叔父は平凡に
一月遅れましたが、なんとか新年前に再開という形になりました。半年空けたにもかかわらず、大枠以外がふわふわしたまんまなんですが、なるようになるだろうとか、そんな感じです。
人の死なないミステリが難しすぎて、ミステリ的レトリックに逃げた感バリバリなんですが、広い心で見てもらえると幸いです。
一月、ミザール王国の首都から少しばかり離れた場所に建つグッドフォロー侯爵邸の中には、少しばかり弛緩した空気が流れていた。
そもそも、元を正せば国王の別邸であり、王都周辺に限定すれば公爵の屋敷より巨大な敷地を抱える家屋敷を、最大時の三分の一以下の数の使用人で回さざるえないというのがグッドフェロー家の現状である。普通であれば、屋敷の内部の空気が良かろうはずもない。
それが常日頃、きちんと緊張感のある空気が保たれていたのは、屋敷の残っている使用人たちが3代以上前からグッドフェロー家に伝えている人々であることもあったが、何より、かつて宮廷詩人に”新月の夜にもミザールには月の光が絶えることはない”と詠われたその金の髪にも負けぬ、屋敷の主人の知性の輝きに拠るところが大きかったのだ。
「もう新年ですか、時が経つの早いものですね」
「エヴァ、お前ほんとうに大丈夫なのか?」
パチパチと暖炉の中で木々が燃える屋敷の一室──客人ではなく家族と時を過ごすために造られた伯爵邸の規模からすればこじんまりした部屋で、新年の挨拶にやってきたヘンリー・グッドフェローは共に卓を囲んでいる己の姪に今日、三度目になる気遣わしげな言葉をかけた。
「しつこいですね、叔父さんも。何も問題無いと言ってるじゃないですか」
そりゃ、しつこくもなるだろう。何とも地味な臙脂色のドレスに身を包み、今もまたその緑色の瞳を何処とも分からぬ虚空に向け始めたエヴァを見て、ヘンリーは心の中でため息をついた。
「しかしな、エヴァ。わしはお前がそんなに内容の無いことを口にするのを、始めて聞いた気がするぞ」
「いけませんか?」
「いけなくはないが、心配にはなる。それではまるで──」
「”昔に戻ったようだ”ですか?うちの使用人たちにも何度か、似たようなことを言われましたよ。どうやら、わたしを放っておいてくれるのは、一人だけみたいですね」
「サハル、君には理由が分かってるのかね?」
こちらはいつもと変わらんな。光源が限られているとはいえ、その下に褐色の肌が隠れているとは到底思えないその容貌を眺めながら、ヘンリーはエヴァの後ろに影のように控えていた使用人の少女へと問いを投げかけた。
サハルはヘンリーに一度頭を小さく下げた後、主人の許しを得ると、抑揚を欠いた声で言葉少なに答えを返した。
「エヴァンジェリン様は、知らせが来るのをお待ちなんです」
「知らせというのは、手紙ということかな?」
「形は分かりません。ですが、近い将来、何らかの形でやって来るものです」
サハルの言葉はかなり曖昧だったが、それを聞いたヘンリーは得心したというように首を何度も縦に振ってみせた。
「もちろん、その知らせの主はわしも知っている男性ということだな」
「左様で」
いったい誰に似たんだか。エヴァは明らかに叔父を誤誘導しようとしている使用人を咎めたてるでもなく、卓の上に置かれた各種の香料で味付けされた暖かい葡萄酒をすすった。もしヘンリーが真実を知ってしまえば、行き着く先は破局しかない。それが最終的には避けれない帰結であったとしても、率先して結果を手繰り寄せそうとは思わない程度に、彼女は彼のことを好いているのだ。
「いつの間に、そんなことになっていたんだ?」
「そりゃ、ヘンリー叔父さんの知らない間にじゃないですか」
「そうと知っていれば、この前、アーチボルド刑事に会ったとき、もっと気の利いたことを言えたんだがな」
しかし、叔父さんの心配も無理もないか。いつもなら積極的に誤解を広げて楽しみに耽るだろう場面で、どうにも気乗りしていない自分を感じて、エヴァはそろそろ自分を律しなくてはいけないなと反省した。
サハルもまた少しばかり誤解しているようだったが、エヴァは別にウィリアムから何の働きかけもないことで気が滅入っているわけではないのだ。むしろ、彼女の気分は最高に近かった。
まだ目に見える形で現れていないだけで、彼女が知る中で最高の知性の持ち主が、この王国の中に根を張り始めているのだ。その隠された意図を見極めるために、情報を収集し、解析し、推測を立て、それを新たな情報とすり合わせながら、解析の質の高め、推測によって得られる像を更に多面的に構築していく作業は、彼女にとって最高の娯楽であった。
あまりに愉しすぎて、他の事象への関心がおざなりになってしまうほどに。
しかし、それではいけないことはエヴァ自身が重々承知していた。一月に入ったというのにまだ裏庭の葡萄の樹の剪定を行っていないし、偽名で名を連ねている学術誌の締め切りも近い。一つ一つは瑣末な事柄であっても、それらが連なってエヴァの世界を形成していくのだ。それを疎かにするということは、自分やひいては彼女に最高の評価を与えてくれた彼への侮辱ですらある。
とりあえずは卑近なところから始めるかな。そう決意すると、エヴァはその瞳の焦点を対面に座るヘンリーへと改めて合わせた。
「刑事ということはアレですか、叔父さんが片棒をかついだ詐欺の件でもバレましたか?」
まるで皆が知っている常識であるかのような口ぶりで姪から放り込まれた爆弾に、ヘンリーは口に含んでいた葡萄酒をすんでのところで噴出しそうになったが、何とか持ちこたえることに成功した。自慢にもならないが、彼はこれまでにエヴァからもっと容赦のない口撃を何度となく喰らったことがあるのだ。
「あのな、エヴァ、あの件に関してはわしも被害者なんだぞ」
「被害者、ね。本当に信じてたんですか?一介の軍人が、海のむこうで現地人の首長から資源に恵まれた広大な領土を譲り受けたなんて御伽噺」
「大佐は国旗や貨幣、あげく、わしを顧問にして憲法制定の準備までしておったんだぞ」
疑う方が難しいじゃないか。暗黙裡にヘンリーが示唆したように、着実に進められていく建国の準備と、本当に軍人であった男の自信満々の弁舌に騙されて、かなりの人間がありもしない国の国債や土地の権利書を買い漁ったのだ。実際、豊かな学識で知られる人物の中にも、この稀にみる大掛かりペテンにすっかり騙された人間が少なからず存在していた。
ただ、エヴァは自分の叔父が純粋な被害者などではないことをよく知っていた
「本当にそう思ってらっしゃるなら、海外の銀行にある手付かずのままの顧問料をお使いになればいいのに」
しばし、暖炉の薪が燃え落ちる音だけが部屋の中に響いた。
いけないな、調子に乗って虐めすぎたか。そう思いつつも、エヴァは追撃の手を緩めなかった。ウィリアムとのことを考えればしばらく叔父が屋敷を訪ねてこない方が都合がいいというのもあったし、何より口の周りをヒクヒクさせながら何も言えずにいる彼の表情が最高に素敵で、もっと見たいという気持ちが抑えられなかったのだ。
「何とも中途半端ですよね。使えないというなら寄付でもすればいいのに、それもしない。要するに、思ってもみない被害の大きさに胆を潰したわけですよね」
かすかに侮蔑の念のこもったその言葉に、ヘンリーはグラスに残った葡萄酒を一気に飲み干した後で、弱々しく反論した。
「被害者の中には陸軍大臣の奥方までいたんだぞ」
ヘンリーさまはやはり悪事には向いておられませんね。空になったグラスにワインを注ぎながら、サハルは己の主人と全く同じ感想を抱いていた。
「警察の調べでは、貴族以外の人間から騙し取った額の方が多いようでしたけど」
「今回はたまたま、債権の値段が彼らにも買える程度のものだったからな。一人一人は微々たるものだよ」
この詐欺の最大の特徴は、貴族や王族といった社会的な地位のある人間を超えて、市井の人々から組織的に金を騙し取ろうとしたことにあるのだ。そして、ことが露呈した後で発表された被害の額は、今まで貴族相手に行われていた大半の詐欺の金額に匹敵するものだった。
限られた一握りの人間から無数にいる大衆へ、この詐欺という犯罪における歴史的転換点に立ち会いながら、彼はそのことを全く認識していないのだった。
「その件じゃないとすると──」
広げた右の手の指を一本一本折っていくエヴァにそれ以上は何も言わせまいと、ヘンリーは急いで口を開いた。
「わしが会ったのは王笏の件だよ。お前だって、知らないわけじゃないだろ?」
「そりゃ、あれだけ新聞で書き立てれば嫌でも目に入ってきますが。まあ、十人を超える警官が見張りをしていた王立美術館から、まんまと王笏が盗み出されたわけですからね。面白おかしく書きたてられるのも無理もないですけど」
「盗まれた日な、わたしもその場にいたのさ」
いつもなら一月の半ばを過ぎないと挨拶にこないのにと思っていたら、こんなことか。近頃もっとも注目を集めた事件の当事者の一人となりおおせ内心鼻高々なヘンリーを、エヴァは醒めた目で見ていたが、叔父の方はそんな姪の内心に気づかず今まで何度も社交の場で披露して磨きをかけたのだろう名調子を披露しようとした。
「そもそも、わしがあの日、王立美術館にいたのは館長であるベネディクト・ドジソン卿から、呼び出されたからなんだ」
「ドジソン卿ですか。確か、大学のボート部がご一緒でしたよね」
いきなり出鼻を叩かれたものの、この程度で反応していてはエヴァの叔父は勤めらない。自分にそう言い聞かせて、ヘンリーは鷹揚に頷いてみせた。
「とはいえ、わしよりドジソン卿は4歳上だからな。ほとんど入れ違いだ。大学にいた時は、こっちが一方的に知っているだけの間柄だったよ。お前は知らんかもしれんが、あの人は当時から一風変わっていてな。一度議論を始めると、火をつけた葉巻を右手でぐるぐるん回しながらな、何時間でも話続けるのさ。お陰で、周りの人間はいつ火事にならないかと冷や冷やものさ」
「そこで本当に火事を起こしていたら、案外と生命保険より先に火災保険を発明していたかもしれませんね」
エヴァの軽口にヘンリーは何も言わず年長者らしい深みのある笑みを返した。ベネディクト・ドジソンが、妻を病気で、二人の息子を戦争で亡くしたことをきっかけに生命保険という商売を思いついたというのはあまりに有名で幾度となく冗談のタネにもされてきたエピソードだったが、知人ましてや故人に対して下らない軽口を叩く気にはなれなかったのだ。
「その生命保険で蓄えた富も、惜しげもなく王立美術館に寄付していたんだ。間違いなく、立派な人物だったと思うよ」
「それについてはわたしも異論はありません。生憎、わたしは足を運べる立場ではありませんでしたが、話に聞く限り、前館長であった王弟陛下より、企画力においても審美眼においても、全ての面で勝っていたのではないですか」
「わしみたいな無骨ものに美の何たるかは分からんがね。士爵の身で、王笏の展示を許されたのは、彼の名望があってこそのことだ」
成功者を素直に讃えることが出来るのは、ヘンリー様の美質の一つですね。後ろに控えているため確認こそ出来ないが、サハルは己の主人の口角がわずかばかり上がっているだろうと確信していた。老獪な策士という彼自身の自己評価とは食い違うかもしれないが、ヘンリーがこの国の社交界で確固たる地位を獲得したのは、エヴァの影からの援助によるところもあったが、彼の人柄によるところも大きいのだ。
「それで、そんな士爵にどんな用件で呼び出されたんです?」
エヴァがわしに気持ちよく話させてくれるとは珍しいな。自分が姪の機嫌を良くした理由も分からぬまま、エヴァからの格好の誘い水にヘンリーは半信半疑ながら飛びついた。
「もちろん、わしは弁護士だ。相談されるとなれば法律のことに決まっている」
「法律、ですか」
「そうさ、もう分かってるだろ?過去百年一度も使われないことがない法の化石。不敬罪だよ──」




