第2回 生い立ち
私は幼い頃、まだ私が過去の記憶もない年齢の時に、両親は離婚したそうです。
その後、病弱な母に育てられましたが、私が小学3年生の時に母は肺炎をわずらいこの世を去りました。
母が亡くなった後は、私の親権が身内で問題になり、行くあてもなく母のお母さん、つまり祖母の養女として引き取られました。
お婆ちゃんはすごく優しくて、厳しくて、いろんなことを教えてくれました。
昔は教師だったそうで勉強も教えてもらいました。
そのおかげで私の成績はいつも上位。
そしてお婆ちゃんは、いつの時代にも女性は料理が上手なのは大事なのよ、と料理をたくさん教わりました。
作法やマナー、行儀など・・・どこに出ても恥ずかしくないように教えてくれました。
私も問題なく小学校を卒業して中学校生活が始まった1年生1学期の半ば、大好きだったお婆ちゃんはあの世に旅立ちました。
”お婆ちゃん、今まで私を育ててくれて本当にありがとうね。
お婆ちゃんのこと、一生忘れないよ。”
私は祖母の亡がらにそう告げました。
その後の私は引き取り手のない状態で役場を通し、児童相談所の観察の下、孤児院に入ることになりました。
孤児院の施設では、上は高校生から下は1歳の子供まで、みんな元気で明るい子ばかりでした。
”洋子と言います。中1です。よろしく。”
少しぶきっちょな挨拶でしたが、みんなは歓迎してくれました。
新しい生活では、学校も転校して新しい友達を作り、施設ではルールを守りながら集団生活をしていきました。
中学3年になって受験勉強の時期になると、施設のお兄さん、お姉さん、先生方が交代で教えてくれました。
そして県下でも最高の公立高校に合格。
私の生い立ちは恵まれてはいなかったけど、育った環境は本当に恵まれてると実感しました。
高校では吹奏楽部に入りフルートに取り組みました。
そして高校の県大会フルートソロの部で優秀賞をいただきました。
その時将来はこのフルートで生きていこうと思いました。