第8話
「……と言う事だから、自分の依頼なんて人に話しちゃダメなんだ!」
「なるほど、依頼を横取りされる事もあるで御座るか」
侍は武蔵のつたない説明を真剣に聞いてくれた。
武蔵の話は侍には新鮮で驚きの連続らしく、一言一句聞き逃すまいとしてくれた。
「事もあるって言うか、皆どうやって楽して稼ぐかばかり考えてるって言うか……」
武蔵の知る侍のほとんどは、ろくでもない連中ばかりだ。
刹那的で目先のことばかり考えていて、あげくの果てにずる賢い連中だ。
目の前の侍のような澄んだ目をしている侍なんて、ほとんど居ない。
「なるほど、侍の世界は厳しいので御座るな?」
「そうなんだよ。だから、あんまり自分の秘密をしゃべっちゃダメなんだ」
武蔵にも、なぜ自分がこんなお節介を焼いているのかが分からなかった。
こんな世間知らずの侍なんて、放っておいても彼は損しない。
「ご指導、ありがとう御座います!!」
「……いや、感謝されても……」
武蔵としてはこの侍に感謝されても、何か釈然としない気分だった。
どちらかと言えば、もっとネガティブな反応を想定していたからだ。
「貴殿は黙っていても良かった。なのに拙者を思って言ってくれたので御座ろう?」
「……まあ、そうなんだけどさ……」
確かに武蔵は目の前の侍の今後の事を思って、思わず忠告してしまった。
彼自身が言ったように、侍を自分の食い物にしてしまえば良かったのにだ。
「どうだろうか?拙者と共に風雲城に行ってはいただけないか?」
「え?でも、それじゃ……」
武蔵だって、最初から風雲城の源吾郎の首を狙ってここに居る。
風雲城へ行くことに、何の不都合も無い。
しかしそれでは武蔵か侍か、どちらかしか報酬を受け取れない。
「もちろん、礼は拙者からさせていただくつもりで御座る」
「……」
武蔵は侍の提案を受けるべきか、断るべきか迷ってしまった。
初対面だが、この侍はよこしまな心の持ち主ではなさそうだと分かる。
おそらく、依頼を達成した暁には本当に謝礼をくれるだろう。
だが、武蔵は目の前の侍に侍の世界の厳しさを知って欲しかったのだ。
「もしや、拙者が信用できぬで御座るか?」
「いや、そんな事は断じてないよ!ただ、あんたは何の得があるんだ?」
武蔵は苦し紛れに、そんな質問をしてみた。
「ああ、そんな事を心配して下さったので御座るか」
「いや、心配して下さったって……」
武蔵にはこの侍が、どこまでもお人好しに見えてきていた。
自分が利用されるかも知れない状況で、そんな風に考えられるだなんて。
「心配御座らん。拙者にもちゃんと得があるで御座るよ」
「……仲間が増えるからとか言うなよ?」
武蔵は、侍の仲間がどれだけ信用できないかを良く知っている。
都合の良いときだけ仲間のふりをして、おいしいところだけ持って行く。
ひどい時なんて、囮として使われる事だってある。
「そうでは御座らん。貴殿……え~っと……」
「ん?どうした?」
武蔵は急に侍が言葉に詰まったから、何事かと思った。
何か言いにくいことを、武蔵に言うつもりなのだろうか?
「申し遅れた。拙者、佐々木薫と申す」
「あ!そうだったな。俺は武蔵、苗字は持ってないんだ」
武蔵は、なぜ薫が急に言葉に詰まったのか理解できた。
薫と武蔵は、まだお互い名前を明かさずに呼び会っていたのだ。
「武蔵殿であったか。拙者は武蔵殿の業を盗ませていただきたいので御座るよ」
「俺の業?こんなの、盗むようなもんじゃないぞ?」
武蔵の剣術は全て我流、つまり自分で編み出したものだ。
我流の剣は歴史が浅く、洗練されていない荒削りな剣になりやすい。
「そんな事は御座らん。拙者、武蔵殿の業にとても惹かれるで御座る」
「え~、俺は薫の使ってる剣術の方がずっと凄いと思うんだけどな?」
実際、薫の使う剣術はとても洗練された美しい剣術だ。
相手を殺める為の技なのに、息をのむほど華麗で武蔵も目を奪われた。
「確かに拙者の剣『佐々木一刀流』は歴史が深く、武蔵殿の言うとおり凄いで御座る」
「そうだろ?だったら……」
俺の剣なんか盗まなくても、問題ないだろと武蔵は言おうとした。
しかし、薫はそうでは無いと思っていた。
「しかし拙者の剣は型にはまった剣で、まだ未完成に御座る」
「それが俺の剣を盗めば完成すると?」
佐々木一刀流も、最初は武蔵の剣のように誰かが我流で作った剣だ。
それが何世代にもわたって試行錯誤、改良された結果こうなったのだ。
しかし、その過程で失われた部分や捨てられた部分も当然ある。
「はい!拙者は実戦の中で佐々木一刀流を完成させたいので御座る!!」
「……剣を極めるか。侍としては不純な動機だな」
侍は妖怪を退治するのが本懐だ。武芸を極めることでは無い。
しかし薫にとって重要なのは、より高見を目指すことのようだ。
武人としては見習いたい姿勢だが、職業侍としては危ういように見えた。
「この理由では、駄目で御座ろうか?」
「……ついてきて見る分には好きにしたら良いんじゃないか?」
悩んだあげく、武蔵は薫と同行することを承諾してしまった。
薫のまっすぐで曇りの無い目を見ていたら、放っておけなくなったのだ。
「(それに薫の腕は確かだし、信用しても良さそうだし)」
武蔵は、自分で矛盾した考えをしていることに気づかなかった。
さっき彼は、仲間が増えるなんて言うのは理由にならないと自分で口にしたのだ。
「それでは、拙者と共に風雲城に行って下さるので御座るか?」
「……急がないとあっという間に夜になるぞ?」
妖怪は視覚や聴覚に頼らないで、魂の匂いで生き物を探し出す。
だから、夜間の行動は慎むのが基本中の基本だ。
「あっちに野営するのに良さそうな場所を見つけたから、そこに行くぞ?」
「待って下され!武蔵殿!!」
薫は武蔵の後を追って、獣道から外れた奥まった場所へと入っていった。
そこは洞窟とまでは言わないまでも、少し山が凹んだ場所だった。
「今日はここで野営するぞ?」
「なぜゆえこのような場所で?」
薫の人生の中で、野営の仕方をちゃんと教わる機会なんて無かった。
いつも適当な場所で寝起きして、今日までやってきたのだ。
「ここなら妖怪が来ても、一方向だけ守れば問題ない」
「しかし、それでは同時に逃げ場も無いのでは?」
穴熊のように潜り込んでしまえば、確かに守りは堅牢になる。
だが、それは同時に逃げずに戦い抜かなければならない。
「そんなに大量の妖怪が現れたら、どこに居ても大して変わらないよ」
「……確かに」
薫の言うとおり、開けた場所に陣取れば逃げ道もあるかも知れない。
しかしそれも四方を囲まれてしまったら、意味が無い。
「それにここなら雨風をよけられるし、寒くない」
「寒くない?」
薫が理由を尋ねるより先に、武蔵は答えを見せていた。
武蔵は火打ち石を使って、集めた枯れ枝に火を着け始めていた。
「春と言っても、まだ夜は寒いからな」
「かたじけない」
武蔵と薫はたき火を囲んで座ると、手をかざして暖を取り始めた。
あまりにも開けた場所で火をたくと、折角の暖気がどこかへ行ってしまう。
だがこの場所なら、一晩暖かく過ごすくらいなら出来る。
「武蔵殿、ここから風雲城へ行くには……」
「いや、その話より先に飯にしよう」
武蔵は小さな鍋を出すと、その中に生米と水を入れ火にかけ始めた。
米を炊くのでは無く、おじやのように煮るのだ。
「薫は食い物は何を持ってんだ?」
「拙者はこれを……」
「芋縄か。じゃあ、一緒に煮るか」
武蔵は薫が出した『芋縄』を手頃な大きさに切ると米と一緒に煮始めた。
芋縄を煮ると、味噌がしみ出して味噌汁のようになるのだ。
「それから、その辺に生えてるツクシでも入れれば良いだろ」
武蔵は、鍋が煮立ってしまわないように手早くツクシやコゴミを集めた。
やがて鍋の中で食材が煮え、おいしそうな匂いが漂い始めた。
「武蔵殿はこの手の料理に慣れてるので御座るな」
「まあ、十歳の時から一人で生きてきたからな」
武蔵はまだ若いが、この道八年の経験豊富な侍だった。
鍋をひしゃくでかき混ぜる武蔵に、薫は訊きづらそうに尋ねた。
「あの、差し支えなければ訳を話しては頂けないだろうか?」
「ん?たいした理由じゃ無いぞ?妖怪に村が襲われたんだ」
この世界において、小さな村が妖怪の襲撃で滅んだ事例は数え切れない。
武蔵も、その中の一人に過ぎないのだ。
「武蔵殿が侍になったのは、その仇討ちのためで御座るか?」
「まさか。ただ、他に出来そうな仕事が無かっただけだ」
確かに妖怪に村を滅ぼされた男が侍をしていたら、そう見えるかも知れない。
自分の家族や仲間を殺した妖怪に、恨みを晴らすために戦っているのだと。
だが武蔵が侍の道を選んだのは、もっと切実な理由からだった。
「ご家族の仇は良いので御座るか?」
「戻ったときには皆、骨になってたよ。だから埋めた」