第4話
武蔵の説明を聞く限り、彼は何も怪しい事はしていないらしい。
言ってしまえば、ただの勘違いだ。
「はい。ただお城に行って立て札を見たかっただけなんです」
「……なんだ。何事かと思って駆けつけたら、ただの勘違いか」
武蔵から事情聴取をしていた役人は、これ見よがしにため息を一つ吐いた。
「(いや、ため息を吐きたいのはこっちの方なんですけど?)」
武蔵は抗議したい気分だったが、我慢に我慢を重ねて口をつぐんだ。
一秒でも早く解放されて、立て札を見に行きたかったからだ。
「いや、申し訳ない。この国は今、厳戒態勢で皆ピリピリしてるんだ」
「何かあったんですか?」
武蔵が役人に尋ねたのは、興味本位ではない。金の匂いがしたからだ。
もし妖怪がらみの案件なら、待ちに待った大きい仕事にありつけるからだ。
「実は半年くらい前から、四成様の息女『蓮姫様』が妖怪から祟られたらしくて……」
「ふむふむ」
役人から聞いた事のあらましはこうだ。
半年前、この国の主『石田四成』が妖怪から娘をよこせと要求されたそうだ。
相手は『北野源吾郎』と名乗り、この国の東北に位置する場所に根城を構えていた。
動く死体に過ぎない妖怪に娘をやれるわけもなく、四成は源吾郎の要求を拒否した。
するとそれからしばらくの後、四成の娘である『蓮姫』に異変が起きた。
蓮姫は源吾郎から呪いをかけられ、姿を変えられてしまったのだという。
四成は源吾郎を討ち、娘の呪いを解くべく強い侍を探しているらしい。
「……と、言う事なんだ」
「なるほど」
確かに聞けば恐ろしい話だが、武蔵たち侍からしたらおいしい話だ。
何せ、一国の主からの依頼なのだからそれは報酬がたんまりともらえるだろう。
四成の城の立派さを見れば、この国が潤っているのは分かる。
「それで国中の皆がピリピリしてるんだ」
「まあ、城主の娘が妖怪に祟られたらね……」
適当な相槌を打ちながら、武蔵は既に仕事モードに入っていた。
人間みたいな名を名乗ると言うことは、その妖怪はおそらく上級の妖怪だろう。
「こんな事、言っちゃ何だがあんた強い侍なんだろ?何とかしてくれないか?」
「……俺はこのまま解放してもらえるんだよね?」
誤解だと分かってもらえた武蔵は、すぐに解放された。
正確には、武蔵なら姫を救ってくれるかも知れないと言う期待があったからだ。
「……この龍神の涙って、本当に効力あるのかなぁ?」
解放された武蔵は、刀の柄にぶら下がった二束三文のお守りを見た。
龍神の涙は、武蔵の質問に何も答えない。ただ、陽光を反射して光るだけだった。
「でも、あの占い師も『徐々に効力が出る』って言ってたし最初はこんなもんか?」
武蔵は考えようによっては、これも運が良かったと思うことにした。
なんだかんだあったが、自分はお咎め無しで解放されたし有益な情報も得られた。
これもひょっとしたら、このお守りのおかげかも知れないと考えた。
「まあ、そのうちもっと良い事が起こるだろう」
武蔵は、プラシーボ効果で妙にポジティブ思考になっていた。
気持ちを切り替えた武蔵は、お目当ての依頼を手に入れるために立て札に向かった。
奉行所とお城は目と鼻の先だから、立て札まで時間はかからなかった。
「ん?誰かが立て札に依頼を張ってる」
小走りで立て札まで行くと、さっきとは別の役人が新しい依頼を張り出していた。
どうやら、足止めを食ったおかげで一番乗りが出来たらしい。
「(お?災い転じて福となすとはこのことか?)」
武蔵はさっきまで疑いの目を向けていた龍神の涙が、急にありがたい物に見えた。
こうやって一番乗りできたのも、きっとこのお守りの御利益に違いない。
武蔵は、そう信じて疑わなかった。
「おや?あんた侍か?奇遇だな。今、新しい依頼を張り出してたんだ」
「その中に『蓮姫の呪いを解く依頼』はあるかい?」
武蔵は役人に北野源吾郎討伐の依頼があるかを尋ねた。
一国の主からの依頼ならば、多額の報酬が期待できるからだ。
「……あんた、その話をどこで聞いたんだい?」
「それは依頼とは直接関係ないだろ?」
武蔵は奉行所で依頼の存在を知ったと、役人に教えなかった。
余計なことを言わない方が、自分にとって有利だと思ったからだ。
「……その依頼だったら、これだよ」
「赤い紙?」
役人が武蔵に差し出したのは、赤い紙に書かれた依頼だった。
通常の依頼は白い紙に書かれている。
「そいつを持って、城主の四成様に会うんだな」
「城主から直接依頼を受けるのか?」
依頼書が赤いだけでも珍しい事なのに、依頼を城主から直接受けるなんて。
そんなのは異例中の異例だ。
「言っとくが、かなり厳しい依頼だぞ?」
「上位妖怪とは何度か戦った事があるから何とかなるだろ?」
「だが源吾郎は……あっ!ちょっと……」
武蔵は、人の話もろくに聞かずに赤紙を持って城門へと走っていった。
役人は複雑そうな表情で、武蔵の背中を見ならがポツリと漏らした。
「まだ、誰も生還してない依頼なんだがなぁ……」
だが、役人の言葉が武蔵の耳に届く事は無かった。
実はこの依頼は、武蔵が受けるより前から多くの侍が受けた依頼なのだ。
しかしこの半年間、蓮姫の呪いは解けないままだったのだ。
「城主の四成様に会わせて欲しい」
武蔵は、さっき受け取った赤紙を門番に見せた。
字があまり読めない武蔵には、依頼に何が書かれているのか良く分からないのだ。
「その紙を持って、詰め所の遠藤と言う人のところへ行け」
二人の門番たちは、赤紙を確かめると武蔵を門の奥へと通した。
門の向こう側には、立派な武者返しがそびえ立っていた。
「ほら、あそこの建屋だ」
「幸運を祈ってやる」
武蔵は門番たちが指さした少し小さめの建屋を見た。
建屋にはせわしなく人が出入りしており、あそこが所謂窓口なのが分かった。
「幸運を祈ってやるって、遠藤ってそんなに怖い人なのか?」
武蔵には、なぜ門番が幸運を祈ってやるなんて言ったか理解できなかった。
彼が受けた依頼とは、それだけの難度の依頼だったのだ。
「……門番から遠藤殿に会えと……」
「遠藤?ああ、またか」
詰め所の役人は武蔵の持つ赤紙を見ると、思わず『またか』と言ってしまった。
「また?」
「いいや、何でも無い。すぐに遠藤殿を呼んでくる」
役人が奥に消えること数分、疲れた顔の中間管理職らしき男が現れた。
武蔵が見る限り、男は怖そうな雰囲気はなくむしろ柔和な雰囲気だった。
「私が遠藤です。あなたが赤紙を?」
「武蔵と申します。依頼の件で四成様に会いたいのですが……」
武蔵は思わず、かしこまった言葉遣いになってしまった。
遠藤は怖そうではなかったが、ひょっとしたら急に怒り出すかも知れないと思った。
「……」
遠藤はどこか悲しそうな目で、しげしげと武蔵を見ていた。
その深い目尻のしわからは、遠藤の苦労が見て取れるようだった。
「……あの~~」
武蔵は遠藤が何も言わずに自分の目を見つめているので、何事かと思った。
何を言えば良いか、武蔵も全く分からなかった。
「ああ、すみません。私にもあなたくらいの息子が居るので……つい……」
「……そうだったんですか」
武蔵は遠藤が自分をしげしげと見ていたのは、自分の息子と重ねたからだと思った。
自分の子供と同年代の子が妖怪退治なんてしていたら、色々思う事があるのだろう。
「武蔵さんですね?本っ当にこの依頼を受けるのですか?」
「はい!この依頼でまとまったお金が欲しいんです!!」
武蔵には、なぜ目の前の遠藤がそんな事を訊くのか分からなかった。
自分の息子と重ねて、身を案じているのだろうと思っていた。
「あなたはまだ若い。まだ何回でも人生をやり直せる年齢だ。焦る必要はありません」
「はぁ……」
遠藤が武蔵に『北野源吾郎討伐の依頼』を受けさせまいとしているのは明らかだ。
だが安定した職業である役人である遠藤の言葉は、無頼者の武蔵には届かなかった。
「遠藤さん。気持ちは分かりますが、それくらいにした方が……」
「しかし、この間も……」
「これは国の一大事なんですよ?」
必死に武蔵を説得する遠藤は、他の役人に止められてしまった。
遠藤の主張は至極まっとうだが、それでは姫を救う者が居なくなってしまう。
「……四成様へと案内します。私について来て下さい」
遠藤は若人を止められなかった無力感からうなだれると、天守閣へと歩き出した。
武蔵は遠藤の後ろに続いて、天守閣へと入場し長い階段を登った。
「四成様、姫を救って下さる侍がやって参りました」
「うむ、汝が我が娘『蓮』を救ってくれるのか?」
「はいっ!この武蔵にお任せ下さい!!」
武蔵が見た石田四成は端正な顔つきの殿様だった。
しかし顔にはどこか疲れの色が見え、最近ちゃんと休めていないのが見て取れた。
四成は武蔵に事のあらましを、わざわざ殿様自らが説明してくれた。
「……と言う訳で今、ほとほと困り果てておるのだ」
「なるほど」
なるほどとは言ったが、ほとんど役人から聞いたとおりだった。