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凍れる月  作者: 黎栖
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第1章

小説仕立ての作品を書いてみたくて、取り組んでいます。

もう一方の「星杜学園」の話とは、雰囲気が違いので、目新しいかと思いますが、いかがなもんでしょうか?(笑。

まずは、主要登場人物と、事件のさわりからお楽しみ下さい^^




***********************************


俊 介


(何か夢をみていたような気もするけれど思い出せない)

(夢なんてそんなもんか)

 そう考えながら、俊介はベッドから起きだした。

 今日もまた同じ一日が始まる。だが、それは幸せな事であって、決して不幸な事ではない。それでも罰当たりな事に、時々人間という生き物は平凡な日々に嫌気がさして何もかも投げ出してしまいたくなる時がある。たいていの人は、退屈な毎日をきちんと続けていけるのだけれど。

 そしてこの時の俊介には、当然ながら自分の身にこれから何が起こるかなんて、知るよしも無かった。


 俊介は今年30歳。どこにでもいるような普通のありふれた会社員だ。

 身長は178センチ、体重は75キロ。自分では、年齢を考慮に入れて十分に中肉中背と思っている。学生時代はバスケに熱中していたものだったが、今では仕事の忙しさにかまけてスポーツと名のつくものからは一切遠ざかっている。

 目覚ましにシャワーを浴びてバスタオルで濡れた身体をふきながら、俊介は鏡に映った自分の姿を見るともなく見ていた。

 そして

(ジムにでも通うか)

そう呟いた。


 俊介の未来はここで分かれたのだった。



*******************************

鈴 音


 日本航空女満別行きのカウンターの前で、鈴音は珍しい男と出会った。

 齊藤雅章というフリーのグラフィックデザイナーで、5年前に1度東急百貨店のイベントで一緒に仕事をしたことがある。鈴音よりはたしか5歳くらい年上で、デザインセンスは鈴音の目から見ても、単なる制作デザイナーというより、コンサートやイベント、展示会等のフライヤーなどカラフルで美しいデザインを手がけている。

 しかし、東急百貨店の企画担当者の話によると、齊藤は人付き合いが苦手なのか、さほど仕事には恵まれていないらしい。というよりも、頑固で融通が利かないところがあり、担当者側からいうと、頼みづらくて使いにくいタイプなのだそうだ。

 吹けば飛ぶような弱小出版社の編集部に所属している鈴音は「クライアントの商品やサービスは嘘をついても褒めあげろ」と毎日のように上司に言われているので、よほどのことがない限り、多少クライアントの我がままな要望でも引き受けるが、齊藤は「クライアントの言いなりになるくらいならこの仕事を辞めたほうが良い」と以前鈴音に言っていたことがあった。


「あなたも道東ですか」

 鈴音の顔を見ると、齊藤はニコッと嬉しそうに言った。

「ええ、齊藤さんもそうですか」

「ああ、釧路に行きます」

 釧路市は北海道東部、太平洋沿岸にある市である。霧の街としても有名で釧路湿原や阿寒湖など国際的観光地を有し、人口約20万人の日本有数の水産都市として知られている。

「鈴音さんも釧路ですか?」

「いえ、私はちがいますが、そうですか。齊藤さん、相変わらずいい仕事をしてるんですね」

「さあ、いいかどうか・・・・。とにかく金にはなりませんがね」

 齊藤は頬を歪めて笑った。

「日本航空1183便女満別空港行きにご搭乗のお客様は36番ゲートに・・・・」

というアナウンスが流れ二人は搭乗ゲートから機内へ向かった。

 齊藤は後ろの方の座席で、鈴音は前方だった。別れ際にはじめて「鈴音さんは道東のどちらへ?」と訊いた。

「北見です、オホーツクの」

「ほう、北見ですか。北見と言えばハッカ飴ですね。しかし、この時期に北見に行くのですか・・・」

 何か言いたそうにも思えたが、乗客の列が背後につかえているので、鈴音は

「それじゃあ」

と軽く手を上げて遠ざかった。

 乗り物があまり得意ではない鈴音だが、なかなか快適なフライトであった。

 そういえば、齊藤がさっき何かを言いかけたようだったので

(もしかしたらロビーで待ってくれているかも)

と思ったりもしたのだが、鈴音が出口近くに辿り着いた時には、齊藤の姿はどこにも見当たらなかった。齊藤の言動に含みがあったように感じたのは、自分の思い過ごしだったのだろうと鈴音は思い直した。


「次の北見行きは、この企画を現地で最終確認するだけの簡単な仕事だ。高原、たまにはおまえが行って来い。息抜きがてら、ちょっとした小旅行気分も味わえるぞ」

 先日の会議の席で編集長にそう言われて、北見にやってきた鈴音だった。

(編集長。ここのところいろいろあったから、私に気を遣ってくれたんだわ)

 鈴音は、自分は良い上司に恵まれたと心から感謝する。そして鈴音の北見行きには、仕事の他にもうひとつ別の目的もあった。


 数日前のその会議の後、北見出張から戻った社員の雑談を小耳に挟み、頭の中が真っ白になるのはこういう事かと思うくらいの状態を、鈴音は経験した。

――北見に面白い橋があるらしい。

――そこを渡ると、未来が見えるとか見えないとか。

――その橋の場所を知る人間は、今はたった一人のみ。中央通りから一本中に入ったところにある古い喫茶店のマスターだけなんだそうだ。


 鈴音が幼い頃に聞いた、北見のどこかにあるという『かえらずの橋』。

 その橋には、『一組の男女がともに【かえらずの橋】を渡る時、結ばれる運命の者たちだけが、幸せな二人の未来を見ることができる』という言い伝えがあると記憶している。

 例え他人から少女趣味と笑われようとも、愛する男性と二人で渡ってみたいと、この歳になっても思い続けていた鈴音だったのだが、残念な事には鈴音がどんなに調べてみても、そんな言い伝えを持つ橋の噂ひとつ見つけられず、誰に聞いてみても知らないと言われるばかりだった。そんな時に、鈴音の耳に偶然に飛び込んできた同僚たちの会話だった。


 北見の地に降り立った鈴音は、もう一つの目的を果たすべく、まずは腕時計で時間を確認した。

(早くそのマスターに会って、橋の場所を教えて貰わなきゃ)

(大丈夫。打ち合わせまでには、まだまだ時間はあるし)

 鈴音は、胸の鼓動をおさえつつ、手にした地図を見ながら歩き始めた。




***********************************

俊 介


 三ヶ月が過ぎて、週3~4回のジム通いにもすっかり慣れた俊介の身体は、それなりに引き締まってきていた。  花の独身、一人暮らしの身だと、早く帰宅したところで誰かが待っているワケでもなく、その気になれば毎日ジムに通うことも出来るのだが、今くらいが仕事とうまく両立できる回数だと俊介は思っていた。仕事の忙しさを理由に運動とは無縁な生活を送っていたものの、学生時代にはバスケに打ち込んでいただけあって、身体を動かす事は俊介の性に合っていた。


 その日、俊介がジムでタップリ汗をかいた後、シャワー室で熱い湯を浴びていた時だった。隣から他人の会話が聞こえてきて、俊介は聞くともなしに聞いていたのだが、いくつかの会話を耳が拾っていた。


「北見で行方不明になる人、最近多すぎだろ。組織的な誘拐か何かかね」

「いや、実は俺の知り合いの話なんだけど、この間、そいつの女友達も出張先の北見で行方不明になったって話してたわ」

「うそ? マジで?」

「マジ、マジ。自分の身近でも起こってるなんて信じられないよな。行方不明になった子とは、家族ぐるみで付き合いがあったらしくて、その子ン家に顔出した時には、『すずねが、すずねが…』っておふくろさん、号泣したらしい。……そりゃまぁ号泣もするだろうけどなぁ」


身体を洗う俊介の手が、瞬間止まった。

(す…ずね…?)


 鈴音、高原鈴音。


 それは、俊介にとって忘れたくても忘れられない名前だった。シャワーを止めることも忘れてその場に立ちすくむ。

(鈴音。君か? 君なのか? 君が行方不明に…?)

(いや、まさか、そんなこと・・・あるわけないよな・・・。高原鈴音は、あの時に死んだはずなんだ。同姓同名の別人だ)

 俊介はシャワーを止めるのと同時に考えるのも止めて、身支度を整えるとスポーツジムを後にした。


 自分のマンションに帰宅した時には、午後10時を過ぎていた。真っ暗な部屋の中で、留守番電話の着信ランプだけが点灯している。部屋の明りをつけて、再生ボタンを押すと、俊介は冷蔵庫から冷えた缶ビールを1本取り出して、プルタブを開けた。


「よう、俊介、元気か、おれだよ、直人だけど。今晩もまたジムに行ってるのか? 留守電聞いたら携帯に連絡くれよな。よろしく」


(なんだ、直人か)

 直人は、急ぎの用じゃない時には、どういうわけか家電に電話をしてくる。最初のうちは、直人なりの気遣いなのかとも思った俊介だったが、特にその理由を本人に確認することもなく今に至っている。

 どうせいつものように大した用事じゃないだろうし、連絡は明日にしようと思った俊介だったのだが、ふとさっきのジムで聞いた会話が脳裏に浮かぶ。

(いや、待てよ。さっきの鈴音の話、あいつにも話してみるか……いや、止めておこう。別人だって言われるに決まってるしな)




 俊介と直人そして鈴音は、実は同じ島の出身で、鹿児島県鬼界ヶ島という小さな島で生まれ育った。

 ただし、鬼界ヶ島という島は、地図のどこを探しても存在しないし見つけられない。実は鬼界ヶ島という名前は通称で、正式名称を硫黄島という。太平洋戦争の激戦区になったことで有名な小笠原諸島のそれではなく、俊介たち3人が住んでいた硫黄島は、鹿児島県から60キロメートル南下した屋久島の近くにぽっかりと浮かんでいる周囲わずか14キロメートルあまりの小さな島である。島の東側には標高700メートルの硫黄岳がいつも噴煙を上げ続けていた。

 俊介が祖父から聞いた話しなのだが、この硫黄島は「平家物語」に語られる俊寛が流刑された地と昔から伝承されており、平安時代末期からこの鬼界ヶ島は流刑地だったらしい。

 昭和40年代にリゾート開発のターゲットとなったものの、結局は破綻してしまい、それからは100人くらいの島民が静かに暮らす穏やかな島となった。島民は漁業と畑仕事を営みながら決して豊かではないものの、皆のんびりとした心豊かな生活を送っていた。

(俺も鈴音もあの島が好きだった。大好きだった)

 俊介と鈴音の家はすぐ近くで、二人は小さい時から兄妹のように育ってきた。みなが都会の生活に憧れて、高校を卒業すると同時に島を出て行ったものだったが、俊介は島を出るなんて一度も考えたことはなかった。

(この島で働きながらいつか鈴音と結婚して、この静かな島でひっそりと暮らしたい)

 ずっとそう思っていた。

 しかし、そんな俊介のささやかな夢さえも永遠に叶わなくなる事件が、ある日、静かな村で起きる。俊介にとって忘れたくても決して忘れられない事件。

(あのとき、おれは鈴音を助けることができなかった。それなのに今でも俺だけが生きているなんて…)

 鈴音の17回目の誕生日だったあの日、俊介は自分の目の前で鈴音を失ってしまった。

 鈴音を助けられなかった俊介は、どれほど悔やみ、嘆き、哀しんだことだろう。そして、悔やんでも悔やんでも悔やみきれないまま、その気持ちを引きずって現在にまで至っている。いつまでも俊介に恋人ができない理由でもあった。

(鈴音は決して返ってこない。あいつは死んだんだ)

 思い出さないようにしていた記憶が、ひょんな事で蘇る羽目になってしまい、妙な熱っぽいような疲れを身体中に感じ、俊介は早々に眠ることにした。

(明日は朝から会議がある。会議中に寝ちまったら大変だしな。明日になれば余計なことも考えずに済むだろう)

 ベッドに入ったとたん、俊介は5分もしないうちに深い眠りに陥っていった。




****************************************

早 苗


 その日、早苗は朝から何かいいことがありそうな気がして家を出た。と、いっても早苗の場合、ポジティブな性格だけが取り柄だと自分で思っているので、いつも何かいいことがあると思って家を出るが、今まで一度もいいことがあった試しがない。

 早苗は現在失業中で来月30歳の誕生日を迎える。何とか30歳になるまでに新しい仕事を見つけなければと焦ってはいるものの、なかなか簡単には見つからずにいた。学生の頃は、高校を卒業したら都会に行ってバリバリのキャリアウーマンになるんだ、と思っていたのに、まさか30歳になろうとしている現在まで無職のフリーター生活を送る事になろうとは想像すらしなかった。

 毎月、親から仕送りを送ってもらってはいるが、最近は母親から電話があると決まって「東京での生活は諦めて早く実家に帰って来なさい」と小言を言われている。

 早苗の性格上、いざとなれば何とかなるだろうと考えていたが、もう1年近く無職でいるとやはり実家に帰ったほうが良いのかとも思うようになっていた。

(宝くじでも当たるとか、素敵な男性とテレビドラマのようなドラマティックな出会いがあるとか!)

 そんな事を思いながら街中を歩いていた早苗は、前方にチラシを配っている人を見つけた。チラシとかテイッシュを配っている人を見ると、何となく気の毒な感じがしてついつい断れずに受け取ってしまう早苗である。

(そこが私の優しいところなのよね~)


 そして、いつものようにチラシを受け取り、ざっと目を通す。

【抽選で10名様に北海道知床巡り3泊4日の旅プレゼント! アナタも無料で3泊4日の北海道知床の旅行に出かけませんか?】

(抽選で当たった人は無料で北海道旅行! あこがれの大地、北海道!)

早苗の好奇心がうずき始める

(主催者は・・・株式会社北海旅行企画。全く聞いたことのない会社だわ)

 早苗はかなり胡散臭いと思ったものの、1度でいいから北海道に行ってみたいと思っていた事もあり、先ほどチラシを配っていた女性に聞いてみようと後ろを振り返った。

(あら?)

 チラシを配っている女性はどこにも見当たらなかった。

(おかしいわ。ついさっきまで配ってはずなのに。。。まぁいっか。家に帰ってネットで検索してみようっと)


 用を済ませて自宅に戻ってきた早苗は、先ほどもらったチラシをバッグから取り出して、さっそくネットで調べてみることにする。

『株式会社北海道旅行企画』

『北海道知床巡りの旅プレゼント』

 カタカタカタ。

 文字を入力してエンターキーを押す。

「あった!これよ、これ!」

 早苗はクリックして、お目当てのHPへとさっそく飛んでみる。表示画面が変わる。美しい北海道の景色と、北海道ならではの美味しそうな食べ物の画像。


(良い事、ありそうだわ!)



****************************************

俊 介


 俊介と直人は、平日の昼下がり、しゃれたカフェで珈琲を飲んでいた。


「で、何かあったのか? 急ぎなら携帯に連絡くれれば良かったのに」

「いや。まぁなんとなくお前の事思い出して、懐かしくなってな」

「へぇ。お前が俺の事を思い出すなんて、いったいどんな風の吹き回しだろうな」


 連絡をとらない時間がどれほど長くても、最初こそ分別のある大人な顔を装って会うものの、話し出せばすぐに幼馴染だった頃のワルガキに戻る二人だ。

(ここが硫黄島じゃなくたって、周りの景色も、空の色も違うこんな都会でだって、コイツにはいつまでも懐かしいあの硫黄島の匂いが残ってる)

 俊介はあらためてしみじみと、幼馴染というものはいいものだと感じていた。


「そんな事、言ったって、本当はおまえ、何か話したいことがあって連絡してきたんだろ?」

 俊介は言葉を続ける。

「え…あぁ、まぁ、な。」

「なんだよ」

「……」

 直人の歯切れは悪かった。

「何だよ、おかしなヤツだな。はっきり言えよ」

俊介は、直人に催促した。俊介に背中を押されて覚悟を決めたのか、ようやく直人は語り始める。

「俊介、お前さ。北海道の北見市で起きてる失踪事件のハナシ、どれくらい知ってる?」

 俊介は、自分の心臓がドクンと跳ね上がるのが分かった。

「失踪事件?」

「ああ、いまテレビでも頻繁に取り上げられている事件だよ」

 俊介はジムで聞いた会話を思い出したが、あえて口にするのはやめて

「テレビなんて、普段あまり見ないしな~。で、その北見市で起きている失踪事件がどうしたんだよ」

と、聞き返す。

「そっか、知らないか……。実はな、新聞社に勤めている知人から聞いたんだが、行方不明になっている女性のなかに、その、高原鈴音という名前の女性がいるらしいんだ」

「高原……鈴音?」

「ああ、そうなんだ。鈴音と同じ名前だよ」

「そんなの、単に同姓同名ってだけだろ」

「おれもそう思ったさ。だが、どうにも気になっちまって、行方不明になっている高原鈴音という女性について、俺のわかる範囲で調べてみた」

と、直人は言い、煙草を取り出して火をつける。

「そ、それで?」

「身長が160センチくらいで髪はロングで色白、目のぱっちりした顔立ちで、近所でも明るくてとても優しい子だとの評判だ。しかも、俊介、その子はどうやら養女のようだ」

「養女……」

「ああ、何でも高校生のとき、事故で両親を亡くして、東京にいる親戚の家に引き取られている」

「で、でも、だからって、鈴音のはずがないだろう。鈴音はあの時に死んだんだ。おれが手を離したばかりに、あいつはこの世から……」

 俊介の顔が歪む。

「おまえ、まだそんなこと言ってるのか? あの時には、誰にもどうすることもできなかっただろう。仕方なかったんだ。鈴音だって、おまえにそんな風に思ってほしくないはずだぞ」

と、直人は俊介に言い聞かせるように強い口調で言ってくる。

 俊介も頭の中ではわかっていた。だが、忘れようと思ってもどうしても忘れることができずにいる。あのとき最後に握りしめた鈴音の手の感触が、ずっと消えずに自分の掌に残っているのだ。

「俊介。おまえの気持ちは分からんでもないが、とにかく、もう自分を責め続けるのは止めろよ。あれは事故だったんだ、誰のせいでもない」

 話していた直人が、どうやら喫茶店の中に知り合いの顔を見つけたようだった。

「ん? あれ、あの人、グラフィックデザイナーの確か……齊藤さんだ」

「知り合いなのか?」

「ああ、最近うちの会社と契約を交わした人でさ。ときどき、イベントやコンサートポスターなんかの作成の打ち合わせで事務所に来てるんだよ。斬新な面白いデザインを手がける人でさ」

 直人は立ち上がると、齊藤に近づいていって声を掛ける。

「齊藤さん、お疲れ様です」

 齊藤は振り向いた。

「ああ、小林さん……でしたよね。しばらくご無沙汰してました」

 齊藤は笑顔で答える。

「齊藤さん、相変わらずお忙しく仕事されてるんでしょう?」

「まぁぼちぼち、って感じですね」

「齊藤さん、今日はお一人ですか?」

「これから人に会う予定なんだけどね。ちょっと時間が空いてるんで、珈琲を飲んでいたところですよ」

「最近も出張で飛び回ってるんですか?」

「いやぁ、そんなこともないよ。この頃は不景気だからね。どこの会社も広告宣伝費を削減してるから、僕らの業界は厳しくなるばかりさ」

 確かに経費を削減するとなると、真っ先に削られるのは広告宣伝費だろう。それを考えると広告業界はますます厳しくなるだろうなと、俊介はちらりと思った。

「ところで齊藤さん。齊藤さんは、最近も出張で北海道に行かれましたか? イベントや展示会のお手伝いで道東方面に出かける事が多いって、耳にしましたけど」

 直人にそう尋ねられた齊藤の顔色が一瞬変わった。

「いや、最近はこっちでの仕事ばかりだよ。あいにく北海道のクライアントさんが景気悪くてね。今年はまだ1度も呼ばれていない」

「やはりどこも不景気で厳しいんですかねぇ」

 腕時計で時間を確認した齊藤が、そそくさと荷物を手に取ると

「そろそろ時間なので、この辺で失礼します」

そう言って立ち上がる。

「お疲れ様でした」

 齊藤は俊介に軽く一礼すると、慌ててレジの方に歩いて行った。


 その後ろ姿を眺めながら、直人が俊介に話すともなく話す。

「ああ見えても意外と頑固なところがあってね。職場の奴らはあまり齊藤さんのこと良く思ってないけど、話してみると気さくな人なんだ。おれはああいう人は嫌いじゃない」

「なんとなく分かるな。俺もちょっと面白そうな感じがしたよ。さて、そろそろ俺たちも仕事に戻るとするか」

「そうだな。今度は近いうちゆっくり飲みにでも行こうぜ」

 二人は喫茶店を後にした。

(直人はいったい何を話したかったんだろう)

 同姓同名の高原鈴音という人物を探っていたり、事故で鈴音が死んだ事はもう忘れろと言ったり、結局直人の意図は最後まで汲めずじまいの俊介だった。




**************************************

俊 介


 今日も俊介は、スポーツジムで汗を流していた。ふと隣を見ると、隣のランニングマシンで走っているのは、北見の疾走事件の話をしていた一人だった。

(あの日、顔を見ておいたのは正解だったな)

 そう思ったものの、話しかけようかどうか俊介は迷っていた。

(おれは、何を話そうというんだ? 何を聞きたいんだ?)

  それでも、俊介は思い切って声をかける。

「あの、すいません」

 俊介も相手も、滝のように汗をかいていて、身体を動かした後の爽快感を感じていた。そういう時に話しかけたのが良かったのだろう。軽く息をはずませた相手も気さくに答えてくれた。

「あ、僕ですか?」

「はい。突然すみません」

「なにか用?」

「ちょっと教えて欲しいことがあるんですが」

 相手は少し怪訝な顔になったが、きちんと聞いてくれているようなので、俊介は話しを続ける。俊介よりも3~4歳くらい年下だろうか。

「先日、ここのジムでシャワーを浴びていた時に、たまたま貴方の会話を耳にはさんだんですが…」

「それが?」

「不躾で申し訳ありませんが、その件で」

 相手は、自分の記憶をたどっているようだった。俊介は、不信がられる前に早く用件を伝えなければ、と言葉を続ける。

「北見の失踪事件について話しをされてたいた時に、会話の中に『鈴音』という名前が聞こえてきまして…」

 何を感じたものか、相手が急に身構えるのが分かった。

「アンタ、誰? いったい僕に何を聞きたいの?」

俊介は慌てて

「あっ、申し訳ありません。私、佐藤といいますが、高原鈴音という幼馴染の女性がいるんですが、ちょっとその……しばらく連絡がとれないままで。鈴音という名前を聞いた時に、鈴音という名前はそうそう聞く名前ではありませんし、もしかすると同一人物じゃないかと……」

 俊介は一生懸命説明をしようとするものの、すっかりしどろもどろだ。すると相手は何を思ったかニヤリとして

「ふぅーん。アンタ……佐藤さん、か。佐藤さんさぁ、その幼馴染みの女性に一方的に惚れてて、そのカノジョと連絡とれなくなって探してるってワケ?」

「いえ……別にお付き合いをしていたとかではないんですが」

 

 硫黄島での事件や、鈴音が死んだ事などは言う必要もないので、適当にごまかした。しかし、俊介が鈴音を好きだった事、鈴音も俊介を好いていてくれた事は、紛れもない事実だったと今でも俊介は思っている。

「それは哀しいねー。確かにオレ達が話していた鈴音も、フルネームは高原鈴音って名前だから、もしかすると本当にアンタが探してる人物なのかもしれないけど……でも、同一人物にしろ、別人にしろ、彼女はあの時話してたように、北見で失踪したまま行方が分からないままだよ。ただ残念な事に、彼女が見つかっても、既に婚約者がいて結婚も決まってるしねぇ。残念ながら佐藤さんの出番はないと思うけど?」

 俊介の表情が明らかに曇ったのを見ると、多少は気の毒に思ったのか、相手はその場からそそくさと立ち去って行く。

 彼らが話していた鈴音という人物のフルネームが、『高原鈴音』だという事は、既に知っていたことだ。


(オレはいったい何を聞きたかったのか)

(それに、失踪した鈴音には……そうか、既に婚約者もいるんだな)

 鈴音はあの時に死んだ。失踪した高原鈴音は別人に違いない。

(何をガッカリしているんだ、おれは?)


 俊介は、鈴音の名前を聞いたあの日から、もやもやし続けている自分の気持ちに区切りをつけるため、とある探偵事務所の扉を叩くことになる。



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