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凍れる月  作者: 黎栖
3/3

第2章

探偵の登場です。この探偵がどこまで活躍できるのかは、今のところ未定ですが(笑。

行方不明者が死体で発見され……事件は動いていきます。

******************************


上 田


 北見市は日本屈指の日照率を誇り、森と緑と空の澄んだ青さが鮮やかに調和する人口約11万人のオホーツク圏最大の都市である。道東の産業、文化、スポーツの発信地として、北見は重要な役割を果たしている。ゆったりと流れる時の中でイキイキと暮らす市民、整備された街並み、山海の幸に恵まれた地域性など、来北された人々は、北見を理想的な都市と絶賛している。毎年増加する人口が、住みよい街、北見を雄弁に語っている。     

 また昭和初期にハッカの栽培で栄えた新興都市でもあり、周辺にはオホーツク圏の森林、木材に関する産業の振興を図るため、木製品の技術開発や販売促進などを総合的に取り組むことを目的とした施設や木工芸館やチーズ工房などの見どころが点在している街である。


 JR北見駅より徒歩で10分ほど歩いたところに「緑風荘旅館」という創業55年の小さな旅館がある。家庭的な雰囲気のこじんまりとした小さな旅館を中村忠夫、悦子の老夫婦で営んでいる。開店のときから変わらずにオホーツク海で採れた新鮮な魚介類が自慢のアットホームな旅館だ。全7室の小さい旅館だが、老夫婦は、小さい旅館だからこそできるおもてなしを提供していきたいと常に思っていた。と、いってもこの時期は観光シーズンではないので、予約の問い合わせはほとんどない。出張で来北する大半のビジネスマンは駅前にある大手ホテルに宿泊するのが現状である。

 しかし、2ヵ月前から「6ヵ月間宿泊したい」という人が、この「緑風荘旅館」に宿泊していた。名前は上田由紀夫。住所は青森市大字野尻字今田8-1と書かれている。しかも、6ヵ月分の宿泊料を前払いで支払ってくれている。ちょうど閑散期だったので老夫婦にとって非常にありがたい客だった。

 しかし、忠夫は初めて上田を見たときは一瞬ギョッとしたものだ。目の前に現れた男は顔を包帯でグルグル巻きにしており、包帯の間から目をのぞかせている、どこか不気味で気味の悪い男だったからだ。だが、数日が経つうちには、上田の方から幼い頃に火傷を負ってしまい、顔の皮膚がひどくただれてしまったのだと話してくれたので、きっとその頃から不憫な思いをして過ごしてきたのだろう、顔の包帯もそのせいかもしれないなどと想像したりするようになった。そう考えると忠夫は上田が気の毒で仕方がなかった。


 上田は、今日も緑風荘旅館の宿泊している部屋で簡単な朝食をとっていた。炊きたてのご飯に味噌汁、焼き魚に一夜漬、佃煮、海苔、生卵…。毎日ほぼ変わらない朝食ではあるが、上田は特に不満もなかった。それどころか上田が顔中に包帯を巻いているため、旅館の主が気を利かせて、朝晩の食事を自室に配膳してくれるなどの心遣いが有難いくらいだった。

 食事の乗ったお膳を部屋に持ってきて貰えば、後は誰の目も気にする必要はない。上田は包帯を外して一人もくもくと食べ物を口にしていたが、その顔には、みにくいヤケドの跡はおろか、キズの一つもない。

 実は上田は、都内で探偵事務所を開いている、しがない私立探偵で、今は調査のためにここ北見の地に長逗留しているところだ。上田は職業がら、自分の顔はなるべく他人に覚えられないよう細心の注意を払っているが、長く宿泊していれば、どうしても旅館の主には顔を覚えられてしまうだろうと案じ、包帯巻きの策をとることにしたのだった。ビジネスホテルを転々とすることも考えたのだが、そうしなかったのは上田なりの理由があった。それが良かったのか間違いだったのかはこの時点では判断できなかったのだが。

 上田は、旅館を一歩出れば包帯を外して帽子やサングラスで顔を隠して行動し、夜、旅館に戻ってくる時には包帯を巻く、という日々を送っていた。


 数ヶ月前の事、上田が開いている『上田探偵事務所』に一人の男がふらりとやってきた。その客は名前を佐藤俊介と名乗り、【とある人物の素性を調べて欲しい】と依頼してきた。素性を調べて欲しいという人物の名前は『高原鈴音』といい、当時世間を騒がせていた、そして今でも騒がせている、北見での失踪事件で疾走したと思われているうちの一人という事だった。

 本人を見つけられるなら見つけて欲しいとも頼まれたが、大々的に警察が捜査しているにも関わらず、なんの進展もない事件を、一介のしがない探偵ごときに見つけられるはずがない事は、最初から佐藤も分かっていたのだろう。自分のお幼馴染みである高原鈴音という娘と同一人物であるかどうかを知りたい、とそちらの方を強調された。

 聞くと、佐藤と名乗る人物は、自分達が生まれ育った小さな島で事件が起き、それに巻き込まれた高原鈴音が島の崖から転落して死亡するという痛ましい経験をしていた。ただし高原鈴音の葬式にまで参列したものの、その死体は現在に至るまで見つかっていないのだという。そんな折、北見の疾走事件の失踪者に同性同名の名前を発見した時には、彼女が生きていたのではないかと思った、と、そう佐藤は言っていた。

 本人照会のさほど難しい調査ではなさそうだが、個人で調べるには北見までの距離や、仕事をしていて休みも自由にとれないなどのため、佐藤は探偵に頼むことに決めたとも言っていた。本人であっても、別人であっても、とにかく気持ちに区切りをつけたいのだ、と。

 しかもこの依頼は、実は上田にとっても願ったりであった。というのも、彼の妹である『上田早苗』も、先日北海道へ旅行に行ったまま疾走し、行方がわからなくなっているのだ。上田が、早苗の足取りを調べてみたところ、知床からあちこち移動を重ねて北見へ行ったまではつかめても、そこからの足取りがわからずに、北海道へ調査に行きたいと思っていた矢先の佐藤からの依頼だったからである。

 

 上田は両手を合わせた。

「ご馳走様でした」

 そそくさと出掛ける支度を始め、上田は顔に包帯を巻き始めた。手慣れたものである。


 これまでの調査でいくつかわかったことがある。まず北見で行方不明になっている5名は全て女性で、年齢は27歳から35歳までの独身女性だ。


鈴木恭子    28歳 独身 東京都

長谷川なるみ  37歳 独身 神奈川県

高原鈴音  30歳 独身 東京都

沢口靖子    35歳 独身 千葉県

上田早苗    30歳 独身 東京都


 上田が北海道に向かう前に彼女たちの近辺調査をそれぞれ行ってみたが、どうやら皆観光や出張で北海道道東へ行って消息不明になっている。また共通しているのは、北海道に旅立つ前に家族や友人、知人に『最愛の人と橋の中央に立つと、二人の幸せな未来が見えるという【かえらずの橋】という北見では古くから言い伝えられている橋があるから、その橋を見に行きたい』と回りに話していたという点だ。


「かえらずの橋か」

と、上田はつぶやいた。

 実際、北見及び北見近郊には24の橋がある。このあたりを流れる川は常呂川といって、オホーツク海では最大の河川でありサケも遡上するらしい。その常呂川を24の橋がかかっているわけだが、古くから言い伝えのある橋なので、おそらく大正、明治のころに作られた古い歴史のある橋だろうと上田は考えていた。そんな中で一つだけ気になっているのが――それは北見の隣に位置する訓子府くんねっぷ町末広町にある叶橋かのうばしという橋だった。


 2日前、上田はこの叶橋に行ってきた。

 この叶橋は元々は「妻恋橋」という名前だったらしい。名前の由来は昔、川が幾度も氾濫し夫婦が両側に別れ別れになったため、夫が妻の身を想って幾日も鹿笛を吹き続けた言い伝えから、かつての名を「妻恋橋」と呼ぶようになったそうだ。その後、昭和8年に「妻恋橋」の架け替え工事が行われて、鉄筋コンクリートの橋となり、橋の名前も「叶橋」に改称されたと言う。それからは言い伝えのような悲しい出来事もなくなった。

現在、橋には4体のブロンズ像が設置されている。メロンの形をした街灯や橋のたもとにはメロン型のトイレが置かれるなど訓子府町のシンボルとして町民に愛されている橋となった。しかし、残念ながら叶橋は、噂の「かえらずの橋」ではなかったが。

 それと彼女たちの近辺調査を行った結果、もう一つ興味深い話も聞けた。上田もまだ詳しくはわからないのだが、北見市三楽町で1番古い喫茶店を営んでいるマスターだけが「かえらずの橋」の情報を知っているということだ。実際に行方不明になっている高原鈴音は友人に仕事の合間をみて、その喫茶店に行くと話していたし、4番目に失踪した沢口靖子はからは、妹に「やっと例の喫茶店の場所がわかった」というメールを最後に連絡が取れなくなっている。上田は、北見で聞き込み調査をしていくうちにようやく喫茶店の名前を知ることになる。

 

 その日、上田はその喫茶店を目指して、車で北見市三楽町へ向かっていた。三楽町は、上田の宿泊している旅館から車で約20分くらいのところにある町だ。

 三楽町に着いた上田は、中央通り沿いにある古びた商店街の中に目指す雑居ビルを見つけると、迷うことなく地下に向かう階段を下りて行く。下りて行った先に、上田はうす暗い雰囲気のスタンドだけの喫茶店「紅」を見つけた。

「ここだな」

 店は開いていた。

 くすんだ木製の古い扉を押し開けて、喫茶店の中へ入る。中年のマスターがひとりで働いていた。既に調査済みなので、マスターの名は後藤竜太郎、年齢は56歳と言う事までは分かっている。店の造りはアンティークで斉藤要の油彩画が、何枚か飾られていた。

 カウンターに腰を下ろして、

「コーヒーを、ミルク入れて」

と言うと、マスターの後藤が上田の顔を見て

「地元の人じゃないですね」

そう穏やかに話しかけてきた。

「ああ、わかりますか」

「ええ、なんとなく雰囲気が」

 後藤はコーヒーを淹れながら、さらに会話を繋いでくる。

「お客さん、観光には見えませんね。仕事ですか?」

「まあ、そんなところです」

 そうして後藤は黙ってコーヒーを上田の前においた。

 店に若いカップルが入ってくる。後藤に向かって手を上げたところをみると、この街の若者なのだろう。もしかするとこの店は、地元の人が集まる場所になっているのかもしれない。若いカップルが何も注文しなくても、後藤はコーヒーをいれて運んでいった。

 後藤がカウンターの中に戻って来ると、上田はさりげなく尋ねる。

「マスター、『かえらずの橋』って呼ばれている橋が、北見にはあるそうなんだが、聞いたことはあるかい?」

 続いて上田は、かえらずの橋について後藤にざっと話して聞かせたが、後藤は首を軽く傾げただけだった。

「かえらずの橋ですか」

 後藤は苦笑をすると

「そんなの作り話ですよ。きっと誰かが面白半分にネットの掲示板か何かに書き込んだんじゃないですか? それが一気に広まっただけだと思いますよ。私も長くここで喫茶店を開いてますが、そんな話し聞いた事もありません」

 上田は、軽い落胆を覚える。

「そうですか。……それじゃこの女性たちに見覚えは?」

 上着の内ポケットから取り出して、行方不明になっている5人の女性の写真を後藤に見せた。

「これは、もしかすると……行方不明になっている女性たちですよね。お客さん、もしかすると刑事さんですか?」

「いや、違う、俺は刑事なんかじゃないよ。実は、そのうちの一人が俺の妹でね。こうして自分で足取りを追っているところなんだ」

「妹さん……でしかた。それは、ご心配でしょうね。無事に見つかると良いですが……。ところで何か手掛かりみたいなものでも見つけたんですか?」

と、逆に後藤から聞かれ、上田は肩をすくめる。

「見つかっていれば苦労はしませんよ。何しろ、2ヵ月前に行方不明になってからこの方、全くの音信普通でね。北見にいるのか、他の場所にいるのかも全然わからない」

 力なく、写真に目を落とした。

「それじゃマスター、もうひとつ聞きたいんだけれど、本当にこの子たちの中で、この店に来た子はいないだろうか?」

 後藤はもう1度写真をじっと見つめたが、

「う~ん、うちはほとんど地元の人しかこないですし……」

やはり芳しい返事ではなかった。

(ん……?)

 上田は、その返答に少しの違和感を感じながらも。ポケットから名刺を取り出して後藤に渡した。

「もしこの件について何か思い出すことでもあれば、私の携帯の方に連絡を頂きたいのですが」

「ええ、わかりました。何かわかればすぐに連絡しますよ」

 後藤は約束してくれた。


 上田は旅館に戻ると、俊介に電話で報告した。訓子府町の叶橋のことや喫茶店「紅」のこと、後藤というマスターのことを俊介に話して聞かせる。後藤というマスターの話しをした時に、俊介が強く反応するのが分かった。

「そのマスターと行方不明になっている女性の接点は、本当に見つからないんですか」

「ああ、残念ながら今のところは何も見つからない。しかし、後藤は何か隠しているなとは感じたよ。今後も引き続き、後藤のことを調べてみる」

 そう俊介に言って電話を切ったのだった。

 先ほどの喫茶店で、後藤が写真を見つめた時に、一瞬、冷酷な表情に変わったのを上田は見逃していなかった。

(後藤は何かを隠している)

 ふと、耳に雨音が聞こえてきた。窓を開けると、庭のオレンジ色の明りの中に、雨滴が白く光って見える。雨は止むこともなく、静かに降り続く。上田は煙草に火をつけ、闇を見つめた。


 5人の女性はどこに消えたんだろう。

 後藤は一体何を隠しているのだろう。

 そして、早苗はいま何処にいるのだろうか?

 

 もちろん、答えは返ってこなかった。


 翌日、朝食を済ませてから、上田はテレビをつけた。テレビをつけた瞬間、流れてきた音声を聞いて、上田は呆然となる。

「北見市で失踪中の女性、遺体で発見されました」

 行方不明になっている女性が、北見の山奥で遺体で発見されたというニュースが飛び込んできたのだ。

(ま、まさか、早苗じゃないだろうな)

 上田は一瞬焦った。

 だが、遺体で発見された女性は2番目に行方不明になった長谷川なるみだった。




******************************


後 藤


 上田という男が店から出て行ってからしばらくの間、後藤は彼が置いていった名刺を眺めていた。

(上田探偵事務所、私立探偵……か)

 一瞬、視線が宙をさまよう。

(警察の気配もしてきたし、そろそろ頃合か……)

 後藤の頭の中で、いろいろな事がめまぐるしく飛び交う。

(この店に行方不明の女たちが来たという証拠はどこにもないんだし、そう心配する必要もないんだろうが……)

 後藤は、誰もいなくなった喫茶店の中で、煙草に火を付けた。

(ん。いや、待てよ。そういえば高原鈴音という女が来た後で、不審な男が一人尋ねて来てたな……)

 確か高原鈴音は、あの日、喫茶店「紅」にやって来て、『かえらずの橋』についてあれこれ自分に尋ねてきた女だ。

(その男は、自分の前に誰か女性が来なかったか、と聞いてきたが…)

 そんな男の事など忘れかけていた後藤だったが、上田が来た事もあって何やらイヤな予感にとらわれ、意を決めて携帯電話をとりあげると、通話ボタンを押した。


「あぁ俺だ。そっちはどんな様子だ?」

「…うん、うん。…そうか、よし、分かった」

「…そういうことだから、そろそろ実行にうつしてくれ」

「いや、大丈夫だ。その辺にぬかりはない」

「それじゃ頼んだぞ。細心に、大胆に、な」


 携帯電話を切った後藤の目が、冷たい光を放っていた。




*******************************


俊 介 


 その日、仕事から帰ってきた俊介は、一人でコンビニ弁当を食べて風呂に入ったあと、いつものように缶ビールを飲みながら、パソコンでメールのチェックをしたり、仕事関係のデータを確認したり、ネットサーフィンなどをして時間を潰していた。

(便利な時代になったもんだ)

 そして俊介は、北見失踪事件の失踪者である高原鈴音の画像を、ブックマークをクリックして今晩も見ていた。今の時代、見ず知らずの他人であっても、下手をすれば素性から顔から経歴・家族関係までもネットで拾うことができる。検索してヒットした高原鈴音の画像をブックマークしていた俊介は、その画像を見る度に、硫黄島でともに育った鈴音の面影とダブらせずにはいられないでいた。

(似ている)

 その時、携帯電話が鳴った。見ると、直人からの着信だった。

「直人か」

「あぁ。お前、今、何してたんだ?」

「いや。特には何も。PCの画面をなんとなく眺めてたよ」

 高原鈴音の画像を見ていたとは口に出さなかった。

「……そうか」

「どうした、直人?何かあったのか?」

 直人の口調が重い事を感じる。直人と会ったあの日から特に接触もなく、なぜ直人が自分に連絡をしてきたのか分からないままだ。

「うん。なんていうか……。最近、こう、妙にひっかかる事があってな」

「なんだよ、ひっかかる事って」

「いや、俺の取り越し苦労なのかもしれないし、思い過ごしなのかもしれないんだが……」

「直人らしくない奥歯にモノの挟まった言い回しだなぁ。じれったいな、はっきり言えよ」

「うん、そうだな……」


 携帯電話を切った後、俊介は一人、直人とのやりとりの一部を反芻していた。


直人「喫茶店で以前紹介した、グラフィックテザイナーの齊藤雅章さんなんだけど、どうやら北見で失踪した高原鈴音とは一度仕事をした仲で、顔見知りらしい」

俊介「へぇ、そうなのか? まぁ失踪した高原鈴音は出版社に勤めてたらしいし、別に知り合いであってもおかしくないかもな」

直人「俊介さ、あの時、齊藤さんが北海道へは近頃行ってないって言ってたの、覚えているか?」

俊介「あぁ、確か北海道のクライアントも厳しいからとかなんとか」

直人「ところが、齊藤さんは、ここんところ頻繁に北海道に飛んでるらしくて、それも千歳空港じゃなくて、女満別空港へ降り立つことがほとんどのようなんだ」

俊介「女満別、っていうと、道東の?」

直人「そう、釧路に行った時には俺も使ったけどな。俊介、なんで齊藤さんは、北海道へはしばらく行ってないなんて、つまらないウソをついたと思う?」

俊介「そりゃあ、他人に知られたくない仕事をしていることだって無くはないだろう。

   直人、そんな事が何か問題になるのか?」

直人「じゃこれならどうだ? 高原鈴音が北身への出張に乗った便に、齊藤さんも乗っていた」

俊介「それだって、たまたま、とか、偶然だろ?」

 

 直人が、齊藤の事を何か勘ぐっているのは感じたが、その時の俊介は話を聞いても別段、齊藤と高原鈴音をわざわざ結びつける程の事はないように思えた。しかし、それも直人から次の連絡が来た時には、全て払拭されてしまうことになる。




********************************


上 田


 北見警察署には緊迫した雰囲気が漂っていた。

 昨日、2ヵ月前に失踪して行方がわからなくなっていた長谷川なるみの遺体が発見されたからだ。今朝の各紙の朝刊にも事件が報道されている。

<失踪中の女性、北見市活汲峠で遺体で見つかる>

といった見出しが多かった。

 まだマスコミには発表していないが、亡くなった長谷川なるみの遺体の右胸あたりにくちびるの刺青と「Rouge」という文字が彫られていた。それは清楚で綺麗な顔にふさわしくなかった。

(この刺青は被害者にとってどんな意味があったのだろう)

 警部の千葉は、そんなことを考えながら遺体の写真を見つめている。そこへ同じく警部補の中田が近寄ってきて千葉に話しかけた。中田は千葉よりも9つ年下の警部補である。

「今回のようなホトケさんを見ると、娘のいる自分としては他人事とは思えなくなりますよ」

と、中田はボソッと言った。

「中田くんのところはいくつになったんだい?」

「上の娘が10歳で、下の娘が今年小学生です」

「そっか、それじゃあ、心配だね」

「こんな物騒な時代ですから、若い娘が殺されたり自殺したりのニュースを見るたびにヒヤリとしてしまいますよ」

 中田の言葉には実感があった。

「被害者はどんな女性だと思うかね?」

「そうですね。顔だけ見ると、いいところの娘さんのように見えますね。大会社の受付嬢か、あるいはフライトアテンダントのような華やかな職業に就いているような感じですね。しかし……」

「右胸の刺青がイメージに合わない、んだろう?」

「そうそう、そうなんですよ。確かに今は何があってもおかしくはない時代ですが、それでも普通の上品そうな娘さんがあんな刺青をするものでしょうか。特に右胸なんかに」

「なぜ、あんな刺青をしたんだと思う?」

「全くわかりませんな。わたしなんか、古い人間ですから、両親から貰った大事な身体を傷つけるなんて、考えられないことですが。ましてや、自分の娘が刺青をしたいと言い出したら、何が何でも反対しますよ」

 

 そのとき、二人のほうに別の警官が近付いてきた。

「千葉さん、また受付に上田という方が見えてますが」

「また、あの男か」

 千葉は天井を見上げて小さなため息をついた。上田は、ときどき警察署に寄っては『早く妹を探し出してほしい』と訴えている男性だった。

 受付の長椅子に座っていた上田を見つけた千葉だったが、

「またあなたですか、何度も来られても何も教えられませんよ」

そんなふうに言うことしかできなかった。上田も、それは十分に分かっているはずなのに、それでも心配のあまり来ずにはいられないのだろう。

「とうとう、失踪中の女性が遺体で見つかったじゃないか。警察は一体何をしてるんだ。早くおれの妹を見つけてくれ」

「そう言われても我々も遊んでいるわけじゃないんだ。それをわかっていただきたい」

 千葉はまっすぐに上田を見すえて言った。上田もこれ以上話しても無駄だと感じたのか、しぶしぶ千葉の前から立ち去っていく。

 だが、確かに上田の言うように事件の解明はいっこうに進展していない。北見市ではこの一週間のあいだで20センチ以上雪が積もった。千葉は失踪事件が発生してから、捜査本部に泊まり込むこともあり、昨日は家に帰っていない。

 中田たちは被害者の写真を持って雪の中を飛び出していった。


 夜になって、警察医から千葉あてに電話があり、解剖の結果を報告してきた。

「死亡推定時刻は、3日前の午後9時から10時までの間で、死因は縄跳び用のロープによる絞殺ですね」

 警察医が電話の向こうで話す。

「それと被害者の膣から精液が出たよ。血液型はA型だ」

 警察医は即物的な言い方をした。

「それともうひとつ」

「なんですか?」

「彼女は過去に子どもを堕ろした経験があるね」

 いつもの千葉なら何の抵抗もなく聞けるのだが、今日は妙に心に引っかかった。

(失踪中の女性はあと4人もいるんだ。これ以上の殺人は何としても食い止めなくては)


 だが、翌日、また新たな遺体が発見されたという知らせが千葉の耳に入る。遺体で発見されたのは最初に行方不明になっていた鈴木恭子だった。鈴木恭子の右胸あたりにも、長谷川なるみと同様にくちびると「Rouge」という文字が彫られていた。

「今朝、南丘森林公園の周辺を犬と散歩をしていた老人が、突然犬が激しく吠えたため、一旦家に帰ってシャベルを取りに行き、穴を掘ったところ裸の死体を発見したそうです」

 若い警官が千葉と中田に説明した。

「長谷川なるみと同様、問題はどこで殺されたかということですね」

と、中田は千葉に話す。

「今回の遺体の発見現場は、長谷川なるみの遺体が発見された活汲峠からは、この時期だと車で1時間くらいだな」

「ええ、積雪の多いあたりなので1時間はかかりますね」

「まだ27歳だと言うのに許せませんね」

 今、千葉と中田の心を捕えているのは、この被害者の女性に掘られていた刺青が、長谷川なるみに掘られていたものと同じかどうかということだった。もしも、同じ人間が刺青をほどこしたのだとしたら、犯人を捕える手掛かりになるかもしれない。

(一刻も早く犯人を見つけなければ)

 千葉は心の中で強く思った。


 だが、その思いをあざ笑うかのように、その3日後には、今度は訓子府の山奥で新たな遺体が発見されることとなる。

 上田は警察からかかってきた電話を切った。上田は自分の顔から血の気が引いていくのがわかった。背筋に冷たいものが走る。しかし、「そうですか」と答えた上田の言葉は震えてはいなかった。覚悟をしていたせいなのか、来るべきものが来たという感じだった。

 上田の妹、早苗の遺体が見つかったのは訓子府町の清住という場所だった。60センチの深さに仰向けの全裸で埋められていたらしい。死因はロープでの絞殺で、右胸にはくちびるの刺青と「Rouge」という文字が彫られていたとも聞かされた。早苗が自ら刺青をするはずなんてないので、犯人が彫ったに違いないと上田は確信していた。

 改めて犯人に対する怒りがこみ上げてくるのを感じる。

(犯人は、ただ単に早苗を殺したのではなく、早苗の肌を刺青で傷つけてから殺した)

(なぜ、早苗が殺されなければならなかったんだ)

 もう警察はあてにならない、必ずこの手で犯人を見つけ出してやる――上田は自分の胸の内でかたく誓う。

 

 雪がちらちらと降り出すのが、緑風荘旅館の部屋の窓から見えた。


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