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探偵令嬢は殺人事件の夢を見るか  作者: 十二箇月遊
幽霊犬は二度吠える
13/24

晩餐は不器用に

前に二篇目の二章目のところに入ってたやつを、ほんとに軽くリライトしただけのものです。読んだことがある方は、読まなくても特に問題無いと思います。

エヴァとジャックの晩餐はそのほとんどがつつがなく終了していた。


2人が食事をしているのは伯爵家において正式に客をもてなすために作られた大食堂ではなく、伯爵家の人間のみが食事をする際に利用する小さめの食堂だった。


これはエヴァがジャックにそれだけ親近感を覚えているというよりは、大食堂は最大で20人の人間が共に食事が出来る巨大なものであり、2人での晩餐という状況でこれを利用するのは、いかにもかつての伯爵家の力を見せ付けようとしているようで、あまりにも滑稽だと彼女が判断したところが大きかった。


「いや、満喫させていただきました」


ジャックは飲んでいた酒精入りの紅茶を受け皿に置くと、いつもの地ではなく、いかにも御曹司めいた上品な言葉使いで胃の中に収めた全七皿からなる料理の数々を賞賛した。


「それは、何よりでした」


どこに出しても恥ずかしくない深窓の令嬢のごとき笑顔で、エヴァは目の前に座っている客人の言葉に答えた。目の前とはいっても、2人が囲んでいるのは樫の木から作られた8人用の食卓の端と端であり、その距離はそこそこ離れている。


サハルはエヴァの背後という慣れ親しんだ定位置で2人の晩餐をずっと眺めていたが、馬鹿馬鹿しいなというのが正直な感想だった。


この茶番のきっかけは、ジャックが自分の菓子を絶賛したことを知った屋敷の料理人が、是非とも彼に正式な料理を振舞いたいエヴァに申し出たことに始まる。

本来であれば、料理人如きが主人に招待客を指図するなど、絶対にありえないことなのだが、エヴァは気安くこれを許可した。彼女にとってその料理人は、サハルたち双子と同じように、可能ならば全世界に見せびらかしたいと思うほどの宝物だったからだ。


当日、自慢の料理人の作品に身劣りしないようにと、家宝の宝石まで取り出して着飾っていたエヴァは、誰が見ても分かるほど機嫌が良さそうだった。

しかし、それも、ジャックがぬばたまの燕尾服でその巨体を優雅に着飾り、ねずみ色の胴衣でびしりと決めた姿を見るや、あっさりと崩れ去った。

ジャックの服装に問題があったわけではない。何せ、彼の胸にはアーチボルド家の家紋である百合を題材にした金剛石の花飾りまで挿しているのである。少なくともジャックが今回の席に対して十分な敬意を払っていることは疑いようが無かった。


後ろにひかえていたサハルから見ても、二人の服装は私的な晩餐にしては少しばかりめかしこみ過ぎたきらいはあったが釣り合いは取れていた。

いつものエヴァなら気負い過ぎた自分たちの格好を冗談の一つにでもしただろう。しかし、その日のエヴァは滅多に用いないような上品かつ甘ったるい言葉使いで、ジャックに屋敷の中を案内し始めたのだった。


結果、それから三時間あまり相手が猫を被っていることを知りつつ、いかにも貴族めいた退屈な会話に終始するという、完全なる時間の浪費が、伯爵家の内部で行われることになった。


これは全面的にエヴァに非があった。訪問客であるジャックの立場からすれば、自分から急に砕けた口調で話しかけるという選択肢は存在しなかったからだ。親しき仲にも礼儀というものはある。まして、彼らは知り合って1年と経っていないのである。


どうするべきか。ジャックは考えに考え抜いた末、何も考えないで行動することに決めた。これはもしかしたら古い貴族の家柄だけがする遊びのようなものであって、そのような行動は成り上がりとして嗤われるかもしれないという懸念はあった。しかし、それに怯むのは彼の流儀ではなかった。


「グッドフェローさん、わたしがあなたをご不快にさせるようなことをしたなら、謝罪させてください」


ジャックからの突然の謝罪に、エヴァは一瞬だけ眉をひそめ、次いで小さくため息を吐いた。


「いや、謝るのはわたしの方だろう。申し訳ない。何せ、久しぶりの客人なものでね。もてなし方をすっかり失念してしまったようだ」


美しく編み上げられた金の髪を二度、三度振ると、エヴァは立ち上がって、サハルの方に視線をやり、ジャックの方へしずしずと歩き始めた。


エヴァが身にまとっているのは流行とは一線を置いたサテン地の夜会服だった。これはそもそもエヴァの母の服を妹に合わせて縫い直したものだが、カーサにはその古風な感じがどうにも似合わず嫁ぐときに置いていってしまったのだ。


だが、そのようなうち捨てられた服も、エヴァが着れば別の印象を与えてくる。

威厳ある女主人。今の彼女はまさにそれであった。


サハルはエヴァが先ほどまで座っていた椅子を軽々と持ち上げると、それを持って歩く主人の後ろについていく。


エヴァはジャックと食卓の角を挟んで向かい合うような位置で立ち止まると、後ろを確認するでもなく腰を下ろした。彼女にとって、そこに椅子が存在していることはこの星が太陽の回りを回っていること同じくらいには確かなことだったからだ。


その確信通り、見事に着席すると、エヴァは先ほどとは違う少しばかり挑発めいた笑みを浮かべて、ジャックに話しかけた。


「これで楽しんでもらえるかな?」

「誤解して欲しくないんだが、別に何か不満があったわけではないんだ。料理は本当に美味しかったよ。ただ、何か理由があるなら聞かせてもらいところではあるがね」


理由か。葉巻に火をつける許可を求めるジャックに首の動きだけで同意を示しながら、エヴァは自分で少しばかり不確か内面を探ってみた。すると答えはすぐに出た。思わず、頬を赤く染めてしまうような滑稽な答えではあったが。


「別に言いたくないなら、無理とは言わないが」

「いや、別にかまわないよ。どうやら、あれだね。わたしはどうも、次に正装で晩餐を共にする家族以外の相手は、ウィル兄さんだろうと何となく思っていたみたいなんだ」


白馬の王子様に憧れる歳でもないだろうに。エヴァは自分で自分を嗤った。


「それは悪いことをしたな」


真顔でそう返すジャックにエヴァは今度は声を出して笑ってしまった。


「何で、君が謝るのさ」

「それもそうだな。家族との月に一回の晩餐を蹴って、いたたまれない気持ちにされて帰るというのも、割に合わない話だ」

「そんな予定があるなら、別に断ってくれても構わなかったのに。」

「断ってもいいものなのか?」

「何を言ってるのさ。そのご身分で晩餐の誘いを袖にしたことが無いとは言わせないよ」


ジャックは紅茶を一口すすると、両目をつぶって重々しく言葉を発した。


「ない」

「ふーん、わたしみたいな立場でも社交界でのジャック・アーチボルドの浮名くらいは耳にしたことがあるんだけどな」

「ああいうのはほとんど親父が招いている側なんだ。たまに招かれることがあっても、そういうのは親父から金を借りてる手合いだ。本当の意味で貴族の方々に客として招かれたことなんて、この歳まで経験が無い」

「大学のときの友人には爵位持ちだっているじゃないのかい?」

「そりゃいるが、あいつらは屋敷に人を呼んで晩餐を囲むなんて退屈でしょうがないって思ってるだろうよ」

「なるほどね。にしては、ずいぶんと板についた客人ぶりだったけど」

「ずっと緊張しどうしさ。使う器具の順番を間違えないかハラハラしたよ」

「こう言ってるが、サハルから見てどうだった?」


突然のことだったが、この程度のことはエヴァに何年も仕えていれば想定できることである。サハルは流れるように一礼すると主人の要望に答えてみせた。


「わたくしなど意見を申すのは僭越ですが、アーチボルド様の所作は遠目から見ても非の打ち所がないものであったかと」

「それはどうも。やはり、君にはその方が似合っているな」


サハルは黙ってもう一度頭を下げた。ジャックがサハルにむける声にはまだぎこちないところがあった。だが、彼が直々に屋敷に死体を運んできた日、対応に出た地肌のサハルを見て、無言で三歩後ずさったことに比べれば、何十倍も開けた態度だと言えた。


エヴァはそのときのことをサハルから正確に聞いていたが、それを使ってジャックをどうにかしようとは思わなかった。

差別をしない人間などいないのだ。エヴァは聖人ずらした人間に本人が意識もせずに垂れ流している汚物を塗りたくるのは大好きだったが、醜さを自覚しそれを取り繕うとしている人間に嫌がらせをするのは趣味ではなかった。


「サハルはあげないよ」


エヴァが悪戯っぽく笑うと、ジャックもそれによく似た笑みを返した。


「それは残念だ。その代わりと言っては何だが、グッドフェローさん、俺がもし貴方が欲しいと言ったらどうするかな?」


興ざめだな。エヴァはわざとらしいくらい大きくため息を吐いた。


「アーチボルド刑事、その冗談は確かに面白いが、少しばかり自虐が過ぎる。この場合の自虐は、わたしへの侮辱でもありうることをお忘れなく」

「何故、冗談だと?」


サハルは自分の主人が珍しく本当に苛立っているのを見て、今後の行動を検討した。

今の体勢からなら5秒とかからずに彼の口を永久に閉じさせることも出来る。そこまでしなくても、エヴァの機嫌だけを考えるなら、ここで話を中断させるべきなのだろう。


だが、サハルは動かなかった。彼女の目にはジャックは至って真剣に見えたからだ。


「簡単な話ですよ。アーチボルド家の嫡男として、貴方にはわたしのような貧乏な娘ではなく、地位も名誉も財産も保証されたような素晴らしい女性と結婚できる未来がある。まして、わたしは”悪魔の花嫁”です。貴方が正気ならわざわざ選ぶはずがないでしょう」

「お言葉を返すようだが、グッドフェローさん、この場合の自虐は俺への侮辱にもなりうることもお忘れなく」


エヴァは相手の顔から視線を外さぬまま、もう一度ため息を吐いた。


「──うぬぼれに聞こえることを承知で言うけど、一目惚れというやつなら止めておいた方がいい」

「あの警視庁での振る舞いを見て、幻想を抱いていられるほど夢見がちではないつもりだ」

「なら何故?」

「貴方のことを尊敬しているからですよ、グッドフェローさん」


予想すらしていなかった言葉にサハルはぽっかりと口を開きかけたが、何とか唇同士が離れる前に顎の筋肉を引き締めることに成功した。彼女の主人の方は流石というか少し眉をひそめただけだった。


「尊敬?」

「そう、尊敬さ。どうせ結婚するなら尊敬できる相手がいい。別に変なことを言ってるつもりはないが」


目の前の男がどうやら本気でそう思っているらしいことを悟って、エヴァは妙に感心してしまった。彼がいかなる心理状況によってそのような結論に至ったかは彼女には興味深いところであったが、今は思索にふける時ではない。


どうしたものか。エヴァは今まさにプロポーズされた人間とは思えぬ、平静な精神状態で取るべき行動を検討した。ここで断ればせっかくの死体の入手経路が失われしまうかもしれない。しかし、そんなものは彼女の拘りさえ捨てればどうにもでなった。


エヴァは極めて冷静に決断を下した。


「アーチボルド刑事、陳腐な言い方だけどお友達からじゃ駄目かな?」


ジャックは男女間の友情というものを毛ほども信じてはいない人間だった。しかし、ここでゴリ押ししても得るものが無いことは分かりきっている。


「今度、俺の招待に応じてくれるなら、今日のところはそれでいい」

「サハルを連れていっていいという条件なら喜んで」


常識でいえば、断っているに等しい条件であったが、ジャックは何でも無いという風に頷いた。そもそも、サハルよりもエヴァを招く方が何倍も問題なのだ。


「それと今更、言いにくいんだが、意見を聞きたい事件があるんだ。明日の正午過ぎ、警視庁の方に来てもらえるか?」

「是非もないさ。ちょうど、試してみたい実験もあることだしね」


自分の招待の件より明らかに嬉々としているエヴァに、ジャックは釈然としないもの感じないでもなかったが、それを口に出すのは男の矜持が邪魔をした。

結果、彼はそれから数日の間、自分の発言を後悔することになる。


「この前のやつは問題無かったのか?」


迂闊だな。サハルはその質問を聞いて、端的にそう思った。もちろん、本当に悪いのはエヴァであってジャックではない。だが、何回か会えば、彼女がこの場面でどれくらい悪趣味な冗談を口にするか十分に予期することは可能だったはずだ。


エヴァは心底不可思議そうな顔をすると、ジャックにこう訊ね返した。


「美味しかったんでしょ?」



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