第9話「熱の隠れ家」
目が覚めると、そこは見たこともない豪奢な寝室だった。
天蓋付きのベッドに、間接照明の柔らかい光。空気清浄機が静かに稼働している音だけが聞こえる。
俺は上体を起こそうとして、全身の倦怠感にうめき声を漏らした。
「気が付いたか」
部屋の隅にあるソファで本を読んでいたエイスケが、本を閉じてこちらへ歩み寄ってくる。彼はもう戦闘服ではなく、清潔なシャツ姿だった。
「ここは……?」
「俺のセーフハウスだ。ネビュラの目も、警察の目も届かない」
彼はベッドサイドに水を置いてくれた。俺はそれを貪るように飲む。冷たい水が、火照った体に染み渡る。
「……俺は、どうなったんだ」
「極度のフェロモン中毒に近い状態だ。戦闘の興奮とお前のヒートが重なった。あのままあそこにいたら、お前の正体は全世界に生中継されていただろうな」
ぞっとした。
あの場で抑制剤が切れ、ヒートが始まっていたら。
俺はヒーローとしての名声を失うどころか、社会的に抹殺されていた。
「助けてくれたのか」
「言ったはずだ。お前は俺の番だと」
エイスケはベッドの縁に腰掛け、俺の額に手を当てた。
その手が、ひどく心地いい。
もっと触れてほしい。強く抱きしめてほしい。
オメガの本能が理性を食い破ろうと暴れ出す。
「は、ぁ……エイスケ……」
名前を呼ぶと、彼の手がぴくりと止まった。眼鏡の奥の瞳が、暗い欲望の色を帯びる。
「誘うな。俺も聖人君子じゃない」
「でも、苦しいんだ……」
俺は無意識に彼のシャツの裾をつかんでいた。
欲しい。彼が欲しい。
これほどまでに誰かを求めたことなんて、生まれて初めてだった。
エイスケは深いため息をつくと、俺の手を優しく包み込んだ。
「今はだめだ、カイ。弱っているお前を、本能のままに貪るようなまねはしたくない」
彼は俺の手の甲に、誓うように口づけを落とした。
「お前が万全の状態で、心から俺を求めてくれるまで待つ。それが、俺の愛し方だ」
その言葉は、どんな甘い愛の言葉よりも俺の胸を打った。
この男は、悪の幹部でありながら、誰よりも誇り高い。
俺はあふれ出る涙を止めることができなかった。
熱に浮かされた頭で、俺は思った。
もし立場が違えば。もしヒーローとヴィランでなければ。
俺たちは、もっと早くに出会って、普通の恋人同士になれたのだろうか。




