結婚式(2)
署名をした後フロル達は、領民の皆様に『ご挨拶』をする為に外へ出る事になった。
「お具合はいかがですか?」
とアイゼナッハ卿が聞いてきた。フロルは一瞬自分に聞かれたのかと思ったが、どうやら伯爵の方に聞いたようである。
よく見ると、伯爵様の顔は青白く、額には汗が浮かんでいる。
調子が悪いのだろうか?
と、聞いてみたかったが、「ささ、化粧直しを。」と言われて、ウィンクラー夫人に引きずっていかれ話しかけられなかった。
顔をパタパタされながら様子を見ていると、伯爵様は大きな柱の側の椅子に座り、水と薬を飲んでいた。大丈夫だろうか?
「これ以上皆を待たせるわけにはまいりません。フロル様、どうか先に外へ。」
「えっ⁉︎伯爵様は?」
「後から参られます。さ、フロル様。」
ウィンクラー夫人にそう言われフロルは歩き出した。
大聖堂の外に出ると、何十段もある階段の下に何百人、もしかしたら一千人以上もの人達がいるのが見えた。嬉しいというよりあまりの人数に圧倒される。知らない人間の結婚式を見にくる物好きが、この街には意外に多いらしい。
「伯爵様、伯爵妃様。おめでとうございます!」
のかけ声×数百。
「手を振ってください。」
ウィンクラー夫人にそう言われのろのろと手を動かす。
と、その時。大聖堂の大きな柱の影から、一人の女が飛び出して来たのである。
一瞬何が起こったのか、フロルにはわからなかった。
柱の影から女が出てきて、フロルに向かって走ってくる。ウィンクラー夫人がフロルの前で両手を広げて立ちふさがったが、女はウィンクラー夫人を突き飛ばし、フロルに向かって突進して来た。そしてドレスの裾を、自分自身で思いっきり踏みつけ、すごい勢いでこけたのである。
女が短剣を持っている事にフロルはその時気がついた。
「逃げなきゃ!」という気持ちと「大丈夫ですか!あなた⁉︎」という質問が脳内を同時に並走する。そのくらい激しいこけ方だった。
ウィンクラー夫人が「くせ者ー!」と、叫ぶのと、女が立ち上がって短剣を振り上げるのが同時だった。聖堂の中から伯爵が飛び出して来て、女に飛びついた。
「やめなさい!グローリエ殿。」
「離してください!あんまりですわ。エセルハルト様。私というものがありながら。」
「フロル様逃げて!」
ウィンクラー夫人の声で、ようやくフロルは我に返った。ぼーっとしている場合ではない。
フロルは、突き飛ばされてこけたままのウィンクラー夫人の手をとった。夫人は「痛て。」と呟いて立ち上がれない。
「私の事はいいですから、フロル様逃げてください!」
その時だった。
すごい音がして、フロルはびっくりして振り返った。女に振りほどかれた伯爵が、階段を頭から転げ落ちていったのである。
何十段もある階段のちょうど半分くらいの場所で伯爵は止まった。そのままピクリとも動かない。
聖堂の中から他の人達も飛び出して来て、ナイフを持った女を押さえつけた。けど、ちょっと遅いのではないだろうか!
あまりの出来事に、下にいた領民の皆さんも、呆然として静まりかえっている。
「伯爵様。」「閣下!」と家臣の皆様方が口々に叫びながら階段を駆け降りて行った。フロルも慌ててそれに続いた。倒れている伯爵の顔は、さっきよりはるかに青白い。細く開いた目が一瞬何かを探すようにさまよって、フロルの顔の上にとどまった。
「伯爵様!」
と、フロルは叫んだ。伯爵はゆっくりとフロルへ手を伸ばし微笑んだ。
「・・ルドヴィカ。」
それが最後の言葉だった。
腕が力を失って階段に落ち、細く開いていた目がゆっくりと閉じた。
「伯爵様ー!」
家臣達が大声で叫ぶ。そうして。グリューネバルト伯爵は結婚式の日に死んだのである。