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「よくやってくれた。これからも頼むよ?」


 テーブルの上には分厚い封筒が置かれている。中身が札束である事は想像するに難くない。


「このまま行けば警視総監も夢ではないな、ウルブス刑事部長?」


 テーブルの周りには、スーツ姿の二人の男が座っていた。片方はウルブス、もう一方は眉の辺りに大きな傷のあるサングラスを掛けた男である。


「はぁ…」


 下を向き、溜息混じりに答えるウルブス。その表情は固まっており、余り良いとは言えなかった。額からは汗が滴り落ち、顔色も冴えない。


「しかし、今回で最後にして貰いたいのです」


 ウルブスは顔を上げると、部屋の隅に向かって懇願した。


 誰もいないと思われた部屋の隅には、目を凝らすと暗闇の中からうっすらと座っている人物のシルエットが浮かび上がる。小柄で低い背丈から、その人物は老人である事が伺えた。


「何故だ?金か?金ならば、もっと都合を付けても良いぞ?」


 テーブルを挾んでウルブスの正面に座っていたサングラスの男が、怪訝な顔をしてウルブスに問い掛ける。表情には凄味があり、まるで脅しを掛けているかの様だ。


「そうではありません」


 サングラスの男の脅しにも屈せずピンと背筋を伸ばすと、ウルブスは毅然とした態度でそう言い放った。先程と違い、顔つきは精悍そのものである。


「正義感を貫くのも結構だが、一度汚れた手は元には戻らない事くらい、君にも分かっている筈だ」


 サングラスの男が手厳しい言葉を投げ掛ける。穏やかな中にも強い口調からは「有無を言わせない」という気持ちが、嫌という程に感じられた。


「…」


 気にしている事を突かれ、悔しそうな顔をするウルブス。


 ウルブスは無言のまま、サングラスの男を睨み付けた。その目は使命に燃える警察官の目である。


 今にも取っ組み合いが始まりそうな、不穏な空気が辺りを支配する。


「コラコラ、止めないか。ウルブス君にも家庭がある。危険な橋は渡りたくないという事なのだろう」


 シルエットの老人は一回頷くと、サングラスの男を穏やかな口調で諫めた。


「しかし、裏切られたら我々は…」


 老人は余程地位の高い人物なのであろう。老人の言葉に素直に従うサングラスの男。しかし、自分の身を案じてか、怯えた顔で少し反論を試みる。


「最初から裏切る気なら、とっくの昔にアンタ達を逮捕しているさ」


「貴様!」


 ウルブスの言動に、サングラスの男は慌てて立ち上がった。


 目を吊り上げて拳を握り締めている。力が入る余り、堅く握った拳は小刻みに震えていた。


「二人共、そういきり立つな」


「しかし!」


 落ち着き払った態度で二人を優しく宥める老人。


 その言葉でサングラスの男は大人しく席に着いたが、少し不満そうである。思わず強い口調で老人に食って掛かった。


「彼も共犯だ。自分も裁かれる事になる。家族の為にも、そんなに頭の悪い事はしないだろう」


 老人は片手を上げてサングラスの男をあしらうと、涼しい顔で小さく微笑んだ。


 悪の栄えた試しはないという諺は、恐らく彼の辞書にはないのだろう。その表情は自信に満ち溢れている。


「家族と言えば、君の奥さんはジャッカルの…。ウルブス君も相当な好き者だな?」


「くっ…!」


 此処ぞとばかりにサングラスの男は、ウルブスに皮肉を投げ掛ける。


 事実を述べられ、ウルブスは反論出来ない。


 言葉に詰まったウルブスは、俯きながらギリッと歯を食い縛った。


「止めなさい、はしたない」


 ウルブスを気遣い、厳しい口調でサングラスの男を叱咤する老人。


 サングラスの男は一回は反省した態度を見せたものの、ウルブスを横目で捉えるとニヤリと笑った。


「すまんね、気を悪くせんでくれ。ウルブス刑事部長、もう下がって良いぞ?」


「はい…」


 気分を害したであろうウルブスを優しい眼差しで気遣いながら、老人は片方の手を振った。


 ウルブスは頭を深々と下げ静かに席を立つと、ゆっくりとした歩調で退室していく。


――ガチャン…――


 金属が擦れ合う音と共に、ゆっくりと閉まっていく部屋のドア。


「例の男の始末も付きましたし、我々の懸念は奴だけですね」


 ウルブスが完全に退室した事を確認するや否や、サングラスの男が重々しく口を開いた。


 自分達の秘密を知っている者が存在するのは、己の保身を考えると好ましい事ではない。


「かつての相棒に裏切られた上、妻まで寝取られたならば、君なら如何思う?」


 老人もサングラスの男と考えは同じの様だ。先程とは豹変した悪どい表情で自分のプランをサングラスの男に伝えようとする。


「成程。ですが、惜しい男を亡くしますね?」


「何、問題ないさ。替わりなら幾らでもいる」


 信頼関係で結ばれた二人に小難しい言葉はいらない。二人は無言で頷くと、不敵な笑みを浮かべた。


「では、早急にジャッカルを手配しておきます」


「頼んだぞ」


 老人はブランデーの入ったワイングラスを片手に取ると、ゆっくりと手首を回した。


 手首の動きに合わせてブランデーの表面が波打つ。ワイングラスの側面を自在に回遊する琥珀色の曲線が、室内灯の光を浴びてキラキラと輝いている。


 サングラスの男は老人に対し一礼すると、急ぎ足で部屋から出ていった。


――ガチャン…――


 静寂に身を任せながら、老人は安穏な時間を楽しんでいる。ドアの閉まる音だけが、静かな部屋の中に響き渡っていた。


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