見習い生活九日目(2)
その日の夜
フロルは再び、資料庫へ忍び込んだ。どこかに、ここをやめた元新緑騎士団第一隊の八人の、個人情報ののっている資料がないかなあ。と思ったのですだ。
その人達の故郷がわかれば、今どうしているかわかるし、それにもしかしたらその中に母親がいない人がいるかもしれないし。
だが、それにしても資料が多い。そしてとてもホコリっぽい。
フロルは羽根ボウキでホコリを払いながら、資料を見て回った。
と、その時。
「何してんの?」
と、突然後ろから声がしたのでフロルは悲鳴をあげるところだった。
「カ・・カイト様。」
アレクサンドル・カイトが、怪しいものを見る表情で立っていた。
「え・・えとですね。」
フロルは急いで言い訳を考えた。えーと、えーと。
「掃除を・・していまして。・・あの・今日は私、あんまりにも情けなかったので、結局修練にも全然参加しなくて、ですから・・その、反省して少しでも皆様のお役に立てたらとこうして掃除を。ここホコリまみれですし。」
「ふーん。それは良い心がけだ。しかし、こんな遅い時間に掃除をしていたらランプの油代が勿体無い。だから、しなくていい。」
・・・本っっ当に、この人しまり屋さんだな!フロルはげんなりした。
「わかりました。では。」
「ちょっと待て。」
フロルはアレクに呼び止められた。
「マティアスに聞いた。おまえ、夕食食べに来なかったってな。ずっとここで掃除していたのか?」
「そうですけど。」
「食事抜きは体に良くないぞ。私も今日夕方出かけてて、夕食がまだで、これから外に食べに行こうと思っていたから、おいで。おごってやろう。」
フロルは耳を疑った。自分は幻聴を聞いたのだろうか?
このドケチな人が『おごってやろう』って・・・?
「・・・はあ。」
「ほら、早く。」
どうやら自分に拒否権は無いらしい。四の五の言っていると怒鳴りつけられそうである。ま、いいか。確かにお腹は空いているし。
アレクと二人で食事に行くのかと思っていたが、団舎の入り口にもう一人、人が待っていた。第一隊隊長ユリウスだった。
フロルは一気に緊張した。アレクの事は怖いなりに、ちょっと慣れてきたのだけれど、ユリウスとはここへ来て以来、一度も話をした事がないのである。
このメンバーで食事と思うとフロルの食欲は急に半減した。
アレクが連れて行ってくれたのは、団舎から徒歩五分の場所にある串焼き料理の店だった。中央にある調理場を囲むようにカウンターがあり、たくさんの食材が並べられていて、好きな食材を串に刺してもらって炭火で焼いてもらうらしい。店の中はものすごい煙で、フロルは自分がベーコンにでもなってしまったような気がした。
「何でも好きな物を注文していいから。」
フロルの隣に座ったアレクがそう言った。更にその横にユリウスが座っている。
フロルは悩んだ。
何だか見た事の無い食材ばかりなのである。
元々、フロルは肉料理自体ほとんど食べた事がなく、牛肉と鹿肉の見分けもつかない人間なのだ。海の魚しか食べた事がないから川魚の味も見当がつかない。
おごってもらう以上、食べ残すわけには絶対にいかないから、失敗の無いチョイスをしなくてはいけないし・・。
「そんな眉間にシワ寄せてないで、何でも食べろ。お腹がいっぱいになったら気持ちも上向くし、元気が出るから。」
・・・。
今日の一件で自分が落ち込んでいると思って、アレクは夕食をおごると言い出したんだ!
とフロルは気がついた。
厳しい人だけど本当は優しいんだ。そして、とってもしまり屋さんな人だけど、こういう時はお金を惜しまない人なんだ。まるで亡きグリューネバルト伯爵のように。
フロルはちょっと感動した。
「牛肉のロースと豚肉のヒレ、鴨の胸肉に腸詰、それとトラウト。」
とユリウスが言った。ほいよ。と言って店員さんが手際良く串に刺していく。あ!一種類の何かを串に刺すんじゃなくて、こういう頼み方もできるのか。ユリウスが、フロルに言った。
「今、注文した串は君の分だ。食材の味の見当がつかなくて悩んでいたのだろう。できるだけクセの強くない物を注文したが、口に合わない物は残せばいいから。気に入った物があったら、二本目にそれを頼んでごらん。私もグリューネバルト領に行った時、見た事の無い食べ物ばかりで少し困ったから。」
「・・ありがとうございます。」
なんて、なんて気が利く人なんだっ!フロルは少し潤んだ瞳でユリウスを見つめた。ちなみに目が潤むのは煙が目にしみるからだ。
と、その時。
手袋を外したユリウスの手の甲が見えた。
「・・・レーステーゼ様も、手にクローゼ様と同じ刺青をしていらっしゃるのですね。」
「・・・・。」
「もしかして、新緑騎士団の方はみんなする事になっているのですか?」
「そっか。おまえ、地方出身者だから見た事が無いのか?」
アレクが水を飲みながら言った。
「この刺青は犯罪者の証拠だよ。前科一犯って事さ。二犯、三犯となるにつれてこの下に横線が増えていくんだ。」
「えっ⁉︎犯罪って?」
「グリューネバルト出身なら知っているだろう。私達が、ローゼンリール侯爵夫人の弟を殺した事件。」
「勿論知ってますよ。でも、あの事件はお金を払ってカタがついたんじゃ。」
「グリューネバルト伯爵のおかげで命は贖えたが、罪が消えたわけではないからな。」
アレクは刺青の入った自分の手をひらひらさせながら言った。
・・・。
フロルは言葉を失った。そこまでは話が伝わって来なかったのだ。
「すごく痛そう。・・痛いんでしょう?刺青入れるのって。」
「そりゃあまあ、痛かったよ。でもムチ打ち500回ほどは痛くはないさ。」
フロルは赤面してうつむいた。安易に同情した自分が恥ずかしかった。この人達は誇り高く行動したのだ。それを自分が、どうこう評価するのは恥ずかしい事だ。
そしてそれ以上に。何も知らないのにヴェルギールの事を勝手に誤解していた事を恥じた。勝手に誤解して勝手に嫌って。
自分ってなんて愚かで、なんてみっともないのだろう。
「こらこら、何をおまえが落ち込んでいる。って、おまえ泣いてるのか?」
アレクが慌てたような声を出した。
「ち・違うんです。煙が目に・・しみて。」
「そうか。」
と言って、アレクはぽんぽんとフロルの頭を軽く叩いた。
アレクの手は暖かかった。父がお金を払わなかったら、この人は今頃冷たくなって墓の下にいたのだろう。そう思うと、今一緒に並んで食事ができるなんて奇跡のようだと思った。
父は偉大な人だった。そして新緑騎士団の人達も偉大な人達だ。マクシミリアンだって。命をかけて見ず知らずのリーリアを助けてくれたんだ。ローザをデイムに推薦したのも、何か私の知らない事情があっただけかもしれない。マクシミリアンの口から何も聞いていないのに、私に彼を嫌う資格なんか無い。彼は私とリーリアの恩人なのだ。
「ところでユーリ。何で見た事の無い物だと食うのに困るんだ?食べた事の無い物こそどんな味なのか興味があるじゃないか?」
長い付き合いのアレクとユーリでさえ、お互いを分かり合えないらしい。
もっといろいろ知る努力をしなくては。自分なんかに彼らの事がわかるわけがなかった。




