6話
――朝だった。
意識が浮上するより先に、鼻先をくすぐる匂いがあった。焼いたパンのような香ばしさと、少し焦げた油の匂い。胃が、遅れて反応する。
「……腹、減った」
呟いてから、自分の声がちゃんと出ていることに気づく。喉は渇いているが、痛みはない。指を動かす。足も、問題なく動く。
(……生きてる)
昨日と同じ確認を、もう一度。
ベッドから起き上がり、窓の外を見る。石畳の通りを、数人の人影が行き交っている。朝だというのに、武器を背負った者もいれば、籠を抱えた者もいる。
「……町、なんだよな」
夢ではない。何度目かの結論。
「おはよう、ヒロシ」
振り向くと、窓際の椅子にモルディオがいた。いつの間にか、昨日と同じ場所に、昨日と同じように。
「……おはよう。ずっと、いたのか?」
「失礼だね。ちゃんと夜は席を外したよ。覗き趣味はない」
「ほんとかよ。怪しいな」
モルディオは気にした様子もなく、尻尾を揺らす。
「体調は?」
「……思ったより、平気だ」
「それは良かった。死にかけた翌日に動けるなら、適性は悪くない」
軽く言う。
「……なあ」
ヒロシは、ベッドの縁に座ったまま、ふと気になったことを尋ねる。
「そういえば昨日の宿代って……」
「初回サービス」
即答である。
「今日からは自腹だよ」
「だよな……」
胃が、別の意味で重くなる。
「朝食はどうする?」
「あるのか?」
「あるよ。下で簡単なのが出る。これも今日までだけど」
「……助かる」
階段を下りると、簡素な食堂になっていた。木の机に、数人の挑戦者が無言で食事を取っている。パンのようなものと、湯気の立つ汁。
味は、正直言って薄い。だが、決して不味くはない。むしろうまい。体に染み渡る。
(……ちゃんと、食える)
それだけで、少し安心した。
「さて」
食後、モルディオが言った。
「今から武器を調達しにいこうか」
「武器?」
「そう。武器。もしまだ挑戦を続けるつもりがあるなら、ここで生活する必要がある。ここでの生活ももちろんタダじゃない。お金を稼がなきゃならない」
お金と言われ、ヒロシは思い当たるものがあった。
それは昨日拾った、あの結晶である。
「お金ってもしかして、これの事か」
「うん。それ。魔結晶って言うんだけどこのダンジョンで使われる共通の通貨だ。宿代もご飯代も全て魔結晶で支払われる」
「なるほど、だから武器が必要な訳か」
ダンジョンに挑み、ここで生活を営むのであれば魔結晶は必須。つまりモンスターを倒さなければならない。
しかし、昨日のように石っころ一つでモンスターに挑んでいては命が幾つあっても足らない。
武器が必要だった。
昨日、命と引き換えに手に入れた――淡く光る結晶。
「……これが、金なのか」
「正確には“コア”だね。魔結晶の通貨単位」
モルディオは軽く補足する。
「君が倒した三脚獣から出るのは、全部一コア。新人向け、最低保証みたいなものだ」
「最低保証って……」
「所詮は君のような素人が石ころ持っただけで倒せるモンスターなんだ。そこから出る魔結晶の価値なんてそんなもんだよ」
嫌な言い方だが、否定はできない。
ヒロシは結晶を握りしめ、指先で確かな硬さを確かめた。
「で、武器は……どこで?」
「ギルド」
「ギルド?」
「パーティー斡旋と、新人救済と、情報の集積所。どの町にもある」
猫は歩き出す。
「この町は第一層の始まりの町だからね。新人も、それなりに多い」
外に出ると、朝の町は昨日よりもはっきりと“異質”だった。
昨日は疲れていてあまり周囲を見れていなかったが、今はハッキリと分かる。
人影が多い。
だが、その“人”という括りが、どこか曖昧だ。
背が三メートル近くある大男。肌が岩のように硬質で、関節が不自然に多い。
四本腕で荷を運ぶ細身の女。顔は人間に近いが、目が複眼だ。
フードの奥から、角のようなものが覗いている者もいる。
「……なあ」
「言わなくていい。顔に出てる」
「……人、だよな?」
「うん。全員、挑戦者か、その子孫」
モルディオは、あっさりと言った。
「この町に“元からの住人”はいない。ここにいるのは、皆どこか別の世界から来て、帰れなかった連中だ」
「……俺がいたところ、地球以外からも?」
「もちろん。魔法を扱う文明の世界もあれば、君のところより科学が進んだ世界もある。種族もバラバラ。キミ基準で見たら、モンスターと区別がつかない者もいるだろうね」
ヒロシは、さきほどの岩のような男の背中を見送った。
「……でも、あいつらは」
「モンスターじゃないよ。モンスターは安全地帯には入ってこれない」
きっぱりと断言される。
「挑戦者だ。殺される側じゃなく、潜る側」
その線引きが、この世界では絶対なのだと、声音で分かった。
やがて、広めの建物に辿り着く。
入口の上には、剣と輪を組み合わせたような紋章。
「ここがギルド」
中は騒がしかった。
張り紙。口論。笑い声。
依頼を見比べる者、仲間を探す者、武器を担いで戻ってきた者。
生きている人間――いや、生き物の熱気が、むっと押し寄せる。
「うわ……」
「慣れるよ。そのうち」
受付に向かうと、角の生えた女性が顔を上げた。
「んん? ありゃ、もしかして新人さんかな?」
ヒロシを一瞥し、即座に判断する。
「……はい」
「要件は、まぁ武器の貸し出しだよねー。新人向けの武器は一コアで貸し出してるよ。返却は生きて戻れたらでー」
淡々としたやり取り。
ヒロシは、ポケットから結晶を一つ差し出した。
それを受け取ると、女性は奥に声をかける。
「新人一名!案内して!」
しばらくして、職員が出てくる。
小さい。そこまで大柄ではないヒロシより頭一つ分ほど小さい背丈だ。しかし、身体はがっしりしていて分厚く、大きさ以上の圧力を感じる。
「新人さんだね、こっちについてきな」
職員に案内されたのはギルド裏手にあった倉庫である。
中には、剣、槍、短剣、斧――どれも、見るからにくたびれている。
「……なんか質、悪くない?」
「悪いよ」
モルディオが即答する。
「刃は欠けてるし、重心も狂ってる。
でもね」
ヒロシの足元に落ちていた、小石を尻尾で弾く。
「これで殴るよりは、百倍マシだ」
「……それは、そうだな」
――慎重に立ち回るなら
少し迷ってから、ヒロシは短めの槍を手に取った。
以外と重い。だが、両手で振れる。
「決めたかい?」
「ああ」
「じゃあ、これで君は“挑戦者”だ」
その言葉が、妙に重く胸に落ちた。
昨日までは、ただの一般人だった。
今は――武器を持つ者。
「……モルディオ」
「ん?」
「俺さ」
槍を握り直す。
「もう少しだけ……潜ってみるよ」
猫は、にやりと笑った。
「いい顔だ。じゃあ次は、いよいよダンジョン探索だね」
町の喧騒の中で、ヒロシは初めて、自分がこの場所に“立っている”感覚を得ていた。




