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 寒い…。身体の芯から寒い。


――カツーン、カツーン…――


 硬いタイルの上を革靴で歩く様な音が聞こえる。音はゆっくりと大きくなっていく。ああ、これは誰かの足音なのだろう。


 身体を起こさなければならない。そう思いながら身体を動かそうとした。


 しかし、己の思考を無視するかの様に、何故か身体が動かない。まるで金縛りにあったかの様だ。


 何が起こっているのだろう。


――カツーン、カツーン…――


 足音はどんどん此方へと近づいてくる。嫌な予感がした。冷たい物が頬を伝った。


 身体中から冷や汗が吹き出してくる。それは背中をジットリと湿らせた。


――カツーン、カツーン…――


 足音はすぐ其処まで来ている。一体、自分は如何なってしまうのか。


――カツーン…――


 足音が止んだ。


 目の前の暗闇からボンヤリと人影が見える。目を凝らして見るとかつての友人の顔が浮かび上がってきた。


 彼の右手には拳銃が握られていた。ゆっくりと黒光りする銃口が、自分に向けられていく。


 ああ、俺は死ぬのか…。嫌だ、死にたくない!


 そう思った途端、身体が動いた。


 急いで友人を突き飛ばす。蹌踉めきながら倒れていくかつての友。


 その瞬間、周りの視界がクリアになった。よく見ると其処はビルの屋上で、相手の身体は縁に踵を付けたまま宙に浮く寸前である。


「ジャッカル!」


 叫びながら腕を伸ばした。しかし、その手は虚しく空を斬ると、ジャッカルはビルの屋上から転落していく。


 スローモーションの様にジャッカルのコートがはためく。ジャッカルはまるで置物の様に、銃を構えたまま闇へと消えていった。


 ああ…、俺は何て事をしてしまったんだろう。


 幾ら呼び掛けみても返事は無い。この高さだ。助かる訳もない。


「君は本当に優秀だなぁ…」


 背後から声がした。


 何が優秀なのかは分からないが、何だか少し楽になった。暗闇から聞こえる声に暫く身を委ねたい気分だ。


「気に病む事はないよ。君は我々に従っただけなのだから…」


 ああ、そうだ。俺が殺したんじゃない。仕方なくだ。


 しかし、本当にそうか?ジャッカルを突き飛ばしたのはこの腕だ。


 ジャッカルは如何思っているのだろう。俺が殺したと?気になる。気になって落ち着く事が出来ない。


 そう言えば、俺は何の為に生きているのだろう。誰かに誉められる為?そうだ。それが俺の全てだ。


 子供の頃から悪事を暴いて回った。目上の人間に誉められたくて。俺の周りに人がいなくなったが、そんな雑魚共はこの世にいらない。存在しない方が良い。


 果たしてそうか?ジャッカルは雑魚共と同じ存在だったのか?いない方が良かったのか?


「また、裏切ったのか…」


 突然、かつての先輩の顔がボゥッと浮かんできた。


 俺はケルベロスと呼ばれたアンタとは違う。弱いんだ。自分を貫き通す事なんて出来ない。


 止めろ!そんな目で見るな!裏切ったんじゃない!そうするしか道は無かった。何でアンタは平静を保っていられる!


「…た、あなた?」


 耳元で囁く声と身体を揺すられる振動で、ウルブスは目を覚ました。


 寝汗をビッショリとかいている。心拍数も高い。明らかにウルブスは動揺していた。


「夢か…」


 ウルブスは現実の世界に戻ってこれた事にホッと胸を撫で下ろした。


「大丈夫?随分とうなされていたみたいだけど…」


「悪い夢を見ていたんだ」


 隣では妻のエミリアが、心配そうにウルブスの様子を伺っている。


 エミリアの優しい声が心地好い。ウルブスは心が洗われていくのを感じた。


「もう、大丈夫だ…」


 そう言うと、ウルブスはニッコリと微笑んだ。


 自分はエミリアを愛している。だからこそ言わなければならない事がある。


「エミリア…」


「?」


 不思議そうな顔で、ウルブスの顔を覗き込むエミリア。ウルブスはその表情を見て、自分の気持ちが本物である事に気が付いた。


「いや、何でもない…」


「可笑しな人♪」


 何かを言い掛けて止めたウルブスを見つめ、エミリアがクスリと笑う。


 家族と過ごせる事は、ウルブスにとって何よりの幸せであった。「やはり、自ら幸せを手放す事なんて考えられない」とウルブスは思った。


 遅かれ早かれ、何れメッキは剥がれてしまうだろう。他人から見れば、仮初めかもしれない。しかし、ウルブスは出来るだけ長くこの幸せな家庭に留まりたかった。


「本当に何でもないよ。もう、寝よう?」


 ウルブスはエミリアの頬に優しくキスをすると、再び眠りに就いた。また一つ咎を増やしている事に、気付かないふりをしながら。


 断罪の時は刻一刻と近づいてきている。過去の罪は何時かは洗い流さなければならない。


 何も知らない月だけが闇夜を照らしだしていた。


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