25話
その日の夜。
宿の食堂で、ヒロシとバーバラは向かい合って座っていた。
バーバラは、目の前に並んだ料理を次々と平らげている。肉、パン、スープ。どれも魔結晶から生成された食材だが、味は悪くない。
「……よく食うな」
ヒロシは、思わず呟いた。
バーバラは、口いっぱいに肉を頬張りながら頷く。
「ん。美味しい」
「そうか」
ヒロシは、自分のスープをすすりながら、バーバラを見る。
圧倒的な戦闘力。
ホブゴブリンを正面から叩き潰し、アウトライアーすら吹き飛ばす力。
モルディオの言葉を思い出す。
――彼女は、本来なら先の層で活動していてもおかしくない。
それなのに、何故――
「なあ、バーバラ」
「ん?」
バーバラが、スープを飲みながら顔を上げる。
「お前、何で俺と一緒に潜ってるんだ?」
バーバラの手が、止まった。
きょとん、とした顔でヒロシを見る。
「……どういう意味?」
「いや、その……」
ヒロシは、言葉を探す。
「お前なら、もっと先の層に行けるだろう。二層、三層。もっと強い奴らと組んで、奥を目指した方がいいんじゃないか?」
バーバラは、しばらく黙っていた。
それから、ぽつりと言った。
「ヒロシと一緒でいい」
「……は?」
「ヒロシと一緒に潜る方が、楽しい」
あっさりとした口調だった。
ヒロシは、思わず言葉に詰まる。
「楽しい……って」
「ん」
バーバラは、再び肉を頬張る。
「ヒロシは、ちゃんと考えて戦う。ワタシに指示もくれる。それが、楽しい」
「……それだけ?」
「それだけ」
即答。
ヒロシは、頭を抱えた。
「お前、もっと上を目指さなくていいのか?」
「別に」
バーバラは、首を傾げる。
「ワタシ、急いでない。ご飯食べられれば、それでいい」
「……マジか」
「マジ」
ヒロシは、深く息を吐いた。
こいつは、本当に――
「お前、変わってるな」
「ヒロシも」
「……俺が?」
「ん。ヒロシは、弱いのに逃げない。それ、すごい」
バーバラは、真剣な目でヒロシを見る。
「ワタシの村にいた人たち、強くても逃げる人、いっぱいいた」
「……そうか」
「でも、ヒロシは違う。弱いのに、ちゃんと戦う。それが、カッコいい」
ヒロシは、思わず顔が熱くなるのを感じた。
「……そんな、大したことじゃない」
「大したこと」
バーバラは、きっぱりと言った。
「だから、ワタシはヒロシと一緒がいい」
その言葉に、ヒロシは何も言えなくなった。
しばらく沈黙が流れる。
やがて、ヒロシは小さく笑った。
「……ありがとな」
「ん」
バーバラは、満足そうに頷き、再び食事に戻った。
ヒロシも、スープを飲み干す。
(……単純だな、こいつ)
だが、それが悪くない。
むしろ――
(信頼できる)
打算がない。欲もない。
ただ、一緒にいたいから一緒にいる。
それだけだ。
「なあ、バーバラ」
「ん?」
「これからも、よろしくな」
バーバラは、少し驚いた顔をして――それから、にっと笑った。
「ん。よろしく」
二人は、食事を続けた。
窓の外では、夜の町が静かに息づいている。
◇
翌日。
ヒロシは、いつものようにギルドへ向かった。
依頼を確認し、情報を集めるためだ。
ギルドの掲示板には、いくつもの依頼が貼り出されている。
調査依頼、護衛依頼、素材回収依頼――
その中で、ヒロシの目が一つの依頼に止まった。
【緊急依頼:二層にて異常確認。調査求む】
報酬:50コア
危険度:高
「……二層?」
ヒロシは、その依頼を凝視する。
二層での異常。
それも、緊急依頼。
「気になるかい?」
背後から、声がした。
振り返ると、ギルドの受付――角の生えた女性が立っていた。
「ああ……これ、何があったんですか?」
「詳細は不明なの。でも、二層に潜った挑戦者が何人か戻ってこなくて」
「戻ってこない……?」
「うん。死んだのか、迷ってるのか、それとも――」
受付は、言葉を濁した。
「とにかく、調査が必要なの。でも、危険だから、ある程度実力がある人じゃないと無理ね」
「……俺には、まだ早いか」
「そうね。でも――」
受付は、ヒロシを見る。
「バーバラって子と組んでるんでしょ? なら、話は別かもしれないわ」
「……それでも、危険すぎる」
「そうね。無理はしないでね」
受付は、そう言って戻っていった。
ヒロシは、再び依頼を見る。
二層。
異常。
戻ってこない挑戦者。
(……嫌な予感がする)
その時。
「ヒロシ!」
バーバラの声。
振り返ると、ハンマーを担いだバーバラが走ってくるところだった。
「おはよう」
「おはよ。ヒロシ、何見てるの?」
「ああ、これ」
ヒロシは、依頼を指差す。
バーバラは、それを見て――首を傾げた。
「二層、行くの?」
「いや、まだ早い。でも――」
ヒロシは、言葉を切る。
何かが、引っかかっている。
二層での異常。
それが、ただの変質なら、ギルドもここまで大きく扱わない。
何か、別の――
「ヒロシ」
モルディオの声。
いつの間にか、黒猫が足元にいた。
「その依頼、受けるつもりかい?」
「いや、まだ……」
「賢明だね。二層は、君にはまだ早い」
モルディオは、尻尾を揺らす。
「でも、気になるんだろう?」
「……ああ」
「なら、情報だけ集めるといい。ギルドには、二層から戻ってきた挑戦者もいる。話を聞いてみるのも悪くない」
ヒロシは、頷いた。
「……そうだな。そうする」
◇
ギルドの片隅。
ヒロシは、二層から戻ってきたという挑戦者に話を聞いていた。
男は、疲れ切った顔をしている。
「……何があったんですか?」
「分からない」
男は、掠れた声で答える。
「二層に入って、しばらくは普通だった。モンスターも、予想の範囲内」
「それが?」
「突然、通路が変わった」
男の目が、恐怖に揺れる。
「地形が、ぐにゃりと歪んだんだ。壁が動いて、床が沈んで――」
「変質……?」
「いや、違う」
男は、首を振る。
「あれは、変質なんて生易しいものじゃない。まるで、ダンジョンそのものが――生きてるみたいだった」
「生きてる……?」
「ああ。俺たちを、飲み込もうとしてた」
男は、震える手でコップを掴む。
「仲間が二人、飲み込まれた。助けようとしたけど、無理だった」
「……それで?」
「俺は、逃げた。必死に」
男は、俯く。
「やっとの思いで、一層まで戻ってきた。でも――」
男の声が、途切れる。
「まだ、中にいる。仲間が」
ヒロシは、息を呑んだ。
(……ダンジョンが、生きてる?)
それが、どういう意味なのか。
想像もつかない。
だが――
(確かに、異常だ)
ヒロシは、男に礼を言い、席を立った。
バーバラが、待っている場所へ戻る。
「どうだった?」
バーバラが、尋ねる。
「……やばい。二層、おかしくなってる」
「おかしい?」
「ああ。ダンジョンが、変質してる。いや、それ以上かもしれない」
ヒロシは、腕を組む。
「……まだ、俺たちには早すぎる」
「そっか」
バーバラは、あっさりと頷いた。
「じゃあ、一層でもっと強くなる?」
「ああ。それがいい」
二人は、ギルドを後にした。
だが、ヒロシの胸の奥には――嫌な予感が残っていた。
(二層で、何かが起きてる)
それが、何なのか。
まだ、分からない。
だが――
(いずれ、向き合わなきゃいけない)
ヒロシは、手首の《適応の腕輪》を見た。
この腕輪があれば、生き残れる。
だが、それだけで十分なのか?
(……まだ、足りない)
力も、知識も、経験も。
全てが、足りない。
ヒロシは、拳を握り締めた。




