7話
町外れにある石造りの大通路に続く門の前にヒロシはいた。
「同じ一層でも昨日とは場所が違うんだね」
「あれは別の世界から町を繋ぐ通路だからね。一応モンスターも出るから便宜上一層とは呼ばれているけど、ここから先に繋がる場所とは別物だよ。本当の一層はこの先さ」
ヒロシは門の先を見る。
深い闇が広がっている。ここから先がどうなっているかは窺い知ることはできない。
モルディオとヒロシが話している間にも、一人、また一人と挑戦者たちが門の先、ダンジョンに潜っていく。
「さぁ、ここから先はキミ一人だ。ボクたち案内人はモンスターの出る安全地帯外には進めない」
「そうなのか。あれ? でも昨日ついてきてなかった?」
「いいや、ついて行ってないよ。安全地帯ギリギリの境界線から話してただけだ」
「そうだったっけ?……まぁ、確かに声が遠かった気がしないでもなかったような……。ん? でもそれじゃあ、あの通路を抜けずにどうやってこの町まで来たんだ?」
「転移術だよ。ボクたち案内人は安全地帯間で転移が可能だからね」
転移術と聞いてヒロシの目が輝く。
「転移術! そりゃスゴいな!」
「ボクたちしか使えないけどね。この転移術のお陰で例えキミが始まりの町を抜け、第十層の町にたどり着いたとしても、ボクはキミのサポートを続けられるんだ。だから安心して。決して寂しくなんかないさ」
「べ、別にさみしくなんかないんだからね!」
一瞬、静寂が訪れる。
「……さて、お喋りはここまで。まぁ、頑張ってね。今日の目標はダンジョンの空気に慣れること。あまり深くは進まず、くれぐれも慎重に行動するんだ。死んだらおしまいだから」
「分かったよ」
一言だけ返事を返し、ヒロシは門へ足を踏み入れた。
門をくぐった瞬間、空気が変わった。
町外れのざわめきが、背後で切り取られたように遠ざかる。代わりに、ひんやりとした湿気が肌にまとわりついた。石の匂い。土の匂い。微かに鉄錆のような臭いも混じっている。
(……静かだ)
昨日の通路と似ている。だが、どこか違う。
足元の石畳は均一ではなく、ところどころが欠け、歪んでいる。人の手で整えられたというより、長い時間をかけて“削られた”ような感触だった。
ヒロシは短槍を構え、ゆっくりと歩き出す。
数歩進むごとに、門の向こうの光が小さくなっていく。振り返れば戻れる――そう分かっているのに、背中が無性に落ち着かない。
(……一人、か)
モルディオの声が聞こえないだけで、こんなにも心細くなるとは思わなかった。
通路は、しばらく進むと緩やかに下っていた。天井は高く、左右の壁も広い。昨日の“二人並んでやっと”の通路より、はるかに余裕がある。
だが、その分――
「……見通しが、悪い」
声に出して確認する。
暗がりが多い。影が深い。どこまでが通路で、どこからが空間なのか分かりにくい。
ヒロシは歩調を落とし、足音を意識した。
石を踏む音が、思った以上に響く。
(……音、出しすぎか)
だが、完全に殺すことはできない。
慎重になりすぎて立ち止まれば、それはそれで危険だ。
少し進んだところで、壁に奇妙な傷跡があることに気づいた。引っ掻いたような跡。いくつも重なり、古いものと新しいものが混在している。
(……爪?)
思わず、槍を握る手に力が入る。
そのとき。
――コツ。
前方から、何かが落ちる音がした。
「……っ」
ヒロシは足を止め、息を潜める。
暗闇の向こう。何も見えない。だが、確かに“気配”がある。
昨日とは違う。
唸り声も、足音もない。
ただ、じっと――こちらを見ているような感覚。
(……来るのか?)
数秒。
十秒。
何も起きない。
代わりに、またコツ、と音がした。今度は少し近い。
ヒロシは、ゆっくりと槍の穂先を持ち上げ、音のした方向へ向ける。
心臓の音が、耳の奥でうるさい。
やがて、暗がりの中から――
小さな影が、ぴょん、と跳ねた。
「……え?」
それは、獣ですらなかった。
丸く、掌に収まりそうな大きさの生き物。石ころに手足が生えたような、歪な形。
こちらに敵意を向ける様子もなく、ただ通路を横切り、壁の隙間に消えていく。
「……なんだ、今の」
拍子抜けするほど、あっけなかった。
(……モンスター、だよな?)
だが、襲ってこない。
倒したところで、昨日のような結晶が出るのかも怪しい。
ヒロシは、追わなかった。
「……無理に戦う必要、ないよな」
自分に言い聞かせるように呟く。
戦えば必ず危険がある。
相手が弱そうでも、それは変わらない。
モルディオの言葉が蘇る。
――今日は“慣れる”のが仕事。
ヒロシは、歩みを再開した。
通路はさらに奥へと続いている。途中、枝分かれしている場所もあったが、今回は最も広く、明るさの残る道を選んだ。
何度か、小さな物音に足を止めた。
遠くで何かが動く気配。
壁の向こうから、かすかな擦過音。
だが、どれも致命的な接触には至らない。
(……ダンジョンって)
想像していたより、ずっと静かだ。
常に戦闘が起こるわけでもない。
常に命が狙われるわけでもない。
それでも――
油断すれば、死ぬ。
その確信だけは、ずっと背中に張り付いている。
通路が、わずかに広がった。
天井が高くなり、左右の壁が後退する。だが、広い分だけ闇も深い。足元の石畳は不規則に隆起し、ところどころに瓦礫が散らばっている。
(……やけに広いなここ。モンスターの溜まり場か何かか?)
直感が、警鐘を鳴らす。
ヒロシは立ち止まり、呼吸を整えた。
槍を持つ手の位置を少しだけずらし、穂先を低く構える。
――コツ。
先ほどより、はっきりとした音。
今度は一つではない。
複数。互いに間隔をずらしながら、こちらへ近づいてくる。
(……さっきの、小さいやつとは違う)
影が、ゆっくりと輪郭を持ち始める。
現れたのは、二体。
四足、いや、三足の獣。犬ほどの大きさだが、体は異様に細く、背中が不自然に盛り上がっている。
そして――前脚。
骨が外側に突き出し、槍の穂先のように尖っている。
(……昨日の三脚獣とは形状がちょっと違うし、若干小さい。でも……)
二体とも、距離を保ったまま円を描くように動き始めた。
一直線に突っ込んでこない。明らかに、囲もうとしている。
「……二体か」
声に出すことで、自分を落ち着かせる。
ヒロシは後退せず、その場で向きを変えながら対応する。
槍の穂先が、常に二体の中間を指すように。
(……同時に来られたら、まずい)
片方が地面を蹴った。
低い姿勢からの突進。
「っ!」
ヒロシはそちらに槍を向け、突くふりをして止める。
獣は一瞬、身を翻して避けた。
――その隙。
反対側から、もう一体が跳んだ。
「……くっ!」
間に合わない。
ヒロシは反射的に槍を引き戻し、横薙ぎに払った。
――ガッ。
鈍い手応え。
穂先が、獣の槍のように尖った骨に当たる。
勢いは殺しきれないが、軌道は逸れた。
獣はヒロシのすぐ脇をすり抜け、壁に激突する。
「今だ……!」
ヒロシは一歩踏み込み、体勢を崩した獣の脇腹を狙って突いた。
――ズブリ。
確かな感触。
獣が短く鳴き、床に転がる。
だが、終わりではない。
残る一体が、距離を詰めてくる。
今度は躊躇がない。一直線。
(……落ち着け)
ヒロシは深く息を吸い、槍を構え直す。
真正面から迎え撃つのではなく、半身になる。
昨日、そして今の経験が、体に染み込み始めている。
獣が跳躍した瞬間、ヒロシは槍を前に突き出す――が、狙いは頭ではない。
胸元。
突進の勢いを利用する。
――グシャ。
骨が砕ける嫌な音。
獣はそのまま槍に貫かれ、力なく崩れ落ちた。
しばらく、ヒロシは動けなかった。
荒い呼吸。
汗が背中を伝う。
また、身体の奥がじんわりと温かくなる感覚が身を包む。
少しだけ身体が楽になった気がする。
(……二体、か)
震える手で槍を引き抜く。
刃こぼれが増えているが、まだ折れてはいない。
床に転がる二体の死骸が、淡く光り始める。
やがて、それぞれ一つずつ、結晶が残った。
「……2コア」
小さく呟く。
昨日よりも、確実に“稼いだ”という実感があった。
同時に、もしもう一体いたら――という想像が、背筋を冷やす。
「……深追いは、なしだな」
ヒロシは結晶を拾い、ポケットにしまうと、周囲を警戒しながら後退した。
来た道を戻る。
一歩ずつ。
慎重に。
戦えた。
だが、それは紙一重だった。
ダンジョンは、まだ何も語らない。
ただ、静かに――挑戦者を試している。
ヒロシはその沈黙を背に、門のある方向へと歩き続けた。
三脚獣。
同じ分類で色んな形状が存在します。




