殺人は計画的に、無理のないアリバイ作りを。
殺人を勧める内容じゃないです、念のため。
月曜日、AM5:24。
中年男性が飼い犬と公園を散歩していると、どこからか携帯電話の着信音が聞こえてきた。
男性は携帯を持っていない。あたりには誰もいない。
変だと思い、男性は音の出所を探した。とたんに犬が吠えはじめた。茂みに向かって吠えている。音はその方向から聞こえてくる。
男性は犬に引っぱられて茂みに近づいた。
そして、茂みの陰に横たわる、移川誠司(うつしがわせいじ・24)の死体を見つけたのである。
移川は頭部から出血していて、死体のかたわらには、凶器であろう血のついた大きな石が転がっていた。
死体は、アルコール臭を放っていた。
同時刻。
移川誠司の死体から、約30Km隔たった地点。
コンビニの駐車場に停まっている車の運転席で、携帯電話をかけている沢木善彦(さわきよしひこ・23)の姿があった。
助手席には、コンビニのレジ袋が無造作に置かれている。中には、緑豆もやしのパック詰めが12袋入っていた。
「お前が殺ったんだな、沢木?」
「はい、そうです。」
「待て!!!」
警察署の取調室に怒号が響き渡った。
移川の死体発見から4日後のこと。殺人と断定された事件の捜査線上に沢木善彦が浮上し、重要参考人として任意の事情聴取を受けている場面である。
取調官は、交結警部(56)と、能瀬警部補(34)の2人。
交結警部と沢木は机をはさんで向かい合って座り、能瀬警部補は別の机で調書を取っていた。
あっさり容疑を認めた沢木に、交結警部は待ったをかけた。
「いいか、沢木。こちらが『いい』と言うまで容疑を否認しろ。」
「なぜですか?」
「黙れッ!」
交結警部は立ち上がって机を蹴った。
「俺はな、取り調べが三度の飯より好きだ。口を割らないやつを吐かせるのが何よりも好きなんだよ。
簡単に白状するやつがあるか。
沢木、貴様が殺人事件の犯人であり、移川誠司を殺害後、アリバイ工作を図ったことも俺にはわかっている。パクられたくなかったからそんな小細工をして、嘘の供述をしてきたんだろ?
それが何だ、出頭してきた途端『殺りました』だと? 俺の楽しみを潰す気か?まったく、いまの若造は、ちょっとやってダメだとわかったらすぐにあきらめやがる。」
沢木は、うつむき加減で交結警部の無茶苦茶な言い分に耳をかたむけていた。いや、そう見えただけかもしれない。
沢木は無表情で、交結警部は息子ほど年の離れた容疑者の心中を量りかねていた。
気にせず、警部は尋問をつづけた。
「たっぷり絞ってゲロさせてやるからな。」
「言う通りにしろ。」
交結警部が取り調べ前に必ず言う口上を述べ、能瀬警部補は、顔も向けず沢木にアドバイスした。
沢木は、言われた通りにした。
「沢木、お前は○月×日、日曜日のPM9時頃から翌日AM0:40過ぎまで、移川誠司、および2名の若い女性と、**町のカラオケボックスで合コンをしていたことがわかっている。」
交結警部が、手帳のメモを見ながら言った。
「お前と移川は会社の同僚だな。お前から合コンに誘った。ちがうか?」
「そうです。」
警部は鼻をフンと鳴らした。
「殺害計画の一環で、お前がセッティングしたんだろ。女性たちの証言によれば、お前は、彼女たちと携帯メールアドレスを交換して、移川の女癖の悪さ・・・本当のところはもはや知りようがないが・・・をあることないこと送信して、女性たちに移川を泥酔させるよう誘導した。間違いないな?」
「はい。」
「女性たちは身の危険を感じたが、飲み代は移川持ち、というお前からのメールに諭されて・・・自分たちは相当の酒好きだと彼女たちは証言している・・・は、逆に酒の飲めない移川にビールやらカクテルやらをじゃんじゃん飲ませた。
美女2人のお酌に鼻の下を伸ばした移川は、勧められるまま飲みに飲んで酔いつぶれた。
しかし、お前は車で来ていたので一滴も飲まなかったと。そうだな?」
「はい。」
「その後の足取りを、もう一度言うんだ。
おっと、自白するなよ。事実は俺が暴いてやる。お前は聞き込みの際に話していたデッチ上げ話を繰り返せばいい。」
日曜日──。正確には日付が変わって月曜日の未明。
女性たちと別れて、沢木は移川を独身社員寮のマンションの部屋まで送り届けた。
沢木は、同じ寮の別階の自室に帰った。
この様子を一部始終目撃した者はいない。
移川は月曜日に有給を取っており、沢木も移川に合わせて有給をあらかじめ取り、隣県にある実家に行く用事・・・それもデッチ上げだが・・・を口実に、少し仮眠したのち、AM5時頃、車で外出した。途中で移川のことが気になり、携帯に電話をかけてみたが出なかった。
その時、移川はすでに死亡していたし、先の中年男性は死体に恐れをなして電話に出ることができなかった──。
「移川の死体が発見された時刻、お前は死体から30Km離れた場所にいた。
ずいぶん遠くまで逃げおおせたつもりだったんだろう。ああ?」
交結警部は沢木に薄ら笑いを投げかけた。
「お前のチャチな計画など、お見通しだぞ。
月曜日のAM5:00頃、寮に住む社員の1人が敷地内にいるお前を偶然見ていた。それは、お前が外出したという時間と一致する。
だがな、外出した時間じゃないんだよな?
AM5:00頃、お前は寮に帰ってきたんだよ。
お前は、移川を自宅に連れて帰ってはいない。
お前はカラオケボックスを出たあと、移川を寮から約20Km離れた公園に連れて行き、殺害した。
とにかくなるべく遠い場所が良かった。
殺害推定時刻はAM3:30前後。移動距離などから割り出すと、そのくらいの時間だな。
石で頭を一撃か。酔っぱらい相手なら、楽な仕事だったろうな。死体を茂みに隠したのは、早すぎる発見を避けるためだ。
その後、お前は移川の部屋へ行き、玄関ドアの新聞受けに入っていた〈月曜日の朝刊〉を抜き取り、移川の所持品から失敬した鍵で部屋に侵入して、ダイニングテーブルに新聞を広げた。移川が帰宅した形跡を残す偽装だ。
それから急いで、公園とは真逆の方角に車で10Kmほど逃走、都合30Km、死体から遠ざかった。
コンビニでばかばかしい買い物をして、店員に自分を印象づけて覚えさせる工作も忘れなかった。
それから、移川の手に握らせておいた携帯に電話をかけて、第三者に死体を発見させたわけだ。
つまりお前は、〈月曜日の朝刊〉が配達されたあとに、移川が朝刊を読んで、その後、移川が出かける・・・自力では動けない状態だったろうから何者かに連れ去られる・・・新聞配達後から、死体が発見されるまでの間に犯行があったように装った。
なぜ移川が寮から20Kmも離れた公園にいたか、理由はさておき、な。
販売店の話では、移川の部屋には平均AM4:45前後に朝刊を配達しているそうだ。
死体発見はAM5:24。
配達から発見までの45分ほどの間に、移川を件の公園で殺害し、現場からとんぼ返りして計50Kmほどを移動、件のコンビニで買い物をするなど、沢木善彦には時間的に不可能だ、と俺たちに思わせたかったんだろう?」
「はい。」
交結警部は、また鼻をフンと鳴らした。
「小賢しい真似をしてくれたもんだが、そんなもんにだまされるほど日本の警察は甘くない。まあお前は、場当たり犯罪でとっ捕まる連中よりは、多少なりとも知恵を働かせた分マシだな。
近ごろは、つまらん犯罪者が本当に多くてな」
交結警部は立ち上がって、沢木の顔をのぞきこんだ。
「女は往生際が悪い。女の容疑者は一貫してシラを切り通す。
そいつらに、状況証拠を突きつけて、証言の矛盾を突いて、追い詰めて追い詰めて追い詰める。逃げ場のない窮地に追い詰めて、屈服させてやるのさ。あの征服感。一度あの味を知ったら・・・」
交結は、下卑た思い出し笑いを浮かべた。
「沢木、お前は、いくつかミスを犯している。」
警部は、両手を腰に当て、机の周りをぐるぐる歩きはじめた。
「まずテーブルの上の新聞だ。お前の指紋は採取されたが、移川の指紋はどこにもついていなかった。
どういうことだ? 移川が広げたんじゃなかったのか?
一歩譲って、移川が手袋をしたまま新聞を広げたと仮定しても、あのような状況は生まれない。」
警部は立ち止まり、沢木をにらみつけた。
「なぜなら、日曜日は新聞休刊日だったからだ。月曜日の朝刊は休みだった。
お前が〈月曜日の朝刊〉だと思いこんでいた新聞は、じつは〈日曜日の朝刊〉だったんだよ! ハーッハハハハハハ!」
交結警部の顔が醜く歪む。
「沢木! 移川はな、土曜日の夜から部屋を留守にして、友人宅に一泊して、その足で日曜夜の合コンに行ったんだよ。
その間の移川の行動のウラは取れている。〈日曜日の朝刊〉は、ずっと玄関ドアの新聞受けにはさまったままだった。
お前は、移川が土曜の午後から部屋に帰っていないことを知らなかったな!
何? 新聞が〈日曜日の朝刊〉だったからといって、移川が広げなかった証拠にはならないだと?
ふむ、女性たちと別れたあとの、お前と移川の足取りは、お前の証言だけが判断材料だ。
お前が罪をなすりつけようとしている“真犯人”が、帰宅後の移川を拉致して殺した可能性はゼロではないと言いたいのか?
しかし、いくらお前が言い繕っても、移川は寮に帰らなかった。
これまた、お前の見込み違いの事態が起きたんだ。移川の死因は、急性アルコール中毒による心不全だったんだよ。
死亡推定時刻は月曜AM1:00〜2:00。
移川誠司は、お前が殺す前に、すでに死んでいたのさ。」
取調室は、つかのま静まり返った。真相を聞かされた沢木は、依然うなだれたまま表情ひとつ変えない。
交結が続けた。
「移川の異変には気がつかなかったのか?
まあ、いまから人を殺ろうって時だ、まともな精神状態じゃないよな? 判断力が鈍っていたのかもしれん。
それよりも、殺る前に過ちに気づいておくべきだったな。いかなるわけがあろうと、人が人を殺してはならない。
どうしてかは、残りの人生を使ってたっぷり考えろ。それで沢木、なぜ殺ったんだ?」
刑事部屋に西日が差しこんでいた。
交結警部は窓際に立ち、下ろしているブラインドのすきまに人指し指を突っ込んで押し広げ、夕暮れの町をながめていた。
「しかし能瀬、何だありゃ? 社内に好きな女の子がいて、移川もその子に好意を寄せているのを知ったから殺しただあ? そんな理由でか?」
「ライバルを消したってことですか。」
能勢警部補が短く応える。
「何を考えているのかさっぱりわからんな。俺には理解できん。あんなもんか、いまの若いやつは?」
「さあ、人それぞれじゃないですか?」
おわり