12話
――甲高い音が、石壁に反響した。
ヒロシは半歩だけ踏み込み、槍の柄を滑らせるようにして穂先の軌道を変えた。
正面から飛び込んできた突きを、受け流す。
火花が散り、錆びた槍先が脇をすり抜けた。
「――っ!」
すぐさま、反撃。
腰を軸に、槍を突き出す。
以前なら、ここで一瞬“ため”が生じていた。柄のしなりを抑え、穂先のブレを修正するための、無意識の遅れ。
だが今は違う。
力は淀みなく、一直線に穂先まで伝わる。
狙いは正確。余計な揺れはない。
ゴブリンの肩口に、鉄の穂先が深々と突き刺さった。
「ギィッ――!」
短い悲鳴。
だが、もう一体がいる。
背後から、風切り音。
ヒロシは振り返らない。
足だけで位置をずらし、身体を半身にする。
背中をかすめるはずだった槍が、空を切る。
(……間に合った)
自分でも驚くほど、判断が早い。
身体が、先に動いている。
新しい防具が、布越しに風を受ける。
軽い。重さを感じない。可動域を邪魔しない。
ヒロシはそのまま、振り向きざまに槍を振るった。
横薙ぎ。
刃の通りがいい。
粗悪品なら、ここで抵抗に引っかかり、勢いが削がれていたはずだ。
だが、鉄製の穂先は滑るように肉を裂き、ゴブリンの喉元を掠めた。
致命傷ではない。
だが、十分だ。
怯んだ一瞬を逃さず、ヒロシは踏み込む。
「――終わりだ」
短く呟き、今度は正確に、心臓の位置へ突き込んだ。
手応え。
明確な、終わりの感触。
二体目のゴブリンが崩れ落ちるのを確認し、ヒロシはすぐに距離を取った。
槍を構えたまま、周囲を警戒する。
……来ない。
しばらくして、ようやく息を吐いた。
「……はぁ」
心臓は早い。
だが、乱れてはいない。
腕を見る。
震えはあるが、制御できる範囲だ。
(武器のおかげ……だけじゃないな)
確かに、新しい槍の活躍は大きい。
狙った通りに当たる。
余計な不安がない。
攻める判断が、迷わずできる。
だがそれ以上に――
(見える)
敵の動きが、少しだけ先まで読める。
身体が、危険な距離を自然と避けている。
倒れた魔物が、淡く光り始め、結晶へと変わっていく。
ヒロシはそれを回収しながら、小さく息を整えた。
「……中域でこれか」
1層中域。
まだ奥部ですらない。
それでも、明らかに敵の動きは鋭く、数も増えている。
だが――戦えている。
ヒロシは槍を握り直した。
新しい武器の重みは、もう“重さ”ではなかった。
信頼できる、確かな手応え。
(この槍なら……もう少し先まで行ける)
そう思えた自分に、ほんのわずかに苦笑しつつ――
ヒロシは再び、闇の奥へと足を踏み出した。
1層中域を抜けると、空気が目に見えて変わった。
湿気が増し、冷たい。
石壁はこれまでより荒れ、ところどころに自然の亀裂が走っている。足元も平坦ではなく、砕けた瓦礫が転がっていた。
(……足場が悪い)
ヒロシは歩調を落とし、槍の穂先を低く構える。
ここからが――1層奥部。
通路は狭く、天井も低い。
視界はせいぜい数メートル先まで。灯りを持たない以上、影の向こうはほぼ闇だ。
――カッ。
小石が弾ける音。
「……っ」
ヒロシは即座に足を止めた。
次の瞬間、左右の影が同時に動く。
ゴブリン。
二体。
片方は槍持ち、もう片方は短剣のような刃物を逆手に構えている。
(……来たな)
一体なら問題ない。
だが、同時に来られたら話は別だ。
槍持ちが正面から圧をかけてくる。
牽制。時間稼ぎ。
ヒロシは理解した瞬間、背筋が冷えた。
(もう一体は――)
視界の端。
低い位置から、影が滑り込んでくる。
「――っ!」
反射的に後退。
だが、足元の瓦礫に踵を取られ、体勢がわずかに崩れる。
刃が、防具を掠めた。
布が裂ける音。
皮膚までは届いていないが、心臓が跳ね上がる。
(……危ねぇ)
ヒロシは歯を食いしばり、槍を振るって間合いを作る。
新しい槍は軽く、反応もいい。
だが――
(余裕がない)
二体同時。
狭い通路。
逃げ場が限られている。
槍持ちが、間合いを詰めてくる。
こちらと同じ長さ。真正面からぶつかれば、技量の差が出る。
ヒロシは突きを放つ。
だが、相手も同時に突いてきた。
――ガンッ!
穂先同士がぶつかり、衝撃が腕に走る。
「っ……!」
以前なら、ここで弾かれていた。
だが新しい槍は耐えた。
それでも、押し返せるほどではない。
横から、気配。
短剣持ちが、低く踏み込んでくる。
(まずい――)
ヒロシは無理やり槍を引き、身体を捻る。
刃が脇腹を狙ってきたが、防具が受け止め、深くは入らない。
だが、体勢は崩れた。
呼吸が荒くなる。
判断が遅れる。
(……ダメだ、このままじゃ)
モルディオの言葉が、頭をよぎる。
――逃げる準備をしながら戦え。
ヒロシは、一歩、後ろへ下がった。
さらに、もう一歩。
わざと距離を空ける。
ゴブリンたちは、逃げると判断したのか、一斉に踏み込んできた。
――そこだ。
ヒロシは、足元の瓦礫を蹴り上げた。
石が跳ね、視線が一瞬逸れる。
その隙に、槍を突き出す。
狙いは、前に出ていた短剣持ち。
完全ではない。
浅い。
だが、動きは止まった。
ヒロシは、休まない。
すぐさま槍を引き戻し、今度は槍持ちへ向ける。
互いに、距離は近い。
息がかかるほど。
ゴブリンが吠え、突いてくる。
ヒロシは、真正面から受けず、半歩ずらして穂先を逸らす。
そして、柄で相手の腕を打ち払った。
「――っ!」
衝撃に、ゴブリンが呻く。
その瞬間、ヒロシは踏み込んだ。
渾身の突き。
穂先が胸を貫き、力が抜ける感触が返ってくる。
槍持ちが倒れるのを確認し、即座に後退。
最後の一体――短剣持ち。
すでに傷を負っている。
だが、まだ動く。
ヒロシは、深く息を吸った。
(焦るな……)
突かない。
誘う。
ゴブリンが踏み込んだ瞬間、半身になり、喉元へ正確に突きを入れた。
終わり。
二体の魔物が、ほぼ同時に光へと変わる。
ヒロシは、その場に膝をついた。
「……っ、はぁ……」
息が、うまく整わない。
腕が重い。脚が震える。
(……簡単じゃ、ないな)
新しい装備があっても。
成長を感じていても。
奥部は、容赦がない。
ヒロシは立ち上がり、結晶を回収しながら、ゆっくりと背後を振り返った。
帰り道は、まだ確保されている。
(……今日は、ここまでだ)
欲張らない。
無事に戻る。
それだけを胸に刻み、ヒロシは静かに踵を返した。




