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3話

――生き残った。


 その言葉が、頭の中で何度も反響していた。


 ヒロシは、しばらく仰向けのまま動けずにいた。 天井の石は冷たく、無機質で、どこまでも続いているように見える。


「……はぁ……」


 息を吐くたび、胸の奥が微かに痛んだ。 腕も脚も重く、全身が鉛になったみたいだ。


(……俺、今……)


 視線を横にやる。 さっきまで獣がいた場所には、何もない。血も、死体も、痕跡すら残っていない。


 ――自分が何かを殺した、という実感だけが胸に沈殿していた。


「……夢じゃないよな……」


 腕をつねる。 痛い。


「……だよな」


 ゆっくりと体を起こす。  立ち上がろうとして、膝が笑った。


「うわ……」


 壁に手をつき、なんとか体を支える。 結晶を握っている手に気づき、そっと開いた。


 淡い光。 さっきから、変わらずそこにある。


「……これ……何だろうね……」


 ラノベではお約束の魔石とか多分そういう何かだろうか。

 答えは返ってこない。


 結晶をポケットに入れ、周囲を見渡す。

 通路は、獣が現れた方向と、その先へと続く一本道だけだった。

 あの猫、モルディオも気付いたらいない。


(……戻るか?)


 一瞬、頭をよぎる。 だが、背後を振り返っても階段は見えない。


 来た道は、すでに闇に溶けていた。


「……あ、そっか」


 喋る猫の言葉を思い出す。


 ――帰るなら、あの場で。


 今さら、だ。


「……取り敢えず、前に進んでみるか」


 無理なら戻ればいい。元の日常に。

 でも、まだ無理じゃない。


 ヒロシは、重い足取りで歩き出した。 一歩進むごとに、床の感触が妙に現実的に伝わってくる。


 しばらく進むと、通路の先が明るくなってきた。


「……外?」


 いや、違う。


 石の通路を抜けた先には、広い空間が広がっていた。 建物。 石畳。 灯り。


「……町……?」


 思わず、声が漏れる。


 人影があった。 複数だ。


 誰かが歩いている。 誰かが座っている。

 誰かが、談笑している。


「……人が、いる?」


 その事実に、膝が抜けそうになった。


 生き物だ。 自分以外の。


 ヒロシは、無意識のうちに早足になっていた。 近づくにつれ、音がはっきりしてくる。


 足音。 話し声。 金属が触れ合う音。


「……現実、だ」


 町の入口らしき場所に立ったとき、ようやく実感が追いついた。


 ここは、さっきまでいた通路とは違う。 危険な気配が、薄れている。


 理由は分からない。 だが、本能的に――


(……ここは……さっきほど、怖くない)


 その瞬間。


「おやおや」


 聞き覚えのある声が、背後から響いた。


「無事に辿り着いたみたいだね」


「……っ!?」


 反射的に振り返る。


 そこにいたのは―― シルクハットを被った、黒猫。


「……あ」


 思考が止まる。


「モ、モルディオ……?」


 猫は、にやりと笑った。


「おめでとう。 まずは第一関門突破だ」


「……いつの間にいたんだよ」


 ドッと疲労が雪崩のように押し寄せる。


 モルディオは、ひょいと肩をすくめた。


「この町について色々聞きたいことはあるだろうけど……。ここは安全地帯だ。まずは一息つこうじゃないか」


 町の灯りが、二人――いや、一人と一匹を照らす。

 松明とも街灯ともつかない光源が石畳を照らし、人々の影をゆらゆらと揺らしている。


 ヒロシは、しばらくその場から動けずにいた。

 安全だ、と頭では理解している。

 だが、身体はまだ通路の冷気と死の気配を引きずっていた。


「……安全地帯、って言ったよな」


 ゆっくりと、噛みしめるように言う。


「うん。ここではモンスターは出ない。挑戦者同士で殺し合うことも、基本的には禁止だ」


「“基本的には”って言い方が気になるんだけど……」


 モルディオは聞かなかったことにしたようで、尻尾をひと振りすると町の中へ歩き出した。


「立ち話も何だし、少し中を見て回ろう。キミも、頭を整理したいだろ?」


「……それは、まあ」


 たった数分ちょっとの戦闘ではあったが正直、限界だった。

 身体も、精神も。


 ヒロシは一歩遅れて、猫の後についていく。


 町は思ったよりも雑多だった。

 石造りの建物が並び、露店のようなものも出ている。

 武器を並べた店。

 防具らしきものを吊るした店。

 食べ物の匂い。


 ファンタジーな世界の町と聞いてまず真っ先に思い浮かべる光景がそこにはあった。


「……普通に、町だな」


「そりゃそうさ」


 モルディオは当然のように言った。


「挑戦者が休み、備え、情報を交換する場所だ。

 ダンジョンの中とはいえ、ここは“生活圏”だよ」


 視線を巡らせる。

 行き交う人々は、年齢も服装もばらばらだった。


 鎧を着た屈強そうな男。

 ローブ姿で杖を持つ女性。

 軽装で身のこなしが軽そうな若者。


 そして――


 町の片隅、壁にもたれて座り込んでいる一人の男。

 顔はやつれ、視線は虚ろで、剣だけが傍らに置かれている。


「……あの人」


「挑戦者だね」


 モルディオは淡々と答えた。


「仲間を失ったか、自分の限界を知ったか」


「……生きては、いるんだよね?」


「生きてる。

 だからこそ、ああなる」


 ヒロシは、喉の奥が詰まるのを感じた。


 死んだ方が楽、とは思わない。

 だが、あの目は――

 生き延びた人間の目ではなかった。


「挑戦をやめる、という選択肢はないのかな?」


「さあね。事情はひとそれぞれだから」


 モルディオはそれだけを言い男から視線を離した。


「……なあ」


 歩きながら、ヒロシは口を開く。


「さっきの通路でさ。

 あの獣……倒したら、急に力が抜けて」


「うん」


「何か……身体の奥が、熱くなった気がしたんだけど」


 モルディオは、足を止めた。


「それが“成長”だよ」


「……成長?」


「モンスターを討伐すると、

 討伐者に何らかの変化が起こる。

 筋力だったり、感覚だったり、耐久だったり」


 猫は振り返り、ヒロシを見る。


「君たちは、それを“経験”として受け取る」


「……レベルアップ、みたいな?」


「似ているけど、少し違う」


 モルディオは前を向き、再び歩き出す。


「数値で見えるものじゃない。だからこそ、自覚できずに死ぬ者も多い」


「……それ、優しくない仕様だな」


「そんなもんでしょ。ここで生き残り、強くなるのは簡単じゃないさ」


 即答だった。

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