第一隊へ
翌日。再びフロルは騎士団宿舎へと戻って行った。
今日からここで生活するのだ。そう思うと、かつて大学に入学した一日目に感じたような興奮と不安が胸へ湧き上がってくる。
フロルはさっそく、アレクの所に足を運んだ。
「フロレント・ミゼル。ただいま戻りました。」
「ああ、おかえり。」
とアレクは手元の書類を整理する手を止めずにそう言った。
「じゃあ、今日からおまえは正式な騎士見習いとして、第一隊に所属してもらうから。」
「・・・えっ?」
とフロルは呟いた。
「後方事務隊じゃないんですか?」
「あのな。ここは金を扱う部署だぞ。新人は入れられない決まりなんだ。」
「そうですか。」
「でっ、新人を受け入れてやってもいい、っていうか、雑用をいろいろやってくれる下っ端が欲しいってとこはどこかないか聞いてみたら、第一隊と第五隊がおまえを欲しがっていたので、第一隊の方へ行ってもらう事にした。」
「第一隊って、レーステーゼ様の所ですよね。」
「だな。」
「で、第五隊はツヴァイク様の所ですよね。」
「そうだ。」
「ツヴァイク様の方が良かったなあ。」
思わず言葉が口から出て来た。
確かにユリウスもマクシミリアンも新緑騎士団事件の当事者だけど、自分の兄弟はその当事者の中でも母親のいない人なのだ。
既に退団している当事者の中にも、この前調べた書類によると、母親のいない人はいなかった。と、なるとだ。
自分の生き別れた兄弟は、マクシミリアン、ヴェルギール、アレクサンデル。
この三人にしぼられているのである。
それならば、詳しく調査する為にもこの三人のうちの誰かの下で働きたかった。本当はアレクの下につくのが一番の希望だったのだけれども。
アレクの方に視線を移すと、この人にしては珍しい表情を浮かべていた。
困ったような、気まずいような。
だが、その表情で見ている先はフロルではなかった。もう少し後ろの方。つまりフロルの真後ろで・・・。
フロルは後ろを振り返った。
フロルの後方ニメートルの場所に、ユリウスが立っていたのだった。
フロルはひじょーに気まずい思いで、ユリウスの後ろをとぼとぼと歩いていた。
何というタイミングの悪さ。まさか後ろにいるなんて思いもしていなかった。
フロルは断じて、ユリウスの事が嫌いなわけではない。親しみやすさとかは全くと言っていいほど無い人だが、決して嫌いなわけではない。どちらかと言うとマクシミリアンの方がよっぽど嫌いなくらいであって、だからユリウスの所よりマクシミリアンの所の方が良かったと言ってしまったのは、本当にただ単に兄弟探しの為だけであって、でもグリューネバルト家のトップシークレットであるこの事を言うわけにはいかないし・・・・。
ぐるぐるぐるぐるとフロルは悩み続けていた。なんか、もう。ものすごく泣きたい気分だった。
第一隊の人達は、本館の一階の一番東側の一角を本拠地としていた。そして、何故かそのすぐ横は、第二隊ではなく第五隊の本拠地だった。ビミョーに気まずいものをフロルは感じた。
ユリウスが廊下のドアを開けると、中はかなり広い部屋だった。
中央に大きな木製の机があり、その周囲に第一隊の人達がいた。
第一隊のメンバーは16人。うち、6人が新緑騎士団事件の時の人達である。と言う事を、フロルは調査の結果知っていた。
「フロレント・ミゼルです。今日からよろしくお願いします。」
とフロルは頭を下げた。
「ああ、こちらこそよろしく。」
と言って、一人の青年がイスから立ち上がった。
「ウィリバルト・カールス。この隊の副隊長だ。」
とユリウスが教えてくれた。
ウィリバルトは、ユリウス並みに愛想の無い人だった。目を閉じているのだろうか?というくらい細い目。一文字に引き結ばれた口。
彼はにこりとも笑わなかったが、それでも一応握手を求めて手を差し出して来た。
その後、残りの隊員を次々とユリウスが紹介してくれた。先刻のあの一件などまるで無かったかのように、ユリウスの態度は普通に無愛想だったので、何というか逆にいたたまれなかった。
紹介が終わった後、ウィリバルトが宿舎の案内をしてくれる事になった。彼がまず最初に教えてくれたのは、ユリウスの私室だった。
「各隊における、一番下っ端の見習いがする一番の仕事は隊長の身の回りの世話だ。隊長の側にいつも控えていて、夜はここの屋根裏部屋で寝て、隊長の指示を聞いて、行けと言われれば行けと言われた方向に突進するように。」
「はい。」
「後はまあ、掃除に洗濯に・・・。洗濯場はこっちだから。」
そう言って、廊下の突き当たりのドアから外へ出た。
建物の裏手に井戸があった。その横に山積みの洗濯物が置いてあった。
「とりあえず、この洗濯物を洗濯しといて。」
「はい。」
「石鹸とかはそっちの棚にあるから。」
と言いつつ棚の場所を教えてくれたのだが。
「あっ、石鹸が無い。後方事務隊の所に行ってもらって来てくれ。」
「はい。」
ってな感じで指示を受けていると
「あら、あなた戻って来てたの?」
と聞き覚えのある声がした。
妙な艶のある鼻にかかった声。しかしその艶は、フロルの中ではゴキブリの羽の艶と同類項のものだった。言うまでもなくローザである。
「まあ、驚いた。私てっきり、あなたはもう戻って来ないと思っていたのに。というか、よくこの騎士団に顔が出せたものだと感心だわ。」
そう言って深々とため息をつき、ウィリバルトの方に向き直る。
「ウィリバルトは優しいのね。こんな人にも親切で。この人はあの尊敬するグリューネバルト伯爵が亡くなられた時、すぐ側に控えていたのよ。なのに何もしないでぼーっとしていて、事実上伯爵を見殺しにしたの。そんな事、私なら考えられないわ!私ならきっと、伯爵様を守って差し上げたのに。ウィリバルトは『あの時の事件』の関係者の一人だったのよね。だったら伯爵様とは親しかったのでしょう。それなのに、こんな人の面倒を見なきゃならないなんて、私ウィリバルトに心から同情するわ!」
この女!
と思いつつも、フロルは声が出なかった。「伯爵を見殺しにした」という言葉が胸に突き刺さり、喉が詰まって声が出ない。
そんなフロルの事を、ローザは嘘泣きで目を潤ませながら、きっ!と睨みつけた。
「フロル。あなたって本当に思いやりの無い人よね。あなたなんかの顔を見る事が、グリューネバルト伯爵を敬愛していたこの騎士団の人達にとってどれだけ辛い事かわからないの⁉︎しかも第一隊には、あの事件のメンバーが6人もいるのよ。その6人の方達の気持ちを考えたら、あなたはすぐにここを出て行くべきだわ。あなたはあまりにも自分勝手よ。とても残酷だわ!」
「デイム。」
ウィリバルトがローザに声をかけた。優しい声だった。
「歯にバジリ粉がついていますよ。」
・・・・沈黙の10秒。ローザは口を手で覆い、耳まで真っ赤になった。嘘泣きの涙もきれいに引っ込んでいた。そんなローザにウィリバルトは言った。
「嘘です。」
更なる沈黙。・・・そしてローザは、ドスドスと足音も高らかにその場を離れて行った。
ぽんぽんと、ウィリバルトはフロルの背中を叩いた。
「強い男になりたいんだろう。ヴェルギールに聞いたよ。君がそう願っているのなら、僕達は協力を惜しまない。」
フロルは涙が込み上げて来た。背中に伝わる感触が暖かかった。




