23話
翌日。
ヒロシは、いつもより早く目を覚ました。
身体が、軽い。
昨日まで残っていた筋肉痛が、嘘のように引いている。打撲の痛みも、鈍く残っているはずの傷も――ほとんど気にならない。
「……これが、腕輪の効果か」
手首に巻かれた《適応の腕輪》を見る。
黒ずんだ金属は、相変わらず地味だ。光を放つわけでもなく、熱を持つわけでもない。ただ、そこにあるだけ。
だが、確かに――身体が、変わり始めている。
「おはよう、ヒロシ」
モルディオが、窓枠に座っていた。
「随分、顔色がいいね」
「ああ。自分でも驚いてる」
ヒロシは立ち上がり、軽く身体を動かしてみる。
屈伸。腕を回す。跳ねてみる。
どれも、昨日よりスムーズだ。
「腕輪の効果は即効性じゃない。でも、君の身体はもう"順応"を始めてる」
モルディオは、尻尾を揺らしながら続ける。
「疲労の回復が早い。傷の治りも早い。それだけじゃなく――」
一拍。
「君の身体は今、ダンジョンに"適応"しようとしてる。これから潜れば潜るほど、その効果は顕著になるだろうね」
「……頼もしいな」
「でも、過信は禁物だよ」
モルディオは、いつものように釘を刺す。
「死ななくなるわけじゃない。ただ、死ににくくなるだけだ」
「分かってる」
ヒロシは頷き、槍を手に取った。
手に馴染む感触。信頼できる重さ。
「……今日も、潜る」
「一人で?」
「いや」
ヒロシは、少し笑った。
「バーバラと約束したんだ。一緒に行く」
◇
町の門前。
すでにバーバラが待っていた。
相変わらずの大きなハンマーを肩に担ぎ、眠そうに欠伸をしている。
「おはよ、ヒロシ」
「おはよう。待たせたか?」
「ん-ん。ワタシも今来た」
バーバラの隣には、例の球体――案内人がプカプカと浮いている。
「おお、キミがヒロシか。昨日はウチのバーバラが世話になったの」
「いえ、こちらこそ助けられました」
ヒロシは頭を下げる。
球体は、嬉しそうにくるくると回った。
「ふむふむ。礼儀正しいのう。バーバラ、この子は良い子じゃ。大事にせい」
「ん。分かってる」
バーバラは、ヒロシを一瞥する。
「ヒロシ、弱いけど、頭いいから」
「……褒められてるのか、けなされてるのか」
「褒めてる」
即答だった。
モルディオが、くすくすと笑う。
「さて、それじゃあ行こうか。今日はどこまで行くつもりだい?」
「一層の奥部。できれば、二層の入口まで」
ヒロシの言葉に、バーバラが頷く。
「ん。ワタシもそれがいい」
「無茶はするなよ?」
モルディオが念を押す。
「分かってる。引き際は守る」
「よろしい」
二人は、門をくぐった。
◇
一層・浅域。
ここは、もう慣れた場所だ。
通路の配置、モンスターの出現パターン、足場の悪い場所。
ヒロシの頭には、ある程度地図ができている。
「……ヒロシ、止まって」
バーバラが、低く呟いた。
ヒロシは即座に足を止め、槍を構える。
数秒。
通路の先から、三脚獣が二体、姿を現した。
「ワタシが行く」
「待て」
ヒロシは、バーバラを制する。
「俺がやる。お前は温存しろ」
「……いいの?」
「ああ。この程度なら、問題ない」
ヒロシは、深く息を吸った。
三脚獣が、地を蹴る。
二体同時。左右から挟むように突進してくる。
以前なら、焦った。
だが今は――
(見える)
動きが、少しだけ遅く感じる。
いや、違う。自分の反応が、速くなっている。
ヒロシは、半歩だけ横にずれた。
左の三脚獣が、空を切る。
同時に、槍を突き出す。
狙いは、喉元。
――ズブッ。
確かな手応え。
一体目が崩れ落ちる。
だが、もう一体が背後から迫っている。
ヒロシは、振り返らない。
足だけで位置をずらし、槍を引き戻しながら体を捻る。
そして――
柄で、横から叩く。
――ゴッ。
頭部に命中。
三脚獣が怯む。
その隙に、穂先を突き立てる。
二体目も、光へと変わった。
「……っは」
ヒロシは、息を吐いた。
疲労は、ある。
だが、以前ほどではない。
呼吸の乱れも、すぐに整う。
「すごい」
バーバラが、目を丸くしている。
「ヒロシ、強くなってる」
「……腕輪のおかげだ」
ヒロシは、手首を見る。
《適応の腕輪》。
確かに、効いている。
動きの精度が上がり、無駄な力が抜けている。疲労の蓄積も、明らかに遅い。
「いい物、もらったんだね」
「ああ。お前のおかげだ」
「ん」
バーバラは、少し嬉しそうに笑った。
二人は、奥へと進む。
◇
中域に入ると、空気が変わった。
湿り気が増し、視界が悪くなる。
ヒロシは、自然と警戒を強める。
「……来る」
バーバラが呟いた瞬間。
左右の壁から、ゴブリンが飛び出した。
槍持ちが二体。短剣持ちが一体。
計三体。
「バーバラ、左!」
「ん!」
即座に、役割分担。
バーバラが左の槍持ち二体に向かい、ヒロシが右の短剣持ちを引き受ける。
短剣持ちゴブリンが、低い位置から滑り込んでくる。
速い。
だが――
(読める)
ヒロシの身体が、自然と反応する。
半身になり、突きをかわす。
同時に、槍を横に薙ぐ。
浅い。だが、十分だ。
腕を裂き、動きを鈍らせる。
次の瞬間、追撃。
今度は、心臓へ。
――ズブリ。
短剣持ちが、崩れ落ちた。
振り返る。
バーバラは、すでに片付けていた。
二体のゴブリンが、地面に転がっている。頭部が潰れ、原形を留めていない。
「……早いな」
「ヒロシも」
二人は、顔を見合わせて笑った。
息が、合い始めている。
奥部への入口。
ここから先は、本当の意味で危険地帯だ。
「ヒロシ」
「ん?」
「ワタシ、前に出る。ヒロシは後ろ」
バーバラが、ハンマーを構え直す。
「お前が前?」
「ん。ワタシの方が硬いから」
確かに、バーバラの耐久力は異常だ。
アウトライアーの一撃を受けても、ほとんど怯まなかった。
「……分かった。頼む」
「任せて」
バーバラが先頭に立ち、ヒロシが後方を固める。
奥部へ、足を踏み入れた。
◇
通路は狭く、天井も低い。
足場は悪く、瓦礫が転がっている。
ヒロシは、一歩ごとに周囲を確認しながら進む。
その時。
前方で、バーバラが止まった。
「……たくさん、いる」
低い声。
ヒロシは、バーバラの肩越しに前方を見た。
広間。
そこに、ゴブリンの群れがいた。
槍持ちが三体。盾持ちが二体。そして――
「……弓持ちも、いるのか」
後方に、弓を構えたゴブリンが一体。
計六体。
「多いね」
「ああ……」
ヒロシは、歯を食いしばる。
これまでで、最大の敵数だ。
「どうする?」
バーバラが、ヒロシを見る。
「……やるしかない」
ヒロシは、槍を握り直した。
「バーバラ、盾持ちを優先して潰してくれ。あいつらが厄介だ」
「分かった」
「弓持ちは俺が何とかする」
「気をつけて」
「ああ」
二人は、同時に踏み込んだ。
バーバラが、真っ先に盾持ちへ突進する。
ハンマーが振るわれ、盾ごとゴブリンを吹き飛ばした。
一撃。
盾が砕け、ゴブリンが壁に激突する。
「――ッ!」
だが、もう一体の盾持ちが、バーバラへ突進してくる。
同時に、槍持ちが三体、散開する。
ヒロシは、その動きを見逃さなかった。
「……来るな」
弓持ちが、矢を番える。
狙いは、バーバラ。
(させるか)
ヒロシは、全力で駆けた。
距離を詰める。
弓持ちが、気付く。
矢の向きが、ヒロシへ変わった。
――ヒュンッ!
矢が放たれる。
ヒロシは、身体を捻った。
矢が、肩を掠める。
痛い。
だが、致命傷じゃない。
(もっと、近づく)
さらに距離を詰める。
弓持ちが、次の矢を番えようとする。
だが、遅い。
ヒロシの槍が、先に届いた。
――ズブッ。
喉を貫く。
弓持ちが、崩れ落ちた。
「……っ、一体」
だが、まだ終わらない。
槍持ちが、ヒロシへ向かってくる。
三体同時。
「――っ!」
ヒロシは、後退する。
一体目の突きを、槍で弾く。
二体目は、横から。
身体を捻り、かわす。
だが、三体目が――
――来る。
避けきれない。
その瞬間。
――ドンッ!
衝撃波。
バーバラのハンマーが、地面を叩いた。
床が砕け、槍持ちゴブリンたちの足元が崩れる。
「今!」
バーバラの声。
ヒロシは、その隙を逃さなかった。
一体目に、突き。
二体目に、薙ぎ。
三体目は、バーバラが叩き潰した。
残るは、盾持ちが一体。
だが、そいつもすぐにバーバラのハンマーで粉砕された。
――静寂。
ヒロシは、その場に膝をついた。
「……っは、はぁ……」
息が、荒い。
肩の傷が、じんじん痛む。
だが――
(生きてる)
バーバラが、駆け寄ってくる。
「ヒロシ、大丈夫?」
「ああ……なんとか」
ヒロシは、肩を押さえながら立ち上がった。
傷は浅い。出血も、少ない。
《適応の腕輪》のおかげか、痛みも思ったより少ない。
「すごかった」
バーバラが、目を輝かせる。
「ヒロシ、ちゃんと戦えてる」
「……お前がいたからだ」
「ううん。ヒロシ、強くなってる」
その言葉に、ヒロシは少し笑った。
「……そうかもな」
二人は、魔結晶を回収し、さらに奥へと進んだ。




