きながら話した。

受け入れられるとは思わなかったが、老武士の武勇は惜しかった。


「答えを分かっておって言うとは」


言いながら老武士は、攻撃を止め、呼吸を整えた。

忠勝は、老武士が身を捨てて、こちらを討ち取る一撃を放つと感じた。


「冥途の土産に、その方の首でも貰っていくとするか」

「くれてやる訳にはいかんな。まだまだ殿をお守りせねばならん」

「ふん、宗家を乗っ取りし、簒奪したものを崇めるか。織田の横柄物や、下賤の者に下った松平家の恥よ」


家康を侮辱され、忠勝は怒りを覚え、渾身の突きを老武士の胸めがけてに放った。

老武士は、その突きを予測していたのかにやりと笑い少し左に体をそらして、胸の右側が傷つくことを恐れず、馬を突撃させ忠勝との距離を縮めた。

その動きに反応して、忠勝は槍を引こうとするが、老武士はその槍を右わきではさみ、右の腕を絡めて引かせなかった。

それと同時に、左腕を使い、渾身の一撃を忠勝の胸に突き刺した。

危険を感じた忠勝は引き戻せない槍を諦め手を離し、腰の刀を抜きいて槍を弾こうとした。

しかし完全に払う事は出来ず、老武士の槍は忠勝の右肩を突き刺した。

痛みを堪えながら忠勝は刀を右手から離し、左手だけで持ち老武士に斬りかかった。

老武士はその刀を避けることなく、下から上に斬られて馬から落馬した。


「ご老体、私の勝ちだ」


忠勝は馬上から、老武士を見下ろして言った。


「ごぶっ」


血を吐きながら老武士は笑いながら口を開いた。


「ふん、簒奪者に仕える……は、はなたれ小僧か、強くなった……ものよ」


言葉を詰まらせながら忠勝に話しかけた。


「まあ、く、首は取れな……かったが、その右腕を貰えただけ、で、でも……あの世への土産に……、く、くくく」


空を見上げながら、老武士は笑った。


「へ、平八郎も見事な、み、見事なこ、こ、子を残したものだ……」


忠勝は己の事を言われたのかと一瞬考えたが、そんな事はないと考え直した。


「もしや、父上と面識が」

「……と、殿、あ!ああ!お、お前た、たちも……」


忠勝の声は老武士の耳には届いてなく、空を見つめる老武士はどこか遠くを、ここにはいない誰かを見ているかのように、微笑んでいた。


「や、やっと、やく、約束を……み、土産、話をもって……」


そう言いながら、老武士は左腕をあげながら呟き、そして、力なく左腕が地面に落ちた。

その老武士の左腕が落ちたと同時に、周囲にいた一向門徒や老武士に付き従っていたもの達が、一斉に声をあげ攻撃を再開した。

忠勝側は一瞬対応できずに、被害が出たが、物頭などが声をあげ、対応して対抗した。


「殿!」



忠勝の家臣たちが、忠勝の元に集まり一向門徒たちを寄せ付けないように固めた。

家臣の一人が布を取り出し、焼酎をもって忠勝の右肩を洗い流し、傷薬を塗って止血と治療を行った。


「構わん」

「駄目です、出血が多すぎます。適切な処置は戦の後で良いですが、最低限の事をしなければなりません」


家臣の言葉に、忠勝は眉をひそめたが素直に従った。


「敵は死兵と化している。ひとりに二人、三人で対応し、被害が大きくならない様にせよ。こちらの方が兵数は多い」

「はっ」


忠勝の命令に家臣は頭を下げ、周囲に伝令を走らせたり、声をあげて指示を出した。

それを見ながらも、もう一度、横たわる老武士を見た。

忠勝の記憶には、老武士の記憶はない。

ただ、言っていたことを考えると、岩津家のゆかりの者と思われるが判断が出来ない。


「ご老体は丁重に扱え、馬は引き取る」

「はっ」


大きくため息をつき、気を入れなおし、忠勝は顔をあげて周囲を見た。

一向門徒も押されており、此処での戦は終わると感じた。

ただ、ひとりも生き残ることが考えていない様に見え、根切りにするしかないかと、気を重くした。






前線での戦がほぼ終わったことを、忍たちから正信は聞いていた。

ただ、いくつかの場所で、三河での一向一揆に参加した者の生き残り、またはその子たちがいた事を聞いて、正信はため息をもらした。

大半の者が許され、再度仕える事を許されていたが、幾人かは去ったまま戻ることはなかった。

正信自身も一揆に参加し敗れ、三河を離れ、長い間各地を転戦していた。

後に許されて帰参するも、未だに忠勝などには当時の事を含め、嫌われているのが現状であった。


「信仰が捨てられなかったのか、それとも救われなかった恨みか」


正信も信仰心は持っていたが、各地を転戦している間に、一向宗の僧侶たちの言動から信仰については疑問を持つようになった。

更に畿内などを見て回れば、他の宗派も、特に、大きな寺を差配するところは、武士と変わらない思考の者が多かった。

油断をしたり、身を守らなければ奪われるのが当たり前なのだから、仕方ないとは言え、出家し御仏に仕える者が命を奪えと声をあげる事に、眉を潜める事もあった。

我々の言葉は御仏の言葉、逆らえば仏罰を受け地獄に落ちるぞと言って、信者を死地に追いやる僧たちの事を思い出すと、ため息が込み上げてくる。

仲間たちが地に倒れ、残された幼子の泣き顔を思い出すと、何のために一向宗の僧たちの激に応えて挙兵したのか、昔は悩む日々を送ったこともあった。

信長による、一向門徒の掃討にも憤ったこともある。内実を考えれば、信者の信仰を利用した僧と豪族による私利私欲もあるのではないかと考えていた。そして、信者が死兵になることを考えれば、殲滅もやむなく、見逃しては各地で賊になり治安が悪化する可能性もあったろう。

現世は苦界であり、無情であると正信は感じ、亡くなったものたちに対して、心の中で念仏を唱えながら、家康の元に報告に向かった。


「殿、前線は終わったようです。我々は勝ったようです」

「こちらも伝令が来て聞いている」


正信が家康の元に向かうと、その場に伏した遺体が数体あった。

眉をひそめて、家康に顔を向けた。


「伝令に扮した者が、わしを狙ってきたようだ」

「まさか、近づけたのですか」

「急使であると言いながら、こちらに馬で駆け寄って来た。周りの者が止めたが、二人ほどが抜け出してきたようだ」

「それは……」

「最初はひとり、ひとりで駆けてきたようだが、陣幕が見えるところで合流して突撃してきたようだな」

「申し訳ございません」


正信は頭を下げて、家康に警戒と、警備の不手際を詫びた。


「まあ、相手が上手だったのだろう」


家康は叱ることなく、苦笑した。


「しかし……」

「終わったことだ。それにこの者達をわしは知っている」

「なんと」

「水野信元、酒井忠尚の家中の者だ」


正信は家康の言葉に驚きの表情を浮かべた。


「あの者達は、相当恨んでいただろう。信元は協力してきたのに所領を取り上げられ、忠尚は三河から追放されたのだからな」

「信元様は、信長様からの命令だったのでは」

「そうであったとしても母の事もある。口添えもなく所領を奪われたのだから恨みはあるだろう。忠尚は、敗れたのだから仕方ないだろうが、松平家と同等と思っていた者にとっては屈辱だろう」

「しかし、熱心な一向門徒ではないと思うのですが……一向宗の知人の元に居たのでしょうか」

「そうかもしれんし、今回合流しただけかもしれん。両名の家中の者も忠実にわしに仕えている者もいる。まあ、やつらにとって忠臣だったのかもしれん。だからこそ恨みをはらすと」

「矜持でしょうか、闇討ちや暗殺でないことは」

「かもしれん。人知れず葬られるより、わしの記憶に残るようにと……まあいい、それも終わったことだ」


家康の言葉に、正信は顔を左右に振ってため息をついた。

遺体を片づけさせている間に、どういう状況だったのか正信は聞いた。

護衛をしていた小笠原長治がひとり斃したが、その間に残りのひとりが家康に槍を突き出した。

家康は腰に差していた刀で、その槍を斬り落とし、間合いを詰めて、下から返す刀で斬ったようだった。

馬上の者も槍が斬り落とされた瞬間に刀を抜いたらしいが、家康が斬りつける方が早かった様だった。


「まだまだ、闘える事を再確認させてもらったわ」

「そのような危険なことは、やめてくだされ」


正信のため息をつき、それを見た家康は大きな声で笑った。


「前線にも三河で一揆に参加した者達が居たようだな」

「そのようです」

「そうか、そうだな」


家康は正信の言葉を聞いて、しばらく眼を瞑った。


「これで、あの時の事は一旦清算できたか」

「かもしれません」

「一区切りをつければ良いが、斃されたもの達の子達が恨みを持てば、まだ終わらんか」

「それそれで致し方ありません……」

「早く隠居して、気楽に生きたいものだ」

「その時は、ご一緒させて頂きましょう」


二人は顔を見合わせて含み笑いをした。


「兵たちはしばし休息させ、動けるものを再編して、殿下の元に向かわせよ」

「わかりました」

「秀忠に任せなくてよかったわ。やつであれば斬り殺されているかもしれん」

「いえいえ、護衛もいますので、問題ないかと」


家康は正信と連れ立って陣幕を出て、兵たちにねぎらいの言葉をかけに行った。






「平八郎」

「小平太か」

「手ひどくやられたな」


康政は、忠勝の右肩を見て苦笑した。


「たいしたことは無い」

「しかし、しばらくは槍も持てないだろう」


その言葉に、忠勝は口を歪めた。


「それに、お主の嫌いな殿下の治療方法が広まっているから、お主の傷も悪化せずに済んでいる。その傷だと本来は安静にしなければならんだろう」

「ふん、そういうお前こそ、傷を負っているじゃないか」

「まあな、大きなものはないがそれなりにやられたわ」


忠勝の指摘に、笑って康政は返した。

その態度に腹を立てたのか、忠勝は口をへの字に曲げた。


「命に別状はないが、守綱殿も手ひどくやられたそうだ」

「ほう、あの守綱が」

「ここにも三河の亡霊どもが来ただろう」

「そっちもか、まさか、守綱殿の処にもか」

「ああ、そこらかしこに出たようだ。命を落としたものはいないが、今後、戦場にたてない体になったものもいるようだな」

「……そうか」

「まあ、これからは日本で大規模な戦もないだろう。あっても、賊の討伐ぐらいがせいぜいだ。守綱殿も言っていたぞ、もう、隠居すると」

「無理であろう」

「そうだな」


康政はそう言って笑った。


「ただ、戦や討伐は若いもの達に任せると言っていたな。今の戦は肌に合わないと」

「そうだな。鉄砲や大筒などが中心になる。確かに、船上や接近戦を考えれば、まだまだ、直接斬りあう事もあるだろうが、あわんな」

「だろう。だから俺も戦に出るのはこれが最後だ。後は息子たちに任せる」

「そうなると、一気に老け込みそうだな」

「確かにそうだが、まあ、家中の者を鍛える事に力を入れることもできる。それに、殿下が南蛮の刀……剣か、あと槍とかも欲しければ渡すとも言っていたし、新しい武器の使い方を考えるのもいいだろう」

「ふむ……」

「古の大陸の武将たちが使っていた武器も再現してみるとか言っていたしな。多少違うだろうと言っていたが面白そうだろ」

「確かに、茶や和歌や書など、合わないからな。それも良いかもしれん」

「老兵はただ去るのみ」


康政の言葉に、忠勝は年寄扱いするなという表情を向けた。


「なんだ、その言葉は」

「殿が殿下と話している時に、殿下が言っていたそうだ。年を取ったら子に譲って、隠居すると」

「若輩者が……」

「ふふふ、殿下になんて事を」

「本人がおらん、別にいいだろう」

「まあ、殿下なら許すだろうが、周囲が許さないだろうが。まあ、その後に、老いてますます盛んという事も言っていたそうだ」

「それはあれだな、蜀漢の劉備に仕えた黄忠とかいう老将の事をさした言葉だな」

「そうだ」

「先の言葉は自らの事、そして、その言葉は殿の事を言っていたそうだ。気を使ったのかもしれないが、年をとっても元気なことは良いことだと」

「支離滅裂だな」

「確かに、その時に殿下は、生き方は人それぞれ、死ぬまでどう生きるかだと言っていたそうだ。自ら死を選ぶことも己の意思、証だと」

「……そうか、亡くなったもの達も証を残したか」

「残したな。戦ならいつ死んでもおかしくない、まして、身を犠牲にして殿をすることもあるじゃないか」

「死に場所を選ぶか、戦で死にたいと言っていた酔狂なもの達もいるな」

「亡くなったもの達を手厚く葬ろう。高田の者達に頼むか」

「そうだな准如殿に頼む方が良いかもしれんが、そこは殿と相談するか」


そう言いながら、二人は撤収の準備を進めた。


亡くなった老武士の馬は、忠勝に引き取られるが、以後、食事も水も取らずそのまま亡くなることになる。


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