第19話
いくら何でも風雲城の様子も見ないで、策なんて考えつくわけが無い。
風雲城がどんな立地条件なのかも定かでは無いのだ。
「ただ、水攻めが有効だったら楽なのになとは思ってるよ?」
「水で風雲城ごと源吾郎を流してしまおうと言うのですね?」
水攻めは大群を相手にするときに威力を発揮する。
河川の水をせき止めて、大群めがけて一気に放水する作戦だ。
「でも、多分無理だろうなぁ……」
「なぜそう言えるのですか?」
武蔵は風雲城の様子を見てすらいないのに、無理だと判断した。
なぜ彼はこんなに早い段階でそう言えるのか、薫には不思議だった。
「山城は水攻めをされる側じゃ無くて、むしろする側だからだよ」
「……確かに、城を建てる段階でその対策はしてるでしょうね」
山城が強固な防御施設なのは、地の利を得ているからだ。
水攻めはもちろん、石を落として侵入者を阻む事だってできる。
その圧倒的に有利な地理的条件が、山城の武器なのだ。
「とにかく、その辺りも含めてどうするかは頂上を獲ってからにしよう」
「そうですね。上から風雲城を見下ろせば弱点が見えるかも知れませぬ」
武蔵と薫は、山の頂上を目指して歩き続けている。
山はしんと静まりかえり、不気味な静寂に包まれていた。
「……武蔵殿っ!?」
「ああ、来たみたいだな?」
武蔵と薫は、鼻をつくような腐臭に戦闘準備を始めた。
妖怪がたむろしている場所に近づいているのだから、妖怪に遭うのは当たり前だ。
「……うぅ~~……」
「……あぁ~~……」
気配を放たぬ死者たちのうめき声と臭いが近づいてきた。
やがて森の中から、数体の妖怪が姿を現した。
「武蔵殿、こやつらは斥候か何かでしょうか?」
「いや、多分はぐれ妖怪だと思う」
妖怪には基本的に知性と呼べるものが無い。
だから、自分の持ち場を離れてふらふらを徘徊する妖怪だっている。
「倒すのは容易そうですが、どうしますか?」
「倒してからばらまく」
しかし、この状況は武蔵にとっては好都合だったのだ。
「え!?ばら撒く!?何のためにですか?」
「獣たちの餌にするんだよ。餌で頂上まで誘うんだ」
武蔵の作戦とは、山に潜む飢えた獣たちを妖怪にぶつける作戦だ。
その為に、獣たちを山の頂上へと誘導しようとしているのだ。
「……容赦無いですね?武蔵殿は」
「仏さんには悪いが、これも生きていくためだ」
死者の遺体をバラバラにして撒き餌にするなんて、倫理的に問題ある行為だ。
だが今この状況では、そんな事を気にしていては生き残れない。
亡くなった方々には申し訳ないが、道具になってもらうしか無い。
「……あぁ~~……」
「……うぅ~~……」
自分が今からどんな目に遭うか理解できない妖怪たちは、ふらふらと歩いている。
だが、哀れにも妖怪たちはすぐに頭部を切り落とされてしまった。
「多分、山を登るにつれて妖怪が増えるからそれも撒き餌にしよう」
「そうやって、山から獣たちを呼び寄せるのですね?」
武蔵は乱暴に腐乱死体を解体すると、それらを周囲に放り投げた。
無残な姿にされた死体は血の臭いを放ち、風に乗って臭いが広がった。
「あんまり気持ちの良いやり方じゃ無いけどな?」
「……」
武蔵だって亡くなった人たちにこんな仕打ちをする事に、抵抗はあった。
だが侍として妖怪と戦う以上、きれい事では済まない時もある。
「凄い臭いだ!早く行こう!!」
「……はい」
薫はまき散らされた死体に軽く手を合わせると、武蔵の後を追った。
妖怪化した死体を放置するなんて、いつもやってることだ。
それなのに、今だけはなぜか後ろ髪を引かれるような気持ちだった。
「さてと、のんびりしてられる時間は終わったな」
「え?」
薫には武蔵が急に先を急ぎ始めたのか、理由が分からなかった。
実は血の臭いを嗅ぎ取った飢えた森が、徐々にざわめき始めていたのだ。
「……グルルルゥゥゥ……」
「……ハッ……ハッ……ハッ」
厳しい冬を越した山の動物たちは、養分を必要としていた。
そんな彼らの嗅覚が、この強烈な臭いを逃すだろうか?
「早く先に進まないと、俺たちが餌にされちまう」
「待って下され!なぜ急に急ぐのですか!?」
薫は駆け足で武蔵の後を追いながら、理由を尋ねた。
彼女はこの作戦の最大の欠点に気づいていないのだ。
「聞こえないか?あの声が」
「あの声?」
武蔵に言われて、耳を澄ませた薫にもようやく獣のうなり声が聞こえてきた。
飢えた肉食獣たちが、獲物を求めて集まり始めたのだ。
「……武蔵殿、これは!?」
「山の動物たちが獲物を求めて動き出したんだ」
腐肉の放つ強烈な臭いは、狼や野犬を集めるには効果的だった。
しかし、効果てきめんを通り越して効き過ぎるくらいだったのだ。
「もしかして、私たちも狙われてます?」
「まあ、獣たちから見たら俺たちも獲物だからな」
武蔵は野生の動物を味方に付けると言ったが、本当に仲間になるわけでは無い。
ただ、飢えた獣たちを誘導してるに過ぎないのだ。
「……だから、ここにとどまると危険なんだ。行くぞ!」
「承知仕った!!」
二人はゆっくり登っていたさっきまでとはうって変わって、急ぎ足で登り出した。
森全体が武蔵と薫を監視し、隙を見せるのを待っているかのように感じられた
「……」
「……」
実際近くに居た捕食者たちは、既に二人の動向を見ていた。
血の臭いを洗い流す事も拭き取る事も出来ない二人は、この上なく目立った。
「……ガルルル……」
「ガウッ!ガウガウッ!!」
そして武蔵が想定していた通り、撒き餌に食いつき骨も残さず平らげている。
しかし、森の捕食者たちはそれくらいでは満足しなかった。
「武蔵殿っ!」
「分かってるよ!!」
武蔵と薫はこの事態を予定していたとはいえ、必死だった。
このままでは、自分たちが次の獲物になってしまうからだ。
「……あぁ~~……」
「……うぅ~~……」
そんな二人の行方を遮るかのように、妖怪が数体現れた。
やはりこの上に妖怪の拠点があるのだろうか?
「邪魔だ!退け!!」
「せいっ!」
武蔵と薫は一番近くに現れた妖怪を手早く切り伏せると、残りは無視して進んだ。
無視された妖怪たちは、抗議するかのように二人に掴みかかろうとしている。
「ワウッ!!」
「ガウウウゥゥゥッ!!!」
しかし、妖怪たちは武蔵と薫を追うことが出来なかった。
一瞬の隙を突いて、森の獣たちが妖怪に襲いかかったからだ。
「……ああぁぁ~~……」
「……ううぅぅ~~……」
後ろから押し倒された妖怪たちは、なすすべも無く喉をかみ砕かれてしまった。
そしてそのまま、次々と襲いかかる野犬やら狼やらに食い殺されてしまった。
いや、妖怪は既に死んでいるので食い漁られたと言い換えるべきだろう。
「……武蔵殿?」
「後ろなんか振り返るな!とにかく頂上を目指せ!!」
薫は妖怪と獣たちの殺し合いを見て、胃から何かがこみ上げてきた。
彼女は必死に口を押さえて、朝食を胃の中に押しとどめた。
それほどまでに、両者の戦いは凄惨極まるものだったのだ。
「ガウガウ!ガウ!!」
「……あぁ~~……」
武蔵たちの後方では、亡者と野獣の戦いが死体が消えるまで続いた。
そして、その戦いで流された血はさらなる戦いの呼び水となった。
血の臭いを嗅いだ山や森は、更なる血を求め始めたのだ。
「……ハァッ!……ハァッ!!……」
「……フゥッ!……フゥッ!!……」
武蔵と薫は息を切らせて、山の中腹で止まっていた。
どれだけ走っても、すぐに追いつかれそうな恐怖が二人にまとわりついていた。
「薫っ!一旦休憩しよう!!」
「し、しかし……!!」
振り返ればすぐ後ろに狩人が迫っていそうな、そんな気分だった。
だが、人間が山道をいつまでも走り続ける事なんてできない。
どこかで息を入れるしか無いのだ。