ステップ
成績が落ちていた。
頑張っているのに、思うように伸びない。
友達はどんどん成績を伸ばしていく。
「今回めっちゃ良かった!」
「もう安全圏かも!」
そんな声を聞くたび、胸が苦しくなった。
机に向かっても集中できない。
気づけばスマホを触っていた。
短い動画を見て、また時間だけが過ぎていく。
――また今日もできなかった。
悔しい。
情けない。
頑張りたいのに、気持ちが追いつかない。
成績が落ちていたので、塾で三者面談があった。
志望校の話。
勉強の進め方。
先生は何度も言った。
「志望校を変えた方がいいかもしれないね」
合格率三十パーセント。
厳しい数字だった。
帰り道、車の中は静かだった。
窓の外を流れる景色をぼんやり眺めながら、私はずっと下を向いていた。
怒られると思っていた。
もっと頑張れって言われると思っていた。
家に帰ると、母が温かいお茶をテーブルに置きながら静かに言った。
「嫌なら、やめてもいいのよ」
思わず顔を上げる。
「無理しなくていい。行ける学校を選んでもいいの」
責められなかった。
期待を押しつけられなかった。
その代わり、母は少し笑って言った。
「あなたが笑ってくれるのが、一番嬉しいから」
気づけば涙が落ちていた。
止めようとしても止まらない。
母は何も言わず、ただ背中をさすってくれる。
「勉強はね、やりたいって思った時に始めればいいの」
静かな声だった。
「人生って、ずっと勉強だから」
母はゆっくり続ける。
「少しでも上の学校へって思うのはね、その後の人生の選択肢が増えるかもしれないから」
「やりたいことを見つけた時、叶えられる道が広がるかもしれないから」
そして最後に、優しく笑った。
「でも、一番大事なのはあなたの気持ち」
「あなたが壊れてしまう結果にならなければ、それでいいの」
「後悔しないように、今を生きなさい」
「今の時間は、今しかないんだから」
その言葉をきっかけに、少しずつ自分と向き合えるようになった。
急に頑張れるようになったわけじゃない。
スマホを触ってしまう日もある。
やる気が出ない日もある。
それでも、前より少しだけ机に向かえるようになった。
「頑張らなきゃ」って、自分を追い込まなくなった。
先生には最後まで言われ続けた。
「志望校、変えた方がいいぞ」
それでも、最後までやってみようと思った。
言われるほど、意地になった。
後悔だけはしたくなかった。
滑り止めの学校に合格した時、不思議と気持ちが軽くなった。
――落ちても、行く場所はある。
そう思えたから。
「記念受験みたいなものだし……」
自分にそう言い聞かせると、不思議なくらい肩の力が抜けた。
受験当日の朝。
まだ薄暗い部屋の中で制服に着替える。
緊張で、うまく朝ごはんが喉を通らない。
「頑張ってね」
「大丈夫。落ち着いて、いつも通りにね」
母は笑いながら、お弁当の袋を渡してくれた。
電車の中でそっと袋を開ける。
中には、お弁当箱と、小さなチョコレート。
包装には『合格』の文字。
その横には、小さなメッセージカード。
『頑張れ』
袋には、小さな合格祈願のお守りまで付いていた。
思わず笑ってしまった。
張りつめていた心が、少しだけ軽くなる。
試験中は、不思議なくらい集中できた。
わからない問題もあった。
頭が真っ白になる瞬間もあった。
それでも最後まで答案用紙を埋めた。
今の自分にできることは、全部やった。
家に帰ると、母がすぐ玄関まで来た。
「お疲れさま」
その声だけで、力が抜けそうになる。
「頑張ったね」
母は安心したように笑って、それから少し考えるようにして言った。
「参加することに意義があるのよ」
意味はよくわからなかった。
でも、それが母なりの励ましだとわかっていた。
発表までは、久しぶりに少しのんびりした。
遊べなかったぶん、友達とも遊んだ。
ずっと我慢していた映画も見に行った。
そして迎えた、合格発表の日。
父も仕事を休み、三人で掲示板を見に行った。
人混みの中、震える手で受験票を握りしめる。
番号を探す。
何度見ても見つからない。
胸の音だけが、うるさいくらい響いていた。
その時だった。
「あった!!」
母の大きな声が響いた。
「あったよ!! おめでとう!!」
次の瞬間、泣きながら抱きしめられる。
母があんな大声を出すのを、初めて見た。
まだ信じられなくて、もう一度ゆっくり番号を追う。
そして――見つけた。
自分の番号だった。
「あった……」
声が震える。
嬉しくて、涙が止まらなかった。
私は受験票を握りしめたまま、母に抱きついた。
その横で、父が涙目のまま笑う。
「よく頑張ったな」
「おめでとう」
頑張れない自分が嫌いになった日もあった。
逃げてしまった日もあった。
それでも、ちゃんとここまで来た。
自分のことを、少しだけ好きになれた気がした。
春の風が、優しく通り抜けた。




