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第10話

「……おっとう……三郎兄ちゃん……」

 腐臭のする妖怪から、武蔵は恐怖のあまり歯をガチガチ言わせながら後ずさった。

 足はガクガクといい、泣き出したくて目尻に涙を浮かべていた。

「……うぅ~~……」

 だが、武蔵の声に応える生者は誰も居なかった。死体がわずかに呻いただけだった。

 妖怪は魂の匂いを嗅ぎ分けて、少しずつ少しずつ武蔵の方へと歩いてくる。

 妖怪の足が足下の小枝を踏みつけると、パキッと言う乾いた音がした。

「うわぁぁぁあああ!!!」

 武蔵はその音でいましめが説けたのか、妖怪に背を向けて走り出した。

 情けない話だが、十歳の武蔵には逃げるだけで精一杯だったのだ。

 妖怪を倒して、家族の安否を確かめるべく村に戻るなんてとても出来なかった。

「……あぁ~~……」

 妖怪が武蔵を後ろから呼んだが、決して立ち止まらなかった。

 行く当てなんて無い。頼れる知り合いもいない。先立つものも無い。

 武蔵はこの日、自分の身以外の全てを失った。


「……殿?武蔵殿!?」

「はっ!?」

 薫の呼ぶ声で、武蔵は山に出来た穴の中で目覚めた。

 外は白んでおり、夜明けが近いことが見て分かった。

「武蔵殿、何か悪い夢でも?うなされてるようで御座った」

「いや、何でも無い。妖怪に襲われる夢を見ただけだ」

 武蔵は薫に、昔の夢を見たとは言いたくなかった。

 それではまるで、薫が余計な事を訊いたからだと責めているようだからだ。

「やはり、武蔵殿も妖怪が恐ろしいと感じる時があるので?」

「当たり前じゃん。怖くないと感じる時なんて無かった」

 八年間も妖怪退治の仕事をしてきたが、やっぱり今でも怖い。

 これが最後かも知れないと見つめた朝は、数え切れない。

「さて、朝飯にするか!?」

「え?あ、はい」

 武蔵は恐怖を振り切るように、無理に明るく振る舞って見せた。

 そうでもしないと、侍として妖怪と戦えないと思ったからだ。

「これが最後の仕事になれば……」

「え?武蔵殿、今何か?」


「いや、何でも無いんだ。気にしないでくれ!」

 武蔵はごまかすように、朝食の準備を始めた。

 と言っても、今朝も昨晩と大して変わらない物を食べるだけなのだが。

「いただきます」

 薫は行儀良く、合唱してから食事にありついた。

 やはり薫は育ちが良いのだろうと、武蔵はしみじみ思った。

「……薫は剣を極めるために旅をしてるんだよな?」

「はい。拙者は佐々木一刀流の後継者として恥じぬ剣客になりたいので御座る」

 薫の目には一点の曇りも無く、本気でそう思っていることがうかがえた。

 しかし、武蔵には少し引っかかる部分があった。

「でも、本来ならそれは薫のお兄さんがするはずだったんだよな?」

「はい!しかし、昨日も話したとおり兄上は……」

「その時、どんな気持ちだったんだ?」

 武蔵が尋ねたかったのは、薫が旅に出る理由では無い。

 彼が確かめたかったのは、それが決まったときの薫の気持ちだ。

「え?どんな気持ちとは?」

「だって、薫はお兄さんが後を継ぐんだってずっと思ってんだろ?」

「……はい」

「じゃあ、自分が後を継ぐって決まったときに薫は何を思ったんだ?」

 薫の話では、お兄さんは薫が五歳の時にこの世を去った。

 だがそれまでも五年間、薫は佐々木一刀流の後継者はお兄さんだと思っていた。

 それがある日突然に自分が後継者になると決まってしまったのだ。

 何も思わずに『はい、わかりました!』とは言わないだろう。

「……何をって……別に……」

 武蔵は薫の目が一瞬泳いだのを、見逃さなかった。

 薫だって今は覚悟を決めているだけで、その時は文句の一つも言いたかったはずだ。

 しかし、佐々木一刀流を絶えさせないようにするためにそれを飲み込んだのだ。

「そうか。変な事を訊いて済まなかったな?」

 武蔵はどこか薫と自分を重ねていたのかも知れない。

 妖怪のせいで人生を失い、侍にならざるを得なかった武蔵。

 お兄さんが逝去した為に人生を差し出し、侍にならざるを得なかった薫。

 育ちも目的も全然違う二人だったが、どこかにシンパシーを感じた。

「さて、飯が冷めちまう。さっさと食おう」

「……はい」


 武蔵はなぜ自分が薫に対して立ち入った質問をしたのか、自分でも分からなかった。

 薫との関係は、風雲城の源吾郎を倒すまでの関係だ。

「今日中に、山の一つくらいは越えられると良いんだけどなぁ」

「……」

 薫は黙ったまま、おじやを平らげている。

 変な質問をしたせいで、怒らせてしまっただろうかと武蔵は思った。

「(まぁ、コイツと一緒に居るのもほんの数日の話なんだけどな)」

 旅から旅への生活が長年続いた武蔵は、他人と一歩距離をとる癖がついていた。

 人生の中で出会う人、全員に情が移っていては侍として生きていけない。

 侍として生き続けるためには、時に心を切り捨てる事だって必要なのだ。

「さて、行くとするか?」

「……はい」

 食事を終えた武蔵と薫は、山の尾根を目指して歩き出した。

 今日は昨日とは違い、薄雲が空を覆い空気がひんやりとしている。

 ハッキリ言って、山越えするにはあまり向いてない天気だった。

「これ以上天気が悪くならない事を祈るしか無いな。頼むぞ?」

 武蔵は、刀の柄からぶら下がった龍神の涙に一声かけた。

 本当に効果があるのか怪しい代物だが、気休めにはなる。

「……武蔵殿、それは武蔵殿の思い出の品なので御座るか?」

「え?ああ、コイツか。これは占い師からもらった開運のお守りなんだ」

「……占い師?」

 武蔵の説明を聞いた薫は、何やら変な顔をしてお守りを見ている。

 あかたも『え?何言ってんの?』と言わんばかりだった。

「どうかしたのか?」

「いえ!何でも御座らん!!さ、早く行きましょう!!」

 薫はごまかすように武蔵の背中を押しながら、山道を登り始めた。

 武蔵は薫の反応が気になったが、とりあえず流すことにした。

 そんな事をいちいち気にしていては、次に進めないからだ。

「武蔵殿は、そのお守りをいくらでお求めに?」

「いや、タダだった。くじ引きで当たったんだ」

 武蔵は歩きながら、簡単に龍神の涙を手に入れたいきさつを薫に説明した。

 後ろを歩いていたから、薫がどんな顔をして聞いてるのかは見えなかった。

「……という事なんだ」

「……」


 薫はこの時、武蔵に持っているお守りの正体を告げるべきか迷っていた。

 それは霊験あらたかなお守りなどでは無く、普通の土産品だと。

「武蔵殿、武蔵殿はそのお守りを信じてるので御座るか?」

「う~ん、信じてるって程じゃ無いけど持ってるとちょっとだけ自信が湧くんだ」

 武蔵は自分が千分の一の確率で、運命的にお守りを手にしたと思っている。

 その運命的な出会いが、彼の自信の源となっているのだ。

「(どうする?武蔵殿に伝えるべきか?)」

 薫は心の中で、武蔵に真実を伝えるべきか否かを自問自答した。

 武蔵伝いに聞いただけだが、薫には真実に対する大体の予想がついていた。

「どうした?黙り込んで?」

「え?あ、いえ!千本もあるくじから当たりを引くなんて、凄いなと……」

 薫には武蔵がその占い師とやらから、だまされているのだと分かっていた。

 しかし、武蔵はタダでお守りを手に入れたと言っている。

 それに武蔵自身、その出来事で気分を良くしている。

「そうなんだよ!俺も自分の直感ってこんなに凄いんだって思ったんだよ」

「……ええ、本当に」

 だまされてとしても、武蔵は気分良く過ごしている。

 それにわざわざ水を差す必要なんて、あるだろうか?

 真実を知った武蔵は、怒ったり傷ついたりしないだろうか?

「(鰯の頭も信心からと言うし……)きっと良い事があると思うで御座るよ?」

「そうだと良いんだけどなぁ」

 薫はあえて武蔵には龍神の涙の正体を告げないことにした。

 自分一人が黙っていれば、武蔵はお守りのおかげで運気が向いてくると思う。

 わざわざ要らないことを言って、武蔵の機嫌を損ねる必要も無い。

 そうすれば、自分も武蔵の業を間近でじっくり観察できる。

「今にきっと、とても良いことが武蔵殿に舞い込んでくるに違いないで御座るよ」

「薫にはこのお守りがそんなに凄い代物に見えるか?」

「……ええ、とても」

 薫は常々、なるべく嘘は控えるように心がけている。

 だがこの場では薫は、嘘を突き通すことを選ばざるを得なかった。

「そうか。薫が言うなら、やっぱり凄い物なんだな」

「……少なくとも武蔵殿にとっては……」

 今、ついている嘘はバレなければ人を傷つけたりしない。

 少なくとも薫自身、悪意を持ってこの嘘をついたのではない。

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