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作者: 香月 深青
掲載日:2026/05/16

 成績が落ちていた。


 頑張っているのに、思うように伸びない。


 友達はどんどん成績を伸ばしていく。


「今回めっちゃ良かった!」


「もう安全圏かも!」


 そんな声を聞くたび、胸が苦しくなった。


 机に向かっても集中できない。


 気づけばスマホを触っていた。


 短い動画を見て、また時間だけが過ぎていく。


 ――また今日もできなかった。


 悔しい。


 情けない。


 頑張りたいのに、気持ちが追いつかない。


 成績が落ちていたので、塾で三者面談があった。


 志望校の話。


 勉強の進め方。


 先生は何度も言った。


「志望校を変えた方がいいかもしれないね」


 合格率三十パーセント。


 厳しい数字だった。


 帰り道、車の中は静かだった。


 窓の外を流れる景色をぼんやり眺めながら、私はずっと下を向いていた。


 怒られると思っていた。


 もっと頑張れって言われると思っていた。


 家に帰ると、母が温かいお茶をテーブルに置きながら静かに言った。


「嫌なら、やめてもいいのよ」


 思わず顔を上げる。


「無理しなくていい。行ける学校を選んでもいいの」


 責められなかった。


 期待を押しつけられなかった。


 その代わり、母は少し笑って言った。


「あなたが笑ってくれるのが、一番嬉しいから」


 気づけば涙が落ちていた。


 止めようとしても止まらない。


 母は何も言わず、ただ背中をさすってくれる。


「勉強はね、やりたいって思った時に始めればいいの」


 静かな声だった。


「人生って、ずっと勉強だから」


 母はゆっくり続ける。


「少しでも上の学校へって思うのはね、その後の人生の選択肢が増えるかもしれないから」


「やりたいことを見つけた時、叶えられる道が広がるかもしれないから」


 そして最後に、優しく笑った。


「でも、一番大事なのはあなたの気持ち」


「あなたが壊れてしまう結果にならなければ、それでいいの」


「後悔しないように、今を生きなさい」


「今の時間は、今しかないんだから」


 その言葉をきっかけに、少しずつ自分と向き合えるようになった。


 急に頑張れるようになったわけじゃない。


 スマホを触ってしまう日もある。


 やる気が出ない日もある。


 それでも、前より少しだけ机に向かえるようになった。


「頑張らなきゃ」って、自分を追い込まなくなった。


 先生には最後まで言われ続けた。


「志望校、変えた方がいいぞ」


 それでも、最後までやってみようと思った。


 言われるほど、意地になった。


 後悔だけはしたくなかった。


 滑り止めの学校に合格した時、不思議と気持ちが軽くなった。


 ――落ちても、行く場所はある。


 そう思えたから。


「記念受験みたいなものだし……」


 自分にそう言い聞かせると、不思議なくらい肩の力が抜けた。


 受験当日の朝。


 まだ薄暗い部屋の中で制服に着替える。


 緊張で、うまく朝ごはんが喉を通らない。


「頑張ってね」


「大丈夫。落ち着いて、いつも通りにね」


 母は笑いながら、お弁当の袋を渡してくれた。


 電車の中でそっと袋を開ける。


 中には、お弁当箱と、小さなチョコレート。


 包装には『合格』の文字。


 その横には、小さなメッセージカード。


『頑張れ』


 袋には、小さな合格祈願のお守りまで付いていた。


 思わず笑ってしまった。


 張りつめていた心が、少しだけ軽くなる。


 試験中は、不思議なくらい集中できた。


 わからない問題もあった。


 頭が真っ白になる瞬間もあった。


 それでも最後まで答案用紙を埋めた。


 今の自分にできることは、全部やった。


 家に帰ると、母がすぐ玄関まで来た。


「お疲れさま」


 その声だけで、力が抜けそうになる。


「頑張ったね」


 母は安心したように笑って、それから少し考えるようにして言った。


「参加することに意義があるのよ」


 意味はよくわからなかった。


 でも、それが母なりの励ましだとわかっていた。


 発表までは、久しぶりに少しのんびりした。


 遊べなかったぶん、友達とも遊んだ。


 ずっと我慢していた映画も見に行った。


 そして迎えた、合格発表の日。


 父も仕事を休み、三人で掲示板を見に行った。


 人混みの中、震える手で受験票を握りしめる。


 番号を探す。


 何度見ても見つからない。


 胸の音だけが、うるさいくらい響いていた。


 その時だった。


「あった!!」


 母の大きな声が響いた。


「あったよ!! おめでとう!!」


 次の瞬間、泣きながら抱きしめられる。


 母があんな大声を出すのを、初めて見た。


 まだ信じられなくて、もう一度ゆっくり番号を追う。


 そして――見つけた。


 自分の番号だった。


「あった……」


 声が震える。


 嬉しくて、涙が止まらなかった。


 私は受験票を握りしめたまま、母に抱きついた。


 その横で、父が涙目のまま笑う。


「よく頑張ったな」


「おめでとう」


 頑張れない自分が嫌いになった日もあった。


 逃げてしまった日もあった。


 それでも、ちゃんとここまで来た。


 自分のことを、少しだけ好きになれた気がした。


 春の風が、優しく通り抜けた。

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