第6話
「次に楽そうなのは……東に行ってから北に登る道か」
武蔵がいる場所から風雲城へ直接向かうには、険しい山々が障害となる。
山を回避するには、北か東に大きく迂回する必要がある。
「東の方が、北に向かいよりも時間はかかるが安全に行けそうだ」
武蔵の読みでは、北には源吾郎が設置した罠があるという。
風雲城に一番早く行ける北のルートを使う侍が多いと思ったからだ。
しかし、東に迂回するルートは北よりも利用する侍が少ない。
「……でも、これも却下だな」
だが、武蔵は迷わず東へと向かうルートも断念した。
東へ向かうルートは、北よりも安全だと彼自身が言ったにもかかわらずだ。
「多分、源吾郎って妖怪はそれもお見通しだと思うし」
武蔵は北野源吾郎を、今までの妖怪と格が違う存在だと思っていた。
上位妖怪と戦った経験は、武蔵にもあるし倒した経験もある。
しかし、武蔵は源吾郎はそれらの妖怪よりも厄介な妖怪だと考えていた。
「じゃなかったら、今頃とっくのとうに姫の呪いは解けてるはずだからな」
北野源吾郎は半年間、風雲城を訪れる数々の侍を退け続けてきたのだ。
そんな妖怪が、これしきの考えを予想できないはずが無い。
「北野源吾郎は、生きてる人間と同じくらい知恵のある妖怪のはずだ」
妖怪のほとんどは、知性のかけらも無い動く死体に過ぎない。
だから普段の妖怪退治には、こんな緻密な読みなんて必要ないのだ。
「楽な仕事だなんて考えは、この場で捨てとかないと死ぬことになる」
妖怪退治は命の危険がある反面、多額の報酬が見込める仕事だ。
しかも、相手にする妖怪は死体だから頭が悪い。
要領さえつかめば、割と楽に稼げるようになる仕事だった。
「何とかして源吾郎を討ち取ってやる」
武蔵は文句を言っていた割には、案外やる気があった。
詳細を伏せられていたとはいえ、千両は破格の報酬だからだ。
これを最後の仕事にしたいと思うなら、細心の注意を払うべきだと思ったのだ。
「……となったら、向かうべき道はただ一つだな」
武蔵は東北にそびえ立つ、険しい山々を見つめた。
北の道も東の道も潰えたとなれば、残るルートはただ一つ。
最も厳しく非効率的な、山越えをするルートしか無かった。
「流石に源吾郎って奴も、この山の中に完璧な罠は仕掛けられないだろう」
武蔵は三度笠を深くかぶり直すと、木々が生い茂る山へと踏み入った。
山ではあちこちで桃のつぼみが膨らみ、季節の訪れを告げていた。
厳しい季節を耐え忍んだ動植物が、活動を再開する季節だ。
「熊が出なきゃ良いんだけどなぁ」
この季節は、長い眠りから覚めた熊を含めた獣も姿を見せ始める。
風雲城にたどり着く前に、腹を空かせた獣にでも食われたらお笑いぐさだ。
「とりあえず、基本通り尾根伝いに歩くか」
武蔵は、山々が連なる山脈の上を目指して歩き出した。
尾根を歩けば、方角や道を見失わずに済むから歩きやすくなるのだ。
「日本のどこかで、誰かがお前のことを待っている~♪」
武蔵はのんきに歌いながら、尾根を目指して山道を登っている。
焦ってもどうしようもないし、そもそも別に焦る必要は無いと思ったからだ。
「確か、何十人も侍を差し向けたとか言ってたしね」
門番の話では、四成は蓮姫が犬にされてからの半年間で何十人も侍を派遣した。
しかし、その全員が柴犬の呪いを解けずに行方不明になっている。
この依頼が一筋縄では上手く行かない事くらい、すぐに分かる。
「ん?何だ?」
武蔵は山道に出来た、自分の者ではない真新しい足跡を見つけて立ち止まった。
大きさは武蔵の足跡より少し小さいくらいだが、子供ではなさそうだ。
「……俺以外にここを通った奴がいるのか?」
武蔵は足跡をしげしげと眺めながら、考えを巡らせた。
足跡は武蔵と同じ方角、つまり山脈の尾根を目指して伸びている。
山菜採りの山伏の足跡かも知れないと武蔵は思った。
「まさか、侍じゃあ無いだろうし……」
絶対に無いとは言い切れないが、侍の可能性は低かった。
もし、こんな険しい山道を登って風雲城を目指す侍が居たらよっぽどの手練れだ。
もしくは、一番距離が短いからと一直線に風雲城を目指す大馬鹿だ。
「流石にそんな奴は居ないだろ?」
世間知らずの新米の侍でも、直線コースのこの道を選ぶことはしないだろう。
常識的に考えて、こんな道は選ばない。だからこそ奇襲に使えるのだ。
「山伏だったら、この山について何か訊けるかな?」
武蔵は何となく、足跡の主を追ってみることにした。
どうせ自分も同じ道を選んだのだから、さして問題は無い。
山伏だったら、山に詳しいから有益な情報を持ってるかも知れない。
何となくだが、熊とも人ともつかない男性をイメージしていた。
「雪解け間際の北の空に向かい泣かないで下さい~♪」
武蔵は熊除けの意味も込めて、再び歌いながら斜面を歩いた。
彼の視線の先には、誰が付けたのか分からない足跡が続いている。
「この足跡、本当に山伏なのか?」
武蔵は足跡を見ながら、ふと思った。
さっきは山伏のもので間違いないだろうと、彼自身そう思っていた。
だが、足跡を追ううちにひょっとしたらそうでは無いかも知れないと思った。
「山伏にしては、山を歩き慣れてないように見える」
武蔵の先を行く正体不明の人物は、歩き方に無駄が多かった。
本当に山伏だったら、もっとスイスイ進んでいても良さそうだ。
しかし、目の前の足跡は間隔が広がったり狭まったりしている。
「しかもこの人、俺よりも身体が小さいみたいだ」
武蔵は十八歳。この世界の男性では大人として扱われる。
しかし、それでも十八歳の男は肉体的に未成熟だ。
それなのに、この足跡はその武蔵よりも更に小さい。
「……何者だろう?」
武蔵は、まだ見ぬ足跡の主に思いをはせた。
自分よりも若くて山を歩き慣れていないその人は、どんな人なのだろうか?
何のために、まだ雪が残るこの山に踏み入ったのだろうか?
「もしかして、本当におれと同じ事を考えた侍が?」
武蔵にはこの足跡の主は新米の山伏か、元服したばかりの侍だろうと考えた。
だが、新米の山伏だとしたら犬の一匹くらい付けていても良さそうだ。
なのにここを歩いた人は、完全に一人で歩いている。
「何だかだんだん嫌な予感がして来た」
新米の侍かも知れないと思った途端、武蔵の足は自然と速くなった。
山には源吾郎の罠は無いかも知れないが、自然の脅威が待ち構えている。
そのことをちゃんと理解して山道を選んだのだろうか?
「ああもう!なんでいつもこうなるんだよ!!」
放っておいても、誰も武蔵を咎めたりなんかしない。
侍の一人や二人が野垂れ死にしても、誰も気にとめたりなんかしない。
だが、武蔵は死ぬと分かっている人を放っておくことが出来なかった。
それはかつて武蔵が、妖怪たちから逃げて一人だけ生き残ったことが関係していた。
「死ぬんじゃねえぞ!?」
武蔵の脳裏には、無残な姿になった家族が焼き付いていたのだ。
武蔵が足早に山道を登っていると、ある物を発見した。
それは首を切断された人間の遺体だった。
「これは、妖怪か?」
この世界の妖怪とは、死体に妖怪の魂が憑依し動く死体と化したいわばゾンビだ。
だからこの世界では、遺体が妖怪にならないように火葬するのが習わしだ。
「死体は腐敗が進んでるのに、この切り傷は真新しい」
遺体からは腐乱臭が立ち上り、この人が死んでからだいぶ経過しているのが分かる。
にもかかわらず、死体の首が切断されたのはつい最近だ。
「間違いない、この先に居るのは侍だ。それもかなり若い」
妖怪の首は、鋭利な刃物で一撃の下に両断されている。
山伏にこんな芸当は出来ないから、侍と見て間違いないだろう。
そして侍の足跡は武蔵のよりも小さい。多分、武蔵よりも若いのだろう。
「急がないと、本当にまずいな」
武蔵は死体を放置すると、足跡を探し出し追跡を再開した。
首を切断された死体は妖怪化しないから、鳥獣の餌になるだけだ。
「……うぅ~~」
「やっぱり妖怪が居たか!」
先を行く侍を追っていた武蔵の行方を遮るように、二体の妖怪が現れた。
武蔵はとっさに、右手を刀の柄にかけた。
一体は野犬に取り憑いた妖怪、もう一体は人間に取り憑いた妖怪だった。
妖怪たちは焦点の合わない目で武蔵を見つめ、うめき声を上げている。
「……南無阿弥陀仏」
武蔵は鯉口を鳴らして刀を鞘に収めると、妖怪だった死体を放置して先を急いだ。
妖怪たちは、自分たちが一刀のもとに斬り捨てられたと気づかなかった。
武蔵を追おうと一歩踏み出すと、ゴトッと言う音と共に頭が地面に落ちた。
そして司令塔を失った胴体は、力なく地面に崩れるように倒れた。
「やっぱり、一体も妖怪が居ないって事は無いか……」
武蔵がこの山道を選んだのは、戦闘を回避して安全に風雲城に近づくためだ。
だが山道も完全に安全とは言いがたく、この通り妖怪と遭遇した。
「早く合流してやらないと、妖怪狩りが妖怪になっちまう」
後ろから追っている武蔵が妖怪と接敵したと言う事は先を行く侍はどうだろうか?
もっと多くの妖怪と戦っているに間違いないだろう。
そして死体に過ぎない妖怪とは違い、人間の体力には限界がある。
「手遅れにならなければ良いが……」