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第14話

「南無阿弥陀仏」

「どうか安らかにお眠り下さい」

 武蔵と薫はうずたかく積まれた土の前で合掌し、簡単な黙祷を捧げた。

 静寂の時間は、長くてせいぜい一分くらいだった。

「さてと、鈍刀煮(イワシの保存食)でも食べて寝ようぜ?」

「……はい」

 盛り土を見つめていた薫は、武蔵に言われて室内に戻ろうとした。

 だが、急に武蔵が立ち止まった。

「あ、待てっ!なんか匂わないか?」

「え?何かって、なんで御座る?」

 武蔵が不穏な事を言うものだから、薫は刀の柄に手を伸ばした。

 しかし武蔵は危険を察知して、そんな事を言ったのではなかった。

「なんか、硫黄の臭いが……」

「硫黄?」

 薫が鼻に意識を集中させると、確かに硫黄の臭いが漂ってきている。

 臭いは、寺の本堂の裏から流れてきているようだ。

「行ってみようぜ!?」

「あ、ちょっと!武蔵殿!?」

 薫が止めるよりも先に、武蔵はズンズンと本堂の裏に走り出した。

 仕方なく、薫も武蔵の後に続いて走り出した。

「武蔵殿!闇雲に歩き回るの危険で御座る!!」

「……でも、そのおかげで良いものを見つけたぞ?」

「え?」

 武蔵に追いついた薫が、武蔵の指さす先を見るとそこにはもやが立ちこめていた。

 いや、これはもやではない。それはお湯から立ち上る湯気だった。

「武蔵殿、これは?」

「見たところ、温泉に見えるけど?」

 石で作られたお湯を湛えた大きめの池。それは間違いなく温泉だった。

 湯気のせいで竹製のついたては腐っていたが、温泉自体は問題なさそうだ。

「なぜ、こんなものがこんな場所に?」

「修験者とか、旅人が疲れをとるのに使ってたんだろうな。山の中だし」

 温泉には掛け流しのお湯が次々と注がれ、まるで入湯客を待っているようだった。

 武蔵も薫も、山越えと戦いで汗をかいていた。

 この旅の汗を、ひとっ風呂浴びて流したいという誘惑にかられていた。


「……入ってみようぜ?」

「えっ!?私と武蔵殿がですか!?」

 武蔵の突然の提案に、薫の声は裏返ってしまった。

 一人称まで変わってしまうほどに、薫はこの提案に驚いていた。

「薫って風呂、嫌いなのか?」

「え?あ、いえ。そう言う訳では……」

 薫も別に風呂が嫌いだからそんな反応をするのではない。

 むしろ薫は、武蔵以上にお湯に身を委ねたいと考えていた。

「じゃあ、なんでそんな反応するんだ?」

「いえ……その……人前で肌をさらすのは……ちょっと……」

 薫には、どうしても武蔵の前で服を脱ぎたくない理由があった。

 武蔵には明かしていない秘密が、薫の身体にはあったのだ。

「は?男同士、何が恥ずかしいんだ?」

「……武蔵殿、お一人でどうぞ!!」

 薫はそう言うと、走って本堂の方へと逃げてしまった。

 一人残された武蔵は、訳も分からず首をかしげるしか出来なかった。

「何だ?変な奴……」

 しかし、温泉は依然として武蔵を誘惑し続けていた。

 武蔵は汗臭い服を脱ぐと、ふんどしも身につけない裸になった。

「まあ、いっか。俺が無理に入らせる必要もないし……おお、さむっ!」

 武蔵は手ぬぐいを湯に浸すと、自分の身体を拭い始めた。

 田舎育ちの武蔵でも、長い旅生活で風呂の入り方は心得ていた。

「……」

「ん?薫か?」

 その時、武蔵は何者かの視線を感じて振り返った。

 だが、そこには薫はおろか妖怪も猿の一匹も居なかった。

「……気のせいか?」

 武蔵は周囲の様子を気にしていたが、すぐに身体を洗う事に集中した。

 春と言えども、裸で夜風を受けるのはあまりもこたえた。

「おお、さぶ!さっさと風呂に入っちまおう!!」

 武蔵は身体を洗うのもそこそこに、石製の湯船に身体を沈めた。

 湯船から、武蔵が入った分のお湯があふれ周囲に広がった。

「あぁ~~、生き返るぅ~~」

 この時、初めて武蔵は寺を宿に選んで正解だったと思った。


 温泉ですっかり旅の垢を落とした武蔵は、上機嫌で寺の本堂へ戻った。

 彼を見つめる白い影があったが、気がつかないままだった。

「ふぅ~~、いい湯だった」

 武蔵が本堂の中を見ると、荷物を枕にして薫が横たわっている。

 どうやら、武蔵が温泉に入っている間に就寝してしまったらしい。

「……折角温泉があるんだから、入れば良いのに」

 武蔵はなぜ薫が入浴を拒むのか、理解できなかった。

 薫は人前で肌をさらすのが嫌だと言っていたが、なぜそんな事を言うのだろうか?

「まあ、あんまり問い詰めるのも良くないからなぁ……」

 小腹が空いた武蔵は、鈍刀煮をかじりながら明日の事を考えていた。

 北東の風雲城まで、あといくつの山を越えれば良いのだろうか?

「……しかし、妖怪が半年間も同じ身体に憑依してるなんてどうなってんだろ?」

 この世界の妖怪とは、妖怪の魂が死体に憑依した動く死体だ。

 だから時間と共に腐敗が進み、やがて死体が崩れ去ると憑依していられなくなる。

 しかし死体は防腐処理を施しても、半年も維持できるものではない。

「まさかミイラじゃあるまいな?」

 ミイラとは死体を乾燥させて、長時間保存できるように加工したものだ。

 動き回るミイラなんて、想像しただけで寒気がした。

「…寝よ」

 考えても答えが出るわけじゃないので、武蔵はおとなしく寝ることにした。

 相変わらず、薫は武蔵から不自然なまでに距離をとって寝ている。

「……」

 武蔵は思考回路を停止させると、ゆっくりと夢の世界へと落ちていった。

 そんな武蔵の気配を、薫は寝たふりをして伺っていた。

「……武蔵殿?」

 薫は武蔵が眠ったか確認するために、小さな声で呼びかけてみた。

 しかし武蔵は眠ってしまったらしく、返事がなかった。

「よしっ!今のうちに……」

 薫は静かに起き上がると、忍者のように忍び足で本堂を出た。

 そんな薫が向かった先は、さっきまで武蔵が入っていた温泉だった。

「武蔵殿には悪いが、私も見られるわけには……」

 薫が服を脱ぐと、薫の身体には陰茎がないのが確認できた。

 そしてその代わりに、彼女の胸には多少の乳房があった。

「……ふぅっ!」


 薫が髪紐をほどくと、流れるような黒髪が彼女の背中にかかった。

 月光を反射し白い肌がわずかに輝き、黒い髪とのコントラストを形成した。

「こんなにゆっくりと湯に浸かれるのは、本当に久々だ」

 薫は身体を丁寧に手ぬぐいで拭い、汚れを落としていった。

 拭えば拭うほど、彼女の玉のような肌が輝きを増しているようだった。

「……はぁ……いい湯だ」

 薫は髪が湯に入らぬように、お団子状にまとめてから湯に入った。

 湯に自らの身体を委ねると、冷えていた手足が温められて血流が戻るのが分かった。

「しかし、武蔵殿には悪い事をしたな。折角のお誘いだったのに」

 さっき武蔵は、薫に風呂に入ろうと誘った。

 だが薫は自分が女性なのを隠すために、逃げ隠れしてしまった。

 そのせいで、武蔵が気を悪くしたのではと心配したのだ。

「……武蔵殿は私が女子だと知ったらどうするだろうか?」

 侍はほぼ全員男性だ。女性の侍なんて、千人に一人居るか居ないかだ。

 そして居たとしても、男顔負けのゴリラのような強い女性ばかりだ。

 ゲスな侍たちにとって、薫のような可憐な女性の侍は格好の獲物だった。

 そう言った理由もあって、彼女は自分の性別をひた隠しにしているのだ。

「……明かさないままの方が良いだろうか?」

 薫は湯面に写った自分に問いかけた。

 武蔵は面倒見の良い侍だし、他の侍とは異質な雰囲気を漂わせていた。

 だが、それでも彼が薫の秘密を知ったらどんな反応をするか予想が出来ない。

「……」

「んっ!?なにやつッ!!?」

 薫は自分に向けられる視線を感じて、周囲を探った。

 だが武蔵同様、彼女にも妖怪も猿も見つけられない。

「気のせい?いや、違う。まだそこに居る!姿を現せ!!」

 薫は、湯気の向こうに居る見えない何かに向かって言った。

 すると、薫の声に応えるように湯気の中からソイツが現れた。

「な……な……な……ッ!?」

 薫がそれが何なのかを理解すると、顔面から血の気が引きドンドン青ざめていった。

 湯気の中から現れたのは、武蔵でも妖怪でもまして猿でもない。

 それは紛れもなくヤツだった。

「……キャァァァアアア!!!」

 薫はたまらず、絹を裂くような悲鳴を上げた。

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