24話
奥部を抜け、さらに進むと――階段が見えた。
下へと続く、石の階段。
「……二層への入口」
ヒロシは、その階段を見つめる。
ここから先が、本当の意味での"壁"だ。
「行く?」
バーバラが、尋ねる。
「……いや」
ヒロシは、首を振った。
「今日は、ここまでだ」
「どうして?」
「まだ早い。準備が足りない」
ヒロシは、自分の身体を見る。
肩の傷。疲労。消耗した体力。
《適応の腕輪》は、確かに効果を発揮している。
疲労の回復が早く、動きも良くなっている。
だが――
(それでも、二層は別物だ)
モルディオの言葉を思い出す。
"一人で五層を越えられる。それが、挑戦者の最低ライン"
自分は、まだそこに届いていない。
「ヒロシ、賢い」
バーバラが、ぽつりと言った。
「ワタシなら、すぐ行っちゃう」
「それが、お前の強さだ」
ヒロシは、少し笑う。
「でも、俺は違う。慎重にいかないと、死ぬ」
「ん。それも、強さ」
二人は、階段に背を向けた。
◇
帰路。
来た道を戻りながら、ヒロシは自分の身体の変化を感じていた。
疲労が、思ったより残っていない。
肩の傷も、もう痛みが引いている。
動きも、スムーズだ。
「……腕輪、すごいな」
独り言のように呟く。
《適応の腕輪》。
確かに、死ににくくなっている。
これがあれば――
(もっと先まで、行けるかもしれない)
その時。
前方で、バーバラが止まった。
「……ヒロシ」
「どうした?」
「前、何かいる」
ヒロシは、警戒しながら前を見る。
通路の先。
影が、ゆらりと動いた。
大きい。
ゴブリンより、明らかに大きい。
「……まさか」
影が、光の中に姿を現した。
ホブゴブリン。
グレートソードを担ぎ、こちらを睨んでいる。
「……嘘だろ」
ヒロシの声が、掠れる。
ホブゴブリンは、一層奥部でも稀な存在のはずだ。
それが、帰路に現れるなんて――
「変質……か」
ダンジョンの変質。
モンスターの配置が変わり、出現パターンが狂う。
運が悪い。
「バーバラ」
「ん」
「お前が、正面を頼む」
「分かった」
バーバラが、ハンマーを構える。
ホブゴブリンが、咆哮を上げた。
そして――突進。
地面が揺れる。
バーバラは、真正面から迎え撃った。
ハンマーと、グレートソードが激突する。
――ガァンッ!!
衝撃が、通路全体に響く。
バーバラが、わずかに後退する。
「……っ、重い」
「大丈夫か!?」
「平気。でも、これ、前より強い」
前より――
そう、これも変質の影響か。
強化されたホブゴブリン。
(厄介だ……)
ヒロシは、歯を食いしばる。
バーバラなら、倒せる。
だが、時間がかかる。
その間、自分は何もできない。
いや――
(できることは、ある)
ヒロシは、槍を構えた。
狙いは、足。
ホブゴブリンの動きを鈍らせる。
それだけでも、バーバラの負担を減らせる。
「――っ!」
ヒロシは、踏み込んだ。
側面から、膝を狙う。
槍が、肉に食い込む。
――ズブッ。
浅い。だが、効いた。
ホブゴブリンが、呻く。
バーバラが、その隙を逃さない。
ハンマーを、腹部へ叩き込む。
――ゴォンッ!
鈍い音。
ホブゴブリンが、吹き飛ぶ。
壁に激突し、瓦礫が崩れる。
「もう一回!」
バーバラが、追撃する。
今度は、頭部へ。
だが――
ホブゴブリンが、剣で受けた。
――ガキィン!
火花が散る。
ホブゴブリンは、まだ倒れない。
血を流しながらも、立ち上がる。
「……しぶとい」
バーバラが、舌打ちする。
ヒロシも、再び距離を詰める。
今度は、反対側の脚。
同じように、膝を狙う。
――ズブッ。
成功。
ホブゴブリンの体勢が、崩れる。
「今だ!」
バーバラが、最後の一撃を放った。
真上から、全力で叩き下ろす。
――ドゴォンッ!!
頭部が、潰れた。
ホブゴブリンの身体が、光へと変わっていく。
――終わった。
ヒロシは、その場に座り込んだ。
「……はぁ、はぁ……」
疲労が、一気に押し寄せる。
だが、《適応の腕輪》のおかげで、まだ動ける。
「ヒロシ、やるね」
バーバラが、駆け寄ってくる。
「ヒロシがいたから、早く倒せた」
「……お前がいなきゃ、無理だった」
二人は、顔を見合わせて笑った。
◇
町へ戻ると、モルディオが待っていた。
「おかえり。無事だったみたいだね」
「ああ。なんとか」
ヒロシは、魔結晶の入った袋を見せる。
ホブゴブリンの大きな結晶も含め、今日は大漁だ。
「《適応の腕輪》、効いてるみたいだね」
「ああ。すごく」
ヒロシは、手首を見る。
疲労は残っているが、回復が早い。
傷も、もうほとんど痛まない。
「これなら……もっと先まで行けそうだ」
「焦るなよ?」
モルディオが、釘を刺す。
「腕輪は、君を強くするわけじゃない。ただ、生き残りやすくするだけだ」
「分かってる」
「ならいい」
モルディオは、満足そうに目を細めた。
「それにしても、バーバラとの連携、良くなってきたね」
「ああ。お互い、役割が分かってきた」
ヒロシは、バーバラを見る。
バーバラは、すでに露店で肉を買い、むしゃむしゃと食べている。
「……あいつ、本当に強いな」
「うん。でも、君も悪くない」
モルディオが、言う。
「君は、生き残る力がある。それは、才能だよ」
「……そうかな」
「ああ。だから――」
モルディオは、ヒロシの目を見る。
「焦らず、確実に。一歩ずつ、進むんだ」
ヒロシは、頷いた。
「……ああ。そうする」
手首の腕輪が、わずかに温かい気がした。
これは、可能性だ。
自分が、先へ進むための――
ヒロシは、静かに拳を握り締めた。
(まだ、始まったばかりだ)
二層。
その先の、三層、四層。
そして――十層以上の世界。
遠い。
でも、絶望的じゃない。
ヒロシは、夕暮れの町を見渡した。
――ここは、始まりの町。
だが、もう――
自分は、ただの新人じゃない。
《適応の腕輪》と、バーバラと、そして自分の判断。
それがあれば、進める。
ヒロシは、小さく笑った。
「……行けるかもな」
呟きは、誰にも聞こえない。
だが、胸の奥で――確かに、何かが燃え始めていた。




