第九十話 右近
喧騒が収まっていく周囲を見ながら右近は少ない供と歩いていた。
数多くいた仲間の信者たちは、血に臥せり、安らかな表情をしている者、苦悶の表情の者、表情がない者など様々だった。
ただ一つだけ共通しているのは、信仰に準じたという満足だけであろうと、右近は思っていた。
此処に集まった信者は、現世に絶望し、未来を拒絶した者達ばかり。
盲目的に信仰に準じている者もいるが、大半はそうではないだろうと、考えていた。
主家が滅亡し、何処にも仕える事が出来ず、賊にまで身を落とし苦悩したものに、手を差し伸べた司祭。
頼られる必要とされる喜びに、傷ついた心が癒され、神仕える事を選んだ武士。
豪族たちに酷使され、嫁や家族を奪われたもの、家族の命を奪われたものたちが、救いを求めた寺社。
その寺社が腐敗と欲望にまみれ、豪族と同じだと知った時の絶望と、信仰の崩壊。
それゆえに、徒党を組んで寺社を攻め、火を放ち、奪いながら各地を放浪としたものに、手を差し伸べた司祭。
始めは疑惑の目を向けていたが、司祭の私心のない行動と言動に心を打たれ、はるか遠い異国の地からやって来たその思いに帰依し、神に仕えたもの。
産まれ落ちた時から親が居らず、生きる為に物を奪い、牢人として、各地の戦働きをしていたもの。
明日はないと、その日だけを考え、自由気ままに生きていたが、人の為に尽くす司祭をせせら笑っていたが、病を得た時に、真摯に向き合い治療のために昼夜を問わず看病をしてくれたその姿に涙し、神に仕える事を選んだもの。
子どもの頃に司祭に拾われ、信仰こそが皆を救う道と信じて疑わなかったもの。
豊臣の耶蘇教への政策を知り、憤り、今までの理不尽なもの達と同じではないかと、立ち上がった。
信仰以外に救いはなく、豊臣の世では救いは来ないと拒絶をしたもの達。
様々な信仰の思いを持ったもの達の心をとらえた司祭は、既に亡くなっている。
後任の司祭は、前任の司祭と同じように信仰心は篤いが、自己正義が強く、それを否定するものを嫌い、目的の為ならば信者の命もいとわない。
右近は司祭は尊重はしたが、意にそわないものは反論していた為、司祭は右近の事を表明上は尊重しつつも、嫌っていた。
だから、自爆を行う事は右近に秘密にして、司祭は独自で行った。
「十次郎」
「なんでしょう、父上」
「これより、殉教の道へ進む」
言葉を受け、長房は父右近の顔を見た。
「忠右衛門たちは、逃れたか」
「はい、最後まで殉じたいと言われていましたが、高山家の家名を守るためと言いつけ、落ち延びさせました」
「そうか、ならばお主も落ち延びよ」
右近の言葉に、長房は眉をひそめた、
「何ゆえでしょう」
「此処で神に殉じるのは、私だけでよい。この戦は、私の信仰の為とは言え、意地でもある」
「意地ですか」
「そうだ、豊臣、いや、秀永様は信仰を軽んずるところがる。それは、我ら耶蘇教だけではなく、寺社に対しても。教えや信仰を否定はしていはいない、だが、司祭、坊主、宮司などが民に教えを語ることを軽んじている」
「あのことですね。経典、聖書などは良い、神の教えも良い、ただ、それを説く人は信用はしないと」
「そうだ、神の代理人である教皇様のお言葉も軽んずる。それは、神を否定することに繋がる。信仰や教えを認めても神を否定するのであれば、それは、信仰そのものを否定するも同じこと」
「……」
「だが、それは為政者としては正しいことだろう」
長房は秀永を否定しておいて、認めるような言葉をいう右近に片眉をあげた。
「それは何故です」
「昔、白河法皇が頭を悩ましたことに、比叡山、双六、賀茂川と言ったことがあったそうだ。意に沿わないと、日吉神社の神輿を担いで、強訴を行う。笑えるものだ、京の鬼門にて、護国の礎になっているはずの比叡山の坊主どもが、恣意私欲で朝廷を脅迫するのだからな。果ては、酒や女におぼれる者まで出る始末。比叡山にも正道を行くものもいただろうが、結局は抑える事は出来ていなった」
「……」
「寺院も同じよ、豪族と同じ、いや、それ以上にたちが悪いか。何かあれば祟りだ、祈禱だと金を無心してくる。あの司祭様は違ったが、だが、商人たちに聞いた話が事実であれば、寺社とかわらん、欲にまみれている者も多い様だ。政は、そのようなもの達に左右されることなく、この国の事を考えなければいけない。そういう意味においては、秀永様は正しいのだろう」
「ではなぜ、挙兵に参加されたのです」
右近の話を聞けば、今回の挙兵に参加せず、秀永に協力しておけばよかったのではないかと、長房は疑問に思った。
長房を見ながら右近はひとつ頷いた。
「三つほど理由がある。ひとつは信仰の為だ。このままでは耶蘇教は邪教のように扱われ、信者は苦悩を受けるかもしれない」
「追放までは秀永様は言われていませんが」
「言ってはいない。しかし、耶蘇教も含め、寺社を含めた宗門に対して、信者・信徒・氏子の名簿の提出を命じられている。これは我々を監視するためのものだろう。何かあれば即座に処断できるようにと。それに、各宗門についての解説する書物も各地に置かれるようになった。それを見れば耶蘇教の行いは鬼畜のように思われても仕方がない」
「遥か海の向こうの土地での虐殺と横暴ですね」
「そうだ、あれを見て、司祭の言葉との差を感じる者も多いだろうかな。それに、入信しても、その者の先祖は救われない、だが、寺社は弔ってくれる。この差は大きいだろう。二つ目は戦場で死にたいという私の欲だな」
「欲だな」
「この乱世で生きた以上、寝て死ぬことはないだろうと。いや、死ねぬと。強敵と戦い、勝もよし、死ぬも良し、この土地で決着をつけたいという欲だ」
「しかし、父上は勝てないと言っておられたと思いますが」
「そうだ、勝てない。勝てるはずはない。だからこそ、強敵と戦い、戦いの場で生を終えるのだ。安閑としてなくなるよりはよい。そして、三つ目は、暴発しそうなもの達を一緒に天国に導く為だ。」
「どういうことですか」
「勝てぬ、だが、信仰は残さなければならい。此処に集まったもの達は、司祭の言葉に素直に従う者が多い」
「一向門徒と同じですね。考えることなく、信仰に従う」
「そうだ、それが一番生きていく上で楽であり、現世の苦しみから目を背けることが出来る手段だからだ。南蛮の者が司祭を使い、此処に居るようなものに騒乱を起こさせることが可能だ。そうなれば、真摯に神の教えを信仰し、隣人と手を取り当て平和に暮らそうとしている者達にも害を及ぼし、信仰を途絶えさせかねない」
「では、この戦で不平不穏なものたちを排除する狙いがあったと」
長房の言葉に右近は軽く頷いた。
「勝てばよいが、負けるの必定。ならば信仰を残すための手段は択ばぬ。まあ、勝ったとしても、また乱世になり民が苦しむかもしれないが」
「では、司祭様を弑したのは」
「不穏な動きをしたものはこの戦で、天国に一緒に行ってもらう、それだけだ」
「なぜ、私に落ち延びろと」
「実は、玄以殿に保護をお願いしている」
右近の言葉に、驚きの表情を長房は浮かべた。
「それは、お主たちだけではなく、穏やかな信者たちも含めてだ」
「受け入れてくれたので」
「問題ないとのことだ。豊臣の法に従うのならば問題ないと」
「では、なぜ」
「先ほど言ったとおりだ。それに、友の大半は鬼籍に入った。昔のような戦はもうなくなる。最後の幕引きの舞台にはちょうど良い」
長房は悔しい表情を浮かべた。父右近の考えが理解できていなかった己の不甲斐なさに。
「右近様!」
如安の元にいたものが早馬で駆け寄って来た。
「如何した」
「如安様討ち死に致しました!」
「そうか……」
そう言い、右近は胸にぶら下げた十字架を握り、祈りの言葉を奉げた。
「私への託はありますか」
「先に神の元へ行って待っていると」
その言葉を聞き、右近は微笑を浮かべた。
「これより先、私は右近様の元で戦わせて頂きます」
「分かりました、一緒に神の元へ向かいましょう。長房、生きなさい。皆の元へ行き、導くのです。愚かな司祭に惑わされず、神への祈りを守りなさい」
「……」
長房は、涙を浮かべながら頷く。
「さて、私を神の元へ導く者が来たようですので、早く行きなさい」
右近の目の先にいる人を見て、長房は馬を返した。
「では、父上、健やかに神の元へ導かれるようお祈りしています」
「ありがとう」
二人は微笑を浮かべて、見つめ合った。
「では」
そう長房は言い、戦場を後にするように馬をかけさせた。
戦場を後にする単騎を見つめながら正則は、右近の元に近づいていった。
ここに来る前に、秀範から伝令が来て、如安を討ち取ったと聞いていた。
こちらの戦いも終わるかと、感じていた。
「右近殿」
「久しいな、正則殿」
「如安殿は討ち取った。もう、戦は終わりです。下りませんか」
「ふふふ、正則殿とは思えぬ、温情ですな」
「如安殿も右近殿もこの国にとって、必要な人たちと思っていましたが……」
「ありがたい言葉、感謝する。だが、我々の信仰を否定するものに従うことは出来ません」
「秀永様は」
正則の言葉を遮り、右近は反論した。
「信仰を理解していないお方に、我々を理解することは出来ません」
「……」
「言葉は、もう不要です」
そう言いながら、右近は槍をわきに抱えた。
それを見て、正則はため息をついた。
右近は歴戦の戦人。しかし、年齢による低下は否めない。
油断する気は正則にはないが、負けるとは思っていない。
「致し方ありません」
そう正則は言い、槍を構えた。
「では」
右近は正則の言葉を微笑で返した。
正則は馬の腹を蹴ると、右近の元に駆け出した。
右近も合わせるように、正則に向かい馬を駆けださせた。
気合一閃、正則は右近の胸元に槍を突き出した。
渾身の槍はうなりをあげながら右近を突き刺そうとしたが、右近はその穂先を自らの槍の中腹で払い回転させ絡めとるように、正則の槍を下に払った。
槍の穂先に力を加えられた為、正則は槍が下に払われると同時に、槍を握っていた左腕を持っていかれそうになり、馬上で体勢が崩れた。
その隙を狙い、右近は脇差を引き抜き、正則に投げつけた。
正則は右手で脇差を抜いて、投げられた脇差を叩き落した。
右近は、正則が脇差を払っている隙に、更に馬を近づけ槍を正則に突きだしたが、それを脇差で払いのけた。
左腕に力を入れ、正則は槍をしたから払うように右近に向かって叩きつけた。
右近は槍を両手で持ち、正則の槍を受けるが片腕とは思えない剛腕によって、馬上の態勢が崩れてしまった。
それを見て、正則は槍を軽く戻して、渾身の力を込めて右近の胸に突きだした。
右近は体をひねって逃れようとするが、間に合わず、胸に槍が突き刺さった。
正則が槍を引いたのち、口から血を流し、右近は馬上で前に倒れた。
「神よ、我に救いを、この世に施しを……」
右近はそう呟いて、こと切れた。
右近の最後を見た、供の者たちも正則の兵に突入していった。
「何故だろう。右近殿のような高名な武士を討ち取ったにも関わらず、この虚しさはなんだ」
そう言いながら正則は、右近の亡骸に手を合わせた。
明けましておめでとうございます。
旧年中はお付き合いのほど、お世話になりました。
今年一年が皆さまにとって、良き年になりますようお祈り申し上げます。