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再会は唐突に

「リナ・ホワイトには手を出さなくていい」


エヴァは部屋の前の扉に控えていたサハルに短くそれだけ言うと、最高級の赤絨毯がしきつめられた屋敷の廊下をゆっくりと歩き始めた。


「ではそのように。それと、ついさきほどここで、オルガ・スタンレーの裏が取れました。やはり彼女も、リリアンやアリスは団体こそ違いますが師は同じ人物だったようです」

「190を超える見事な体躯と、こちらを見通すような漆黒の瞳か」

「彼女たちが自分たちの団体に、相続した遺産の一部を捧げていることはほぼ間違いありません。他にも数例、あの方の教団に所属している女性が、突発的な理由でかなりの遺産を相続しています」

「相変わらず、女に甘いというか、何というか。わたしが謎を解くまでもなく、その内露見するはずだったわけだ。死者の冥福を祈るために、本来手に入れるはずではなかった分を、信仰の道に捧げるってことかな」

「それだけで済めば幸いですね」

「最終的には出家して、財産を喜んで捧げる様が目に浮かぶよ」



二人は脳裏に同じ人物の顔を浮かべながら、廊下を歩き続けた。

普通の娼館には、客同士がばったりと出くわして気まずい思いをしないように何らかの工夫が施されているものだが、隣国においても比べることもない美姫たちが集うこの娼館は、紹介制を敷いており、この館の中で姿を見られることはむしろ男たちにとって誇りであったので、その類の配慮はあまり存在しなかった。

特に貴賓室を含む二階の奥まった部分は使用できることが一種の誉れであるというような部屋だったので、客が美姫たちと歓談を行うためのスペースを見下す形になる二階の廊下を通る仕組みになっていた。


エヴァたちは今その廊下を通りぬけるところだったが、上から見下ろせるということは、下から見上げられるということであって、盛況を極めるこの娼館のこと、午前11時という時間であっても普通に下には複数の人がいた。


エヴァとしても最初の頃は廊下を通るとき顔を隠すくらいのことはしていたのだが、隠せば探りたくなるというのが人情というものらしく、上流階級の間で女の正体をめぐって活発な議論が行われていると小耳にはさんでしまったので、さっさと隠すのをやめた。下手に注目を浴び続けるより、既成事実にしてしまった方がリスクが低いと思ったからだ。

「悪魔の花嫁」という戯れ歌の一節には、花嫁が淫蕩に耽り家財を傾けたとあるが、これは二月に一度のこの集まりのことを指しているのだろうと歌われた本人は解釈していた。


「三人も入れ替えとなりますと、しばらくは薔薇の館ですね」

「というより、わたしは他の場所に会場を移す気はまったくないよ」


おや。サハルは少しばかり眉を動かした。この五年、エヴァは特に理由を示すでもなく、会場を移動させるサハルの提案を手の動きだけで退けるのが常だったからだ。


「ウィリアム様が始めた慣例だからですか?」

「いや、女があの部屋に入る方法が他にないからね。ウィル兄さんが作ったものは色々あるけど、あの貴賓室が一番、あの人本人に近いから」

「左様ですか」


もしかして、例会を受け継いだ理由というのは──サハルはそこまで考えたところで、すぐにもっと実際的なことに思考を切り替えた。彼女は主人がどのような思想信条の持ち主だろうと最後まで仕え抜く自信はあったが、それはそれとして自分がした仕事には意味があった方が喜ばしいと考える人間だったからだ。


エヴァたちは廊下を抜けると、サハルは先行して左右にいくつか見える扉の1つを開いた。そこは娼婦と酒などをかたむけるための場所とそこから内扉でつながら寝所からなる一室だった。サハルは扉のノブを手で掴んだまま、部屋の中をじっくりと検分すると、エヴァを室内に通した。


この部屋は窓の外に、そのまま下へと降りられる外接の階段が存在している部屋の1つで、一回にはエヴァたちの馬車が止まっている。サハルはエヴァを部屋の一角に押し留めると、階段や馬車の周囲を念入りにチェックした後、改めて部屋の中に戻って主人を外へとエスコートした。


これは今日が特別というわけではなく、サハルがいつも踏んでいる手順であった。


リナ・ホワイトの城とでも称すべき薔薇の館で暗殺を試みるというのは、己の死刑執行の書面にサインをするに等しい愚行であるため、エヴァとしてはサハルの警戒は過剰なものに思えたが、下のものに一任した仕事に細々と口をだすのはよき主人のするべき振る舞いではないので、好きなようにさせていた。


ただ、何事も無く馬車に乗り込んだ後は、いつも決まって使用人を揶揄することにはしていたが。


「ほら、今日も何も無かったじゃないか」

「いつも申しておりますが、もし計画的にエヴァンジェリン様を殺害しようと考えれば、場所はここかグッドフェロー邸以外にはありえません。警戒して警戒し過ぎるということはないと愚考いたします」

「論理的に考えれば、わたしの死を願っている人間で、薔薇の館にツテがある者は、あそこでコトを起こすのを望んだりはしないんだけどね」

「人は時に論理的ではない理由で行動する生き物ですので」

「そりゃ分かってるけどね」


死ぬときくらいは、論理的に死にたいものだな。エヴァはそんなことを思いながら、肩をすくめた。


サハルがそんな主人の態度に言葉を重ねようとしたとき、主従の身体が急に揺れた。馬車が急制動をかけたのだ。エヴァの前に身を乗り出しつつ、馬車の窓を隠していたカーテンを開けると、そこには見るからに小汚い物乞いがいた。

何重にもボロボロの上着を重ねることで冬の寒さを防ぎ、顔の半分を白髪まじりのフケの散った髪で隠したその男は、酒でつぶれたと思しき声で、ぶつぶつと馬車に向かって何かを呟いていた。


薔薇の館の裏口から外の道に出ようとしていた馬車と、門の前にいた貴族の憐れみ狙いの物乞いがニアミスした。サハルはそう結論すると、手の動きだけが男を追い払おうとしたが、

出来なかった。


「どうぞ、中にお入りになって下さい」


エヴァがそう言いながら、いそいそと馬車の扉を開けてしまったからだ。


自分への当て付けだろうか。サハルは一瞬そう考えたが、すぐにその考えを消した。というより別の答えがすぐに出たのだ。彼女は改めて、物乞いを見直し、その髪に隠れた黒い瞳を確かに認めた。


「お二人きりにした方がよろしいでしょうか?」

「いや、かまわない。サハル、お前も同席しろ」


先ほどまでのだみ声が嘘のような深みのあるテノールで、物乞いの格好をした男はそう命じた。正確にはもはや物乞いの格好もしてはいないのだ。彼はポケットに入れておいた薬品で、自分にまとわせていた獣のような臭いを緩和させると、既に三重にまとっていた綿の入った粗末な服を脱ぎ、その下に来ていた漆黒の法衣がのぞこうとしていた。


それと同時に猫背と服の厚みによって隠されていた体格もまた顕になり、もはやそこには先ほどまでの憐れな物乞いの姿は陰も形も存在していなかった。


最後につけていた鬘を取って、見事な剃髪を大気にさらすと、上着と鬘を馬車の上に適当にくくりつけて、ウィリアム・ミザールは馬車の中へと入ってきた。


ウィリアムの巨躯からすれば、窮屈ですらあるだろう馬車の中に座るのでさえ、その挙動は乱れ一つ見せない。祖国を追われてなお、男は間違いなく貴族の中の貴族が持つべき品格を十全に保っていた。


「お久しぶりです、ウィル兄さま。僧侶になられたとは知りませんでした。随分と熱心に布教をなされていらっしゃるようですが」


エヴァの露骨な当てこすりも気にせず、ウィリアムはまるで太陽のように破顔した。


「ああ、こちらの思想は”有”においては東に優るが、”無”においての思索は東の方が一日の長がある。なかなか、刺激的なものだよ。とある寺を1つ買い上げてな、門外不出の経典を幾つか所有したんだ。お前も興味があるだろ、後で誰かに写しを届けさせよう。ついで翻訳を手伝ってくれると助かるんだがな」

「訳した経典で、また信者の数をお増やすになられるわけですね」

「そう妬くな、エヴァ。そもそも教団を作ったのは、お前のところのとかち合わせたら愉快だろうと思ったからだ。まあ、その前にそっちのは人死にが出て潰れてしまったがな」


エヴァはそれだけでウィリアムに対してあったわだかまりが消えるのを感じた。自分でもどうかと思わないでもなかったが、彼女にとっての一番の不満は、男が自分をそっちのけにして他の人間と遊んでいるという事実だったのだ。


「それはすみません。そうと知っていたら──それはそれでありえませんね」

「そうだな、片方が知らない内にかち合うから愉快なのであって、両者が知った状態でやるには、少しばかり退屈な遊びだと思うぞ」

「退屈だろうと退屈でなかろうと、薔薇の館の主はわたし達の遊びには関わりたくないと言っていましたけどね。まあ、兄さまもそれを見越して、お声をかけなかったのだと思いますけど」

「女は生まれながらに美しい。だが、美しくあり続けることは困難な道だ。無駄に手折る必要もないだろうさ」


エヴァはその話題をそれで切り上げることにした。ウィリアムは昔から湯水の如く女を褒めるタイプの男だったし、その賞賛の列に自分が並びたいと思ったことは一度もなかったが、わざわざ拝聴したいような代物でもなかった。


「警察の練度を測った結果は、どうでしたか?」

「残念ながら、エヴァを除いて、誰も俺にたどり着く素振りすらみせないな。まあ、ジャックに関しては、お前を引きずり込んだという一点だけで、十分な成果と言えないでもないが」

「学生時代に随分と可愛がっておられたとか」

「おやおや、戯れ歌には花嫁が嫉妬深いとは歌われていなかったはずだがな。あれは少しお前に似ているだろう?」


エヴァはその言葉に嫌そうに顔をしかめたが、サハルはその言葉がすらりと胸の中に入り込んだ。


「どこがですか?」

「人の良いところばかりが目に入るところさ。お前のは対称の美で、あいつのはただの蒙昧さだがね」


唇をわずかに尖らせながら、エヴァはその説に反論した。


「言わんとするところは分かりますけど、それを一括りにするのは世界広しといえども、ウィル兄さまくらいものですよ」

「そうか?サハルは得心したという顔をしていたぞ」


突然のパスにサハルは気が動転しかけたものの、このような無茶振りをされたのは始めての経験ではなかったのが幸いして、どうにか滑らかに回答することが出来た。


「申し訳ありません。エヴァンジェリン様が、どうしてアーチボルド様の接近を許しているのかという謎に対する納得できる答えでしたものですから」

「別に謝る必要はないよ。けど、サハルが納得するというなら、そうなんでしょうね。今後、気をつけることにします」

「改める必要はない、それはお前の一番の美質だ」


ウィリアムはそう言いながら、エヴァの頭をふんわりと撫でた。

これだから、ウィル兄さまは嫌なんだ。エヴァは自分の頬が朱に染まるのを感じないわけにはいかなかった。彼女の卓越した記憶力をもってさえ、彼女の美貌や知性ではなく性格を褒めた人間はほとんどいない。ウィリアムを除けば、父と、あとはまあ、蒙昧な某がそれに類したことを言っていたくらいものだ。


「ところで帰ってきた理由を聞かないのか?」

「この地はウィル兄さまのものなのですから、帰ってくるのに理由など必要ありません」


エヴァは即答した。それは彼女の偽らざる本心であったし、実際にも、半年とかけずにウィリアムの頭に栄えある王冠を確実に載せられるだけの手筈は整えてあったのだ。


「俺がそんなものいらないと言ったらどうする?」

「いつか必要になられたときのために、適当に管理しておきます」

「まっ、お前ならそう言うんだろうな──話は変わるが、死体の解剖をやっているそうじゃないか」


急に話題を変えたウィリアムの意図を考えながら、エヴァは自説を展開した。


「兄さまの”無”への関心にも通じますが、わたしは、これからの学問は”死”を志すべきだと考えていますので」

「では逆に聞くが、”生”とは何だ?」


頭の中で無数の書物が開かれ、様々な碩学たちが述べた「生」の定義がエヴァの中を駆け巡る。その全ての閲覧を終えたところで、エヴァはこれではウィリアムを満足させられないだろうと結論した。求められているのは、死体を介して産み出された彼女の知見なのだ。


「”生”とは、肉体という物質の上にまとわりついた”夢”のようなものです」

「夢か、ずいぶんと俺好みの表現を選んだものだな。それで、誰の夢だ?」

「わたし達の夢でしょうね。あるいは、わたし達が信じる神の夢なのかもしれません」

「なら、その夢を書き換えることが出来ると思うか?」


エヴァは青ざめた顔で、ウィリアムをじっと見つめた。


「──それが帰ってこられた理由だと?」


またウィリアムはエヴァの頭を撫でた。しかし、エヴァの顔色は色づくことなく、まだ青ざめたままだった。


「まったく、真に受けるな。ただの言葉遊びだよ」


エヴァは五年前、ウィリアムが何故にこの国を去ったのか知らなかった。あの時点で彼にはその気になれば、王位を簒奪できるだけの十分な準備が存在していた。何故、彼が王ではなく大罪人という立場を選んだのか、エヴァは今まで知ろうとしたこともなかった。

それは何も言わずにいなくなった彼への意地のようなものでもあったが、それ以上に理由を知ることが怖かったのだ。それが彼女と彼の決定的な断裂を示していそうな気がして。


だから、エヴァはそれが言葉遊びなのだと信じることにした。


「そうですね。書き換えられるでしょう。ウィル兄さまの言う通り、わたし達が信じる神は、結局のところ、言葉で出来ていますから。ですが、あの幾重にもなる解釈の網を打ち破れるものでしょうか」


口ではそう言いながら、エヴァにはウィリアムの真意が分かっていた。それはあまりに美しく、そうであるが故に地上に絶対に存在するべきではない天上の理論だった。


「新しい国、新しい神、新しい人、だよ」


狂っている。一足遅れて、ウィリアムの言わんとすることを理解したサハルは、率直にそう思った。彼女は革命主義者と言われる人間を何人か知っていたが、その最も先鋭的なものさえ、流される血は虐げられている人民のためのものだと主張していた。

サハルはその「人民」が彼らの脳内にしか存在しない類のものだと嘲ってはいたが、それでもウィリアムが唱えるものより数倍もマシだった。

何せ、目の前の男が言う「新しい人」とは未だに存在していないものなのだ。それはつまり、現に存在している人間は絶対にそれに当てはまらないことを意味していた。そこから導きだされる答えは歴然としてる。


「どれだけの人が死ぬとお思いですか?」

「露悪的に言うのであれば、こうだろうな。エヴァ、畜生のたぐいは匹で数えるものだぞ、とね。ほら、そう怖い顔をするな、ちょっとした冗談なのだから。まあ、笑ってくれればそれにこしたことは無かったが。残念だよ」

「申し訳ありません」


エヴァはしゅんとして頭を下げた。五年前に誘われていたならと彼女は一瞬思ったが、答えは間違いなく同じだっただろうことは分かりきっていた。というより二人とも出会ったときから薄々分かっていたことなのだ。自分たちに根幹的な趣味の違いがあることは。


「謝ることはない。先ほども言ったが、それがお前の美質だよ。それに──」


その先を口の中で圧殺して、ウィリアムは改めてまた口を開いた。


「ふむ、そうだな。悪いと思ってるいるなら、一つ謎を解いてくれないか」

「謎ですか?」

「ああ、俺にはどうにも答えに確信がもてなくてな。エヴァの意見を聞いてみたいと思っていたところなのさ」


そう言うと、ウィリアムは吟遊詩人もかくやという調子で1つの奇怪な出来事を語り始めたのだった。













というわけで、ウィリアム兄さまです。キャラ造形に悩んだのですが、いい人系大量虐殺者、というよく分からない代物になりました。魔女狩りの異端審問官とか、割とそんな感じもしますが、ウィル兄さまは、自分が絶対の正義だと思っているわけでもないので、更に性質が悪いと言えるかもしれません。今時といえば今時風でしょうか。


二人が語っているものはちょっと前に流行ったやつというか「にんげんは鋳造(つく)れる」とか、そんな感じものです。所詮、頭のいい人たちの会話など、作者には無理だったのだと色々と噛み締めております。


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