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泥棒は透明に

事件編です。

「別に構わないじゃないか。薄々分かっているとは思うけど、我が姫には手紙で、ある程度のことは既に伝えてあるからね。ここに二人がいようがいまいが、君が破滅する可能性は変わらないよ」


ジャックが視線で、部外者二人の退室をエヴァに求めたときの答えが、これだった。


裏切られた。彼は一瞬そう思ったものの、エヴァの社交性の無さに胡坐をかいて口止めの一つすらしていなかった自分の迂闊さに行き着いてしまい、非難の台詞は形になることすらなかった。


「むしろ、わたくしの機嫌を損ねる方が危ないのではないでしょうか?」


天使の笑顔で脅されて、ジャックは色々と諦めると、まずはすっかり冷めてしまった紅茶で喉を潤わせた。


「実は事件があったのは今日の早朝のことなんだ」


そう切り出したジャックに、カーサは得心がいったという風に頷いた。


「今朝、ここに来るとき、警官の方々がやけに多いなと思ったのですが、原因はそれですか」

「おそらく、そうだろうな。というより今も、警視庁の人間が総出で犯人を捕まえるための包囲網を敷いてるところだ。何せ、殺されたのは現役の最高裁判所裁判長だからな」

「それは、それは。もしかして、首を吊られたのかな?」


今の最高裁判所の長であるジョン・スタークスといえば、厳格な裁きで次々と被告人を処刑台に送り、一部の新聞などでは首吊りスタークスと渾名される人物であった。

そういった意味で、その渾名を知っている人間なら誰でも思いつく洒落ではあったが、ジャックは気づかれないようにエヴァの表情を観察しながら、慎重に言葉を返した。


「死因は銃殺だ。鉄砲の弾がきれいに心臓に命中して、背中に抜けてたよ。直接の死因は出血多量で、おそらく大して苦しむ間もなく死んだだろうと、医者は言ってたな」

「狙って撃ったとしたら、見事な腕ですね」


ジャックとしてはエヴァに答え欲しかったところなのだが、露骨にカーサを無視するわけにもいかない。彼は一計を案じることにした。


「確かにそうだが、おそらくは偶然の一撃だな。凶器はカーチストン社製の五連式の回転拳銃で──」


女であれば銃器の専門的な知識で押せば、黙りこまらせることが出来るはずだ。そんなジャックの浅はかな策略は


「──ペッパーボックスですか。確かに、あれで正確な狙いをつけるのは無理がありますね」


あたかも常識のようにカーサの口から流れ出てきた台詞によって、跡形もなく打ち砕かれたのだった。


「ペッパーボックスっていうのは、あれかい?あの芯の周りを銃身が回転するやつでいいんだよね」

「ええ、お姉さま、それです。カーチストン社のものは、連射の機能は申し分ないんですが、銃身の鋳造の精度がいまいちで、よほど近づかないと狙ったところに当たらないんです。狙いというだけなら隣国のものですがスゥガー社製のものの方が優れていますね、カーチストンのものは暴発もないではありませんし。ただ、こちらは三連ですから、せっかくの回転式の長所である連射という面ではいま一つなんです」


カーサの部屋の壁にこれでもかと飾れている銃器のコレクションを知っている三人は、滔々と語り始めた彼女に苦笑をむけていたが、ジャックは完全に呆気に取られしまっていた。


「ちょっとした趣味ってやつだよ。最高裁判所の裁判長が殺されるご時勢だ。これぐらいの心得はあっても別に困らないだろ?」

「まあ、確かに」


この人に、わたくしの焼きごてのコレクションを見せたら、どんな顔をするのかしら。ジャックの冴えない顔色に、わずかばかり残虐な妄想が広げつつ、カーサは表面上は頬をばら色に染めて羞恥を表した。


「申し訳ありません。はしたないところをお見せしました」

「まあ、なんだ。これからは女性の時代だからな」


互いに心にも思っていないことを言い合って、話題は再び事件へと舞い戻った。


「細かいところは、おいおい話すとして、まず事件の経過から始めようか。スタークス裁判長の住んでいる公舎は分かるか?」

「旧ウッデン男爵邸だろ。有名な話じゃないか。彼が自分が死刑を宣告した人間の住んでいた屋敷に平然と住んでるってのはさ」


ウッデン男爵は数年前にとある王族の大逆罪に連座して死刑になった貴族だった。彼の容疑にはあいまいなところがあり、男爵は屋敷のために殺されたのだという者もいたが、エヴァは個人的には妥当な判決だと思っていた。

先ほどからチラチラと彼女の顔色を窺っているジャックが何を気にしているかは明らかだったが、エヴァは勤めてそれに気づかない振りをした。国王の暗殺計画にまつわる全てはもう終わったことなのだ。彼女にはそれを掘り返す気は全くなかった。


「住んでいたといっても、男爵はこの屋敷をほとんど使ってなかったようだがな。首都にいるときはもっぱらホテル暮らしだったようだ」

「ウッデン男爵家は出来て50年あまりの歴史の浅い家でしたから、首都の出来るだけいい場所に形だけでも屋敷を持ちたかったということなんでしょうね」

「そういうことみたいだな。到底、最高裁判所の長官が住むとは思えない、住み込みの使用人が二人と、通いが一人でどうにか回るような狭い屋敷だったよ」

「代わりに、最高裁判所に歩いて三分なんだろ?」

「まさに能吏の鑑のような人だったわけだ」


それはどうだろうか。姉妹は二人して疑問に思った。確かに無駄に金を浪費するというのは優れた官吏のすることではない。だが、自分の住む屋敷をある程度自由に選べる立場にいる彼とは違い、最初から用意された屋敷をあてがわれる法務官僚の方が多いのだ。彼らが移動に馬車を使い、ジョン・スタークスと比べられて肩身の狭いを思いをするなら、それは上に立つ人間のすることではなかった。


「それで、その狭い屋敷で何が起こったんだい?」

「ああ、事件が起こったのは、二階の書斎なんだ。屋敷の二階は中央の階段から右側に三部屋あって、その内一番奥が物置に、前二つが長官の娘と息子の部屋になっている。左側には今日は使われていなかったが客用の部屋が二つあって、残りの一部屋分、壁そのものを寄せてしまう形で、スタークス氏の書斎兼寝室があるという作りになっている。一階は食堂やら、使用人の部屋なんかがあるが、関係無いので省くぞ」


ジャックの確認に、姉は右手をひらひらと振ることで、妹はしっかりと二度頷くことで了承の意を表した。


「まず最初に銃声が2発、屋敷の中に響き渡った。これが今朝の4時半のことだ。この時間については屋敷の外にいた酔っ払いも証言しているから、おそらく間違えないと言っていい」

「屋敷の中の人間も、意見は一致していると考えていいのかな?」

「正確な時間を証言しているのは、スタークス氏の娘のアリス嬢だけだが、他の人間も五時前の出来事であることは確言しているな」

「そのアリスさんという方は、どうしてそこまで自信があるんですか?寝ているときに銃声で起こされたとすれば、動転して当然のように思うんですが」


カサンドラ御嬢様なら寝起きで銃声を聞いて、時間どころか銃の種類を判別しても驚きませんが。そう思いながら、カーサがちらりとラシードの方に視線をやると、まるで計ったかのようにぴったり目が会った。


「それは彼女が起きていたからさ。何でも経を書き写していたらしくてな」

「朝から写経?それはまた随分と。ちなみに、経典の名前は?」

「だらに、とか言ったかな」


知識の無い人間に、陀羅尼の説明をする気は流石のエヴァもしなかった。それに彼女自身もそこまでの知識があるわけではないのだ。何せ、ミザールを含めて周辺諸国に経典の類が入ってくることは少ないし、密教のものとなると尚更なのだ。逆に言えば、陀羅尼の書き写しをしている時点で、アリスはかなり本格的な教徒だと言えた。


「なるほど、すると彼女が第一発見者ですか?」

「いや、第一発見者は兄のトーマスなんだが、彼も致命傷には程遠いものの銃で腕を右撃たれていてな。まだ、そっちの話は聞けていないんだ」

「不幸というのも重なるものですね。トーマス・スタークス氏といえば、有名な外科医であったと記憶していますが」

「確か同じ大学だったんじゃないの」


よく知っているものだ。相手の言葉の端に込められた確信に、ジャックは内心で舌をまいた。小さく頷きながら、彼は情報を補足した。


「とはいっても、こっちが入ったときにはとっくに卒業してたがな。学生ボクシングのチャンピオンで半ば伝説の人物だったよ。そこら辺が、今回の無謀な行動の遠因ではあるんだろう。撃たれてにも関わらず、応急処置をすると、葉巻をふかしながら自分の足で部屋に戻っていったと言うから流石の豪胆さとも言えるがね」

「つまり、それが二発の銃声の結果ということかな?」

「そうじゃないんだ。トーマスが撃たれたのは三発目になる。アリス嬢が銃声に驚いて、部屋を出ると、既にトーマスは階段の横を抜けて一つ目の客室のあたりを走っている状態だったらしい。アリス嬢が呼びかけると、彼は走った状態のまま書斎の方を右手で指して、そこから銃声が聞こえてきたこと彼女に告げた後、彼女が止めるのも聞かずに、書斎の中に入っていったんだそうだ」

「そして、そこで三発目の銃声が響いたと」

「そういうことだ。アリス嬢が飛び起きてきた使用人と共に、恐る恐る書斎の中に入ると、右腕から血を流したトーマスが、鬼のような形相で書き物机の上に横になっているスタークス卿の救命措置をしているところだったらしい」

「心臓を打ち抜かれてたんだろ?少し見れば、助からないことぐらい分かりそうなものだけどね」


エヴァは平然とお茶をすすった。肉親が殺されて取り乱す人間の心理は分からないでもないが、外科医としては失格だなというのが彼女のトーマスに対する評価だった。


「そうは言ってもな──まあ、いい。スタークス卿から引き剥がされたトーマスが言うには、彼を撃ったのは黒い覆面に黒づくめの服を着た中肉中背の男で、書斎に入ってきた彼を一目見るなり発砲すると、窓から外に逃げていったそうだ。二階から飛び降りるのに、道具を使った痕跡はなかったから、かなり身軽なやつだと推測されるな」

「拳銃は?社名まで分かってるんだから、発見されてるんだよね」

「書斎の中に捨ててあったよ。弾は全て撃ち尽くされていたからな、荷物になると思ったんだろ」


その言葉に、カーサの顔が少し歪んだ。彼女の常識からすれば、泥棒の行為は到底許されるものではなかったからだ。


「カーチストン社のペッパーボックスは確かに比較的廉価な銃ですけど、それを使い捨てにするなんて、酷いことをする方もいたものですね」


えっ、そこなの。自分と同じ気持ちの人間を求めて、ジャックは部屋の中に視線を彷徨わせたが、己の常識に対する自信が削げ落ちる羽目になった。何せ、他の三人はカーサの台詞をわずかばかりでも変だと思っている気配がなかったのだ。


「言い方が悪かったな。銃は屋敷のものなんだ。スタークス卿が1年ほど前に、何かと物騒だからと友人に勧められて護身用に購入したものだったらしい。用心そのものは間違っていなかったが、皮肉な結果になったわけだな」

「弾が全て撃ち尽くされていたというのは?銃声は合計で3発しかないけど」

「おそらく、最初から三発しか入ってなかったんだろう。購入した際に、試しに2発撃って、そのままにしていたのではないかと推測されている。これは屋敷のものが口を揃えて証言したことだが、卿は銃の類には全く興味が無かったらしい。それが卿の子供の命を救うことになったんだから、何が幸いするか分からないものだな」

「そうでしょうか。日ごろから銃に慣れ親しんでいれば、泥棒ごときに遅れをとるようなことは無かったと思いますけど」

「戦わないで済ませられれば、それに越したことはないという意見は、わたしも分からないではないけどね。そうであるなら、銃など最初から持ち出すべきではなかったのさ。卿は自分の中途半端さに身を滅ぼしたとも言えるね。それはそれとして、聞いた限り、刑事が何に引っかかっているのか、よく分からないんだけど?」


どうせ、屋敷の外の酔漢とやらのことだろうけど。エヴァはシミュレーションした幾千とある事件の真相を脳内で遊ばせながら、これからジャックの口から語られる事柄を予測した。それが裏切られたら愉快だなと思いながら。


「実は、屋敷の外にいた酔っ払いの証言が、少しばかり気になっているんだ」

「なるほど、そこで例の酔っ払いが出てくるわけだ」

「そいつは屋敷の裏口の外にある街灯に寄りかかって、ぐでんぐでんになってたんだが、怪しいやつは誰も見なかったと証言しているんだ。これは裏口の内側に、犯人が逃げたときにつけたおぼしき足跡があることから考えると、ありえない証言だろ」

「お酒を召されていたわけですから、夢うつつで見過ごしたというだけの話なのでは?」

「他の面子もそう言って、その証言を鼻にもかけなかったよ。だが、やつは時計台の時間と見比べて、ほぼ正確に発砲のあった時間を証言している。一概に信用できないとは断言できない気がするんだ」

「見られるのを嫌って、別の場所から逃げたという可能性は無いのかい?」

「その可能性は薄いな。裏口の内部からは角度的に酔っ払いがいた位置は確認できないんだ。そもそも一刻を争う逃亡時に、犯人がそんな悠長なことをするとは思えない」

「確かに、証言によれば覆面だって持っていたわけだしね」

「そうなんだ、おそらく犯人は何らかのペテンを使って、その裏口から逃げたに違いない。それが解ければ、犯人を追う手がかりになるような気がしてな」


部屋の中にしばし沈黙が充ちた。

さしものエヴァンジェリン嬢も、これだけの情報では推理するのは不可能か。ジャックが場を和ませようと口を開こうとしたとき、自信に満ちた女の声が部屋に響いた。だが、それは彼が予期していた人物のものではなかった。


「わたくし、その奇計のタネが分かりましたわ。犯人は透明になったんです。人の目に触れながら、決して意識されない。そんな存在にね」













カーサの最後の台詞は有名なアレに敬意を払ってというやつで、特に真相とは関係ありません。真相の方も、割と筒抜けかなとは思いますけど。

書いてみて分かったんですが、伝聞情報による安楽椅子探偵っていくらでも情報にノイズが入れられる余地があって、よくありませんね。しかるべくものは、しかるべくなっているのだなと思いました。


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