15話
「……あなた、血の匂いがする」
ヒロシは苦笑し、自分の脇腹を指した。
「さっき、ゴブリン三体とやり合った。帰り道で、迷ってな」
少女は、ヒロシの傷と傷のついた防具を一瞥し、わずかに目を細めた。
「……同じ。ワタシも道に迷って、いきなり襲われたから倒したところ。」
そう言った少女には、戦闘による手傷らしい手傷は見当たらない。
しかし、ヒロシに驚きはなかった。あの重量物をあれほど素早い身のこなしで扱えるのだ。
膂力、俊敏さ共に1層に収まる力量ではないだろう。
(多分、加護持ちか、もっと上の層で活動している挑戦者っぽいな)
ヒロシは尋ねる。
「なぁ、もしかして加護を持ってるのか?」
少女は小首を傾げる。
「………? 加護? 何それ?」
「……ん? 加護を知らない?」
ヒロシは訝しむ。
(隠してる? 知らない、ふり……か? 警戒している? ゴブリン相手に手傷負う程度の新米挑戦者の俺に? いや、見た感じ本当に知らないっぽいな。ってことはまだダンジョンに挑戦し始めてから日が浅い? 加護について案内人から教えて貰ってないのか? いや、初日とか2日目くらいだったらまだ分かるけど、あの力量でそんなこと有り得るか?)
少女に惚けたような雰囲気は見当たらない、もし加護を知っていて敢えて知らないふりをしているなら大した役者であろう。
しかし、加護について知らないとなれば、まだダンジョンに来て日が浅いはず。
3日もダンジョンで生活すれば、加護について必ず耳にするから。
(でも、あの体格であのハンマーを振るう膂力を持っていて、複数のゴブリンを無傷を倒す力量を備えていて、にも関わらずダンジョン潜りたての新人って、そんなことあるか?)
が、しかしそこで思い出されるのがモルディオの言葉。
――ダンジョンには地球以外の無数の世界から来た人々が存在する。
出身も多種多様。中には小さな体格ながら巨大なハンマーを軽々扱える種族、民族がいたってなんら不思議ではない。
ヒロシは尋ねる。
「なぁ、このダンジョンにきてから今何日目なんだ?」
「今日が初めてだけど……?」
その一言に、ヒロシは完全に言葉を失った。
「……は?」
薄々予想はしていたが驚きは隠せない。
間の抜けた声が漏れる。
初日。
ダンジョンに入って、今日が最初。
それで――あの動き。あの膂力。あの戦闘後の余裕。
(……いや、ちょっと待て)
ヒロシは、頭を抱えそうになるのを必死で堪えた。
「初めてって……案内人は? ギルドの説明は?」
「案内人……いた。入口で、いっぱい話してた」
「じゃあ、加護の話も――」
「知らない言葉いっぱいあった。難しかったから、半分くらい聞いてない」
悪びれもなく、少女――いや、もうこの時点で“ただの少女”ではないと分かっている存在は、そう言った。
ヒロシは、深く、長いため息をついた。
(……マジか)
説明を聞き流して初ダンジョン。
それで迷って、ゴブリンに襲われて、返り討ち。
普通なら、ここで死んでいる。
だが、彼女は無傷でここにいる。
ヒロシは、改めて少女を観察した。
浅く焼けた肌。
無駄のない筋肉の付き方。
立ち姿勢が、すでに“戦い”を前提に最適化されている。
(……地力が、違う)
加護がどうこう以前の問題だ。
ヒロシは、ゆっくりと言葉を選びながら口を開いた。
「……俺はヒロシって言うんだけど、あんたの名前は?」
「……バーバラ。バーバラ・サンティコ」
その名を聞いた瞬間、ヒロシの脳裏に、またモルディオの言葉が浮かび上がる。
――このダンジョンには、無数の世界から人が集まる。
――力の基準は、世界ごとに違う。
「バーバラ……」
聞いたことのない響きだ。
少なくとも、地球圏由来の名ではない。
ヒロシは、慎重に踏み込む。
「……あんたの世界じゃ、人間ってみんなそんな感じなのか?」
バーバラは、一瞬だけ首を傾げ、それから頷いた。
「そう。みんな、もっと丈夫」
「……」
「骨も、筋肉も。壊れにくい。だから、武器も重い」
そう言って、肩に担いだスレッジハンマーを軽く揺らす。
ヒロシには“軽く”にしか見えないその動作で、空気が鳴った。
「ヒロシ?は、そんな細くて軽くて弱っちぃ武器で、大丈夫、なの?」
(弱っちぃって……。これでも最初よりはマシなんだけどな)
喉まで出かかった言葉を、必死で飲み込む。
「……その武器って、元の世界からもってきたものだろ? 元々戦士かなんかなのか?」
「うん」
即答だった。
「ワタシたちサンティコ氏族は戦う一族。女でも、子供でも、戦える」
その口調は淡々としていて、誇示も自慢もない。
ただ、事実を述べているだけだ。
「戦えないと、氏族じゃない」
ヒロシは、背中に冷たいものが流れるのを感じた。
(……なるほどな)
地球基準で言えば、
彼女は“生まれながらにして高ステータス”。
数値化されないこの世界だからこそ、余計に差が際立つ。
「……そりゃ、初日でも生き残るわけだ」
ヒロシが半ば呆然と呟くと、バーバラは少しだけ不思議そうな顔をした。
「おかしい? この程度なら、普通」
「いや……羨ましいだけだ」
ヒロシは、肩をすくめる。
「俺の世界じゃ、あんたみたいなのは英雄譚の中にしかいない」
「……へぇ」
バーバラは興味なさそうに相槌を打ち、ふと通路の奥に視線を向けた。
「でも、ここ……ちょっと危ない」
「同感だ」
ヒロシも頷く。
「1層奥部だ。地形も変わりやすいし、モンスターも単独行動じゃない」
「……モンスターは大丈夫。でも出口、分からない」
「俺もだ」
一瞬、沈黙。
だが、先ほどまでの緊張とは質が違う。
ヒロシは、槍を持ち直し、改めてバーバラに向き直った。
「なぁ、バーバラ。加護の話は後でいい。今は――」
言葉を区切り、はっきりと言う。
「一緒に動こう。少なくとも、ここを抜けるまでは」
バーバラは、少し考える素振りを見せたあと、頷いた。
「いい。ひとりより、ふたりの方が安全」
その判断基準も、ひどく実践的だ。
こうして――
ダンジョン1層奥部。
迷い込んだ二人の異世界人は、即席の同行者となった。
片や、地球出身の新人槍使い。
片や、戦闘氏族生まれの異世界戦士。
力の差は歴然。
だが、このダンジョンにおいて、それが“生存”に直結するとは限らない。
ヒロシは、そうであってほしいと、強く願いながら歩き出した。
――この先で待つものが、二人の力量を試すとも知らずに。




