21話
――殴っていいやつ?
その一言が、妙に現実味を帯びていた。
バーバラは確認するようにこちらを一瞥し、ヒロシが言葉を返すより早く、ハンマーを両手で握り直す。
「駄目って言われても、殴るけど」
直後。
地面が爆ぜた。
バーバラの踏み込みは、もはや“跳躍”という表現ですら生温い。瓦礫を蹴散らし、空気を叩き割るような速度で、アウトライアーとの距離を詰める。
「――ッ!」
アウトライアーが反応する。だが、遅い。
振り抜かれたハンマーが、真正面から叩き込まれた。
ゴォン、という音。
いや、音ではない。衝撃そのものだ。
アウトライアーの身体が、圧縮されるように歪み、次の瞬間、背後の建物ごと吹き飛ばされた。壁が崩れ、屋根が宙を舞い、石材が雨のように降り注ぐ。
「……は?」
ヒロシは、理解が追いつかなかった。
あれほど理不尽だった存在が、たった一撃で“景色の一部”にされる。
さっきまでの恐怖が、急に現実味を失った。
「……すご」
それしか、言葉が出ない。
だが。
瓦礫の向こうから、ぬるり、と何かが立ち上がった。
潰れたはずの身体が、形を取り戻していく。 砕けた骨が逆再生のように繋がり、裂けた肉が蠢いて塞がる。
「……再生?」
ヒロシの喉が鳴る。
「そうみたいだね」
モルディオが低く応じる。
「かなり厄介だよ。この手のものはどれだけ身体にダメージを負っても止まらない」
つまり。
(殴っても、死なない)
バーバラは、その様子をじっと見ていた。 興味深そうに、少し首を傾げている。
「……壊れてるのに、戻ってる」
「そうだな……」
ヒロシが言葉を探している間に、アウトライアーが動いた。
次は、速い。
バーバラに向かって跳ぶ。拳が振るわれ、衝撃波が走る。
だが。
バーバラは、避けない。
真正面から、受けた。
ドンッ、と鈍い音。地面が沈み、衝撃が周囲に逃げる。
「――っ!」
バーバラの身体が、わずかに揺れた。
それだけだ。
「……痛い」
ぽつりと呟き、次の瞬間。
ハンマーが、下からすくい上げるように振るわれた。
顎を砕き、首を跳ね上げ、アウトライアーの身体が宙を舞う。そのまま空中で、追撃。
一撃。二撃 。三撃。
叩くたびに、肉が散り、骨が砕ける。
だが――。
落下しながら、また“戻る”。
「……しぶといな」
ヒロシの呟きに、モルディオが頷いた。
「バーバラは圧倒してる。でも、決定打がない。この再生速度だと、消耗戦になる」
その言葉通り、戦況は奇妙だった。
圧倒しているのは、明らかにバーバラだ。 力も、速度も、技量も。
だが、アウトライアーは倒れない。壊され、再生し、また立ち上がる。
まるで、“壊されること”すら想定内であるかのように。
「……面倒」
バーバラが、ぼそりと漏らした。
その時。
空気が、変わった。
「――下がれ!」
鋭い声。
次の瞬間、赤い光が走り、アウトライアーの身体を横断した。遅れて、断面が焼け焦げる。
再生が――止まった。
「な……?」
ヒロシが目を見開く。
通りの反対側。数人の挑戦者が、いつの間にか布陣していた。
全員、雰囲気が違う。装備も、立ち姿も、“慣れ”が段違いだ。
「遅れて悪い。ギルドの応援だ」
先頭に立つ男が、短く告げる。
「再生型か。厄介だが――」
男は、杖を地面に突き立てた。
「“対処できない”相手じゃない」
その言葉に、ヒロシは息を呑んだ。
(……強い)
バーバラだけじゃない。この町には――このダンジョンには、まだ“上”がいる。
アウトライアーが、再び動こうとする。
だが、その前に。
「そこの君! 拘束を頼む!」
「ん」
短い返事。
バーバラが跳ぶ。今度は、叩き潰すのではなく――“押さえ込む”ように。
ハンマーで地面ごと叩きつけ、アウトライアーの動きを封じた。
「今だ! やれ!」
合図と同時に、動いたのは一人ではなかった。
左右から、三人の挑戦者が一斉に距離を詰める。足運びが速い。だが、バーバラほど“雑”ではない。無駄がなく、洗練されている。
最初に飛び込んだのは、双短剣を持つ女だった。
刃が振るわれた――ように見えた次の瞬間、アウトライアーの腕が“削げ落ちた”。
切断ではない。斬られた部分が、黒く炭化し、再生を拒むように崩れ落ちていく。
「……再生阻害系か」
モルディオが、低く呟く。
「《灰蝕の刃》。アーティファクトだね。傷そのものを“死なせる”」
ヒロシは、息を呑んだ。
(そんなものが、普通に出てくるのか……)
だが、アウトライアーは止まらない。 残った腕で女を殴り飛ばそうとする。
――その前に。
鈍い音。
今度は、別の挑戦者が放った鎖が、アウトライアーの胴に巻き付いた。ただの鎖じゃない。引き絞られた瞬間、鎖そのものが地面に食い込み、固定される。
「《重錨の鎖》だ」
モルディオが続ける。
「重量概念を付与するタイプ。力じゃ外せない」
「……そんなの、持ってる人間が普通にいるのかよ」
「“上”に行けばね」
ヒロシの視線の先で、アウトライアーが暴れる。だが、動きが明らかに鈍い。
そこへ。
「――頭、もらう」
低い声。
最初に声を上げた、刀を持つ男だ。
その刀身は赤熱している。
刀を持つ男が踏み込んだ。
構えは低く、無駄がない。振りかぶる動作すらないまま、男の身体が一気に間合いを詰める。
――斬撃。
赤熱した刀身が、アウトライアーの首元を薙いだ。
金属が肉を断つ音ではない。灼けた鉄を水に突っ込んだような、嫌な音だった。
首が、半分ほど持っていかれる。
だが、それでも。
アウトライアーは倒れない。
引き裂かれた首元が、ずるりと蠢き、肉が無理やり繋がろうとする。
「……まだ動くのかよ」
ヒロシは、思わず呟いた。
さっきから、何度も“終わった”と思わされている。そのたびに、否定される。
だが。
「――再生が遅くなってきてる」
双短剣の女が言った。
「腕、首、胴……削られた部分が多すぎる。戻りきってない」
鎖の男が、歯を食いしばる。
「このまま抑え続けるのは、キツいぞ。重量、もう限界だ」
アウトライアーの身体が、ぎくりと跳ねる。 鎖が軋み、地面が抉れる。
それでも、完全には外れない。
「……なら」
バーバラが、一歩前に出た。
今までとは違う。無闇に叩き潰す構えじゃない。
ハンマーを、肩に担ぐ。深く、息を吸う。
「壊し続ければ、いいんでしょ」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
次の瞬間。
バーバラが、振るった。
横薙ぎ。
アウトライアーの上半身が、文字通り“消えた”。
肉も骨も、まとめて粉砕され、霧状になって散る。鎖に残ったのは、下半身だけだ。
「……ッ!」
ヒロシは、言葉を失った。
だが、それでも。
下半身が、蠢いた。
断面から、無理やり肉が盛り上がり、形を取り戻そうとする。
「……マジで、意味分からん」
誰かが、掠れた声で言った。
その時。
「次、いくぞ!」
刀の男が叫ぶ。
今度は、三人同時だった。
双短剣が、残った脚を削る。鎖が締まり、動きを完全に封じる。刀が、再生しかけた胴体を、上から叩き潰す。
壊す。戻る。壊す。戻りきらない。
その繰り返し。
時間の経過と共に、明らかな変化が現れ始めた。
再生が、間に合っていない。
肉が、元の形を保てない。身体の輪郭が、歪んでいく。
「……効いてる」
ヒロシは、確信した。
特別な“核”があるわけじゃない。弱点を突いたわけでもない。
ただ。
再生能力の処理限界を、物量で踏み潰している。
アウトライアーが、初めて――後退した。
いや、後退しようとした。
だが。
「逃がすか!」
鎖がさらに締まり、地面に深く食い込む。
バーバラが、最後に踏み込んだ。
「……もう、いいよね」
誰も止めなかった。
ハンマーが、真上から振り下ろされる。
衝撃。
アウトライアーの身体が、完全に崩壊した。
粉砕された肉片が散り、再生する“形”そのものを失う。
数秒。
――何も、起こらなかった。
肉は蠢かない。骨も繋がらない。
ただ、瓦礫と血痕だけが残っている。
「……消えた?」
ヒロシの問いに、誰もすぐには答えなかった。
全員が、数秒間、警戒を解かなかった。
やがて。
刀の男が、深く息を吐いた。
「……ああ。今回は、終わりだろう」
その言葉を聞いて、ようやく。
ヒロシは、膝が震えていることに気付いた。
――生きてる。
それだけで、胸がいっぱいになる。
バーバラは、ハンマーを肩に担ぎ直し、きょとんとした顔で振り返った。
「終わった?」
「ああ……多分な」
「そっか」
それだけ言って、あくびを一つ。
ヒロシは、乾いた笑いを漏らした。
(……やっぱり、この子もおかしい)
だが。
この場にいた誰よりも。
“強さ”という意味では、全員が異常だった。
ヒロシは、はっきりと思った。
――ここは、そういう場所だ。
生き残るには、覚悟がいる。
才能も、運も、判断も。
そして。
(……いつか、俺も)
その“異常”の側に立たなければ、ここでは先に進めない。
瓦礫の町で、ヒロシは静かに拳を握り締めた。




