水の惑星
永遠に続く砂漠に人がいた。
一人はしゃがみ、手元で砂をいじっている。もう一人はじゃがんでいる人物を静かに見下ろしていた。
空は夜と朝が入り混じり、深くも明るい青色だった。はるか遠くの空には煌めく惑星がいくつか見えている。静かで美しい場所であった。
時折り、強い風が吹いては砂が舞い上がり、二人を包んでは去っていく。
「那由他様、私はやっとここまでたどり着くことができましたが、まだまだ先は遠いようです。あの星まではどれくらいかかりますか」
那由他と呼ばれた人は座りながら砂をすくい、糸のように細く少しずつ落とし、すくっては落とすを繰り返している。
やがて顔をあげると口元まで覆った布を少しずらし、息をついた。
「きみはあの星を目指しているのかい?」
視線の先には、青く輝く惑星が見えていた。かつては水の惑星と言われていた星。
「はい。いつかこの目で見てみたくて。言い伝えでしか知りませんが。本当に痕跡があるのか確かめたいのです」
「ふうん……」
那由他は再び砂をすくいはじめた。
この人はたとえ知っていても、教える気はないのかもしれない。穣はそう思った。
自分と同じような仲間たちは広い宇宙を彷徨い、佇んでいる。目的は無いのかもしれないし、あるのかもしれない。那由他は穣よりもずっと永い時間を生きている尊い人。
すくっては落ちていく砂は小さな山を作り、そして風が山を崩していく。何個目かの山が作られ、崩れると那由他はやっと手を止めた。
「僕はね、ここで考えているんだよ。ずっと考えている。あの星には行ったことはないよ。どれくらい時間がかかるのかは知らない。行く気もない」
「何を考えているのですか?」
「名前」
突然に激しい風が吹き、砂が舞い上がった。穣は目をつむり、被っていたローブで顔を覆うとそのまま風が止むのを待った。
やがて風が止み、ローブを外すと目の前にいたはずの那由他はそこにいなかった。何でここにいたのだろう。何をしていたのだろう。なぜ急に消えたのだろう。
穣はもう少し辺りを散策してから星を目指そうと思った。
砂漠の中を歩いていると、今度は唐突に大きな岩が見えてきた。岩の上には人がいるようだった。その人は目をつむり、曲げた膝を抱え込むようにして岩の上で座っていた。
近付くと、穣が話し掛ける前に向こうから声を掛けてきた。
「あの星へはだいたい50年くらいかかるかな。すぐに着く。ただ、もう何も残っちゃいない。青く見えるものはかつてそうであったという僕らの認識の方だね。今はただの岩だらけの荒れた星さ」
「かつての痕跡を見たいのです。細羅様はあの星へ行かれて何を見たのでしょうか」
細羅の閉じていた瞳がゆっくりと開かれて、その瞳の中にはさらにいくつかの惑星が見えていた。虹色の惑星だった。こんなに美しい瞳は初めて見ると穣は思った。
「別に何も。あまり知りすぎるのも考えものだ。遠い遠い昔のことだよ。彼らは今もどこかできっと同じことを繰り返している。愚かな」
細羅の口調は穏やかであったが、ほんの少し青い空が揺らいだ気がした。彼は怒っているのだろうか。
「これではまずいと気付いた者たちは何度か立ち向かったんだけどね。あの時は希望もあった。でも結局だめだったんだ。これで何度目だろう。僕はもう期待はしないことに決めたんだ。不可能だから。だからもう二度と行かない」
細羅の瞳は美しく輝いていた。淀みなく真っ直ぐと穣を見つめている。「何を見たのですか?」もう一度、そう聞こうと思ってやめた。聞いても教えてはくれないだろう。きっと自分で見て感じなければ意味のないことなのだろう。
彼は先ほど会った那由他よりもさらにずっと残酷なまでに永い時を生きている。彼はあの青い星で何を見たのだろうか。何を知っているのだろうか。
そして細羅はゆっくりとまぶたを閉じた。美しい瞳の中の惑星が見えなくなる。
「まぁでも、行ってみたら良いさ。君が行くことで体についた砂が落ち、再び奇跡が重なるかもしれないしね。砂には名前がついている。○○と××。那由他が付けた。彼はまだ希望を持っているのかも。健気なことだ」
名前が聞き取れずにもういちど聞こうとした時、細羅の体は岩に沈みかけていた。
「少し休みたいんだ。ちょっと寝るね」
水が染み込むようにして、体が岩に吸い込まれると細羅の姿は完全に消えてしまった。
目の前の大きな岩に手を添えると、岩はほんのりと熱をもっていた。
細羅は永い永い眠りについたのだろう。再び目覚めた時、彼はきっとまた違う星の景色を見るのだ。
穣は遥か遠い空に輝いている星を見つめた。
細羅が二度と行かないと言った星。那由他も行く気はないと言った星。でも、彼らからはほんの小さな砂粒ほどの祈りも感じる。
あの星は何なのだろう。
右手を星に向かって伸ばし、親指と人差し指で丸を作った。その丸の中に、かつて水の惑星と呼ばれた美しい星が輝いている。
2021年9月作成。数の単位の名前。